2020年09月07日
やりがいは何か?という愚問
9月4日
取材インターン「ひきだし」事後研修でした。
僕の興味は、取材を通して、
「オンラインの向こう側」を見てみたかった。
結論としては、
チューニングを強化してチャットと併用することで、
チームインタビューはうまくいくことが分かった。
実は「場」に差し出してるものが多くなるっていうこと。
それが場との一体感を生んでいる。
オンラインは、頭や気持ちの一部だけを取り出せるからかもしれない。
~~~ここからはメモ
「否定」ではなく、「違和感の表明」。
違和感を受け止める場があるかどうか?
自分にしかできない質問=いまこの瞬間に感じた違和感を問いに替えること
その質問がインタビューをドライブさせる。
「昭和のサラリーマンはお金のために好きでもない仕事をやっていた」は本当なのか?
⇒また行きたくなる「場」「一体感」があったのではないか。
好きなこと=doやwhatではなくbeやhowかも。
何をやるかではなく、状態や関係性が大切。
★「やりがい」問題
仕事人にインタビューをするとき、ついつい、
「この仕事のやりがいは何ですか?」と聞いてしまう。
今回インタビューした会社の中で、
「やりがいを感じるのは感謝されたとき」
との回答を得て、ひとりの大学生が違和感を持った。
感謝ってやりがいなの?って
それがふりかえりでホットな議論になった。
その違和感について、僕が感じたのは、
「やりがいは何か?」って仕事の目的を聞いているはずなのに、
「感謝されること」は結果であって、目的ではないから。
でも、そもそも仕事に目的は必要なのか?
そもそも普段「やりがい」なんて意識して仕事しているか?
もしかすると、経営者は必要なのかもしれないけど。
目の前の仕事に、お客様に、集中しているとき、
「やりがい」という言葉は頭から消えている。
大学生に質問されてはじめて意識する。
問われたから無理やり考える。
そしてそれは、研修でやったけど、
「内なる言葉」ではなく「外に向かう言葉」で答えてしまう。
「外に向かう言葉」=人に説明する言葉⇒見える化⇒計測可能(量的に語れる)
結果、「感謝」が出てくる。
1人が書いていたけど、
仕事の目的というかそもそもの成り立ちは「お客様に価値を届けること」であり、
「感謝されること」は結果である。
だから、やりがいは何か?という質問の仕方が間違っているのだ。
あなたが届けたい、届けられる価値は?
と聞かないといけないし、
「感謝」をもっと解像度を上げるには、
あなたが喜びを感じる瞬間は?
と質問しないといけない。
ただ、今回聞いていて思ったのは、
「感謝」によって思いやりと愛の循環が起こる
⇒「場」の空気がよくなる⇒明日も会社行こうと思う
っていうことなのかもしれない。
つまり。
モチベーションの源泉は、ゴール(目的)ではなく、
「場」から湧いているのではないか、と。
~~~ここまでメモ
いいですね。
やりがい問題。
タイトルの話に戻ると、
「仕事のやりがいは何か」という問いが適切じゃないということ。
それって、「働く目的は?」っていうのと
同じくらい難しく、哲学的な問いで、かつひとりひとり答えが違うし、
ふだんから考えていないから、質問されて「これです」って即答できるものではない。
だから答えとしては「やっててよかったこと」を答えてしまう。
例えば「お客様に感謝されること」
それは「目的」ではなく「結果」であるので、違和感を覚えてしまう。
しかし、それをうまいこと編集すると「やりがい」に聞こえる。
そもそも「やりがいは何か?」って考えることがないほど
夢中で仕事をしている人は本人的にはおそらく「やりがいのある仕事」をしている。
だから、質問を変えないといけない。
たとえば、「夢中になれる瞬間はいつか?」とか。
あとは、「外に向かう言葉」と「内なる言葉」の違い。
やりがいは何か?と聞かれて、
やりがいを言語化、見える化、計測可能にすると、わかりやすくはなるけど、
リアリティを失ってしまう。
「結果」を「やりがい」つまり「目的」に取り違えてしまう。
「近代」なる何か(資本主義や教育)の罠がここにある。
「近代」なる何か(資本主義や教育)は、
「結果」を「目的」のように見せかけてきたのではないか。
「評価」を「承認」に見せかけるように。
それが、「計測可能」という罠だ。
「学び」の目的は
「発見」ではなく「達成」なのだと思い込まされてきたのではないか。
かつてエジソンは言った
私は失敗したことがない。ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。(トーマス・エジソン)
これは、プラス思考であきらめないでチャレンジし続けるっていう風にとらえられているけど、
実は「発見」こそが喜びだということを言っているようにも思える。
大切なのは、「成長」ではなく「発見」と「変容」である。
「成長」は数値化できるが(そういうものを指標としているが)
「発見」「変容」は自身や周りの感性でしかキャッチできない。
9月4日を予言するかのように、9月3日にツイートしたもの
~~~
学びの構造そのものを変えたいんだ。
手段としての学びから、機会としての学びへ。
個人としての学びから、場としての学びへ。
再現性のある学びから、一回性の高い学びへ。
それによって、学びはもっと楽しくなるし、個人のアイデンティティ危機を乗り越えていくことが同時に可能になるという仮説
~~~
まさにこれだ。
ひとりひとりを大切にするために個人ではなく場にフォーカスしたい。
そして、「学び」を「遊び」にしたい。
その遊び、とは予測不可能性のことであり、その予測不可能性を高めるために、場として学び、振り返る。
遠くまで行きたければ、場のチカラを高めること。
だから。
目的・目標を分かりやすく設定することよりも、「場」にフォーカスすること。
でもそれには「見本」や「手本」や「正解」がないんだ。
「場」の見え方さえも個人によって異なるから。
たぶんそういうこと。
事後研修を終えて、数名の参加者が
ふりだしに戻った!と叫んでいた。(チャットで)
~~~
振り出しにもどった!!!!
OKいろいろあるのね、自分のとらえかた次第ね
業界や職種で絞れないね
→どう絞れば!?
スキを仕事にしなくてもいい
→楽になったけど、なにを軸にすればいいんだ!?
自分にできることって何
→やってからじゃないとわからない、最初どうすれば!?
~~~
いいなあ、内なる言葉が出てくる「チャット」という機能は。(笑)
ふりだしに戻る。
でも、それは戻ったわけではなく、螺旋階段を1段登っている。
そして、1段登った分、見える景色が変わっているはずだ。
そんな「機会提供」の場をつくりたかった。
たぶんそれが主催者である若松さんと僕の想い。
機会をどうとるかは参加者次第なのだけど。
今回の「ひきだし」も僕にとっても予測不可能な発見の連続で、
めちゃめちゃ楽しかったのです。ありがとうございました。
取材インターン「ひきだし」事後研修でした。
僕の興味は、取材を通して、
「オンラインの向こう側」を見てみたかった。
結論としては、
チューニングを強化してチャットと併用することで、
チームインタビューはうまくいくことが分かった。
実は「場」に差し出してるものが多くなるっていうこと。
それが場との一体感を生んでいる。
オンラインは、頭や気持ちの一部だけを取り出せるからかもしれない。
~~~ここからはメモ
「否定」ではなく、「違和感の表明」。
違和感を受け止める場があるかどうか?
自分にしかできない質問=いまこの瞬間に感じた違和感を問いに替えること
その質問がインタビューをドライブさせる。
「昭和のサラリーマンはお金のために好きでもない仕事をやっていた」は本当なのか?
⇒また行きたくなる「場」「一体感」があったのではないか。
好きなこと=doやwhatではなくbeやhowかも。
何をやるかではなく、状態や関係性が大切。
★「やりがい」問題
仕事人にインタビューをするとき、ついつい、
「この仕事のやりがいは何ですか?」と聞いてしまう。
今回インタビューした会社の中で、
「やりがいを感じるのは感謝されたとき」
との回答を得て、ひとりの大学生が違和感を持った。
感謝ってやりがいなの?って
それがふりかえりでホットな議論になった。
その違和感について、僕が感じたのは、
「やりがいは何か?」って仕事の目的を聞いているはずなのに、
「感謝されること」は結果であって、目的ではないから。
でも、そもそも仕事に目的は必要なのか?
そもそも普段「やりがい」なんて意識して仕事しているか?
もしかすると、経営者は必要なのかもしれないけど。
目の前の仕事に、お客様に、集中しているとき、
「やりがい」という言葉は頭から消えている。
大学生に質問されてはじめて意識する。
問われたから無理やり考える。
そしてそれは、研修でやったけど、
「内なる言葉」ではなく「外に向かう言葉」で答えてしまう。
「外に向かう言葉」=人に説明する言葉⇒見える化⇒計測可能(量的に語れる)
結果、「感謝」が出てくる。
1人が書いていたけど、
仕事の目的というかそもそもの成り立ちは「お客様に価値を届けること」であり、
「感謝されること」は結果である。
だから、やりがいは何か?という質問の仕方が間違っているのだ。
あなたが届けたい、届けられる価値は?
と聞かないといけないし、
「感謝」をもっと解像度を上げるには、
あなたが喜びを感じる瞬間は?
と質問しないといけない。
ただ、今回聞いていて思ったのは、
「感謝」によって思いやりと愛の循環が起こる
⇒「場」の空気がよくなる⇒明日も会社行こうと思う
っていうことなのかもしれない。
つまり。
モチベーションの源泉は、ゴール(目的)ではなく、
「場」から湧いているのではないか、と。
~~~ここまでメモ
いいですね。
やりがい問題。
タイトルの話に戻ると、
「仕事のやりがいは何か」という問いが適切じゃないということ。
それって、「働く目的は?」っていうのと
同じくらい難しく、哲学的な問いで、かつひとりひとり答えが違うし、
ふだんから考えていないから、質問されて「これです」って即答できるものではない。
だから答えとしては「やっててよかったこと」を答えてしまう。
例えば「お客様に感謝されること」
それは「目的」ではなく「結果」であるので、違和感を覚えてしまう。
しかし、それをうまいこと編集すると「やりがい」に聞こえる。
そもそも「やりがいは何か?」って考えることがないほど
夢中で仕事をしている人は本人的にはおそらく「やりがいのある仕事」をしている。
だから、質問を変えないといけない。
たとえば、「夢中になれる瞬間はいつか?」とか。
あとは、「外に向かう言葉」と「内なる言葉」の違い。
やりがいは何か?と聞かれて、
やりがいを言語化、見える化、計測可能にすると、わかりやすくはなるけど、
リアリティを失ってしまう。
「結果」を「やりがい」つまり「目的」に取り違えてしまう。
「近代」なる何か(資本主義や教育)の罠がここにある。
「近代」なる何か(資本主義や教育)は、
「結果」を「目的」のように見せかけてきたのではないか。
「評価」を「承認」に見せかけるように。
それが、「計測可能」という罠だ。
「学び」の目的は
「発見」ではなく「達成」なのだと思い込まされてきたのではないか。
かつてエジソンは言った
私は失敗したことがない。ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。(トーマス・エジソン)
これは、プラス思考であきらめないでチャレンジし続けるっていう風にとらえられているけど、
実は「発見」こそが喜びだということを言っているようにも思える。
大切なのは、「成長」ではなく「発見」と「変容」である。
「成長」は数値化できるが(そういうものを指標としているが)
「発見」「変容」は自身や周りの感性でしかキャッチできない。
9月4日を予言するかのように、9月3日にツイートしたもの
~~~
学びの構造そのものを変えたいんだ。
手段としての学びから、機会としての学びへ。
個人としての学びから、場としての学びへ。
再現性のある学びから、一回性の高い学びへ。
それによって、学びはもっと楽しくなるし、個人のアイデンティティ危機を乗り越えていくことが同時に可能になるという仮説
~~~
まさにこれだ。
ひとりひとりを大切にするために個人ではなく場にフォーカスしたい。
そして、「学び」を「遊び」にしたい。
その遊び、とは予測不可能性のことであり、その予測不可能性を高めるために、場として学び、振り返る。
遠くまで行きたければ、場のチカラを高めること。
だから。
目的・目標を分かりやすく設定することよりも、「場」にフォーカスすること。
でもそれには「見本」や「手本」や「正解」がないんだ。
「場」の見え方さえも個人によって異なるから。
たぶんそういうこと。
事後研修を終えて、数名の参加者が
ふりだしに戻った!と叫んでいた。(チャットで)
~~~
振り出しにもどった!!!!
OKいろいろあるのね、自分のとらえかた次第ね
業界や職種で絞れないね
→どう絞れば!?
スキを仕事にしなくてもいい
→楽になったけど、なにを軸にすればいいんだ!?
自分にできることって何
→やってからじゃないとわからない、最初どうすれば!?
~~~
いいなあ、内なる言葉が出てくる「チャット」という機能は。(笑)
ふりだしに戻る。
でも、それは戻ったわけではなく、螺旋階段を1段登っている。
そして、1段登った分、見える景色が変わっているはずだ。
そんな「機会提供」の場をつくりたかった。
たぶんそれが主催者である若松さんと僕の想い。
機会をどうとるかは参加者次第なのだけど。
今回の「ひきだし」も僕にとっても予測不可能な発見の連続で、
めちゃめちゃ楽しかったのです。ありがとうございました。
2019年03月14日
コナトゥスを意識する
今夜のクルミドコーヒー影山さんとの
「就活の違和感」トークに向けての準備中。
上野駅の「book express」でふと、
目の前に飛び込んでくる本。
「仕事選びのアートとサイエンス」(山口周 光文社新書)

