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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2020年07月21日

「わたしたち」として歩む~「学び合い」から「見つけ合い」へ

渡辺保史さん。
「情報デザイン入門」(平凡社新書 2001)の著者。
渡辺さんの活動を知って、「はこだてスローマップ」の
活動に参加し、会いに行ったのが2003年。


若いです。(2003.3.29)

その後、10年の時を経て、新潟青陵大学が中心となった「にいがた未来考房」
立ち上げの時に講師でお呼びして伺ったのが自分たちごとのデザイン。


スーツきてる。(2013.3.27)

このわずか3か月後の6月に急逝。
言葉を失いました。

その後、当時書いていた原稿を出版するプロジェクトが立ち上がり、
2018年3月にクラウドファンディングにより自費出版されたのがこちらの本。


「Designing Ours「自分たちごと」のデザイン~これからの個人・コミュニティ・社会」

いまこそ、読むときが来たと。

土日、2つの教育系ウェブセミナーと
オンライン劇場「ツルハシブックス」を開催。

土曜日は
「最上マイプロジェクト推進運営委員会オンライン勉強会 #学びの土壌づくり」

日曜日は
「スカイロケットプロジェクト主催の21世紀を生きる子供への大人のかかわり方⑥」でした。

~~~こちらはメモ

18日

高校生の探究と大人の探究が重なり合う部分にプロジェクトをつくっていけるかどうか。

対話:認識のズレを顕在化させるコミュニケーションのこと⇒違うことを楽しむこと。

「学び合えば希望は生まれる」
     ↑
「フラットなコミュニケーションが必要」
     ↑
「心をひらくためのデザイン、ツール」

「ワクワク」は伝染する。
その「ワクワク」は未来に向けてのベクトル的エネルギーだったり、「発見」そのものに対するワクワクだったりもする。

「発見」を喜び合えること。「学び合い」⇒「発見し合い」へのシフト。

個人の「強み」も「弱み」も両方とも、場にとっては全てが「強み」になるような場。

19日

学ぶ意欲の塊だったはずの赤ちゃんがわずか15年で学ぶ意欲を失っているという現実。

「好奇心を発動しないこと」が大人になることだと教え込まれてきたのだろうか。

リフレクションと対話とメタ認知

主語を私たちにシフトしていくこと。
「学び」の主語は「私」だが、「見つける」の主語は「私たち」だ。

オンラインによる「個別最適化」は学ぶ意欲のある子にとっては理想的なのかもしれないが、そうではない子にとっては、生活習慣さえ乱れてしまう。

先生や公務員こそ、「コミュニティ副業」をする時代だ。

小中学校時代にうまく学校についていけずに、高校で学び始めた子どもたちが「本当は勉強したかった」というのだと。
8割の子どもは、自己肯定感を下げるためだけに学校に行っているのではないか?

「履修主義」から「習得(修得)主義」へのリスク。プロセスにおける雑談や関係性は配慮されなくなる。

学校を社会に開く合理性を市民側が説明しているか?
市民側のリテラシーの低さ。
先生が何に苦しんでいる状況なのかを理解してから提案すること。

年齢の違う人と、テーマで話すこと。
評価・判断を保留して聞くこと。
年齢の壁はオンラインのほうが越えられるかもしれない。

発達の最近接領域
https://learn-tern.com/proximal-development/

たぶんこれと、場のチカラによる「学び合い」から「見つけ合い」へのシフト。「私たちとして探究的に学ぶ」これが自己肯定感問題を含むアイデンティティ・クライシスと探究学習を同時にクリアしていく方法かもな。

新型コロナウイルスで失われたものは学校での授業と言うよりもむしろ「登下校」や「放課後社会」といった無数の余白時間なのだろう。そしてむしろ余白のほうが本質的に重要だったものなのかもしれない。

~~~ここまでメモ

そしてもうひとつオンライン劇場の宮本さんとの対話やそのあとの「やりたいことが分からないの社会学」、
「責任」について、も。

~~~ここからメモ

「発見」⇒「問いを見つける力」
「発見」するために「手触り(感)」と「異物(違和感)」に出会うこと。
そうきたか!とか見つけた!みたいな。やっぱ、日常に「!」と「?」と「!?」がないとね。

「東京」には何かがある、っていうのを突き詰めれば、「出会い」とか「チャンス」とかの先に「発見」があるんじゃないか。
その「発見」という最大の価値が地方に移行しつつあるとしたら。
好奇心の向く先が地方になっていくときに大切なのが「インターフェイス」か。チャネルがたくさんあること

「手触り」っていうのは、システム化された大きな世界よりも小さな世界のほうが感じられやすいから。
ミッション(思い込み、勘違い)って「手触り」のあるところにしか生まれないんだ。

「手触り」から紡ぎだされるリアルな言葉を他者との対話で行き来させる。
それでようやく「自分」がわかる。

SDGsから出発したプロジェクトが僕の心を打たないのは、「手触り感」からスタートしていないからか。

自分に自信がない、つまり自己肯定感の低い人は、客観的に自分を見てしまうから、ついつい場において役割を果たせていないのではないか、と感じてしまう。

それって「責任感が強い」ってことじゃないですかね。オーダーされたものに真剣に応えるデザイナーのような。

これまで「自分に自信がない」とか「他者からの評価を気にしてしまう」とかって聞くと、評価という呪縛から早く逃れたほうがいいと思っていたけど、昨日のツルハシでの対話を経て、そういう人のことが好きになったというより、僕のようなクレイジー・ポジティブの人の周りには必要な存在だと分かった。平尾さんのいう「相補的関係」

同時に、その人たちが「安心」できるために、「チューニング・ファシリテーション」が必要なのだなあと思った。
冒頭で「最近あったよかったこと」を聞いて、終わりに「印象に残ったこと」を聞く。そして「発見」し合う場づくり。

最後の時間は「責任」について。哲学対話みたいになってた。これ、オンラインのほうがうまくいく気がする。今まで照れ臭くって「対話」ってタイトルのイベントには足が向かなかったのだけど。オンラインならできるね。クルミドコーヒー影山さんが言ってた「自己開示が強要されない」場づくり。

~~~ここまでメモ

っていう感じ。

昨日は校長先生と教育長と阿賀黎明探究パートナーズの会長である麒麟山齋藤社長との会談で、
プロジェクト学習について話し合っていたけど、

~~~思ったことメモ

「進学クラス」と「就職・専門学校クラス」っていう区分けがもう意味を為さないような気がした。
一緒にプロジェクトやってみたいな、と思えるヤツを育て、それをベースに「もっと研究したい」と思う人が大学に行けばいい。

マイプロジェクト
    ↑
プロジェクト型学習
    ↑
ワークショップ手法
    ↑
対話のデザイン、オープンマインド
    ↑
安心・安全の土壌づくり

マイプロジェクトの先に大学での「研究」と専門学校での「専門スキル」と企業での「就職」というプロジェクトがある。

地域の○○を学ぶ、っていうだけではほとんど意味がなく、地域の○○を活かして何かプロジェクトとして実践するところまで行かないといけない。
地域の特産物を育てて「販売」というのは一番思いつきやすい実践例だと思うが、プロジェクトはそれだけではないはずだ。

仕事や人生を主体的対話的に歩んでいけるような人に高校卒業時になっていること。
言い換えれば、人生の経営者になっていること。
会社では一介のサラリーマンであるかもしれないが、自らの人生の経営者であること。
そうしないと地域に貢献したりしないよね。それがシチズンシップ教育なのでは