買っちゃいました。
まだ冒頭しか読んでいないけど、
就活に行く前に乗るべきヘリのラインナップに入れなきゃだ。
冒頭からだいぶ攻めてきます。
~~~ここから引用
仕事選びを予定調和させることはできない。
自分をオープンに保ち、いろんなことを試し、しっくりくるものに落ち着くしかない。
「計画」に価値ははい
「風が吹く、生きようと試みなければならない。」
変転し続ける世の中で、私たちは世界に身を投げ出すようにして、
まず「生きる」ことをを試みなければならない、
そうしなければ何も始まらない、と言っているわけです。
スピノザは
「本来の自分らしい自分であろうとする力」を「コナトゥス」と呼びました。
その人の本質は、その人の姿形や肩書きではなく、「コナトゥス」に
よって規定されると考えました。
当然のことながら、コナトゥスは多様であり、個人によって異なることになります。
この世の中に存在しているあらゆるものは、
それ自体として「良い」とか「悪い」とかいうことはなく、
その人のコナトゥスとの組み合わせによって決まる、とスピノザは考えたわけです。
私たちは極めて変化の激しい時代に生きており、私たちを取り巻く事物と
私たち個人の関係性は、常に新しいものに取って代わられていくことになります。
このような時代にあって、何が「良い」のか「悪い」のかを、
世間一般の判断に基づいて同定することはできません。
自分なりの「良い」「悪い」の評価軸をつくっていくこと。
自分の姿形や立場などの形相を「エイドス」と呼びます。
私たちは往々にして自分の属性や立場といった「エイドス」に
基づいて「私はこうするべきだ」「私はこうしなければならない」と
かんがえてしまいがちですが、
このようなエイドスに基づいた自己認識は往々にして個人のコナトゥスを
毀損し、その人がその人らしく生きる力を阻害する要因となっています。
私たちは自分のコナトゥスを高める事物を様々に試していくことが
必要になります。
~~~ここまで引用
いやあ。
そうそれ!
みたいな感激があります。
「にいがたイナカレッジ」で昨年末から連載した
「挑戦するな実験しよう」では、まさにそのような
「コナトゥス」を高めるためにはどうしたらいいのか?
みたいな問いを持ちながら実験していくことについて書きました。
https://inacollege.jp/blog/2019/01/17/nishida4/
今日、この後にお話する「就活、働くことの違和感」についても、
通じてくるものがあるなあと感じています。

「続・ゆっくり、いそげ」(影山知明・クルミド出版)
▼▼▼ここから「続・ゆっくり、いそげ」より
目的と目標(P50)
目標:計数管理⇒体温を測るようなもの。体温がその人のすべてを反映するわけではないように、計数がお店のすべてではない。
疑問詞でいえば、
目標:how much⇒取り組みの進捗を測る目安
目的:why⇒取り組みの存在理由や意義
「あなたの中に種のあることをやりなさい」(P58)
「have」「do」「be」という目的地(目標)設定。
「do」の目標設定だけだと、人生を不足と未達成の連続にしてしまう。
「人生はそんなロールプレイングゲームのようなものではない。」
「でない」が「である」の苗床になる。(P71)
僕はフラットじゃないコミュニケーションの場、その瞬間が何よりも嫌だったんですね。何も生まれないから。
「いってまいります」という言葉。(P75)
日本人はあたかも自らの自我を、外部から出発して構成するかのようです。
システムに我々を利用させてはなりません。システムを独り立ちさせてはなりません。システムが我々を作ったのではありません。我々がシステムをつくったのです。(村上春樹 雑文集「壁と卵」より)(P210)
1つ1つのシステムには、それが組み立てられた動機であり、目的があり、その動機や目的に沿うような人々のふるまいと相性がいい。いやむしろ、その動機や目的に沿ってふるまうよう、人々を方向付ける力をもっていると言った方がいいかもしれない。
システムをつくるには、それをつくるための原初的な「問い」がいる。現代はそれが「生産性の高い社会をつくるには」なのであり、その問いに答えようとしていると考えれば、今の経済も政治も教育も、ある意味よくできていると言える。(P228)
▲▲▲ここまで「続・ゆっくり、いそげ」より
まず目的と目標について
目標だけだと、予測可能なのだけど、目的っていうのは、予測不可能だったり、変わり続けるもの、随時変更していかないといけないのではないか。
エンターテイメントの本質は
「予測不可能性」にあるのだと僕は思うし、
僕の「コナトゥス」的には、
おそらくは「予測不可能性」が高いものを楽しめるというか
好奇心が旺盛だから、そういうことになるのかもしれないけど、
人によっては、自分が自分らしくあるためには、
ある程度予測可能な未来設計と、
目の前のことをコツコツやることが心地よいのだなあと。
人を一元化して語ることは不可能だなんて当たり前なんだけど、
いわゆる成功者の実践だったり、
多数派が納得していることだったりっていうのは、
受け入れる人の「コナトゥス」に関係なく、
受け入れざるを得ないような状況があるのだろう。
「本来の自分らしい自分であろうとする力」に耳を傾けること。
本人だけではなく、一緒に場をつくっていく人たちがコナトゥスを意識すること。
やっぱ、哲学って必要だなと思った今日の読書でした。
「就活の違和感」トークに向けての準備中。
上野駅の「book express」でふと、
目の前に飛び込んでくる本。
「仕事選びのアートとサイエンス」(山口周 光文社新書)

買っちゃいました。
まだ冒頭しか読んでいないけど、
就活に行く前に乗るべきヘリのラインナップに入れなきゃだ。
冒頭からだいぶ攻めてきます。
~~~ここから引用
仕事選びを予定調和させることはできない。
自分をオープンに保ち、いろんなことを試し、しっくりくるものに落ち着くしかない。
「計画」に価値ははい
「風が吹く、生きようと試みなければならない。」
変転し続ける世の中で、私たちは世界に身を投げ出すようにして、
まず「生きる」ことをを試みなければならない、
そうしなければ何も始まらない、と言っているわけです。
スピノザは
「本来の自分らしい自分であろうとする力」を「コナトゥス」と呼びました。
その人の本質は、その人の姿形や肩書きではなく、「コナトゥス」に
よって規定されると考えました。
当然のことながら、コナトゥスは多様であり、個人によって異なることになります。
この世の中に存在しているあらゆるものは、
それ自体として「良い」とか「悪い」とかいうことはなく、
その人のコナトゥスとの組み合わせによって決まる、とスピノザは考えたわけです。
私たちは極めて変化の激しい時代に生きており、私たちを取り巻く事物と
私たち個人の関係性は、常に新しいものに取って代わられていくことになります。
このような時代にあって、何が「良い」のか「悪い」のかを、
世間一般の判断に基づいて同定することはできません。
自分なりの「良い」「悪い」の評価軸をつくっていくこと。
自分の姿形や立場などの形相を「エイドス」と呼びます。
私たちは往々にして自分の属性や立場といった「エイドス」に
基づいて「私はこうするべきだ」「私はこうしなければならない」と
かんがえてしまいがちですが、
このようなエイドスに基づいた自己認識は往々にして個人のコナトゥスを
毀損し、その人がその人らしく生きる力を阻害する要因となっています。
私たちは自分のコナトゥスを高める事物を様々に試していくことが
必要になります。
~~~ここまで引用
いやあ。
そうそれ!
みたいな感激があります。
「にいがたイナカレッジ」で昨年末から連載した
「挑戦するな実験しよう」では、まさにそのような
「コナトゥス」を高めるためにはどうしたらいいのか?
みたいな問いを持ちながら実験していくことについて書きました。
https://inacollege.jp/blog/2019/01/17/nishida4/
今日、この後にお話する「就活、働くことの違和感」についても、
通じてくるものがあるなあと感じています。

「続・ゆっくり、いそげ」(影山知明・クルミド出版)
▼▼▼ここから「続・ゆっくり、いそげ」より
目的と目標(P50)
目標:計数管理⇒体温を測るようなもの。体温がその人のすべてを反映するわけではないように、計数がお店のすべてではない。
疑問詞でいえば、
目標:how much⇒取り組みの進捗を測る目安
目的:why⇒取り組みの存在理由や意義
「あなたの中に種のあることをやりなさい」(P58)
「have」「do」「be」という目的地(目標)設定。
「do」の目標設定だけだと、人生を不足と未達成の連続にしてしまう。
「人生はそんなロールプレイングゲームのようなものではない。」
「でない」が「である」の苗床になる。(P71)
僕はフラットじゃないコミュニケーションの場、その瞬間が何よりも嫌だったんですね。何も生まれないから。
「いってまいります」という言葉。(P75)
日本人はあたかも自らの自我を、外部から出発して構成するかのようです。
システムに我々を利用させてはなりません。システムを独り立ちさせてはなりません。システムが我々を作ったのではありません。我々がシステムをつくったのです。(村上春樹 雑文集「壁と卵」より)(P210)
1つ1つのシステムには、それが組み立てられた動機であり、目的があり、その動機や目的に沿うような人々のふるまいと相性がいい。いやむしろ、その動機や目的に沿ってふるまうよう、人々を方向付ける力をもっていると言った方がいいかもしれない。
システムをつくるには、それをつくるための原初的な「問い」がいる。現代はそれが「生産性の高い社会をつくるには」なのであり、その問いに答えようとしていると考えれば、今の経済も政治も教育も、ある意味よくできていると言える。(P228)
▲▲▲ここまで「続・ゆっくり、いそげ」より
まず目的と目標について
目標だけだと、予測可能なのだけど、目的っていうのは、予測不可能だったり、変わり続けるもの、随時変更していかないといけないのではないか。
エンターテイメントの本質は
「予測不可能性」にあるのだと僕は思うし、
僕の「コナトゥス」的には、
おそらくは「予測不可能性」が高いものを楽しめるというか
好奇心が旺盛だから、そういうことになるのかもしれないけど、
人によっては、自分が自分らしくあるためには、
ある程度予測可能な未来設計と、
目の前のことをコツコツやることが心地よいのだなあと。
人を一元化して語ることは不可能だなんて当たり前なんだけど、
いわゆる成功者の実践だったり、
多数派が納得していることだったりっていうのは、
受け入れる人の「コナトゥス」に関係なく、
受け入れざるを得ないような状況があるのだろう。
「本来の自分らしい自分であろうとする力」に耳を傾けること。
本人だけではなく、一緒に場をつくっていく人たちがコナトゥスを意識すること。
やっぱ、哲学って必要だなと思った今日の読書でした。
2019年01月14日
「就活」と「手紙」
昨日のつづき。
2015年から、とある大学に在籍した。
大学の「中の人」になって、「就活」の違和感の正体を知りたい。
そう思ってきた。
一方で本屋として、
本をツールにしたコミュニケーションの場を
作り続けてきた。
2015年、暗やみ本屋ハックツの立ち上げで
出会ったキーコンセプトは「手紙」だった。
サンクチュアリ出版の金子さんとのトークで感じたこと。
本が「手紙」だったとき、その本が売れるのだということ。
「手紙が届いたこと」が売り上げにつながっていくのだということ。
仕事ってそういうものなのではないかなあと思った。
2018年、「にいがたイナカレッジ」で考えてたこと。
それは場のチカラだった。
ひとりひとりの感性をチューニングすることだった。
「誰とやるか」が大事だと、ひとりの大学生が言った。
それは端的に「就活」というシステム自体の違和感を表していると思った。
おそらくその大学生は、
人にフォーカスしすぎなんだなあと思った。
資本主義というシステムは、
人を数値化(道具化・手段化)することで
利益を生み出してきた。
去年、京都で知り合った大学生がこんなことを言っていた。
「本が好きなんで、ブックオフでアルバイトをしているのですけど、
本がすべてデータで管理されていて、システマティックに
時期が来たら半額の棚から108円コーナーへ移動し、
さらに時間が過ぎたら108円コーナーから別の場所に運ばれていく」
1冊1冊の本が本じゃないみたいだと言っていた。
そう、システムは、本を本ではなく、モノ化(「消費財」化)する。
そして、モノ化し、大量に流通させることで
スケールメリットが発生し、利潤が生まれる。
それが資本主義というシステムだ。
そこでは当然、人も消費財化する。
「就活」システムは、乱暴に言えば、
「消費財」として挙動できる人材を選ぶシステムである。
新卒を100人採用する企業にとって、
1人の大学生は消費財にすぎない。
もちろん、最終面接では、
「あなたが大切にしてきたことはなんですか?」
とか本質的な質問がされが、経営者や役員が
「あなたと働きたいかどうか?」で合否が決まっちゃうのだけど。
もし、大学生が、
「手紙」を届けるような仕事がしたい、と思っているとしたら、
就職以前に「就活」というシステムに馴染めないのは
当たり前のような気がする。
「就活」はフレームワークだと思う。
企業が求めるフレームに、自分を合わせていくこと。
そう、仕事ってそういうものだ。
世の中というフレームの中で、価値を提供していくこと。
消費財を最高速で交換し続けることで利益を最大化すること。
「出版不況」に似ているなと思った。
本が手紙だったとき、
その手紙が届くべき人に届いたとき、
その本はヒットすると、金子さんが言っていた。
いつのまにか、「売れる本」を売るようになった。
マーケティングを駆使して、
売れる内容、売れるタイトル、売れる装丁をつくった。
いつのまにか、本は手紙ではなくなった。
もはやそういう余裕がないのかもしれない。
「手紙」のような本を売り出すような。
それでも今でも、手紙のような本に出会う。
年明けに読んだ、

「本を贈る」(三輪舎)

「続・ゆっくりいそげ」(クルミド出版)

「生きるように働く」(ミシマ社)
3冊とも、手紙のような本だった。
著者やつくり手の顔を知っているからかもしれないけど、
じんわりと心に沁みてくるような素敵な本たちだった。
そんな風に、「手紙」をやりとりするような本屋が作れないだろうか。
そして、「手紙」をやりとりするような「就活」ができないだろうか。
「かえるライブラリー」で起こってほしいのは、きっとそういうことだと思う。
2015年から、とある大学に在籍した。
大学の「中の人」になって、「就活」の違和感の正体を知りたい。
そう思ってきた。
一方で本屋として、
本をツールにしたコミュニケーションの場を
作り続けてきた。
2015年、暗やみ本屋ハックツの立ち上げで
出会ったキーコンセプトは「手紙」だった。
サンクチュアリ出版の金子さんとのトークで感じたこと。
本が「手紙」だったとき、その本が売れるのだということ。
「手紙が届いたこと」が売り上げにつながっていくのだということ。
仕事ってそういうものなのではないかなあと思った。
2018年、「にいがたイナカレッジ」で考えてたこと。
それは場のチカラだった。
ひとりひとりの感性をチューニングすることだった。
「誰とやるか」が大事だと、ひとりの大学生が言った。
それは端的に「就活」というシステム自体の違和感を表していると思った。
おそらくその大学生は、
人にフォーカスしすぎなんだなあと思った。
資本主義というシステムは、
人を数値化(道具化・手段化)することで
利益を生み出してきた。
去年、京都で知り合った大学生がこんなことを言っていた。
「本が好きなんで、ブックオフでアルバイトをしているのですけど、
本がすべてデータで管理されていて、システマティックに
時期が来たら半額の棚から108円コーナーへ移動し、
さらに時間が過ぎたら108円コーナーから別の場所に運ばれていく」
1冊1冊の本が本じゃないみたいだと言っていた。
そう、システムは、本を本ではなく、モノ化(「消費財」化)する。
そして、モノ化し、大量に流通させることで
スケールメリットが発生し、利潤が生まれる。
それが資本主義というシステムだ。
そこでは当然、人も消費財化する。
「就活」システムは、乱暴に言えば、
「消費財」として挙動できる人材を選ぶシステムである。
新卒を100人採用する企業にとって、
1人の大学生は消費財にすぎない。
もちろん、最終面接では、
「あなたが大切にしてきたことはなんですか?」
とか本質的な質問がされが、経営者や役員が
「あなたと働きたいかどうか?」で合否が決まっちゃうのだけど。
もし、大学生が、
「手紙」を届けるような仕事がしたい、と思っているとしたら、
就職以前に「就活」というシステムに馴染めないのは
当たり前のような気がする。
「就活」はフレームワークだと思う。
企業が求めるフレームに、自分を合わせていくこと。
そう、仕事ってそういうものだ。
世の中というフレームの中で、価値を提供していくこと。
消費財を最高速で交換し続けることで利益を最大化すること。
「出版不況」に似ているなと思った。
本が手紙だったとき、
その手紙が届くべき人に届いたとき、
その本はヒットすると、金子さんが言っていた。
いつのまにか、「売れる本」を売るようになった。
マーケティングを駆使して、
売れる内容、売れるタイトル、売れる装丁をつくった。
いつのまにか、本は手紙ではなくなった。
もはやそういう余裕がないのかもしれない。
「手紙」のような本を売り出すような。
それでも今でも、手紙のような本に出会う。
年明けに読んだ、

「本を贈る」(三輪舎)

「続・ゆっくりいそげ」(クルミド出版)

「生きるように働く」(ミシマ社)
3冊とも、手紙のような本だった。
著者やつくり手の顔を知っているからかもしれないけど、
じんわりと心に沁みてくるような素敵な本たちだった。
そんな風に、「手紙」をやりとりするような本屋が作れないだろうか。
そして、「手紙」をやりとりするような「就活」ができないだろうか。
「かえるライブラリー」で起こってほしいのは、きっとそういうことだと思う。
2019年01月13日
コードネーム「耳をすませば」
「本の声を聴け」(高瀬毅 文藝春秋)

ブックディレクター幅さんの仕事について書かれた本。
幅さんは本の声を聴きながら、本をセレクトしているんだ。
ジブリ映画「耳をすませば」では
図書館の本の貸し出しカードに書いてある
同一の名前に胸がときめく。

ツルハシブックスオープンの数か月後に
オープンした「地下古本コーナーHAKKUTSU」、
そして、2015年9月から活動している
10代しか入れない古本屋「暗やみ本屋ハックツ」は、
暗やみの中で、寄贈者からのメッセージを頼りに、
本を選び、購入するというもの。
「暗やみ本屋ハックツ」では、
「10代に手紙を届ける」というテーマで、
寄贈本を紹介する読書会をやっている。
だから、暗やみの中で、
10代は、メッセージを読んでいるのだけど、
幅さん風に言えば、
「寄贈者の声を聞いている」し、
耳をすませば風に言えば、
「どんな人が前に読んだ人なんだろう?」って思いを巡らせる。
そういう「はたらく」との出会いがあってもいいんじゃないか。
それが、「新・OB訪問」だ。
本を通して企業と出会えないか。
いや、企業というよりも、
そこで働く「人」に出会えないか。
そういう発想から生まれた。
2006年12月。
新潟市で行った「新潟の社長に出会う1日」
主催:スタイルキャラバン(任意団体)
大学生が経営者に出会い、1日密着するという企画。
そこから始まって、大学生まわりで
・企業と大学生の接点づくりのイベント
・商店街、離島での短期インターンシップのプログラムづくり
・企業での長期インターンシップのプロジェクトづくり
・大学生×地域団体のプロジェクトづくり
・取材型インターンシップの企画づくり
などをやってきた。
新潟大学の近くで本屋を始めたのも
大学生の地域活動や企業との出会い
のプラットフォームを作りたかったという動機も大きい。
およそ12年。
そこで感じてきたのは、「就活」というシステムへの「違和感」だった。
いま、「にいがたイナカレッジ」で連載している
「挑戦するな実験しよう」にも、

https://inacollege.jp/blog/2019/01/08/nishida3/
(1月8日更新分)
「就活」の違和感について書いた。
僕が、民間の活動として12年間、
そして大学の「中の人」としては6年間(非常勤やスポットを含め)
くらい活動しているのだけど、
少なくない大学生が
「就活」に対する結構大きな「違和感」を感じていた。
もちろん「違和感」であるから、
それを言語化するのは難しいのだけど。
上記の連載記事にも書いたけど、
その「違和感」は、僕の仮説では、
「個人戦」、つまり
「交換可能である」ことを前提としたシステムと、
「個人」と「企業」をマッチングさせるという仕組みにある
と考えた。
つまり、自らを「道具化」して、
「お宅の会社、こういうのつくりたいんすよね、だったらこの道具、使えまっせ」
というような「就活」に対しての「違和感」なのではないか、と思う。
「違和感」を感じると言っていたひとりの学生が、
「何をしたいか?」「どこで働きたいか?」よりも
「誰と働きたいか?」が大切だと言っていた。
もし、「誰と働きたいか?」が最重要だとすると、
現在の「就活」のシステムは、その人にとっては
ぜんぜん使えないということになる。
「それを本でできないか?」
と発想したのが「新・OB訪問」である。
コードネームは「耳をすませば」。
企業の経営者や人事担当者が、
自分のこれぞ、という渾身の1冊を置いておく。
あるいは企業じゃなくても、
インターンシップを募集している自治体や団体でもいい。
そこの1冊を読んだ大学生がその本に「共感」したら
その人に会いに行ける、というものだ。
現在行われているいわゆる「OB訪問」は、
いまだに卒業生名簿で会社名と学部と卒業年度だけを
知らされ、連絡をとって会いに行く方式なのだという。
それで、いったい何を聞くのだろうか?
何を話すのだろうか?
仕事の「what」や就活の「how」しか聞けないではないか。
「誰と働きたいか?」
っていうのを重視する人の就活には、ひとつの大きな罠がある。
それは、人事部長や採用担当者は、
「この人と働きたい」と思わせる人が
その役職についている、ということだ。
実際入社してみたら、
人事部に配属されない限り、その人一緒に働けることはない。
そして、人間関係や社内の雰囲気が理由で3年以内に離職してしまう。
仕事内容のミスマッチというより、人間関係のミスマッチが起こっているのだ。
もっと、「チューニング」できないだろうか。
そこで、本の出番だ。
本は、言語なのだけど、
本から伝わる雰囲気は、非言語なものも多い。
まあ、「就活前にやっておくべき50のこと」とか
おススメされたら、そういう人なんでしょうけど。(笑)
小説やエッセイを含めて、
自分が大事にしているコンセプトのようなものが
届けられるような本。
たとえば僕だったら、ポールフライシュマンの「種をまく人」

そんな本たちが並んでいる本棚。
そこから1冊の本を受け取り、購入し、読んで共感する。
そこから始まるような「就活」が作れないだろうか。
学生という数字と、企業という組織体が「マッチング」する「就活」ではなく、
ひとりの学生と企業人でありながらひとりの人である人が
本という感性チューニングツールを使って出会う、
そんな「就活」を「かえるライブラリー」から始めていきたいと思います。
耳をすませば、本の声。
そして、それを届けたい人の声が聴こえてくる。

ブックディレクター幅さんの仕事について書かれた本。
幅さんは本の声を聴きながら、本をセレクトしているんだ。
ジブリ映画「耳をすませば」では
図書館の本の貸し出しカードに書いてある
同一の名前に胸がときめく。

ツルハシブックスオープンの数か月後に
オープンした「地下古本コーナーHAKKUTSU」、
そして、2015年9月から活動している
10代しか入れない古本屋「暗やみ本屋ハックツ」は、
暗やみの中で、寄贈者からのメッセージを頼りに、
本を選び、購入するというもの。
「暗やみ本屋ハックツ」では、
「10代に手紙を届ける」というテーマで、
寄贈本を紹介する読書会をやっている。
だから、暗やみの中で、
10代は、メッセージを読んでいるのだけど、
幅さん風に言えば、
「寄贈者の声を聞いている」し、
耳をすませば風に言えば、
「どんな人が前に読んだ人なんだろう?」って思いを巡らせる。
そういう「はたらく」との出会いがあってもいいんじゃないか。
それが、「新・OB訪問」だ。
本を通して企業と出会えないか。
いや、企業というよりも、
そこで働く「人」に出会えないか。
そういう発想から生まれた。
2006年12月。
新潟市で行った「新潟の社長に出会う1日」
主催:スタイルキャラバン(任意団体)
大学生が経営者に出会い、1日密着するという企画。
そこから始まって、大学生まわりで
・企業と大学生の接点づくりのイベント
・商店街、離島での短期インターンシップのプログラムづくり
・企業での長期インターンシップのプロジェクトづくり
・大学生×地域団体のプロジェクトづくり
・取材型インターンシップの企画づくり
などをやってきた。
新潟大学の近くで本屋を始めたのも
大学生の地域活動や企業との出会い
のプラットフォームを作りたかったという動機も大きい。
およそ12年。
そこで感じてきたのは、「就活」というシステムへの「違和感」だった。
いま、「にいがたイナカレッジ」で連載している
「挑戦するな実験しよう」にも、

https://inacollege.jp/blog/2019/01/08/nishida3/
(1月8日更新分)
「就活」の違和感について書いた。
僕が、民間の活動として12年間、
そして大学の「中の人」としては6年間(非常勤やスポットを含め)
くらい活動しているのだけど、
少なくない大学生が
「就活」に対する結構大きな「違和感」を感じていた。
もちろん「違和感」であるから、
それを言語化するのは難しいのだけど。
上記の連載記事にも書いたけど、
その「違和感」は、僕の仮説では、
「個人戦」、つまり
「交換可能である」ことを前提としたシステムと、
「個人」と「企業」をマッチングさせるという仕組みにある
と考えた。
つまり、自らを「道具化」して、
「お宅の会社、こういうのつくりたいんすよね、だったらこの道具、使えまっせ」
というような「就活」に対しての「違和感」なのではないか、と思う。
「違和感」を感じると言っていたひとりの学生が、
「何をしたいか?」「どこで働きたいか?」よりも
「誰と働きたいか?」が大切だと言っていた。
もし、「誰と働きたいか?」が最重要だとすると、
現在の「就活」のシステムは、その人にとっては
ぜんぜん使えないということになる。
「それを本でできないか?」
と発想したのが「新・OB訪問」である。
コードネームは「耳をすませば」。
企業の経営者や人事担当者が、
自分のこれぞ、という渾身の1冊を置いておく。
あるいは企業じゃなくても、
インターンシップを募集している自治体や団体でもいい。
そこの1冊を読んだ大学生がその本に「共感」したら
その人に会いに行ける、というものだ。
現在行われているいわゆる「OB訪問」は、
いまだに卒業生名簿で会社名と学部と卒業年度だけを
知らされ、連絡をとって会いに行く方式なのだという。
それで、いったい何を聞くのだろうか?
何を話すのだろうか?
仕事の「what」や就活の「how」しか聞けないではないか。
「誰と働きたいか?」
っていうのを重視する人の就活には、ひとつの大きな罠がある。
それは、人事部長や採用担当者は、
「この人と働きたい」と思わせる人が
その役職についている、ということだ。
実際入社してみたら、
人事部に配属されない限り、その人一緒に働けることはない。
そして、人間関係や社内の雰囲気が理由で3年以内に離職してしまう。
仕事内容のミスマッチというより、人間関係のミスマッチが起こっているのだ。
もっと、「チューニング」できないだろうか。
そこで、本の出番だ。
本は、言語なのだけど、
本から伝わる雰囲気は、非言語なものも多い。
まあ、「就活前にやっておくべき50のこと」とか
おススメされたら、そういう人なんでしょうけど。(笑)
小説やエッセイを含めて、
自分が大事にしているコンセプトのようなものが
届けられるような本。
たとえば僕だったら、ポールフライシュマンの「種をまく人」