~~~ここまでメモ

「わたしたち」として「見つけ合う」から始まる学び。
ワークショップ、プロジェクト学習、マイプロジェクトとつながっていく学びの前提。

そこに対話のデザイン、オープンマインドが必要で、
その前提として安心・安全の土壌づくりがあるのだろうと思う。

その「わたしたち」の範囲、フレームをどこまでにするか?
そこに心地よい責任感のヒントもあるなあと。

いろいろ繋がってきています。
渡辺先生、この本でまた学ばせてもらいます。
そして、先へ送ります。  

Posted by ニシダタクジ at 08:16Comments(0)イベント

2020年07月12日

「成果」が価値ではなく、「発見」こそが価値



昨日の地域みらい留学LIVEを30分だけ視聴。
聞きたかった若新雄純さんの話が聴け、シビれたのでメモしておきます。

~~~ここからメモ

わが町の魅力を言語化しようとしている
⇒そもそも魅力の魅は、もののけ、ばけものの意味
⇒魅力は言語化・定めるものではないのではないか

魅力を明らかにしないこと
⇒来た人が魅力を更新し続ける
⇒自ら魅力を発見・発信する人になること
「魅力化」:「魅力」を明確にしないでできないか。

イケてる田舎の学びは「非線形」
JK課=女子高生がまちづくりに関わるプログラム
インターン・PBLがつまらないのは、先に学ぶものを決めているから

イケてる田舎での学び:予定・用意されたものじゃない何かがある。
目標・計画もない学び。

プロジェクトとはみんなで「?」「!」を楽しむこと。
よくわからないものを楽しむこと。

都会はキケンがたくさんあるから、?が少ない。
田舎でたくさんの「?」を発見すること。

「線形」と「非線形」
「線形」の学び=これまで。

〇〇大学合格⇒逆算できる⇒競争できる

「非線形」の学び
・予測可能(指数関数的)
・予測不可能(凸凹・点と点が突然つながる)
僕たちが生きている自然・社会=非線形で非連続
ゴールがない、わからない、計測不可能

3年間そこにいると何が学べるか=不明確なのが価値
ぜんぶたまたまの結果にすぎない。

「こうあるべき」⇒「分からないけど、面白そうだ」(創造的脱力)

やってみると「発見」が起こる。
⇒その「発見」から大人が学ぶ。
⇒その人(チーム・場)でしかできない「発見」がある。

「成果」が価値ではなく、「発見」こそが価値。

「線形」=心理的安心(行き先と立ち位置がわかる)
「非線形」=先が分からない(身体的安心・安全を確保した上で)
大企業:線形な働き方。

放課後が予測不可能になる。
プロジェクトをどうするか?よりも「発見」をどう価値にするか。
「発見」は100%生まれる。

~~~ここまでメモ。

いやあ、ほんと、このタイミングで聞けてよかったなと。
田舎で、この町で学ぶ価値って、魅力ってなんだろう?って
「魅力を明確に言語化しない」っていうのはすごいなと。

たしかに、一言で言える観光地よりも、底が知れない場のほうがリピートするし。
ご当地名物料理よりも、地元民御用達の駅前中華料理屋さんのほうが行ってみたいし。

そして、「線形」と「非線形」の話。

これは、「MEDIA MAKERS―社会が動く「影響力」の正体」(田端信太郎 宣伝会議)
に書いてあった、メディアの変化にマッチしているな、と。

参考:本屋というメディアをつくる(17.11.20)
http://hero.niiblo.jp/e486326.html

参考:メディアの力とは予言の自己実現能力のこと(17.11.17)
http://hero.niiblo.jp/e486304.html

ここで説明されている「コンテンツ」の3つの軸

ストック⇔フロー
参加性⇔権威性
リニア⇔ノンリニア

1つめが「ストックとフロー」
単行本からツイッター(SNS)までストック性は大きいものから小さくなっていく。ウェブメディアの中でも、ブログとフェイスブックでは
ストック性とフロー性が異なる。これらはどちらがいいとかではなくて、どちらもミックスする必要がある。本とSNSっていうのはたしかにいい相性かも。

2つめが「参加性と権威性」
食べログとミシュランなどを例に出して参加性と権威性について語る。こちらは現在は参加性に寄ってきている。

3つめがリニア(線形)とノンリニア(非線形)
リニアというのは線形のことで、映画のように、一度見始めると、最後まで見るというように、リニア性の高いコンテンツであり、他方、テレビやネットメディアは、チャンネルを変えたり、リンクでほかのところへ飛べるので、ノンリニアなコンテンツといえる。特にデジタルメディアは宿命的にノンリニアなコンテンツとなる。

~~~

これって・・・
まさに今「学び」が直面している課題そのものではないかと。

ストックとフローを組み合わせつつ、
「権威型」から「参加型」に寄りつつ、
ノンリニア(非線形)の学び方が来ているのではないかと。

そしてWithコロナ時代を迎えて都市と地方の「情報格差」が決定的に小さくなった今。
だからこそ学びは転換点にあるのではないか。いや、もともと転換点にあったのだけど。

そしてもうひとつ紹介したいのが若新さんの著書「創造的脱力」

参考:「ラボ」というゆるさと強さ(18.11.26)
http://hero.niiblo.jp/e488462.html

~~~以下、書籍より引用

目的やゴール、到達点が明確で、勝ち負けや白黒をはっきりさせたいプロジェクトやチームには、それにふさわしいまとめ方やまとめ役というのが必要なのだと思います。正しく状況を判断し、的確に情報を収集、分析し、権限を使って指示や命令をおこないながら、ときには破壊的な攻めにでることも必要なのでしょう。

一方で、すすんでみなければゴールがわからず、偶然の出来事や変化を受け入れながら学んでいくような実験的な取り組みにおいては、成果や正解を焦って求めすぎない脱力感と、そのプロセスを楽しめる柔軟性が必要です。

でも、ただ力を抜いてやわらかくしているだけでは、「まとまり」ができずバラバラになってしまいます。脱力しながらもうまくまとめていくためには、その場にいる一人ひとりの欲や好奇心、その場から得られる体験や感動をみんなで共有し、ときにはぶつかり合いながらもお互いを必要とするような、人間関係にみちあふれた「関わり合い」が必要です。

僕はこれを「ゆるいコミュニケーション」と呼んでいます。「ゆるい」というのは、「いい加減」ということではありません。

きっちりとは固定されていないのに、つながっている。
強制されているわけではないのに、参加している。
必要に迫られているわけでもないのに、欲している。
細かいことは決まっていないのに、全体としては成り立っている。

一見もろそうに見えて、実は「かたいつながり」以上の「ネバネバ感」があり、「まとまり」があるのです。

さらに「ゆるい」だけあって、平均からのズレや偏りを排除してしまわず、むしろその差や違いを吸収できる余白や「ゆらぎ」をもっています。つまり、「ゆるいコミュニケーション」は、一人ひとりの異なる価値観やライフスタイルをお互いに認め合い、それぞれの個性的なパーソナリティを引き出し合うことができる「成長の機会」なのです。

~~~ここまで

学びの「場」のチカラを高めるのは、ゴールも、組織そのものも、非線形であることが大切なのだろうと。
田舎にはいろんな題材があり、いろんな大人がいる。

「機会」から学ぶ。それは「発見」という点を打つことだ。
その先に非線形の学びがある。
その無数にあるひとつずつの「発見(学び)」の点と点を編集し直すと、
スティーブジョブズが言う「点と点がつながる」学びが可能になるのではないか。

プロジェクトの目標達成、個人の成長などの「数値的成果」ではなく、「発見」にフォーカスすること。
「発見」を価値だと認識すること。
場のチカラを駆使して、「発見」を生み出し、引き出すこと。
その「発見」そのものが次なる学びのアクションを駆動すること。

3年間を振り返ってようやく、「ああ、そういうことだったのか」と思えるような。
いや、その3年間さえ、人生における点に過ぎないと思えるような。
そんな「機会」を地域の大人一緒につくっていく仕組み。

いい問い、もらいました。  

Posted by ニシダタクジ at 10:25Comments(0)イベント

2020年07月07日

グラデーションな人生

オンライン・イナカレッジ・ラボの作戦会議。

ふと。
聞いてみたいことが出てきたので、聞いてみた。
お題は「イナカレッジでシフトしたもの」

   ⇒

って聞いといて、自分でハッとしたこと。
そうか!チェンジするんじゃなくてシフトするんだって。

ついつい、振り返りの時に、
before arterで何か変化したことはありますか?
って成長を聞いてしまう。

でも。
そんな簡単に変わらないよね。

東京の大学生が言っていたこと。
1か月間、集落に暮らすことで、他人が身内になった。

ああ。そっか。
正確に言えば、「身内感を持つ人ができた」っていうことなのだろう。
イナカレッジで言う「関係人口」っていうのはきっと、そういうことだ。
共同体のフルメンバーではないが、補欠というか、
メンバー外(他人)とフルメンバーのあいだのグラデーションにいるということ。
そしてそれは大学生自身のアイデンティティの構成要素になる。

僕自身がイナカレッジでシフトしたものは
(これは、茨城えぽっくの「取材型インターン」と同時に起こっていたことも大きいのだけど、)
「場」についての考え方のシフト。

成果を上げるのは、個人やチームのチカラではなく、場のチカラであり、
自らを場に溶かしていくことで、「魔法をかける編集」が可能になる。というもの。

そしてそれをいくつも(地域やプロジェクト)経験することで、
個性を持つ場の構成員としての自分というアイデンティティがつくられる、という仮説

というわけで、昨日に引き続き、
2007年発売のこの本より。

「ひとりでは生きられないのも芸のうち」(内田樹 文春文庫)

P192「個食の幸せ」
http://blog.tatsuru.com/2006/11/18_0855.html

「個食」とは何か?についての深い考察。

~~~ここから一部引用

人々が集まって車座になり、一つの食物を分け合う儀礼を持たない共同体は地球上に存在しない。

杯についてはその性質のすべてが「下に置かないこと」を人間に求めている。ご飯を食べるために両手を自由にしようと思ったら、杯を別の人間に手渡すしかない。つまり、杯の場合は、食器の形態そのものが共同体の存在を要請しているのである。

「自分が欲するものは他人に贈与することによってしか手に入らない」という文化人類学的真理を私たちはこういう儀礼を通じて学習するのである。

どうして共食(あるいは共飲)の儀礼がこれほど重視されたかというと、第一に近代にいたるまで、食料と水というものが人間にとってももっとも貴重な財だったからである。もっともたいせつなものを差し出して他者とともに分かち合う、友愛のみぶりとしてこれほどわかりやすいものはない。

もう一つは、いっしょに食べ、いっしょに飲むということが「動作の模倣」を意味するからである。

同じ食べ物を同時に食べる人々は一種の「群舞」を舞っているのである。

共同体のパフォーマンスを条件づけるのは何よりも「周波数の同期」だからである。

それゆえ「個食」という食事のあり方は人類学的には「共同体の否定」を意味していると解釈することができる。

それが可能であるのは二つ理由がある。一つは「食物や水はもう貴重な財ではない」と人々が考えているからであり、一つは「共同体に帰属しなくてもひとりで生きていける」と人々が考えているからである。これはどちらも現代日本社会においては合理的な判断である。

ほとんどの時代、人間たちは恒常的に飢えており、集団的に行動しない限り生き延びられなかった。だから、人間の身体組成は「飢餓ベース」であり、精神は「集団ベース」に作られている。現代日本は「飽食ベース」「孤立ベース」での生存が可能になった人類史上稀有の社会である。だから、飢餓ベース、集団ベースで構築された身体運用技法や儀礼や習慣との間でフリクションが起こるのは当然なのである。

~~~ここまでメモ

あー。面白い。
とくにこれ。

同じ食べ物を同時に食べる人々は一種の「群舞」を舞っているのである。

そうか!
あれは踊りなのか。
囲炉裏を囲んで一緒にごはんを食べるとか、最高ですよね。
身体コミュニケーションとしての食事と共同体への帰属。
イナカレッジの1か月はそれを同時に実現するのだろう。

このブログが書かれて14年が過ぎているが、

東京の大学生たちの
「このままでは生きられないのではないか?」
という直感が、イナカレッジの1か月に導いているのではないか。

こうした日々を経て、大学生は、
共同体のフルメンバーではないが、グラデーションとしてのメンバー(関係人口)になっていく。
そしてそれは、地域にとっても、大きなモチベーションになるし、

そして、上にも書いたけど、大学生個人にとっては、アイデンティティの構成要素になる。
グラデーションが濃くなるほどに、
「共同体のメンバーとしての責任」を果たしたくなる。
だから、梅もぎとかに行っちゃうのだろうな。

グラデーションな人生を生きるための共同体体験。
それが「にいがたイナカレッジ」の価値なのではないか、っていう昨日のふりかえりでした。  

Posted by ニシダタクジ at 07:56Comments(0)イベント

2020年06月19日

時計の奴隷



https://www.katariba.or.jp/event/23138/
6月17日(水)の「ゆるいエデュケーション・ラボ」オンライン・ゼミに参加。
若新雄純さんの言う「ゆるい」が好きなので。

「創造的脱力」(若新雄純 光文社新書)は僕にとって思い出の1冊。
参考:「ラボ」というゆるさと強さ(18.11.26)
http://hero.niiblo.jp/e488462.html

ということで、イベントメモ

~~~ここからメモ

・学び合うことをとらえ直していく
・学ぶ場のありかたをゆるめてつくりなおす
・「ゆるい」:答えを出さないといけない⇒答えがすぐに出なくてもいい
⇒成果・結論・まとめ・気づき・学び・いいアイデア・答えを求めない。
⇒つまり、ゴールに向かわないってことか。

「対話」によって「そういう見方もある」という「発見」があるはず。
「正解」から「発見」へ

ソクラテスの時代から「対話」だった。
不知の自覚:無知の知
「哲学」:テーブルに乗せて丸裸にするという営み。
「哲学の本質」:本質洞察に基づく原理の提示。
「公教育」:社会における自由と自由の相互承認の実質化
正当性の原理は「一般福祉」。

150年かわらない学校システム⇒ベルトコンベアシステム⇒同質性の高い集団に最適化したシステム。
学びの個別化・協同化・プロジェクト化の融合。

アダプティ・ラーニング:キュビナ
個別に今学ぶべきことを最適に与える:テクノロジーのほうが優れている⇒テクノロジーに任せることは任せる。
モチベーションを上げることは人にしかできないから人がやる。
主体的対話的学びもテクノロジーでフォローできる。

「学びの個別化」:自分が学びのコントローラーを握っていること。
「学び(のコントローラー)」を子どもの手に返す。
高校生自身に学びの主導権を渡す。
ログが残る⇒リアルタイムのフィードバックができる⇒ゲーミフィケーション。

モチベーションをどうやって上げるのか?
ゲームの攻略:いいゲームは「チュートリアル」がしっかりしている。

麹町中学校のキュビナ導入から
1 ティーチングプロセス⇒ラーニングプロセス
2 助け合える学習空間をつくれるか?
3 先生も探究的に学ぶ

プログラムの提供⇒場を提供して待つ、一緒に学ぶ
自己成長力を信じられないと待てない。

言われたことを言われたとおりにやらせる。
⇒信頼して まかせて 待って 支える

それができないのなら、「時計の奴隷」になっている。
時間割とか、この時間までにここまで、とか。全部そうだな。

幼小中高大をつなげる「ラーニングセンター」として空間を再結成する。
「大きくはみ出せない」「多様であれない」のは、不安だから。
人と違っていてもいいという安心感をどうつくるか。
異年齢の人が出入りしていると同調圧力は軽減される。

「多様性」を目指さない。
結果であり、前提としての多様性。
僕たちはすでに多様。

これまでの学校:スーツケース
長い棒は折らないと入らない。ボールみたいな丸いやつは押し込めないといけない。
⇒ふろしきみたいな学校はつくれないか?
まあ、いろんなふろしきが学校の周りにもたくさんあったらいいなと。

「評価」(≒数値化)の呪縛をアンラーンする。
大切なのは一緒にプロジェクトをやりたいか?っていうこと。
評価が正確・公正であるというウソ。

「こういう人と一緒に学んでいきたい」
”あなたと一緒に学びたい”と思えるか。

「序列」:クラスの中で何番目か
⇒自分(たち)の目指しているものに対して何合目か?

ピアノやギター:やってるからできる
学年とかがない。誰も評価しない。

~~~

とまあこんな感じ。
高校魅力化の文脈に落とし込んでいくと、キーワードは

・「ゆるい」:答えを求めない。ゴールに向かわない。
・モチベーションとゲーミフィケーション、チュートリアル
・ラーニングセンター、異年齢の多様な人の出入りと心理的安全性
・ギターやピアノのようなやってるからできる、っていう感覚。

そんな感じかな。
いちばん響いたキーワードは「評価の呪縛」ですかね。

構造的に見れば。
「目標達成」という大きな仕組みの中で、授業の達成目標があって、
そこに対して限られた時間数で到達させることが重要で、
その到達度をテスト(高校なら中間・期末試験)によって測定するという仕組み。

ところが、キュビナのようなAI教材で学びを個別化したとすれば、
その時点(たとえば、2年生の7月時点)でのテストの結果は、どんな意味があるのだろうか?

そもそも。
目標⇒到達度評価⇒テストみたいな枠組みにどれほどの意味があるのか?

それって、サピエンス全史にも書いてあった、
「時計の奴隷」ってやつだよなあと。
工場は効率化のため、「時計」を発明した。
いや、時計はあったのだけど、イギリス各地域で異なっていた。

「時計」とか「始業時間」とか「時間割」とか
そういう概念そのものがわずか150年しか経っていないのだ。

そうそう。
人は、目標の奴隷である前に、時計の奴隷だ。
島に行くと誰も時間守らないっていうのは、時計から自由だって言うことなのかもしれない。

「学び」と「評価」と「目標」と「時計」
この構造に、何かヒントがあるよ。

「時計」から解放された学びをつくりたいね。

その「学び」はきっと、「遊び」に近づいていく。  

Posted by ニシダタクジ at 07:48Comments(0)イベント

2020年06月11日

「大学」という乗り物に乗る。

公営塾対象のAO・推薦入試(総合型選抜)研修(オンライン)でした。
いつも藤岡さんの話は本質的だなあと。

ということで、ひたすらメモします。