そんな本たちが並んでいる本棚。
そこから1冊の本を受け取り、購入し、読んで共感する。
そこから始まるような「就活」が作れないだろうか。
学生という数字と、企業という組織体が「マッチング」する「就活」ではなく、
ひとりの学生と企業人でありながらひとりの人である人が
本という感性チューニングツールを使って出会う、
そんな「就活」を「かえるライブラリー」から始めていきたいと思います。
耳をすませば、本の声。
そして、それを届けたい人の声が聴こえてくる。
2018年12月19日
「就活」というフレームワーク
「就活」の違和感。
ここ最近のヒアリングテーマ。
それは、「自己分析」への違和感かもしれないと思ってきたのが
最近の、「自分」至上主義への疑問からだ。
昨日は第1回イナカレッジ・ラボ@湯島。
「就活」はフレームワークなんだとさとしくんの言葉を聞いていて思った。
ルールにのっとり、
自己分析し、
会社の役に立つ自分を演じる。
そんな「コミュニケーション・ゲーム」なんだなと。
それをフレームワークだと分かったうえでやるのか、
それが人生を左右する自分の大きな決断なんだと思ってやるのか、
それによって、変わってくるのだろうなと思った。
そして、もしかしたら、
内定をいっぱいとれる子というのは、
そういうフレームワークが得意な人なんだろうな、と。
(「絶対内定2018」もフレームワークだらけだった)
考えてみれば、
「学校」そのものがフレームワークだ。
一元化された価値に向かって、
求められる態度で求められる回答を最高速で出すこと。
それができる人を「優秀な人」だと言う。
重要なのは、
それを「フレームワーク」だとわかっていてやるのか、
分からずに疲弊するのか、
あるいは分かったうえで「ハック」するのか、
そういうフレームに対する自分のスタンスを決めないといけないと
いうことだろうと思う。
おそらく、いい企業というのは、面接で、
そういうのを見抜いているのだ。
フレームワークをわかったうえで、そこに適応できる人材。
そのフレームそのものを生み出せる人材。
そういう人が内定するのだろうと思う。
ただ、昨日のさとしくんが言っていたように
そのフレームに合わせすぎると、
将来の自分を狭めてしまうことになるかもしれない、と。
そうだ。
適応しすぎる、っていうのはリスクもあるんだなと。
現在は、「フレーム」そのものが揺らいでいる時代だ。
そして、それは、「次のフレームに移る」というものではなくて、
「無数のフレームに分化していく」という変化になる。
それを踏まえた上で、
大学時代を、あるいは20代を、どのように生きていくのか、
仕事を選んでいくのか。
おそらく、「就活」っていうのはそういう問いを持ったフレームワークなのだろうと思った。
ここ最近のヒアリングテーマ。
それは、「自己分析」への違和感かもしれないと思ってきたのが
最近の、「自分」至上主義への疑問からだ。
昨日は第1回イナカレッジ・ラボ@湯島。
「就活」はフレームワークなんだとさとしくんの言葉を聞いていて思った。
ルールにのっとり、
自己分析し、
会社の役に立つ自分を演じる。
そんな「コミュニケーション・ゲーム」なんだなと。
それをフレームワークだと分かったうえでやるのか、
それが人生を左右する自分の大きな決断なんだと思ってやるのか、
それによって、変わってくるのだろうなと思った。
そして、もしかしたら、
内定をいっぱいとれる子というのは、
そういうフレームワークが得意な人なんだろうな、と。
(「絶対内定2018」もフレームワークだらけだった)
考えてみれば、
「学校」そのものがフレームワークだ。
一元化された価値に向かって、
求められる態度で求められる回答を最高速で出すこと。
それができる人を「優秀な人」だと言う。
重要なのは、
それを「フレームワーク」だとわかっていてやるのか、
分からずに疲弊するのか、
あるいは分かったうえで「ハック」するのか、
そういうフレームに対する自分のスタンスを決めないといけないと
いうことだろうと思う。
おそらく、いい企業というのは、面接で、
そういうのを見抜いているのだ。
フレームワークをわかったうえで、そこに適応できる人材。
そのフレームそのものを生み出せる人材。
そういう人が内定するのだろうと思う。
ただ、昨日のさとしくんが言っていたように
そのフレームに合わせすぎると、
将来の自分を狭めてしまうことになるかもしれない、と。
そうだ。
適応しすぎる、っていうのはリスクもあるんだなと。
現在は、「フレーム」そのものが揺らいでいる時代だ。
そして、それは、「次のフレームに移る」というものではなくて、
「無数のフレームに分化していく」という変化になる。
それを踏まえた上で、
大学時代を、あるいは20代を、どのように生きていくのか、
仕事を選んでいくのか。
おそらく、「就活」っていうのはそういう問いを持ったフレームワークなのだろうと思った。
2018年10月07日
「有用かどうか?」という思考の罠
コミュニティ(同質性集団)にいると、
居心地はいいけど、変化に対応できなくなる。
いや、そもそも
同質性集団にいることが心地よくない人もいる。
「やりたいこと」は何か?
「将来の夢や目標」は何か?
と問われ続けるけど。
やりたいことを仕事にして、
そんな人ばっかりの職場にいると
やっぱりそれは「同質性集団」の中に
いることになって居心地が悪い。
それはなぜなのだろう?
って思った。
中動態。
そして、内田樹さんが
「先生がえらい」(ちくまプリマー新書)
の中で書いていた、
武道では考えたほうが1歩遅れる分、必ず負ける。
だからブルースリーは、
考えるな、感じるんだ、と言ったのだ。
そう。
やりたいことや夢が明確ある場合。
目の前に来る情報や人、イベントを
「有用かどうか?」という視点で思考してしまう。
その分、飛び込めない。
結果、機会を失っている。
しかし、
「有用かどうか」っていう脳の判断より、
「おもしろそう」もしくは「違和感を感じる」
っていう心の動きのほうが大切なのではないか、と思う。
人はみな、状況の中に溶けている、
というのは、中動態的な思想なのだけど、
そういう状態に身を置き、
その場の判断で行動を起こすこと。
いや、体が勝手に動くこと。
それが大切なのではないか。
そうしないと、変化の時代の対応できないのではないか。
同質性集団であることは、
有事の際は全滅のリスクを負うということ。
「異質な他者」にどのように出会うか。
自分の判断や思考をどこまで信じないか。
場のチカラに委ねられるか。
「やりたいこと」や「夢」を明確にすることは
「機会」を失う大きなリスクを伴う。
そのリスクとは、
「これは自分にとって有用かどうか?」という
思考の罠なのではないか。
居心地はいいけど、変化に対応できなくなる。
いや、そもそも
同質性集団にいることが心地よくない人もいる。
「やりたいこと」は何か?
「将来の夢や目標」は何か?
と問われ続けるけど。
やりたいことを仕事にして、
そんな人ばっかりの職場にいると
やっぱりそれは「同質性集団」の中に
いることになって居心地が悪い。
それはなぜなのだろう?
って思った。
中動態。
そして、内田樹さんが
「先生がえらい」(ちくまプリマー新書)
の中で書いていた、
武道では考えたほうが1歩遅れる分、必ず負ける。
だからブルースリーは、
考えるな、感じるんだ、と言ったのだ。
そう。
やりたいことや夢が明確ある場合。
目の前に来る情報や人、イベントを
「有用かどうか?」という視点で思考してしまう。
その分、飛び込めない。
結果、機会を失っている。
しかし、
「有用かどうか」っていう脳の判断より、
「おもしろそう」もしくは「違和感を感じる」
っていう心の動きのほうが大切なのではないか、と思う。
人はみな、状況の中に溶けている、
というのは、中動態的な思想なのだけど、
そういう状態に身を置き、
その場の判断で行動を起こすこと。
いや、体が勝手に動くこと。
それが大切なのではないか。
そうしないと、変化の時代の対応できないのではないか。
同質性集団であることは、
有事の際は全滅のリスクを負うということ。
「異質な他者」にどのように出会うか。
自分の判断や思考をどこまで信じないか。
場のチカラに委ねられるか。
「やりたいこと」や「夢」を明確にすることは
「機会」を失う大きなリスクを伴う。
そのリスクとは、
「これは自分にとって有用かどうか?」という
思考の罠なのではないか。
2018年04月04日
「早く進路を決めろ」という呪縛

4月2日、新潟に戻ってきました。
その前に、と思って、
月曜閉館中の(!)
六角堂を岬公園から撮りました。
その前日、株式会社えぽっくの若松さんと
大学生3人とミーティング。
新2年1人、新3年2人だったのだけど。
(なぜか東京から1人。笑)
3人には共通点があった。
・専門系(資格系)の学科にいるということ。
・だけど、学科の勉強にいまいちピンときていなくて、
というか、入学後に少しずつズレてきて、分野外に興味があること。
そして、なによりも
・高校の時の進路選択のとき、自信を持って選択・決断しているということ。
ツルハシブックスの時も、
看護学科の大学生が、
自分の進路について悩んでいたけど、
それってかなりつらいなあと。
専門系(資格系)の学科というのは、
「降りられない(止まらない)列車」のように
どんどんと進んでいく。
資格のために取らなければいけない授業や実習
あるいは理系だったら、必修の実験などがある。
そのとき、進路に疑問を持つ。
もっとほかの道があるんじゃないか、と。
世界を救う方法はほかにもあるんじゃないかと。
本を読むと特に思ってしまうかもしれない。
「もうひとつの世界」を知ってしまうから。
その時に、少し列車を降りたいと思ったら、
「休学」しか残されていない。
さて。
僕は今回の大学生たちを目の前にして、
新たなる疑問を感じたのだった。
高校における「進路選択」(これをキャリア教育と呼ぶのだろうか)
の価値はどこにあるのだろう?と
高校の進路指導は
「早く進路を決めろ」と迫る。
今まで僕が接してきたのは、
どちらかというと決められなかった人たちだった。
大学は文系学部に進み、その答えを「保留」した人。
その大学生たちは
「やりたいことがわからない」
「自分に自信がない」
と悩んでいた。
今回の大学生たちは
「よし、これだ」と決めた人。
その時は自信をもって決めた(と本人たちが言っていた)のだが、
実際に入学してみると、
あれ、これはどうなんだ?
という違和感を感じてしまう。
そのとき、
専門(資格)学科にいればいるほど、
進路の変更、いや、途中下車でさえ難しいのだ。
「早く進路を決めろ」というのは、呪縛でしかない。
決めた人も、
決められなかった人にも、何かを背負わせる。
もちろん、それはどんな道に進んでも
そうなので、何も背負わなにように、
というのは無理なのだけど、
そのシステムをちょっと離れてみて、
高校の時(大学の時も同じ)の進路選択を
遠くから見てみることって大切なことだと思った。
やっぱり、僕が本屋(やほかのプラットフォーム)で
実現したいのは、
本を読むのも
旅をするのも
人に会うのも
アルバイトをするのも
インターンシップをするのも
いや「就職」をするのさえも、
単なる「学びの場」選択にすぎないのだと。
これから数時間、数日、数か月あるいは数年、
自分はどこで学ぶのか?
っていう選択に過ぎない、っていうこと。
そんな風に、高校生や大学生が考えられればいいし、
そのあとで、「プロジェクト」っていう
考え方でいろいろな「社会実験」に
チームを作ってやってみるっていう地域での実践が
あるといいなと思う。
たぶん、茨城で若松さんと掛けるプロジェクトが
そんな場のひとつになったらいいなと。
https://epochers.com/
↑のパラレル・プロジェクトの構築中です。
興味ある方いたら連絡ください。
2018年03月10日
「機能」としてでなく、「人間」として就職する。

川原涼太郎プレゼンツ「茨大生にとっての場づくりとは?」
会場のたねホールカフェも面白い場所で、
1時間100円で席だけ使えるようになっている。
貸切だと1時間2400円
ピアノも貸したりしてたな。
さて。
イベントは、Tsukuba Place Labに
刺激を受けた川原くんによる「場づくり」を
テーマにしたイベントでした。
Tsukuba Place Labの堀下さん、
茨城移住計画の菅原さんがゲストで
僕はシークレットゲストツルハシ〇ックスでした。(笑)
~~~以下イベントメモ
グリーンバードつくば:「ごみを拾いすぎないように」という
⇒ゴミを拾うってかっこいいっていう文化をつくりたい
本を読む
人に会う
旅に出る
地方の悩みは「プレイヤーが足りない」こと
まちのプレイヤーを増やすこと
⇒つくばプレイスラボ
目的をもって始めるより
目的をもって始めないこと。
場を持っていると、「生まれる瞬間」がある。
30歳前後にとっての東日本大震災の意味。
さかなクンのエネルギー
=好きオーラに人はよってくる。
内側にある好きが渦となって人を吸い寄せる。
「好き」しかない=求心力
「言葉を定義すること」って大事だ
「場づくり」「評価」などなど。
「学生さん」ではなく、
ひとりの人として見る。
場の価値=パートナーシップを組める
ということ。
パートナーシップから「何か」が生まれる。
グリーンバードは参入障壁が低い。
ゴミ拾いだから。
体を動かす=非言語コミュニケーションができる。
現在進行形であるということ。
=ベクトル感、求心力と推進力みたいなやつ。
ベクトル感を持った人に出会うと、横に立ちたくなる。
一緒に進みたくなる。
~~~以上メモ
いいですね。
なんか、整理されました。
「場づくり」の「場」ってどんな場なのか、
誰がその場を必要としているのか。
そこに出会うにはどうしたらいいのか。
そして人は何に集まるのか。
さかなクンの話、面白かったな。
子どもがグワーって寄ってくるのって、
さかなクンがかっこいいからでも、
かわいいからでも、有名だからでもないですよね。
「好き」が服を着て歩いているから。
「好き」の求心力ってスゲーって。
最近僕が言っている(白河「エマノン」発)
「ベクトル感」っていうのも、
今度は中学生高校生大学生にとって必要な
コンセプトなのかもしれない。
ベクトル感には、求心力と推進力がある。
ああ、そういう方向にこの人を向かっているんだな、って。
そういう大人に出会えることが大切なんだなと
地域の大人に出会えるんじゃないくて
ベクトル感のある地域の大人。
他者からの評価とは別の、
自分なりの評価軸を持って、進んでいる人。
そういう人のところに、
中高生大学生は吸い寄せられていくのではないかな。
一般的に行われている「目標設定型」のキャリア教育が
根本的に違っていると僕が思うのは、
「目標」、つまり「到達点」としての大人を見せていること。
この仕事は、つらいこともあるけど、こんなやりがいがあります。
それって、非常にパーソナルなことだし、
そしてその会社にいる人みんながそういう風に思っているわけでもないし。
ひとりの生身の「迷える大人」として
自分が持つベクトル感を見せていくことのほうが
「目標」も「答え」も手に入らないけど、
「推進力」はもらえるんじゃないかな。
って。
そんな感想。
最後の打ち上げ(@大興飯店)で鈴木高祥さんと堀下さんと
話していたことが印象的だったので紹介します。
就職面接で、「機能」の質問だけされたら、
その会社へ入るのはやめたほうがいい。
会社があなたに求めるのは、特定の機能だ。
そうではなくて、パーソナリティを質問してくる会社、
それはあなたという人間を必要としているのだということ。
「機能」としてではなく、「人間」として就職する。
だから、選ばれるのではなく、双方が選ぶ。
雇用契約ではなく、パートナーシップ契約。
そんな就職、企業から言えば採用をしていくことだと思う。
先の見えない時代に、
イノベーションや価値を生み出すのは、
「ピラミッド型」組織ではなく、「パートナーシップ型」の組織である。
いや、むしろ、
「ピラミッド型」組織が機能したのは、
経済が右肩上がりに成長し、
「効率性」に価値があったときの時代の話だ。
「足し算」のロスを以下に減らすか、が価値を生み出した時代が
かつてあった。
人と人がパートナーシップを組んで、何かを生んでいくこと。
その先に、未来が待っていると僕は思っている。
そのパートナーシップの種がまかれている所のことを、
僕は「場」と呼びたいと思います。
川原さん、素敵な機会をありがとうございました。
2017年10月03日
企業も、乗り物