~~~ここからメモ

コロナ過で様々な大会、コンクール、部活動、学校外の活動などが停止。
⇒AO・推薦を受験できないのではないか?という不安
⇒(実績)要件は緩和されている

しかし、問うべきは
「そもそも、大学側は、大会、生徒会などで、何を、なぜ、見たいのでしょうか?」

「三ポリ」
・ディプロマ・ポリシー(DP):大学卒業時に身につけておくべき学力の3要素
・カリキュラムポリシー:DPを体系的に身に付けるための授業の配置方針と教育方針
・アドミッション・ポリシー:カリキュラムを受けるために入学者に求めたい学力の3要素

例:北陸大学
https://www.hokuriku-u.ac.jp/about/outline/policy.html

DPルーブリック(学年別到達目標・評価基準)とカリキュラムツリーがある。
AP:求める学生像が書いてある:例
・自分の考えや意見を述べることができる人
・経験を振り返り、自分の言葉で表現できる人

⇒APから求められる力を導き、ルーブリックを作ってみる
・「表現力」4 聞き手に対して熱意を持って、効果的に語り掛けることができている。⇒1 聞き手を意識せず原稿を読み上げているだけである。

アドミッションポリシー(AP)の例:慶応SFC総合政策学部
総合政策学部は「実践知」を理念とし、「問題発見・解決」に拘る学生を求めます。問題を発見・分析し、解決の処方箋を作り実行するプロセスを主体的に体験し、社会で現実問題の解決に活躍する事を期待します。
従って入学試験の重要な判定基準は、自主的な思考力、発想力、構想力、実行力の有無です。「SFCでこんな事に取り組み学びたい」という問題意識に基づいて、自らの手で未来を拓く力を磨く意欲ある学生を求めます。

~~~ここまで第1部

DP⇒CP⇒APの流れって、高校でも意識してもいいような気がした。
いわゆる「教育目標」って、DPにあたると思うし、
「カリキュラムマネジメント」って言われているのは、CPをベースになっているし、
APも、普通科であればだれでも歓迎なのだろうけど、高校魅力化の観点からは、
そのあたりを明確に、「こういう人に来てほしい」っていうメッセージが必要かなと思う。

あとは、推薦やAOに関わらず、高校でも公営塾でもルーブリック評価みたいな軸を
作っておくことも、自らを確認する上では重要だと思う。

~~~僕の中で切っているだけですが第2部

・大学は「教育研究機関」であり、「研究」の側面を持つ。
・「研究」とは、「まだわかってないことの答えをみつける」こと
⇒講義を受けて知識を得るだけではなく、課題を設定して研究すること「自ら物事をつきつめて明らかにする」ことが求められる
⇒そのために必要な教授や授業、研究会を選び、意見を交換し、アドバイスをもらい、自分の意見を考え続け、まとめていく
・「学生」(≠生徒)とは「自ら物事を突き詰めて明らかにする」自分で学ぶべき課題やテーマを発見・決定、その課題を解決するために自分で動ける人
⇒「学生」として求められるチカラ
基本的な学習能力⇒基礎学力
自ら課題・テーマを発見できる⇒問題発見能力
自ら教授や授業、研究会・ゼミを選ぶ⇒主体性
研究会・ゼミを活性化する力⇒周囲を巻き込む力

推薦・AO入試(総合型選抜)とは
「学生として求められる力」と持つ高校生を多面的観点から選ぶ入学試験。

★大学の裏事情として、大学入試改革が文科省から迫られていることもある。

・大学が見たい高校生のコンピテンシー
⇒大会やコンクールなど、いわゆる「実績」がなくても合格可能
⇒大学は「結果」だけでなく、そこに至るプロセス、プロセスにおけるコンビテンシー(思考特性・行動特性)を見ている。
⇒コンピテンシーとは「思考特性・行動特性」であり、思考と行動、その背後にある価値観や信念を含めて大学側が見たい「人となり」です。

★「個性」とは
「理念・価値観・世界観」⇒「思考」⇒「行動」の集合体

これ、西村モデルの高校生版だなと。


こちらより引用
https://note.com/yuumitakano/n/n767c1516fc65

・なぜ目覚ましい実績・成績があると合格しやすいと言われていたり、出願要件に入っているのか?
実績・成績はあくまで人となりが結果として表出化され出てきたもの。
⇒二次面接者にとって、高校生のわかりやすい人となり:コミュニケーション・ツールになる。

★実績の言語化が必要
・あくまで志望校のアドミッションポリシーに合うかどうかがポイント
・実績があればOKではない
・実績を相手に伝わるように言語化
・活動において実績を出すに至った価値観・思考・行動の言語化が必要。

経験学習サイクル(デイビット・コルブ)
行動(具体的経験)⇒振り返り(自分の経験を言葉でふりかえる)⇒本質の気づき(教訓や持論・自論を引き出す)⇒将来の目標設定(次の経験の際に自分が取る行動の目標を立てる)⇒行動に戻る
★具体から抽象へ。なぜうまくいったか、を再現できる。うまくいかなかったことを再現せず、失敗しない。
「人はおよそ70%を経験から学び、20%は観察学習や他者からのアドバイスによって学び、残りの10%は研修や書籍などから学ぶ。
経験を言語化できる人はパフォーマンスが高くなる傾向がある。

~~~ここまで第2部

今回の研修で、多くの人がヒットしたのは、ここだった。
経験の言語化、ふりかえりの重要性はわかるのだけど、
そもそも高校生が言語化に慣れていない。

藤岡さんは
・言語化するメリットと手法
・言語化できる自信と期待感⇒話したら共感が得られた(うまくいった)みたいな
を高めていく必要を語っていたし、
その前提となるような心理的安全性(安心空間)
をつくっていかないといけないと言った。

多くの高校生は、話すことそのものが不安というか
自分のことを話すのはイタイやつみたいな習慣があるので、
それを打破していかないといけない。

黎明学舎でやっているような、
雑談の時間や、毎日やるお題自己紹介などは
非常に有効なのかもしれない。

「ふりかえり」を反省(特に目標に対する結果の)の場にしないこと
「印象に残ったこと」など、心をまずふりかえること。

~~~ここから第3部メモ(テクニック編)

・プレスタ法
PREP法とSTAR法

PREP法(説明の順番)
1 Point:伝えたい結論・メッセージ
2 Reason:理由・経緯・Pointの詳しい説明
3 Episode:具体的エピソード
4 Point:伝えたい結論・メッセージ

STAR法(言語化の順番)
1 Situation:状況
2 Target&Task:目標・障害・壁・課題
3 Action:解決に向けた意志・行動・姿勢など
4 Result:結果・好転した状況・気づいたこと・得た意見

TAE(Think at the Edge)
https://taetokyo.jimdofree.com/
http://gen.taejapan.org/index.html

志望理由書と7つの観点
1 経緯:過去(高校時代まで)に頑張ったこと、印象に残ったこと、自分に大きい影響を与えた出来事、など
2 気づき・価値観:1を通して、気づいたことや学んだことから得た考え方・大切に思うこと
3 問題意識・テーマ(実現したい野望):2に照らしたとき、問題だと感じること、考えること、このままではいけない、解決したいと思うこと。
4 社会的意義:3の、社会における重要性。それに取り組むべき社会的必然性と、その先にある利益(メリット)
5 解決すべき課題・解決策:3の原因を解決(解消)するためのアイデア、具体的な方法
6 志望大学が最適である理由:5を実現するために、その大学(・学部)に進学したいという根拠。大学の理念・ゼミ・研究内容など。
7 将来の夢・志:その大学での学びをとおして、社会に出て何をしたいか、どのように社会貢献したいか、など。

AO・推薦入試で評価されること⇒総合的な評価が得られれば合格できる。
A 基礎学力
B 人物像(主体性)
C 大学で学ぶときに必要な力(周囲を巻き込む力・リーダーシップ・プレゼン力・コミュニケーション能力など)
D 明確な目的意識(問題発見能力)