「ゆめのはいたつにん」(教来石小織 センジュ出版)
この本を読んで、
夢は乗り物なのだって思った。
http://hero.niiblo.jp/e478586.html
「夢はのりもの」(2016.4.18)

「ミレニアル起業家の新モノづくり論」(仲暁子 光文社新書)
この本のラストに、
同じことが書いてあってびっくりした。
~~~以下引用
振り返ってみると、フェイスブックもツイッターもインスタグラムも
最初は大きな野望なんて持たずに、ノリで始まっている。
どれも世界をどう変えたいといった大志や理念などを掲げたりせず、
半径2mの不満を解決する、みたいなところが出発点だ。
この段階のスタートアップに、ビジョンとかミッション、バリューは不要で、
そんなことを紙に書いたり議論している時間があればさっさとコードを書いたほうがいい。
会社全体にミッションとバリューが行き渡っていると、
各メンバーが迷うことなく意思決定することができ、
コミュニケーションコストが下がる分だけ組織全体のスピードが上がる。
私たちの企業は「シゴトでココロオドル人をふやす」ための
ビークル(乗り物)であり手段であって、目的ではないからだ。
一世紀先に残る「思想」をつくりたい。
「仕事=つらい」というのは、産業革命以降に資本家と労働者という
関係性の中で生まれた1つの価値観であり、
すでに局所的には賞味期限切れになっている。
アンラーニング。
これまで常識だと刷り込まれて疑わないもの、
学習してしまったことを逆に捨てていくということだ。
~~~ここまで引用
なるほど~。
って。
企業も乗り物なんだって。
そして、乗り物になる前には、
まず、歩いてみること。
半径2m以内の誰かや自分自身のためにやってみること。
そこで、お客がいることが確信できたら、
企業という乗り物をつくる。
ミッションとバリューを定義する。
会社全体にミッションとバリューが行き渡っていれば、
ホウレンソウは要らない分、スピードが上がる。
結果、お客さんに届くサービスとなり、
ライバルに勝てることになる。
そんな共感できる「思想」を持った企業という
「のりもの」に乗り込むというのが就職である。
目的地にたどり着くために結んだパートナーシップ。
その先の景色(ビジョン)を見たいから、
ミッションに共感して、バリューを大切に生きていくために
一緒に乗り込むための乗り物。
それが企業なのでしょうね。
2017年09月29日
就活を再定義する

「ミレニアル起業家の新モノづくり論」(仲暁子 光文社新書)
盛岡さわや書店で購入したうちの1冊。
ビジネスSNS「Wantedly」の設立者。
「コミュニティ」とはまた少し違う「トライブ」
という言葉を「共同体」のニュアンスで
つかっている。
これには、
ラーメン好き、や
iphoneユーザーみたいな
ものも含まれる。
もちろん複数のトライブに同時に属することができる。
佐々木俊尚さんのいう、「レイヤー」にも近い概念。
まだ読み途中だけど、エッセンスだけ引用
ここで言う「ミレニアル世代」とは、
1982年前後生まれの2000年に18歳だった
人たちのことを言っている。
~~~ここから引用
ミレニアル世代はスペックを消費しない。
では何を消費するのか?思想を、ストーリーを、whyを消費する。
トライブとはストーリーであり、美学であり、
ビジョンやバリューとも言い換えられる。
強い求心力を持ったトライブは製品としても、働く場所としても強いし、
そうでない製品はいくら安くても、どんなに高い給与でも、強いトライブに負ける。
もはやその世代にとって就職活動とは、「生活の糧を得る」のではなく、
納得のいく人生を送るために「どのトライブに所属するか決める」作業なのだ。
~~~ここまで引用
そうそう。
たしかにそうだわ、って。
いま売れているもの。
選ばれているもの。
秋田の蔵元「新政」の佐藤社長の
Dancyuで言っていた
「思想なき日本酒はつくらない」
http://hero.niiblo.jp/e412737.html
参考:メーカーの誇りはどこにいったのか
(2014.4.30)
あれですよ、あれ。
思想やストーリーや、whyを買っているんだ。
それがあるから、クラウドファンディングのプロジェクトに
投資するのだ。
「トライブ」という共同体は
「コミュニティ」より柔軟な印象がある。
すぐにつくれるし、すぐに壊れる。
すぐに入れるし、すぐに抜けられる。
縛りがあまりない。
「就職」はそういうふうに
変容しつつあるのだろう。
それはもちろん
Wantedlyのような会社があることによって。
会社は、「コミュニティ」から「トライブ」になっていく。
で、あるとするならば、
「就職」「就活」に対する見方も変わらざるを得ないだろう。
僕自身が思っているのは、
「就職」「就活」というのは、「学びの場」選びである
と思っている。
そしてそんな価値観を伝えたいと思う。
本を読むのも、旅に出るのも、
学校の授業を受けるのも、トークライブを聞きに行くのも、
インターンをするのも、就活をするのも、
もっといえば「就職」さえも、
どこで学ぶか
なにを学ぶか
だれと学ぶか
その選択に過ぎない。
「就職」というと、「それで人生決まってしまう」的な
恐怖があるけど、全然そんなことはなくなりつつあるのだ。
そうであるとすると、
「キャリアデザイン」的に、目標設定して達成を繰り返して
PDCAひたすら回していく、みたいな設計だけでは、
人生は進んでいけないのではないか。
「キャリアドリフト」的に、いろんな人に会い、
いろんな本を読み、さまざまなトライブに属してみて、
その中で取捨選択していく方法論も必要になってくる。
そんな中で大切になってくるのは
やっぱり自信というか、自己肯定感だ。
自信を失わせてきたのは、他者評価である。
http://hero.niiblo.jp/e412737.html
「他者評価」藩から脱藩する
(2017.6.5)
堀江貴文さん「本音で生きる」(ソフトバンク新書)
の言葉、「自信がないのは経験不足だからだ。」
を引用している。
そうそう。
自信がないのは経験不足だから。
だから、自信というのは「やったことがある」っていうこと。
やってみる。
ふりかえる。
そうやって、画一的な他者評価の呪縛を解いていく。
たくさんのトライブに属すことで、
多様な他者評価を得るのもいい。
そして最後は、自分自身を自己評価する。
それを繰り返して、自信がついていく。
そしてようやく、
就活のスタートラインに立てるのではないか。
自己分析して、自分に向いている仕事探して、
試験受けて、よくわからない評価にさらされて、
親やまわりが知っているような企業に無事、就職する。
そんな他者評価前提の人生でいいのか。
やってみる。
「顧客はだれか」「顧客にとって価値はなにか」と
ドラッカーの5つの質問に答えながら、
自分自身の人生を経営するとは何か問いかける。
そのためには、
大企業での1DAYインターンやってる場合じゃなくて
小さな会社で社長に触れながら3週間以上のインターンシップや
自ら立ち上げるプロジェクトを運営してみること。
その上で、就職、就活を考えていくこと。
僕はそんな機会を提供したい。
「就活」を再定義する。
「就活」も「就職」も学びの場選びに過ぎない。
だとしたら、誰と学びたいか?っていうのもすごく大切だよね。
2017年09月14日
自分を構造的に見つめなおす
ジョブウェブの佐藤孝治さんが
就職活動の前のステップ0
として、
以下の力を育むべきだと言っている。
1 コミュニケーション能力
2 ものごとに対する主体性
3 これが自分の強みと明言できる力
4 自分なりにこれだけは一生懸命頑張ったと言える経験
僕は、その前に、いや、それと並行して、
自分を構造的に見つめなおすことが
大切だと思う。
高校時代に感じてきた違和感を
文字化、構造化する。
僕がまず伝えたいのは、
「同調圧力」
「承認欲求」
「さまざまな自分」
という存在についてだ。
「孤独と不安のレッスン」(鴻上尚史 だいわ文庫)
「認められたいの正体」(山竹伸二 講談社現代新書)
「私とは何か」(平野啓一郎 講談社現代新書)
このあたりから、
日本社会と、そこに生きる自分たちを
相対化・構造化していく。
世の中と自分の関係性を知ること。
うんうん。
ちょっとした本屋ゼミができるくらいに
まとめてみようかな。
つづく。
就職活動の前のステップ0
として、
以下の力を育むべきだと言っている。
1 コミュニケーション能力
2 ものごとに対する主体性
3 これが自分の強みと明言できる力
4 自分なりにこれだけは一生懸命頑張ったと言える経験
僕は、その前に、いや、それと並行して、
自分を構造的に見つめなおすことが
大切だと思う。
高校時代に感じてきた違和感を
文字化、構造化する。
僕がまず伝えたいのは、
「同調圧力」
「承認欲求」
「さまざまな自分」
という存在についてだ。
「孤独と不安のレッスン」(鴻上尚史 だいわ文庫)
「認められたいの正体」(山竹伸二 講談社現代新書)
「私とは何か」(平野啓一郎 講談社現代新書)
このあたりから、
日本社会と、そこに生きる自分たちを
相対化・構造化していく。
世の中と自分の関係性を知ること。
うんうん。
ちょっとした本屋ゼミができるくらいに
まとめてみようかな。
つづく。
2017年08月09日
「顧客に出会う」夏休み
人に会う
本を読む
旅に出る
学生時代の夏休みの定番。
人生を拓く方法だと言われてきた。
しかしながら、
いま、大学生の夏休みの過ごし方のトレンドと言えば、
圧倒的に企業インターンになっている。
インターン紹介サイトだけではなく、
各企業も工夫を凝らした(あるいは放置するだけの)
インターンプログラムを用意している。
そこに行く、大学生のモチベーションの大部分は
「就職、就活どうしよう」っていう不安からきているように思う。
ところが、かなりの数の大学生が
「就活への違和感」
を感じているように思う。
しかしながら、それはもやっとしてもので、
・ちゃんと希望通り就職できるのか
・ブラック企業に引っかからないか
・そもそも自分は何をやりたいのか
そんな感じのあいまいな不安だ。
その不安が解消されるのかもしれないと
企業インターンに行くのだけど、
課題があいまいなままでは、
当然不安は解消されない。
まあ、まずやってみる、っていうのはいいと思うけどね。
ということで、僕のおすすめする夏休みの過ごし方。
それは、「顧客に出会う」夏休み。
「顧客」とは、いつも言っているけど、
ドラッカーの5つの質問の
1 ミッションは何か
2 顧客はだれか
3 顧客にとって価値は何か
4 成果は何か
5 計画は何か
2と3に答えるっていうこと。
いや、仮説を立てて、実行してみるっていうこと。
顧客を設定する。
例:ひとり暮らしの高齢者、受験勉強中の高校3年生など
そこに接することができる場を探す。
「顧客なんて考えたことないからいない」
っていう人は、
顧客を明確に持っている人のところで
活動をすること。
たとえば、
・創業社長
・NPOの設立代表者
などなど。
または自分が素敵だなと思う人に、
「あなたにとって顧客って誰ですか?」
「その顧客にって価値はなんですか?」
って質問しまくってもいい。
(それ、大人にとっては結構脅威だね)
顧客を設定し、顧客価値を追求するという
そんなサイクルをまわしていくこと。
それこそ。
自らの人生を「経営」するのに必要なことだからだ。
「就活」や「就職」の違和感の原因のひとつがそこにある。
経済社会は、「効率」を求める。
いや、不幸にも、
「効率」こそが利益を最大化する方法だった。
しかしそれは、
人口が増加し続ける社会、
そして都市と地方、あるいは先進国と途上国とのあいだの
「ウチとソト」の格差を前提としたシステムであった。
原料を安く調達し、大量につくり、大量に売る。
そのモデル。
戦後、ひたすらにそのモデルを続けてきた。
そこには、ひとりひとり「新しい価値」を生む必要は
ほとんどなかった。
ソニーやホンダなど、経営者が
「新しい価値」を生み出した一握りの企業は、
大きく業績を伸ばした。
しかし。
その前提は大きく崩れ去っている。
ひとりひとりが価値を創造しなければ、
仕事にならない時代になった。
いや。
じつは「ひとりひとりが」というのも
就活の違和感のひとつだと僕は思う。
ほとんどの仕事は個人戦じゃなくチーム戦である。
ひとつのプロダクトをひとりで作って売る人もいるけど、
多くの場合は、チーム戦で仕事をしていく。
それなのに、就活は個人戦を強いられる。
あなたは、個人としてどんなスキルがあるのか問われる。
そして「就職」の違和感、
それは、顧客が明確な誰かではないということ。
顧客の定義が「自分の会社の商品を買ってもらっている人」
のことになっているからではないか。
誰かに届けたいものがあって、
それを届けるために仕事がある。
それが「顧客はだれか?」という問いである。
そんな「ひとり」に出会うこと。
そのために何ができるか考えること。
それが仕事の醍醐味だろうと思う。
それをチームで考えること。
それが、大学時代にやれたらいいなと思う。
顧客である「ひとり」に対して、
チームで何ができるか考え、実行する。
そして振り返る。
その繰り返しをしていくこと。
これこそが夏休みの宿題なのではないだろうか。
そのためのチーム作り。
ミーティングのときのチューニングや
振り返りの手法。
そんな場をひたすらにつくっていくこと。
それを僕の夏休みの宿題にしようかな。
本を読む
旅に出る
学生時代の夏休みの定番。
人生を拓く方法だと言われてきた。
しかしながら、
いま、大学生の夏休みの過ごし方のトレンドと言えば、
圧倒的に企業インターンになっている。
インターン紹介サイトだけではなく、
各企業も工夫を凝らした(あるいは放置するだけの)
インターンプログラムを用意している。
そこに行く、大学生のモチベーションの大部分は
「就職、就活どうしよう」っていう不安からきているように思う。
ところが、かなりの数の大学生が
「就活への違和感」
を感じているように思う。
しかしながら、それはもやっとしてもので、
・ちゃんと希望通り就職できるのか
・ブラック企業に引っかからないか
・そもそも自分は何をやりたいのか
そんな感じのあいまいな不安だ。
その不安が解消されるのかもしれないと
企業インターンに行くのだけど、
課題があいまいなままでは、
当然不安は解消されない。
まあ、まずやってみる、っていうのはいいと思うけどね。
ということで、僕のおすすめする夏休みの過ごし方。
それは、「顧客に出会う」夏休み。
「顧客」とは、いつも言っているけど、
ドラッカーの5つの質問の
1 ミッションは何か
2 顧客はだれか
3 顧客にとって価値は何か
4 成果は何か
5 計画は何か
2と3に答えるっていうこと。
いや、仮説を立てて、実行してみるっていうこと。
顧客を設定する。
例:ひとり暮らしの高齢者、受験勉強中の高校3年生など
そこに接することができる場を探す。
「顧客なんて考えたことないからいない」
っていう人は、
顧客を明確に持っている人のところで
活動をすること。
たとえば、
・創業社長
・NPOの設立代表者
などなど。
または自分が素敵だなと思う人に、
「あなたにとって顧客って誰ですか?」
「その顧客にって価値はなんですか?」
って質問しまくってもいい。
(それ、大人にとっては結構脅威だね)
顧客を設定し、顧客価値を追求するという
そんなサイクルをまわしていくこと。
それこそ。
自らの人生を「経営」するのに必要なことだからだ。
「就活」や「就職」の違和感の原因のひとつがそこにある。
経済社会は、「効率」を求める。
いや、不幸にも、
「効率」こそが利益を最大化する方法だった。
しかしそれは、
人口が増加し続ける社会、
そして都市と地方、あるいは先進国と途上国とのあいだの
「ウチとソト」の格差を前提としたシステムであった。
原料を安く調達し、大量につくり、大量に売る。
そのモデル。
戦後、ひたすらにそのモデルを続けてきた。
そこには、ひとりひとり「新しい価値」を生む必要は
ほとんどなかった。
ソニーやホンダなど、経営者が
「新しい価値」を生み出した一握りの企業は、
大きく業績を伸ばした。
しかし。
その前提は大きく崩れ去っている。
ひとりひとりが価値を創造しなければ、
仕事にならない時代になった。
いや。
じつは「ひとりひとりが」というのも
就活の違和感のひとつだと僕は思う。
ほとんどの仕事は個人戦じゃなくチーム戦である。
ひとつのプロダクトをひとりで作って売る人もいるけど、
多くの場合は、チーム戦で仕事をしていく。
それなのに、就活は個人戦を強いられる。
あなたは、個人としてどんなスキルがあるのか問われる。
そして「就職」の違和感、
それは、顧客が明確な誰かではないということ。
顧客の定義が「自分の会社の商品を買ってもらっている人」
のことになっているからではないか。
誰かに届けたいものがあって、
それを届けるために仕事がある。
それが「顧客はだれか?」という問いである。
そんな「ひとり」に出会うこと。
そのために何ができるか考えること。
それが仕事の醍醐味だろうと思う。
それをチームで考えること。
それが、大学時代にやれたらいいなと思う。
顧客である「ひとり」に対して、
チームで何ができるか考え、実行する。
そして振り返る。
その繰り返しをしていくこと。
これこそが夏休みの宿題なのではないだろうか。
そのためのチーム作り。
ミーティングのときのチューニングや
振り返りの手法。
そんな場をひたすらにつくっていくこと。
それを僕の夏休みの宿題にしようかな。
2017年08月07日
「はたらくこと」への違和感
「就活」への違和感。
一定数の大学生が思っていること。
最近、なんとなくその正体が見えてきている気がする。
就活は「個人戦」である。
ひとりひとりが自己分析し、
自分は「ひとりで」何ができるか?
と問われる。
しかし、実際に、自営業ではなく、
「就職」という道を選ぶのであれば、
実際の仕事は「チーム戦」であることが
多いだろう。
この「個人戦」であるという感覚が、
リーダー志向以外の大学生の
自信を失わせていると思う。
そしてもうひとつ。
「就職」への違和感。
実際に就職してみると、
高度に発達した企業社会において、
社員「ひとり」は交換可能でなければならない。
同様にお客「ひとり」も交換可能でなければならない。
その「ひとり」がいなくなったからといって、
会社が無くなるわけにはいかないから。
言ってみれば、
人が「数値化」される時代を長いこと生きてきた。
20代の働く女性の
支持率ナンバーワン、みたいな、
そんなマーケティングがされてきた。
「チーム」や「ひとり」から「ひとり」への手紙、贈り物。
それが本来の仕事だったのではないだろうか。
何を買うか?
よりも
誰から買うか?
が大切だったのではないか。
「就活」、「就職」の違和感はそこにあるのではないか。
仕事は「個人戦」ではなく「チーム戦」で、
お客こそが「数字」ではなく、「ひとり」なのではないか。
「1冊の本が人生を変える。
本屋には新しい人生が転がっている。」
これは、僕が2009年に立ち上げたトランク本屋さんの
コピーであるが、
お客は「ひとり」、なんだよね。
そこにどう届けるか?
それをひとりでやるか、チームでやるか。
チームでやるほうが届けられるのなら、会社に就職する。
そういうことなんだろうなと思う。
一定数の大学生が思っていること。
最近、なんとなくその正体が見えてきている気がする。
就活は「個人戦」である。
ひとりひとりが自己分析し、
自分は「ひとりで」何ができるか?
と問われる。
しかし、実際に、自営業ではなく、
「就職」という道を選ぶのであれば、
実際の仕事は「チーム戦」であることが
多いだろう。
この「個人戦」であるという感覚が、
リーダー志向以外の大学生の
自信を失わせていると思う。
そしてもうひとつ。
「就職」への違和感。
実際に就職してみると、
高度に発達した企業社会において、
社員「ひとり」は交換可能でなければならない。
同様にお客「ひとり」も交換可能でなければならない。
その「ひとり」がいなくなったからといって、
会社が無くなるわけにはいかないから。
言ってみれば、
人が「数値化」される時代を長いこと生きてきた。
20代の働く女性の
支持率ナンバーワン、みたいな、
そんなマーケティングがされてきた。
「チーム」や「ひとり」から「ひとり」への手紙、贈り物。
それが本来の仕事だったのではないだろうか。
何を買うか?
よりも
誰から買うか?
が大切だったのではないか。
「就活」、「就職」の違和感はそこにあるのではないか。
仕事は「個人戦」ではなく「チーム戦」で、
お客こそが「数字」ではなく、「ひとり」なのではないか。
「1冊の本が人生を変える。
本屋には新しい人生が転がっている。」
これは、僕が2009年に立ち上げたトランク本屋さんの
コピーであるが、
お客は「ひとり」、なんだよね。
そこにどう届けるか?
それをひとりでやるか、チームでやるか。
チームでやるほうが届けられるのなら、会社に就職する。
そういうことなんだろうなと思う。
2017年06月12日
僕が小さな会社でのインターンシップをおススメする理由