AO推薦入試がおすすめな理由
1 一般入試より学力レベルの少し高い大学へ合格できる
2 一般入試(学力)にも相乗効果がある
3 AO入試に挑戦することで就活・社会人など、将来に渡り役に立つスキルが身に付く

~~~ここまで第3部メモ

いや、これって、構造的には大学生の就活とまったく変わらないなあと。
あときっと、中学生が高校を選ぶときにだって、こういう選択プロセスを踏んでいるはずだ。
これを入学志願者を集めるほうの視点で考えることはできるよね。

◎◎な課題を解決したい人にとっては、
ウチの高校のこういう活動、ウチの地域のこういう人、ウチの町のこういう環境は、
とても魅力がありますよ、っていうこと。

それを言語化していくことだ。

「言語化」の課題。
それは高校生ばかりではなく、一生モノの課題。

あとは、全体として思ったことは、
大学に入るのも、企業に入社するのも、
「乗り物に乗る」ようなものだなあと。
もしかすると、ワークショップのような一回性の高い「場」も、
「乗り物に乗る」ようなもの、かもしれませんね。

試験は、乗り物に乗るチケットを手に入れるためのもの。
あるいは、この人たちと一緒に乗ったら楽しいか?成長できるか?
みたいなことを確かめるもの。

そんな感覚で、大学入試にも就職活動にも向かっていけたらいいなと。  

Posted by ニシダタクジ at 08:54Comments(0)イベント日記

2019年07月13日

「機会」を「学び」にするふりかえりの重要性



昨日は茨城大学で、
授業でもサークルでも使える!楽しいミーティングの進め方2(場づくりラボ)でした。
知ってそうで知らない「ミーティング」を楽しくする方法について考えました。

ラインナップはこういう感じ。

1.自己紹介・チューニング
2.前回のおさらい(ミーティングのルール、司会のやり方、議題の3種別)
3.ドラッカーの5つの質問
4.顧客はだれか?ワークショップ
5.プロジェクトの7要素
6.ふりかえりの方法
7.感想・振り返り・次回予告

ドラッカーの5つの質問
1 ミッションは何か
2 顧客はだれか
3 顧客にとって価値は何か
4 成果は何か
5 計画は何か

からの
「顧客」アプローチと「価値」アプローチの話をしてから、
「顧客はだれか」ワークショップ。
マインドマップ式に自分の顧客を探すワーク。

そしてプロジェクト7要素の説明

7 どのように
6 何を
5 誰のために
4 なぜ
3 どこで
2 いつ
1 誰と

1~3が場のチカラ。
1~7がプロジェクト

メンバーが下のほうを決めるときに「参加」できているか?が重要。
通常の企業インターンシップは7しか裁量がないのでモチベーションが上がらない。

振り返りの重要性
「手段」としての「ミーティング」と「機会」としての「ミーティング」
イベントの目的は「目標を達成すること」なのか?

4象限ふりかえり。

よかった 悪かった
予想できた 予想できなかった

よかったことから始まり、よかったことで終わる
「反省会」で終わってはいけない。
予想しなかったよかったことは当日に振り返らないと忘れる。

これを繰り返しながら、
「予想できなかった悪かったこと」(通常の反省)をいかに楽しめるか。
予想できなかったこと=エンターテイメントの種
書くことで、自分から切り離す。場のせいにする。

~~~とまあ、こんな感じのトークでした。

以下、参加者の感想。

たのしくミーティングがしたい(切実)
→機会と手段の違いが分かった
→振り返りの方法、使いたい
→これまでの(チームでの)振り返りはあまかった(のでマイナス点が目立った)
→まずは機会をつくること
→チーム内での提案の仕方
→自分が話すボリューム

2回にわたって、楽しいミーティングの進め方を学んで自分の団体のミーティングはあまりうまくいっていないことがわかっていたけど、何がダメなのかいまいちわからずじまいだったが、何をどう改善していったらいいかわかってきたし、今まで決めることさえすればいいと思っていただけのミーティングだったが、ミーティング時代も自分も楽しめばいいし、みんなのことも楽しませればいいんだという気持ちになれた。これから自分がリーダーということで、団体をもっとよくしていくために、まずは自分のスキルアップが必要なのだと感じたし、2回にわたって得た知識を生かしていきたいと思った。前回のミーティングで1回目に教えていただいたことを少し実践してみたのですが、前にくらべて発言は多いがこそこそっと話すくらいだったため、もっと活発に発言してもらえるようにメンバー内での壁をなくしていきたいと思った。ただ本当に前にくらべたら意見も出るようになってきたため、もっとみんなが意見を出せるような場づくりを心掛けたい。

振り返りが「できなかったこと悪かったこと」を話し合っていたことがもしかして私自身が苦痛に感じていたかもしれないと思いました。自分が楽しくないことを他人に強要するのはよくないですし、楽しいミーティング作りをするためには自分から楽しまなければいけないと学べました。嫌なことから最近は逃げてはいけないと思いがちでしたが、嫌なことを楽しむという感じは思いつきませんでした。

イベントやプロジェクトを行う際に、「機会を与える」ことに注力しようとすると、「それでどうなる?」「なんのため?」など、言われて否定されることがあったが、機会を与えることに価値があることを再認識した。

「顧客はだれか?」ワークショップで過去の自分「表現や発言をすることが苦手だった自分」を考えていたが、今の自分と照らし合わせて、どう変化したのか、その変化はなぜ起こったのかを掘り下げるまで至らなかった。その部分、特に変化の起こった理由は大切だと思うので、自分なりに考えていきたいと思った。

振り返りと反省の違い。

自分のプロジェクトのミーティングでちゃんと利用する!次の年にちゃんとつなげる!自分がやり始めたことの経緯やそのことについての価値は大きいものであるということは思ったので(再認識しました)、大事にする。機会のほうが代位ということは自分も考えてます。経験が増えるので!(そこからいろいろと考えることができるので)

~~~ここまで感想

場づくりラボは、8月9月お休みです。再開は10月になる予定です!
次回もお楽しみに!

僕の感想は、
「手段」としての学びを「機会」としての学びにシフトしたい
っていうのがさらに強まったし、
「機会」を「機会」にするために、ふりかえりが必要だし。

目的・目標のための「手段」としての学びとしてとらえると、
それを達成している人は、達成していない人より優位にあるので
コミュニケーションがフラットになりにくいのではないかなと思った。

「機会」の前で人はフラットになれるのだと感じた。
今月も楽しい時間でした。
ありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 06:03Comments(0)イベント

2019年03月03日

「感じる」から始まるキャリア教育

ひとが育つまち益田フォーラム2019に参加。


エンディング風景


ロビーではいろんな販売ブースがありました。


出たかった新・職場体験


中学生・高校生を交えたワークショップ

きっかけは11月3日の「しまね教育の日フォーラム」。
このときに益田市の取り組みの分科会に出て、衝撃。
特に益田版カタリ場と新・職場体験に感銘を受けた。
今回は「新・職場体験」について学ぶ分科会Bへ参加。

~~~以下メモ

ワークキャリアだけじゃなく
人生観(どんな人になりたいか、何を大切にしたいか、生きがい
を感じる生き方)を含んだライフキャリア教育

「何になりたいのか?」を職業名で答えさせるキャリア教育でいいのか?

プログラム前、大人たちは「益田には仕事がない」と言っていた。

大切なのは仕事さがし、仕事えらびだけではないのでは?

「13歳のハローワーク」的な仕事:それって益田にはないよね?

「三方よし」っていう三者関係が大事なんだろうな。
win-winっていう二者関係ではなく。

中学生:さまざまな価値観や生き方に触れ、どんな生き方をしたいのか問う。
事業所:PRの場、リクルーティングの場、研修の場として使う。
自治体:未来の担い手を育成する。