(写真はイメージです。笑)
2008年2月から「起業家留学」という
インターンシッププログラムを
現・一般社団法人わくわくスイッチ代表の中村さん、
新潟大学経済学部3年(当時)の星野くんとスタート。
おもに新潟市の比較的小規模の会社に
経営者密着で行うインターンシップ。
基本を半年間という長期に設定し、
企業からの会員費で運営する、というスタイルをとった。
この夏のインターンシップをどうするか?
に悩んでいる大学生も多いと思うので、
僕なりに、考えてみようと思って書いてみる。
(特に、1,2年生の比較的時間に余裕がある人向けに書いた)
1 インターンシップとは何か?
「インターンシップ」が新聞に取り上げられるとき、
「就業体験」と訳されることが多い。
ようするに、一定期間「仕事をしてみる」という
ふうに理解されているようだ。
まあ、それはそうなんだけど、ね。
「体験」ならアルバイトでもできるような。
2 なんのためにインターンシップをするか?
「向いている仕事という幻想」
http://hero.niiblo.jp/e479464.html
(16.5.22)
これが大きく誤解されていると僕は思うのだけど、
インターンシップは就職の際の「ミスマッチ」
を防ぐためだと思われているところだ。
仕事を実際やってみて、「向いている」「向いていない」が
分からないから、新卒社員が3年以内にやめていく、と思われている。
この「マッチング」という考え方こそが
逆に新卒離職をどんどん生んでいると思う。
向いている仕事など存在しない。
仕事に合わせて自分を変えていくだけだ。
3 「起業家精神」(アントレプレナーシップ)を養成ためのインターン
インターンシップの目的は、
一言でいえば、「起業家精神」の養成ということになるだろう。
目の前で起こることを、
自分ごととしてとらえ、自ら考え、自ら判断し、動いていくこと。
その繰り返しを行うことで、仕事に対する姿勢を、経験すること。
だからこそ、
小さな会社(組織)で経営者(創業社長、創設者など)
と一緒にプロジェクトを回してみることに、大きな価値があると思う。
特に具体的な進路が決まっていない
1,2年生の時こそ、アントレプレナーシップを養成する
インターンを行うことをオススメしたい。
4 ドラッカー・サイクルを回す
社会人にとって必要なのは、
「PDCAサイクルを回す」ことだとよく言われる。
計画を立て、実行し、チェックし、改善する。
そうやって仕事を回していくことだと。
これはもちろん大事なのだけど。
もっと大切なのは、
ドラッカーの5つの質問のサイクルを
回してみること。
経営の神様、ドラッカーの5つの質問。
1 ミッションは何か
2 顧客はだれか
3 顧客にとって価値は何か
4 成果は何か
5 計画は何か
この質問を回していくこと。
これが、これからの「自らの人生を経営する」
上でものすごく重要になってくる。
これを体感するには、小さな会社の経営者、
あるいは、NPOなど小さな組織の創設者に
「なぜ?」を問うのが一番いい。
そこにはミッションと顧客と顧客にとっての価値が
あるはずだ。
それを体感し、自分自身の5つの質問へ
答えるような練習をする。
5 人生を「経営」する入口に
インターンシップとは、
人生を「経営」する入口として使うものだと僕は思う。
「就職活動」の名の通り、
大学を卒業したら、どこかの会社に就職する
=サラリーマンになる
ことが一般的だと思われている。
しかし、多くの大学生が感じているように、
一生同じ会社に正社員として勤め続けられる人はごく少数だ。
つまり、雇われ続けるのは非常に難しい。
「起業しろ」と言っているわけでは決してない。
ただ、起業家精神(アントレプレナーシップ)
と5つの質問を常に持ちながら歩んでいかないと
仕事はただつらいものになってしまうだろうと思う。
仕事の喜びは、
預かってきた「手紙」を渡すことだと僕は思う。
「あなたのために、このお店を始めた」
http://hero.niiblo.jp/e484991.html
(17.6.7)
それを会社員として実現しなくても、
暗やみ本屋ハックツや新城劇場のように
実現する方法もある。
自らの人生を「経営」する。
そのために、経営者に触れてみる。
一緒にプロジェクトを動かしてみる。
そんなインターンシップを僕はおススメします。
2017年05月14日
余白おじさん
「会社ではたらく」を考える~オンとオフのあいだ
を開催しました。
参加者それぞれの仕事観をチューニングしていくような場。
参加した大学生の自己紹介
「いいほうに流れたい」は名言だった。
それそれ。
感性就職の時代、まもなく到来。みたいな。
導入は、
「近代」が招いた工場労働者の「疎外」。
それは、会社を辞めたり、
転職したりした人のコメントからも
感じられた。
「手触りのあることをしたい。」
それに対して、会社という「システム」は、
ひとりの人をシステムの部品として組み込んでしまう。
それはもちろん、会社が続いていくためである。
そして、人は、
そのシステムに順応、あるいは適応する。
「適者生存」
これは、1997年~2000に大リーグで活躍した
長谷川滋利投手の本のタイトルと同じなのだけど、
ダーウィンの有名な言葉
「最も強い者が生き残るのではなく、
最も賢い者が生き延びるでもない。
唯一生き残るのは、変化できる者である」
は、まさにそれを表している。
「適応すること」は
動物としての本能なのだと思う。
だから、
こう考えてはどうだろうか。
「就職じゃなくて、留学」
会社に入る、というのは留学してお金をもらうようなものだと
考えてみる。
留学した時に、
一番最初にやらなければならないのは、
「その国の文化を知り、ライフスタイルに適応する」
ということである。
おそらくは、多くの人は、就職のあと、
それを無意識的に行っているのだろうと思う。
「会社の文化を知り、そのスタイルに適応する。」
会社目指しているもの、価値観や、目標、
そこに適応するからこそ、その会社で働いているのだろうと思う。
そして適応しきれなくなったとき、
その会社を辞めることになるのだろう。
昨日の参加者のひとり、
会社をこの春に辞めた人が言っていた。
「これ以上やると自分が好きでいられなくなる」
ギリギリのタイミングだったと思う。
「適応」しすぎると、「感性」が傷ついていくのかもしれない。と

「HAB新潟」(エイチアンドエスカンパニー)
に収録されている古本いと本との対談での一言。
「感性は自覚なく死んでいく」
これは今でも、心に留めておきたい言葉なのだろうと。
会社に「適応」しすぎると、「感性」が気づかずに死んでいくのだ。
それはもちろん、生命体としての自分を守るため。
だから、「適応」しすぎてはいけないのだと思う。
「適応している」と演じてるくらいがちょうどいい。
つまり、「適応しているフリをする」のだ。
そう考えると、劇団的思考ってとても大切だと思う。
あるいは、多重人格というか、
「レイヤー化された世界」(佐々木俊尚 NHK新書)のレイヤー思考や
「自分とは何か」(平野啓一郎 講談社現代新書)の分人主義
のような思考を身につけておくことが、
感性にダメージを与えない方法論なのかもしれない。
あと、やっぱり思ったのは、
「キャリアデザイン的思考」は、
ホントに若者を不幸にしかしないなと。
冒頭の「近代」という病にも通じるのだけど、
「今」を未来のための「手段」にしてしまうし、
「自ら」を「組織」のための「部品」にしてしまう。
成功者の定義も、経済軸でしか測っていないし、
「価値観の多様化」している社会は本来は、、
経済軸じゃない価値がたくさんある社会を意味していたはずだが、
現在では「職業選択の自由」の意味でしか使われていない。
何より、
テレビなどのメディアが「わかりやすさ」を優先するために、
成功者(もちろん経済的な)のストーリーを
わかりやすく物語としてつなげてしまう。
しかし、スティーブ・ジョブズの
「コネクティング・ドット」の話にしても、
(僕は大好きな話だけれど)
あれだって、あとから振り返ったら、
そういうふうに点がつながりますね。
ということでしかない。
それはつまり、ドライに言えば、
夜空にある星を見上げて、
「これとこれをつなぐと、こぐまみたいに見えませんか?」
みたいな星座占いみたいなものに過ぎない。
もっと夜空にも人の人生にも無数の点があって、
その中の組み合わせでストーリーができていくだけで、
思いを持って、行動していれば、いい仕事にたどりつく、
みたいな単純な話では決してない。
まずは「近代」という呪縛から解放されること。
「目的・目標を持って何かをはじめないといけない」
という呪縛から解き放たれて、
面白そうだからやる、と感性をひらいて、
やったことを学びに変えていくこと。
その繰り返しでしかキャリアはつかめないのではないかと
強く思ったイベントでした。
そして僕はそれを
本屋を通じてやろうと思っているのだなあと。
帰り際、
「本屋はまちの余白」といういい言葉を教えてもらった。
そっか、余白か。
そういえば、コメタクを立ち上げる時のコンセプトも
暮らしの中に余白をつくる、だった。
僕は、本屋と米屋を通じて、
余白をつくる「余白おじさん」なのではないかと
そんなミッション、ダサくていいなあ。
を開催しました。
参加者それぞれの仕事観をチューニングしていくような場。
参加した大学生の自己紹介
「いいほうに流れたい」は名言だった。
それそれ。
感性就職の時代、まもなく到来。みたいな。
導入は、
「近代」が招いた工場労働者の「疎外」。
それは、会社を辞めたり、
転職したりした人のコメントからも
感じられた。
「手触りのあることをしたい。」
それに対して、会社という「システム」は、
ひとりの人をシステムの部品として組み込んでしまう。
それはもちろん、会社が続いていくためである。
そして、人は、
そのシステムに順応、あるいは適応する。
「適者生存」
これは、1997年~2000に大リーグで活躍した
長谷川滋利投手の本のタイトルと同じなのだけど、
ダーウィンの有名な言葉
「最も強い者が生き残るのではなく、
最も賢い者が生き延びるでもない。
唯一生き残るのは、変化できる者である」
は、まさにそれを表している。
「適応すること」は
動物としての本能なのだと思う。
だから、
こう考えてはどうだろうか。
「就職じゃなくて、留学」
会社に入る、というのは留学してお金をもらうようなものだと
考えてみる。
留学した時に、
一番最初にやらなければならないのは、
「その国の文化を知り、ライフスタイルに適応する」
ということである。
おそらくは、多くの人は、就職のあと、
それを無意識的に行っているのだろうと思う。
「会社の文化を知り、そのスタイルに適応する。」
会社目指しているもの、価値観や、目標、
そこに適応するからこそ、その会社で働いているのだろうと思う。
そして適応しきれなくなったとき、
その会社を辞めることになるのだろう。
昨日の参加者のひとり、
会社をこの春に辞めた人が言っていた。
「これ以上やると自分が好きでいられなくなる」
ギリギリのタイミングだったと思う。
「適応」しすぎると、「感性」が傷ついていくのかもしれない。と

「HAB新潟」(エイチアンドエスカンパニー)
に収録されている古本いと本との対談での一言。
「感性は自覚なく死んでいく」
これは今でも、心に留めておきたい言葉なのだろうと。
会社に「適応」しすぎると、「感性」が気づかずに死んでいくのだ。
それはもちろん、生命体としての自分を守るため。
だから、「適応」しすぎてはいけないのだと思う。
「適応している」と演じてるくらいがちょうどいい。
つまり、「適応しているフリをする」のだ。
そう考えると、劇団的思考ってとても大切だと思う。
あるいは、多重人格というか、
「レイヤー化された世界」(佐々木俊尚 NHK新書)のレイヤー思考や
「自分とは何か」(平野啓一郎 講談社現代新書)の分人主義
のような思考を身につけておくことが、
感性にダメージを与えない方法論なのかもしれない。
あと、やっぱり思ったのは、
「キャリアデザイン的思考」は、
ホントに若者を不幸にしかしないなと。
冒頭の「近代」という病にも通じるのだけど、
「今」を未来のための「手段」にしてしまうし、
「自ら」を「組織」のための「部品」にしてしまう。
成功者の定義も、経済軸でしか測っていないし、
「価値観の多様化」している社会は本来は、、
経済軸じゃない価値がたくさんある社会を意味していたはずだが、
現在では「職業選択の自由」の意味でしか使われていない。
何より、
テレビなどのメディアが「わかりやすさ」を優先するために、
成功者(もちろん経済的な)のストーリーを
わかりやすく物語としてつなげてしまう。
しかし、スティーブ・ジョブズの
「コネクティング・ドット」の話にしても、
(僕は大好きな話だけれど)
あれだって、あとから振り返ったら、
そういうふうに点がつながりますね。
ということでしかない。
それはつまり、ドライに言えば、
夜空にある星を見上げて、
「これとこれをつなぐと、こぐまみたいに見えませんか?」
みたいな星座占いみたいなものに過ぎない。
もっと夜空にも人の人生にも無数の点があって、
その中の組み合わせでストーリーができていくだけで、
思いを持って、行動していれば、いい仕事にたどりつく、
みたいな単純な話では決してない。
まずは「近代」という呪縛から解放されること。
「目的・目標を持って何かをはじめないといけない」
という呪縛から解き放たれて、
面白そうだからやる、と感性をひらいて、
やったことを学びに変えていくこと。
その繰り返しでしかキャリアはつかめないのではないかと
強く思ったイベントでした。
そして僕はそれを
本屋を通じてやろうと思っているのだなあと。
帰り際、
「本屋はまちの余白」といういい言葉を教えてもらった。
そっか、余白か。
そういえば、コメタクを立ち上げる時のコンセプトも
暮らしの中に余白をつくる、だった。
僕は、本屋と米屋を通じて、
余白をつくる「余白おじさん」なのではないかと
そんなミッション、ダサくていいなあ。
2017年02月08日
ポートフォリオ型就活の時代

「ポートフォリオをつくろう~新しい自己PRのための編集デザイン」(フィルムアート社)
読みました。
1時間で読めた。
まあ、ひとまず、ポートフォリオ型就活の時代が来そうだなと
思いました。
学生時代に自分がやってきたことを
組み立てて、編集して、ライティングして、意味づけして
それをファイルに畳んで、持っていく。
もちろん持っていかなくてもウェブ上でもいいのだけどね。
就職とか仕事をもらうとかって
そういう時代になってきてると思う。
僕も作らなきゃな、と。
さて。
この本を作り方ではなく、
いまなぜポートフォリオなのか、が書いてある本です。
でも、キーワードがたくさんあったので
メモしておきます。
~~~ここから引用
プロセスの作品化、という意識
相手を想定して自分のプロセスを組み立てていくパターンと、
自分が納得したプロセスを相手にわかってもらうようにするパターン。
どちらでもあり、どちらでもない。その間にこそ答えはあるのです。
他者のなかに入って自分を見てみる
無意識の意識化
ワークショップで重要なポイントは即興性と身体性
即興性と身体性を正しく含んだワークショップは、
無意識を意識化する経験をつくります。
同じようにポートフォリオもまた、
即興性とか身体性から導かれるリアリティやアウトプットてまきるツールなのだ
おもしろいことをしたいと願うのであれば、
社会に対して自分がおもしろいことができる人間であるとアピールしなければならない。
自分と社会とがどうかかわってきたか、
その固有の歴史性を編集した結果できあがる生産物なのです。
カメラを持って街を歩くと、いつもとは違う、場への意識が生じることがあります。
いかに、主体から経験を引き離して、対象化し、再構成していくか。
そのときに対象の再構成の仕方を左右するのが、
素材を加工するための道具、すなわち媒体です。
自分らしさを自分で決めない。
ポートフォリオなら、失敗談を修正力の具体例として示すことができる。
修正力をアピールする。
コミュニケーションはマッサージ。
触って押して、相手の中を動かしていく。
社会とは、市場+ソーシャル(価値やミッションをつくる)のこと。
コラボレーションとは、分担することではなく、越境的対話が起こるということ。
究極的には、ポートフォリオとは、
多様化する相手(社会)との接点をつくりながら、
変化する自分を発見するための装置なのです。
~~~ここまで引用
なるほど。
たぶんそうだな。
ポートフォリオ型就活、始まっているのかも。
まずは感性を信じて行動してみて、
たくさんの体験をして、
その体験を経験に昇華させ、
その経験を編集し、ポートフォリオ化する。
そんな関わったプロジェクトや
自分自身をも作品化すること。
それがこれからの就活、
というか人生なのかもしれないなと思いました。
ポートフォリオ型就活、始めませんか?
2016年07月20日
With whom to dance?

「幸せになる勇気」(岸見一郎 古賀史健 ダイヤモンド社)
読み終えました。
いいですね。
何かすがすがしい気持ちになる。
最終章は愛について。
ストレートで勝負してきます。
この本では何度か引用されている
エーリッヒ・フロムの言葉から。
「誰かを愛するということはたんなる激しい感情ではない。
それは決意であり、決断であり、約束である」
そのほかにもキーワードがたくさん
~~~
あらかじめ定められた運命ではなく、
運命だと信じることを決意しただけ。
運命とは自らの手でつくりあげるもの。
「わたし」から「わたしたち」へ人生の主語を変える。
自立とは「わたし」からの脱却である。
~~~
などなど。
詳しくは本書をお読みください。
僕の中でのクライマックスはここ
▽▽▽ここから引用
哲人
「われわれは運命の下僕になってはいけない。
運命の主人であらねばならない。
運命の人を求めるのではなく、
運命と言えるだけの関係を築き上げるのです。」
青年
「でも、具体的にどうしろと!?」
哲人
「踊るのです。わかりもしない将来のことなど考えず、
存在するはずもない運命のことなど考えず、
ただひたすら、目の前のパートナーと
「いま」をダンスするのです。」
△△△ここまで引用
これは愛や結婚についての話なのだけど。
就職とか仕事とかプロジェクトとか、
そういうのにもズバリ、あてはまるんじゃないかと。
結局のところ、
「誰と一緒に踊りたいのか?」
With whom to dance?
が問われているのだ。
あなたと一緒に踊りたいから、
このプロジェクトを、仕事を、しているのだ。
その先にあるものを見てみたい。
だから一緒に踊っているのだ。
すべてのプロジェクトは、
そうやって始まるほうが楽しくなる。
昨年から始まった「つながる米屋コメタク」もその一つ。
あなたたちと一緒に踊りたかったのです。
そして今回、芽衣さんが加わって、さらに楽しくなりそうです。
コメタクは、クラウドファンディングで参加者を募っています。
100名の参加まで、あと28名です。
https://faavo.jp/niigata/project/1381#pj-single-nav
2016年06月16日
「インターンシップ」と「アントレプレナーシップ」
「インターンシップ」を「就業体験」
と訳すのをもうやめたほうがいいと思う。
2008年。
長期実践型インターンシップを
事業化するとき。
「インターンシップ」と呼ばない名称を、と
中村くんと星野くんと考えたネーミング。
それは「起業家留学」だった。
(たぶんこれ、新潟が一番最初に使っているはず)
外国に留学するつもりで、企業に入って学ぶ、
ライバルは「海外留学」だった。
得られるものは、スキルではなく、
起業家精神(アントレプレナーシップ)。

「起業家精神」(福島正伸 ダイヤモンド社)
1995年12月刊行の1冊。
当時、僕の悩みの80%は環境問題だった。
環境問題の本質とは何か?
ひたすら深めていっていた。
新潟・紀伊國屋の環境・農業コーナーに入り浸っていた。
当時は、人口爆発からくる飢餓にどう対応するか?
南北の経済格差による飢餓と飽食の同居をどうするか?
がトレンドだった。
そんなときに、レジに本を持っていく途中に
飛び込んできたのが、
福島さんの「起業家に必要なたったひとつの行動原則」(同じくダイヤモンド社)
こちらは1998年6月刊行。おそらく新刊台にならんでいた。
サブタイトルに、心を奪われた。
「成功者は5分ごとに思いを確認する」
5分ごとか~!
と衝撃を受けて、即購入。
その次に買ったのが「起業家精神」だった。
環境問題の本当の原因が判明した。
それは、起業家精神の欠如だと思った。
誰もが「みんながやっているから」と判断を他人に預け、
消費社会をひた走ってきた。
たしかにモノは豊かになった。
しかし、誰もモノによって幸せにはなっていなかった。
自分で考えること。
行動すること。
行動に責任を持つこと。
他人のせいにしないこと。
これだ、と。
起業家精神の欠如が環境問題を引き起こし、
さらにそれによって誰も幸せになっていないことを実感した。
環境問題とは、それに気づかせてくれるチャンスなのではないか、
と思った。
幸せになるために必要なのは、
「起業家精神」そのものだと思った。
その日からちょうど10年後の2008年に、
「起業家留学」をサービスイン。
コンセプトは起業家精神の醸成である。
中小企業の経営者とプロジェクトチームを組み、
半年間、共に取り組むというプログラム。
「起業家精神」を肌で感じることが重要だと思った。
「経営者」は目の前の事象に対して、人のせいにはしない。
自ら考え、自ら解決しようとする。
それを体感すること。
それがインターンシップの意味だと思う。
この夏、
インターンシップを考えている人に、
アドバイスできるとすれば、
大企業ではなく、中小企業。
短期ではなく、社長と一緒に
経営にとって重要なプロジェクトに取り組む、
そんな機会を得ることだと思う。
ピンチの時に最後に自分を助けてくれるのは、
「起業家精神」しかないと僕は思う。
「アントレプレナーシップ」(起業家精神)を育むことのできる
「インターンシップ」を選択したほうがいい。
と訳すのをもうやめたほうがいいと思う。
2008年。
長期実践型インターンシップを
事業化するとき。
「インターンシップ」と呼ばない名称を、と
中村くんと星野くんと考えたネーミング。
それは「起業家留学」だった。
(たぶんこれ、新潟が一番最初に使っているはず)
外国に留学するつもりで、企業に入って学ぶ、
ライバルは「海外留学」だった。
得られるものは、スキルではなく、
起業家精神(アントレプレナーシップ)。