1 求人票
2 面接
3 事業所研修:ノウハウ、つながり
4 対話

いずれ地元に戻ってきたい魅力的なまちだと思うかどうか。
ライフキャリアを体現する大人:すごくたくさんいる。

ニシムラ装飾のコンセプト
「セカイを装飾する。」

職場体験を経て、すごいとか楽しかったです、っていう感想が出てくること。
「大人がキラキラしてるんです」

「思い」というエネルギー源。

1 考えるようになった
2 話をするようになった
3 関わるようになった
4 あきらめないようになった
5 いろんな角度からものを見るようになった

★新・職場体験の感想(村田さん)
楽しかった。
本物の「仕事」に触れる機会がなかった。

保育はたいへんなんじゃないかと勝手に思い込んでいた。
笑顔にあふれて楽しそうだった。

「益田にこんなに魅力的な大人がいたんだ!」

「たくさんの大人に支えられている」ことを実感できる。

人を楽しませることをしたい。

★ここまで

「こうなりたい」っていうような職業じゃなくて、「こうありたい」っていうような楽しさ、やりがい、コンセプトのようなもの。

「新・職場体験」は、「中学生の未来」を軸に学びあっている対話のデザイン

益田市豊川の事例もすごかった。
中高生に「小学校はどうしたらよくなるのか?」のアイデアを出してもらい、大人の会議に混ざって、小学校の中に部屋ができる。

マスダひとまちカレッジ 豊川カレッジ
夜や休日に小学校に集まることができる。

ピザが焼ける校長。壁紙も貼れる校長。中高生に教わった。
学びがフラット。楽しんでいる。豊かなかかわりのなかでみんなが伸びている。8年前にはなにもなかった。

「地方創生」と「社会教育」がリンクしてくる。公民館が核となって活性化している。

1つの正解があるわけじゃない。

「系統主義」と「経験主義」の戦い。

大人たちこそ「大切なことが何か」分からなくなってきている。

「感じる」から始まる。「感じる」から始める。

~~~ここまでメモ

いちばんのハイライトは
分科会で「新・職場体験」を経験した村田さんの一言。

「益田にこんなに魅力的な大人がいたんだ!」
これだなあと思った。

「感じる」から始まる。
「感じる」から始める。
そこなんだろうなと思った。

体験じゃなく対話を重視したキャリア教育。
というコンセプト。

フォーラムの最後に、教育支援協会の吉田さんが言っていたこと。

大人たちこそ「大切なことが何か」分からなくなってきている。
そう、「価値」が揺らいでいる。

でもそれは、
「現代は価値がわからなくなっている」っていうことではなくって、

人口減少問題のように、
「昔に戻る」だけなんだろうと思う。

明治維新以降、あるいは戦後70年にわたって
多くの人が共有できる「共通の価値」みたいなものがあった。
そのほうが「特殊な時代」なのではないか。

「価値」は常に流動している。
その前提の中でキャリアを、そしてプロジェクトを作っていったほうがいいと思う。

いま、この瞬間(期間)、僕たちのチームでは、
これを価値ということにしよう、という前提。

そしてその「価値」に向かっていくには、
「感じる」ことから始めていくことが必要なのだろうと思う。

そして、その「感じること」については、
大人よりも中学生高校生のほうが圧倒的に優れている。
それを発動させること。

3年前にも似たようなタイトルのブログを書いていた。
http://hero.niiblo.jp/e478562.html
(感じるキャリア教育 16.4.17)

★上記ブログから引用

いま若者たち(いや若者だけでなくすべての大人)が問われているのは、
「どんな職業カテゴリーを選択して食べていくのか」ということではなく、
「どう生きるのか?何に価値をおいて生きていくのか?」ということであると思う。

そして、それは、本質的には、写真や冊子では伝わらず、
生の本の展示や実際にその人に会ってみることで、より強く感じられるのだと思う。

★以上ブログより引用

まさにこれが大切なのではないかと思う。
そして益田市の「新・職場体験」は、
「中学生の未来」を軸に、
職場で働く大人と中学生が学びあっている。

未来に対して、人はフラットになる。
特に予測不可能な未来に対して。

中学生が何を感じたか。
大人たちが何を感じたか。
それを共有することで、うっすらと見えてくる自分の未来と益田という地域の未来。

対話から始まるキャリア教育は
「感じる」から始まるキャリア教育で、

そこでは中学生も職場の大人も学校の先生も
フラットになる。

三方よしっていうのは単に
「トリプルウイン」の意味ではなく、
「場」における関係性において、
それぞれが相互に関係し合って、
生み出される何かがあること、なのではないかな。

益田市の「新・職場体験」の取り組みに、
僕は未来を感じました。

いい学びの機会をありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 06:49Comments(0)イベント

2019年02月11日

「明日から何やりますか?」







OMO Niigata vol2のプレゼンを見に行ってきました。

Q:OMOとは...?

A:”ジブンゴト”の問題意識を持ち、行政の縦割組織や民間との壁を越え、”本気で”課題解決に取り組むマインドを持った自治体職員のための官民協働プロジェクトです。「One for a Million. a Million for One」の頭文字を取って名付けられました。

だそうです。
2泊3日(合宿じゃないですけど)
で出てきたNPO立ち上げプランを聞くという場所でした。

印象に残ったプレゼンは
「救急救命士」を地域にひらくっていうプラン。

佐渡こそルイーダの酒場的に
技能をもった人たちとの出会いの場が必要だっていうプラン

「疎開」「防災」「地域間連携」というキーワードで
新潟のフィールドを使って関係人口を育むっていうプラン

「水の上貸します」ということで
新潟湊の水上で泊まったり、演劇やったり、お店やったり、っていうプラン

などなど。

審査員からの質疑応答も面白かった。

一番印象に残った質問が
「明日から何やりますか?」だった。

そっか。
それに答えられない事業は始まらないんだ、と。

これ、2月7日の支援者サミットの話に似てるなと。
http://hero.niiblo.jp/e488865.html
「伴奏型支援」(19.2.9)

出てきたアイデアに対して、
「明日から何やりますか?」
と問うことで、アクションにつながるのでは、と思った。

そしてもうひとつ、印象的だったこと。
「課題解決にフォーカスしすぎて、面白がることを忘れている」
という発言。

面白がれないと、仲間がやってこない。
それもやっぱり事業が始まらない。

たぶん、この2つなのだろうと思った。

課題に対して、どのように面白がれるか?
あるいは面白がることで、結果的に課題を解決できるか?

これって、とても大切なことなのだろうと思った。

クラウドファンディングの支援が集まる方法でもあるなと。

・面白がれるということ
・明日からやることが思い浮かぶということ

この2つはリンクしていると思うけどね。

あと、「疎開ツアーズ」チームの
プレゼンを聞いていて思ったこと。

「価値」をズラすっていうこと。
「関係人口」をどのように増やすか、ってずっとプランを考えていて、
疎開はコンテンツの1つに過ぎなかったのだけど、
発表当日の朝にそれを逆にして、疎開ツアーメインのプランになった。

キャッシュポイントをズラすっていうのはよく聞くのだけど、
「価値をズラす」っていうことも面白いなと。
事業価値をたくさんの人に知ってもらい、
結果、課題が解決するということになるのだろうなと思った。

関係人口を目的にしないで、
いざというときに備えるためのプラン。
特に自治体職員は、非常時には不眠不休の働きを
することになる可能性が高いので、このようなプランが有効なのだろうと思った。

結果、「関係人口」は増えるし、
子どもの教育上にとっても大きな学びがあるように思うし、
「第3の大人」にも出会えるなと。
そうやって価値をズラしていくこと。

そして、今回もあらためて思ったのは

たった1人の思いから始まる、
たった1人の問いから始まる、
ということ。

7日に水戸部さんがプレゼンしていたように、
個人のパーソナルな出来事、原体験にもっと迫ってもいいのではと思った。

・救急救命士の思い
・佐渡には魅力的な人がたくさんいるのだという思い
・新潟の海の魅力を引き出したいという思い
・東日本大震災の被災自治体の職員の声

そんなリアルから始まった事業・プレゼンには力があった。

そして。
もうひとつ考えたこと。

事業の始まりには、
「顧客」アプローチと「価値」アプローチ
があるのだと。

よくやられている「課題解決」っていうのは、
「価値アプローチ」であり、
その中でも、マイナスを0またはプラスにするので、
ワクワクが少ないのかもしれないなと。

そこで「面白がれるかどうか。」が重要になる。

「顧客」アプローチの中に、自らの過去を掘り、源泉を探す、みたいなのがあるのだろうと。
最初のお客が自分(過去の自分)であるっていうアプローチ、
もしくはリアルに出会った人がお客である、っていう2つのアプローチがある。

グランプリの「SEA JOINT」のプランは、個人のワクワクから始まっているし、
そんなことできたら楽しいだろうな~っていう面白がれる要素がたくさんあった。
新潟っぽかったし。港湾事務所とか役所の人のほうがつながりやすいだろうし。

たぶん、「顧客」アプローチ
の中でも自らを掘っていく、というのがあって、
それを事業化によって「価値」に変えていく。
(そのプロセスで「課題解決」も起こるかもしれない)

そしてその「価値」をみんなで面白がりながら
事業への参加・参画者が増えていく、という構図なのかなと思った。

順番としては、「顧客」アプローチ(過去・原体験を振り返る)があって、
そこに共感者が増えることで「価値」に変わっていき、
それを面白がれる編集を行って、
事業を行いながら、もういちど「顧客」に届いているか?を
検証していくというサイクルなのではないかなと思った。

「課題解決」から出発しないこと
おもしろがれる要素を作ること。

そして、審査員のこの質問に答えられること。

「明日から何やりますか?」  

Posted by ニシダタクジ at 07:11Comments(0)イベント日記

2018年12月08日

自己肯定は「営み」の中に内蔵されている



長岡市・コモンリビングで
唐澤頼充さんとトークしてきました。


まきどき村の米づくりを追いかけた
1年間の記録。「TANEMAKI」

購入はこちらからもできます。
https://karasawa.thebase.in/

イベントは
コモンリビングの「ごはん会」の一環で行われました。
ごはん食べてから話を聞くってスタイルもいいなあ。

ということで、唐澤さんとトーク。
イベントでしゃべるのは実は2回目。

面白かった。

まあ、一番おもしろかったのは、
帰りの車の中の反省会だったのだけど、
ひとまずイベント中のことを。

~~~ここからイベントメモ

都会:人を相手にする→個人にフォーカスしてる
米作り:自然を相手にする→自然にフォーカスする。生きてる感がある。

自分が何かをすることが返ってくる。
自然との関係の中にいることを感じられること。

旧庄屋佐藤家:250年の歴史の中にある。

身体感覚として気持ちいい。
身体のポテンシャルを使っている実感。

アート:身体感覚を伴っていた。
宮澤賢治的な。
それがいつのまにかファインアートに寄ってしまった。

等価交換ではない農業。
贈与し、贈与される。

化学肥料とちがって、
堆肥は直接作物に吸収されない。

~~~ここまでイベントメモ

僕がヒットしたのはそんなところかな。
さて、この本の唐澤さんのあとがき

「米作りはひとりではできないなぁ」
ここがハイライト。

極力機械を使わず、
人の力で、米作りをしたリアル。

昨日は、そんな話だった。

帰りの車の中でしていた話のキーワードは、「営み」

田植えをしているとき。
雑草をとっているとき。
稲刈りをしているとき。

そこには「営み」があった。
「営み」というのは、自分とは違った時の流れのこと。

自然の時の流れ。
稲の時の流れ。
その流れの中にいること。
そのとき、人は何とも言えず、満たされた気持ちになるのではないか。

場のチカラの構成要素
1 誰とやるか
2 いつやるか
3 どこでやるか

この2 いつやるか?3 どこでやるか?

のチカラを高めるには、
「営み」の中に身をおく、ということ。
身を委ねる、ということ、なのかもしれないなと思った。

そして、それが、
「自己肯定」をアップさせるのかもしれないと思った。

「自己肯定」は「営み」の中に内蔵されている、と。

それは意識上には上がってはこないけれど。
「地域の祭り」によって、自己肯定感がアップするのは、
「地域のつながり」なのだけど、その「つながり」とか「絆」っていうのは、
人とかコミュニティの中にあるのではなくて「営み」の中にあるんじゃないか。

「自己肯定感」が大事だって言われるけど、
それを自己にフォーカスして高めることは難しいのではないかな。
1年を通して田んぼで米作りや田舎や島の暮らし、
みたいに「営み」の中に身を置くこと。

暮らし方って個人戦じゃなくて、
もしかしたら「営み」の中の一部になること、なのかもしれない。

唐澤くんが昨日言っていたけど、
米作りは人間と自然の等価交換じゃなくて、
常にどちらかが負債を抱えている(感じがする)。

「営み」は中に「負債感」を内包している。

そしてその「負債感」こそが、
もしかしたら、「自己肯定」につながっていくのではないか。

「営み」という場に一体化する。

まきどき村の米作りも、朝ごはんも、
イナカレッジプログラムも、

「営み」の中に溶けていけるから、魅力的なのではないか。

今日はそんな仮説。  

Posted by ニシダタクジ at 11:03Comments(0)イベント

2018年09月04日

参加のデザインとしてのイナカレッジ

イナカレッジインターン中間研修




夜は集落の人たちと交流会




昨日、大学生のプロジェクト紹介とブラッシュアップの話を聞いていて、
イナカレッジは参加のデザインだと思った。

それってたぶん中越地震の時から、
いや、20年前からやろうとしていたこと。

参加型社会。
それをいかに作るか。
それはNPO法ができたときからのテーマであったと思う。

イナカレッジインターンには
地域の人たちが「参加」できる。

野菜を持って来たり、
話をかけにきたり。

自分がどうやって関わろうか?
という問いの中にいる。
大学生に何かしてやりたい。

それって地域づくりにおいては
まさに参加のデザインではないのか。

そういう見せ方もあるなあと思った。  

Posted by ニシダタクジ at 06:29Comments(0)イベント

2018年08月30日

やりたいことを決めることは価値を固定化すること



「やりたいことがわからない」の社会学&本の処方箋セミナー
と題して、仙台・ファイブブリッジ会議室で
ワカツクの渡辺一馬さんとトークしてきました。

この場所に初めてきた、
あるいはこういうイベントに初めてきた、っていう人がたくさん。
いやあ、これは、タイトルの勝利ですよ、一馬さん。

シナリオは特になかったのだけど、
最初に「本屋の青空」の話をして、
(予想しなかった本に出会えることが本屋の価値ではないか)

それはまちに通じるし、
この場所につくるライブラリーにも通じるよねえという話からスタート。

参加者は、「やりたいことはなんだろう?」と問いかけている大学生と
目標設定、達成だけの会社人生だとつらいといっている
社会人の人など、
まさにそういう人に来てほしい、みたいなのが来てくれた時間だった。

そしてそれは、
本人たちにとってみれば切実な課題なのだとということもあらためてわかった。

そして、学校というシステムが設定する(固定する)「価値」に対して、
それを信じているからこそつらいのだということが分かった。

昨日も話したけど、
「やりたいこと」や「将来の夢」を決めるのは激動の時代にナンセンスだと思うし、
それはもっと言えば、目標とか意志とかを設定し、そこに向かって全力で進むみたいな価値観が
揺らいできているのだと思うのだけど、

それはもっと機能的に説明すると、
「やりたいこと」とか「将来の夢」、「目標」とか「意志」の前には、
「価値」の固定化がある。

一定のもの(売上とか)に「価値」があると設定して、
そこに向かっていくこと。

そうだとすると、明治時代に学校ができて以来、
もっとも大きなコンセプトは「効率化」であっただろうと思う。

富国強兵、追いつけ、追い越せという
スローガンのもとに、急速な「近代化」を遂げた日本、
それを支えた教育。
そのベースには「効率化」がある。

学校では夢(目標)を設定し、
その目標に向かって効率化せよ、と求められる。

あなたはどこに行きたいんだ?
と問われ、そこに早く行くために、
どうしたらいいのだ?と問い詰められる。

ところが。
冒頭の話に戻るけど、それって楽しいのか?
っていうこと。

「本屋の青空」があるような本屋。
目的の本を忘れ、思ってもいなかった本を買ってしまうような、

街を歩いていて、
古めかしいおばちゃんがやっている定食屋で
おにぎりを買う、みたいな、
そんな「たまたま」を人は、人生は求めているのではないか。

「効率化」と「予測不可能性」は対立する。

「やりたいことがわからない」
素晴らしいじゃないかと思う。

とはいえ、
何かに打ち込んでないと不安になる、
それもひとつだろう。

昨日一馬さんとの結論は、
「小さなプロジェクトをやってみる」だった。
「価値」と「お客」を設定して、
小さなプロジェクトをやってみること。

そして振り返ること。
流動する「価値」をいったん固定し、やってみること。

そんな中から自分の「やりたいこと」の仮説ができて、
それを検証し続けること、なのかもしれない。

藤原奈央子ちゃんにも沖縄・糸満ぶりの再会だったけど、
彼女の人生がまさにそんな感じで楽しかった。

さて、仙台にもそんなことを伝えるライブラリーが
できたらいいなと思う。

また来ます。  

Posted by ニシダタクジ at 07:33Comments(0)イベント

2018年07月28日

「越境」と「コモンズデザイン」と「オープンマインド」

新潟お笑い集団NAMARAの江口歩さんと再会。


8月25日(土)に開催する
「まわしよみ新聞」陸奥賢さんとの
スペシャルトークイベント@ほんぽーとの打ち合わせ。

イベント概要はこちら

「まわしよみ新聞をつくろう」出版記念クロストーク

8月25日(土)@ほんぽーと(新潟市中央図書館)多目的ホール
17:30 開場
17:45 開始
19:15 終了
出演:陸奥賢×江口歩×西田卓司
参加費:1500円

また、その日の昼間には
「開発者の陸奥賢直伝!まわしよみ新聞@新潟」
を開発します。

8月25日(土)@東地区公民館304講義室
13:30 開場
14:00 まわしよみ新聞開始
16:00 終了・ほんぽーとへ移動
直伝:陸奥賢
参加費:1,000円

※学生は500円引きです。
※昼夜の通し参加は2,000円です。
※「まわしよみ新聞をつくろう」をすでに持っている方、その場でご購入の方も500円引きです。

「新聞を活用した教育」(NIE)としても、
全国各地で開催されている「まわしよみ新聞」。

僕も茨城大学の課外活動として何度かやってました。
コミュニケーション・デザインのツールとして、非常に魅力的です。

さて。
昨日、江口さんに陸奥さんの活動を紹介していて思ったことを。

まず、江口歩さんは、
「お笑い」「エンターテイメント」という切り口で、
「越境」してきた人。

教育、福祉、医療といった分野の境界を飛び越えて、
心理的なバリアやこれまでの常識を揺るがしてきた人、
そして、その射程は広いというか、
学校で普通に授業したり、大きなイベント会場でトークしたり、
とその活動場所は、「誰でも来れる」ような場所だ。

つまり江口さんは、「越境」というか、
「境界を溶かして」きた人だと言えるのかもしれない。

それに対して、
「コモンズデザイン」を提唱する陸奥さん。


(應典院秋田さんと)

コモンズとは、江戸時代で言えば、「入会(いりあい)地」のこと
たとえば、里山。

A村もB村もそこに隣接していて、
薪や山菜やきのこを取りに行く。
決してとりすぎない。
そして旅人が来たら、少し渡す。
そんなあいまいな「コモンズ」があった。

明治以降、「国民国家」をつくるプロセスの中で、
だんだんとそのあいまいさが失われていった。
と同時に、地域コミュニティを解体していった。

これからは地域ではなく、日本という国が、
ひとりひとりが「生き延びる」ための
サービスを提供するから、と。

廃藩置県もそうだし、
平成に入ってからもあった市町村の合併もあった。
地域コミュニティから人々切り離され、頼れるものがなくなった。

そして、「コミュニティ」の再構築が叫ばれるようになった。
「コミュニティデザイン」という言葉も生まれた。

しかし、「コミュニティだけでいいのか?」
と陸奥さんは言う。

「コミュニティ」はもともとは、
生き延びるための方法論だったから、
構成員をいかにして食わせるか。
というベースに立っている。

したがって、だんだんと閉鎖的になり、
慣習ができ、そこに従わない人は排除されるようになる。

僕のような「コミュニティ難民」はだんだんと居場所がなくなる。
そんな時に、「コモンズ」の出番だ。
コミュニティ同士のあいだにある共有地としての「コモンズ」。

そこには、コミュニティにはない「恵み」がある。

おそらくそれは、昔でいえば、食べ物などの自然資源
現代でいえば、知恵などの知的資源、あるいはプロジェクトなどの活動資源
なのかもしれないなと。

えっ。
それって本屋こそがなり得るんじゃないの?

ってすぐに「本屋」教の信者な僕は考えてしまう。(笑)

まあ、それはおいといて。

「コモンズデザイナー」の陸奥賢さんは、
さまざまな「オープンソース」を開発して、
「コモンズデザイン」を試みてきた。

その代表作が「まわしよみ新聞」だ
http://www.mawashiyomishinbun.info/

その他にも
当事者研究スゴロク
https://tk-sugoroku.jimdo.com/


直観読みブックマーカー
http://tyokkannyomibookmarker.info/
などを新潟では開催してきた。

最近では銭湯で短歌を詠む合コン、歌垣風呂が話題だ。

僕は、陸奥さんの活動の魅力は、「オープンマインド」、
つまり、気がつかないうちに心を開いている、ということだと思う。
「心を開く」というのは、言葉でいうほど簡単ではない。

でも、「まわしよみ新聞」をやって人ならわかると思うけど、
新聞を切り抜いて、なぜその新聞を切り抜いたのか?
をみんなが語り、かつその記事をみんなで体を動かしながら
1枚の壁新聞につくり上げていくというアクティビティの中で
気がついたら「心が開いていく」のだ。

今回、著書「まわしよみ新聞をつくろう」(創元社)
https://www.sogensha.co.jp/productlist/detail?id=3876
の発売に合わせての出版記念キャラバンを新潟県内で行っている。
そのメインイベント@新潟市が8月25日の企画であり、
江口歩さんとのコラボだ。

「お笑い」「エンターテイメント」という切り口でさまざまな
ジャンルを越境してきた江口さん。

「コモンズデザイナー」として、
オープンソースなツールを作り続け、実践している陸奥さん。
それをコミュニティ難民な西田がクロストークでつないでいけたらいいなあと思います。

8月25日(土)、よろしくお願いします。
前日は内野で何かやっている、かも。  

Posted by ニシダタクジ at 06:06Comments(0)イベント

2018年06月24日

「確かなもの」と「不確かなもの」











福岡県福津市津屋崎
「なまことかえるライブラリー」発足の会でした。

「暮らしの問屋」店主の古橋さんと、
「コメタク」のさくらさんと
「おでんや」のるみさんと
「ながしのこたつ」ののぞみさん。

キーワードは「余白」だったかな。
あと、本の「旬」の話。