「起業家精神」(福島正伸 ダイヤモンド社)
1995年12月刊行の1冊。
当時、僕の悩みの80%は環境問題だった。
環境問題の本質とは何か?
ひたすら深めていっていた。
新潟・紀伊國屋の環境・農業コーナーに入り浸っていた。
当時は、人口爆発からくる飢餓にどう対応するか?
南北の経済格差による飢餓と飽食の同居をどうするか?
がトレンドだった。
そんなときに、レジに本を持っていく途中に
飛び込んできたのが、
福島さんの「起業家に必要なたったひとつの行動原則」(同じくダイヤモンド社)
こちらは1998年6月刊行。おそらく新刊台にならんでいた。
サブタイトルに、心を奪われた。
「成功者は5分ごとに思いを確認する」
5分ごとか~!
と衝撃を受けて、即購入。
その次に買ったのが「起業家精神」だった。
環境問題の本当の原因が判明した。
それは、起業家精神の欠如だと思った。
誰もが「みんながやっているから」と判断を他人に預け、
消費社会をひた走ってきた。
たしかにモノは豊かになった。
しかし、誰もモノによって幸せにはなっていなかった。
自分で考えること。
行動すること。
行動に責任を持つこと。
他人のせいにしないこと。
これだ、と。
起業家精神の欠如が環境問題を引き起こし、
さらにそれによって誰も幸せになっていないことを実感した。
環境問題とは、それに気づかせてくれるチャンスなのではないか、
と思った。
幸せになるために必要なのは、
「起業家精神」そのものだと思った。
その日からちょうど10年後の2008年に、
「起業家留学」をサービスイン。
コンセプトは起業家精神の醸成である。
中小企業の経営者とプロジェクトチームを組み、
半年間、共に取り組むというプログラム。
「起業家精神」を肌で感じることが重要だと思った。
「経営者」は目の前の事象に対して、人のせいにはしない。
自ら考え、自ら解決しようとする。
それを体感すること。
それがインターンシップの意味だと思う。
この夏、
インターンシップを考えている人に、
アドバイスできるとすれば、
大企業ではなく、中小企業。
短期ではなく、社長と一緒に
経営にとって重要なプロジェクトに取り組む、
そんな機会を得ることだと思う。
ピンチの時に最後に自分を助けてくれるのは、
「起業家精神」しかないと僕は思う。
「アントレプレナーシップ」(起業家精神)を育むことのできる
「インターンシップ」を選択したほうがいい。
2016年05月25日
「田舎インターンシップ」の目的
インターンシップを「就業体験」
と訳すからいけないのだろうと思う。
新潟で中村くんや星野くん、高澤くんと
やっていたころの事業名は「起業家留学」
ライバルは「留学」だった
カナダやオーストラリアに行くように、
起業家のもとに長期のインターンに行くこと。
その目的は、
「起業家精神」(アントレプレナーシップ)
の体感と実践、だった。
福島正伸さんの「起業家精神」
(現タイトル:「夢を叶える」)
に書かれていた、自立型思考に
僕は大学4年生のときに出会った。
これだ。
環境問題の原因は、ここにあった。
そう確信した。
環境問題の原因は、根本的には、
アントレプレナーシップの欠如であり、
人が幸せだと思うものを自らも幸せだと思い込み、
消費を重ねたことだと思った。
僕たちがやっていたインターンシップは
新潟でキラリと光る中小企業の社長さんの元で、
約半年間、みっちり事業立ち上げのメンバーとして
取り組んでいくプログラムだった。
自分の責任で自ら決断し、実行する。
そんなインターンシップだからこそ意味がある。
単なる「体験」でいいのであれば、
小中学校のときにやっているし、
バイトをしたほうがよっぽどいいと思う。
もうひとつ。
インターンシップには、目的があるのではないか。
そしてそれは企業ではなく、
いわゆる「田舎インターンシップ」だ。
田舎に入り込み、
地元の人たちと一緒に作り上げるインターンシップ。
特に
「自信がない」とか
「やりたいことがわからない」とか
「将来が不安」とか
思っている大学生におススメ。
そう思っているなら4年生からでもやったほうがいいです。
「田舎インターン」の魅力は、
「自信」のベースにある「自己肯定感」を育んでくれること。
高齢者地域や高齢化した商店街は、
若者が来るだけで、ビックリして、声をかける。
「おい、何しにきたんだ?」
粟島に大学生といったときもそうだった。
地域のじいちゃんばあちゃんがみんな話しかけてきた。
実はそれこそが、
若者の自己肯定感をアップさせるのだと僕は思っている。
「もしかしたら自分は若いだけで価値があるんじゃないか?」
と勘違いする。
そう。
実はそれは勘違いではない。
特にじいちゃんばあちゃんにとっては、
若いことは最大の価値である。
自己肯定感のベースは、
自分には価値がある、ということだと思うので、
この経験は大きい。
ではその価値を生かすにはどうしたらいいか?
「試作」と「行動」である。
ためしにやってみる。
素人だけど、試してみる、行動してみる。
それが若者の価値を生かすことである。
これは企業のインターンでも同じなのだけど、
学生の価値は、「試作」と「行動」である。
もちろん「思考」というのはそれに伴って、
起こってくるが(そのために振り返りが重要なのだが)
企業インターンと田舎インターンの違いがここで出てくる。
企業は、企業活動として行っているため、
どうしても「費用対効果」が求められる。
そのため、試しにやってみたいといっても、
試作品やコストがかかることはなかなか簡単にはできない。
それに対して、田舎インターンは、試作の宝庫だ。
なにより、明治時代以降、あまり「試作」が行われてこなかった
投資はそんなに大きくないし、
失敗しても企業ほど大きなダメージはない。
だから田舎のほうがチャレンジしやすいと言える。
まずは自己肯定感をアップさせ、
プレッシャーの少ない状況で、小さなチャレンジをする。
おそらくはそれが、「自信」への小さな道となるのかもしれない。
新潟でも「田舎インターン」、スタートしています。

「イナカレッジインターン2016」
https://inacollege.jp/
「イナカレッジ学生インターン マッチングフェア2016」
東京・新潟会場には、私も顔だそうと思っています。
【東京】
○日時:6月12日(日)13:30~17:00
○場所:AP渋谷道玄坂
(東京都渋谷区道玄坂2丁目6-17 渋東シネタワー 11階H室)
【新潟】
○日時:6月19日(日)13:30~17:00
○場所:駅前オフィス 大会議室
(新潟市中央区東大通1‐1‐1 第五マルカビル7階)
詳しくはこちらまで
http://inacollege.jp/blog/2016/05/16/matingfair/
と訳すからいけないのだろうと思う。
新潟で中村くんや星野くん、高澤くんと
やっていたころの事業名は「起業家留学」
ライバルは「留学」だった
カナダやオーストラリアに行くように、
起業家のもとに長期のインターンに行くこと。
その目的は、
「起業家精神」(アントレプレナーシップ)
の体感と実践、だった。
福島正伸さんの「起業家精神」
(現タイトル:「夢を叶える」)
に書かれていた、自立型思考に
僕は大学4年生のときに出会った。
これだ。
環境問題の原因は、ここにあった。
そう確信した。
環境問題の原因は、根本的には、
アントレプレナーシップの欠如であり、
人が幸せだと思うものを自らも幸せだと思い込み、
消費を重ねたことだと思った。
僕たちがやっていたインターンシップは
新潟でキラリと光る中小企業の社長さんの元で、
約半年間、みっちり事業立ち上げのメンバーとして
取り組んでいくプログラムだった。
自分の責任で自ら決断し、実行する。
そんなインターンシップだからこそ意味がある。
単なる「体験」でいいのであれば、
小中学校のときにやっているし、
バイトをしたほうがよっぽどいいと思う。
もうひとつ。
インターンシップには、目的があるのではないか。
そしてそれは企業ではなく、
いわゆる「田舎インターンシップ」だ。
田舎に入り込み、
地元の人たちと一緒に作り上げるインターンシップ。
特に
「自信がない」とか
「やりたいことがわからない」とか
「将来が不安」とか
思っている大学生におススメ。
そう思っているなら4年生からでもやったほうがいいです。
「田舎インターン」の魅力は、
「自信」のベースにある「自己肯定感」を育んでくれること。
高齢者地域や高齢化した商店街は、
若者が来るだけで、ビックリして、声をかける。
「おい、何しにきたんだ?」
粟島に大学生といったときもそうだった。
地域のじいちゃんばあちゃんがみんな話しかけてきた。
実はそれこそが、
若者の自己肯定感をアップさせるのだと僕は思っている。
「もしかしたら自分は若いだけで価値があるんじゃないか?」
と勘違いする。
そう。
実はそれは勘違いではない。
特にじいちゃんばあちゃんにとっては、
若いことは最大の価値である。
自己肯定感のベースは、
自分には価値がある、ということだと思うので、
この経験は大きい。
ではその価値を生かすにはどうしたらいいか?
「試作」と「行動」である。
ためしにやってみる。
素人だけど、試してみる、行動してみる。
それが若者の価値を生かすことである。
これは企業のインターンでも同じなのだけど、
学生の価値は、「試作」と「行動」である。
もちろん「思考」というのはそれに伴って、
起こってくるが(そのために振り返りが重要なのだが)
企業インターンと田舎インターンの違いがここで出てくる。
企業は、企業活動として行っているため、
どうしても「費用対効果」が求められる。
そのため、試しにやってみたいといっても、
試作品やコストがかかることはなかなか簡単にはできない。
それに対して、田舎インターンは、試作の宝庫だ。
なにより、明治時代以降、あまり「試作」が行われてこなかった
投資はそんなに大きくないし、
失敗しても企業ほど大きなダメージはない。
だから田舎のほうがチャレンジしやすいと言える。
まずは自己肯定感をアップさせ、
プレッシャーの少ない状況で、小さなチャレンジをする。
おそらくはそれが、「自信」への小さな道となるのかもしれない。
新潟でも「田舎インターン」、スタートしています。

「イナカレッジインターン2016」
https://inacollege.jp/
「イナカレッジ学生インターン マッチングフェア2016」
東京・新潟会場には、私も顔だそうと思っています。
【東京】
○日時:6月12日(日)13:30~17:00
○場所:AP渋谷道玄坂
(東京都渋谷区道玄坂2丁目6-17 渋東シネタワー 11階H室)
【新潟】
○日時:6月19日(日)13:30~17:00
○場所:駅前オフィス 大会議室
(新潟市中央区東大通1‐1‐1 第五マルカビル7階)
詳しくはこちらまで
http://inacollege.jp/blog/2016/05/16/matingfair/
2016年05月22日
向いている仕事、という幻想

昨日の日本経済新聞一面。
大学1年生から長期のインターンシップ。
大手17社と大学・高専11校が
連携して、大学1年次から長期インターンシップに
取り組み、職業観の醸成などを行うという。
気になったのが見出し。
「採用ミスマッチ防ぐ」
なるほど。
現在の1,2日間~1,2週間の短期インターンシップでは
人物を見ることができないから、
人事は「採用ミス」が起こるのだろうな、と。
もうちょっと長期で学生を見ることができたら、
会社への適性がわかって、いいのだろうな、と。
今回は、有名企業と有力大学
がタッグを組んだ形。
得をするのは企業と一部の優秀な学生
だけだろうなと。
若者が離職するのは、
「ミスマッチ」だからではない。
いや、確かに、会社に適応できなかった、
だからミスマッチといえばそうなのだろうけど。
それは決して、
「業種」や「職種」に対してのミスマッチではないだろうと思う。
ミスマッチという表現は
「マッチする(向いている)仕事がある」という幻想を生む。
13歳のハローワークといった職業紹介本や
イチロー、石川遼、本田圭祐の「卒業文集型」キャリア教育、
さらには、自己分析・適性判断といった統計学型の就活
が生みだしているのは、
「自分にも向いている仕事がある。」という幻想である。
向いている仕事など存在しない。
と僕は思う。
いや、もちろん、「この仕事、向いてるわ」
と思える仕事はあるだろう。
得意なことを生かせるなどの要素もある。
でも。
本質的には、
「仕事に合わせて、自分を開花させていく。」
という働き方をしていくほうが、
キャリアドリフト時代には合っている。
なぜなら、猛スピードで
仕事の内容自体が変化しているからだ。
新しい仕事がどんどん生まれてきているからだ。

中小企業庁の出している商品のライフサイクルを
見ればわかるとおり、ヒット商品が5年以上続いて売れるのは
2000年代の時点でわずかに5%だ。
現在はもっと短くなっているだろう。
中小企業はもちろん、大企業も
経営の多角化、新規事業立ち上げなどが
継続して行っていかなければならない。
そんな中で、
業種や職種にマッチングすることにどんな意味があるのだろうか?
向いている仕事なんてない。
仕事に合わせて、自分を開花させていく。
自分に合わせて、仕事を生み出していく。
その繰り返し。
仕事と自分とお客とのコミュニケーションを繰り返し、
人はきっと職業人になっていくのだろう。
冒頭の新聞記事に戻るが、
長期インターンシップを大企業で行うことに
私は意義をほとんど感じない。
なぜなら、長期インターンシップは、
職業マッチングのためではなく、
アントレプレナーシップ(起業家精神)の醸成の
ためであるからだと思っているからだ。
それには「経営者」に触れることが大切だからだ。
大企業のインターンシップにはそのようなことがなかなかできない。
中小企業だからこそ経営者(社長に限らず幹部)と
密接にかかわり、その中で思考・試行することによって、
アントレプレナーシップを身に付けていくこと。
それは、どんな業種、職種であっても、
将来就職を検討しているかどうか、に関係なく、
この人だ!と感じた経営者、この会社だ!と思った会社での
長期のインターンシップをおススメしたい。
向いている仕事など存在しない。
仕事に合わせて自分を開花させていく。
自分に合わせて仕事を生み出していく。
お客に合わせて価値を生み続ける。
その繰り返し。
それを支えるのがアントレプレナーシップということに
なるのだろう。
大学生たちが夏休みの活動を考える時期だ。
ツルハシブックスでは、そんな活動相談に応じます。
あ、夏は合宿免許、という方は、
新潟中央自動車学校での合宿免許をおススメします。
大学行きの送迎バスでツルハシブックスに通うことができます。