~~~以下メモ

「暮らしの問屋」
子どもが生まれると問いが生まれ、問いが始まる。
駅徒歩何分とかではなく、暮らしに問いを持つということ。

図書喫茶なまこ
なまこがなぜなまこなのか?
津屋崎では嵐のあと、海岸になまこが落ちている(打ち上げられている)

お気に入りの本だったら読んでみたくなる。
本を通して、人を好きになる。
人を好きなると、まちを好きになる。
まちを好きになると、暮らしたくなる。

なまこは見た目はよくないかもしれないけど、
中身はおいしい。

その瞬間、読む本。
ひとそれぞれ「旬」(タイミング)がある。
価値が流動していることを体現する場=本棚

「日々の家~たねの木」
本で地域が見える。
体を動かしながら「余白」をつくる

コメタク:米を炊くことで「余白」ができる。

のせるみさん:「間」について調べたいから休学した。

おでん屋台:「屋台」は「内」でも「外」でもない。
あいまいさ。ふところが深い。自由。

ながしのこたつ:こたつが突然あって、コミュニケーションがはじまる。

「一期一会」の瞬間。

おじいちゃん
「おでんを売っているけど、おでんを売っているわけではない」
おばあちゃん
「いやいや、うちはおでん屋さんなんです。」

確かなものと不確かなもの。
それが共存している場。
日常に「温度」や「色」がつくこと。

「交流できる」と「交流しなければならない」のちがい
「交流」を目的としない場

おでんが食べ物だからいい。
内と外があいまいであること。
共有地、共有物。

~~~ここまでメモ

期せずして、3人娘の表現している「場」が
「余白」というキーワードでつながる。

たぶん、「日々の家~たねの木」っていうこの場所も、
ここに来る人たちの「余白」になっていくのだろう。

「なまことかえるライブラリー」は、
そんな精神的な余白をつくっていければいいと思った。

だから、こんな場所に置きたい本、
誰かに届けたい本を。

そしてそれが、「かえる券」を通じて、
中学生高校生に渡っていくような、
そんな場になったらいい。

「食」や「畑」、「海」や「海産物」、そして本。

たくさんの「余白」ツールがこの町にはある。

そんなものがたくさん集まるような、
確かなものと不確かなものが共存しているような、
そんな「場」になっていくのだろう。

そんな「場」づくりに参画できることが
とってもうれしくて、
ああ、新潟から津屋崎に車で来てよかったなあと思う。

古橋さん、ありがとうございます。  

Posted by ニシダタクジ at 07:57Comments(0)イベント

2018年03月26日

「コミュニティ」と「プロジェクト」のあいだ

八戸・デーリー東北新聞社で
「偶然が起こる場のつくり方」
というテーマでイベントを行いました。

まず第1部はまわしよみ新聞。
木曜日に陸奥さんに直伝してもらった
まわしよみ新聞を実践しました。
陸奥さんのようなゆるい司会できなかったな~。

後半のテーマは
偶然が起こる場のつくり方。

ツルハシブックスやハックツの事例を出しながら、
八戸のまちに必要なメディアとしての場
について検討した。

高校生とか若い人にもっと何かやってほしいという
思いは、多くの大人の中にあるようだった。

そういうまちって
きっとあるのだろうな。

若者が何かに出会ったり、
何かを始めたりするプラットフォームをつくる
そういう機能を果たすのが、
駅やバスターミナルの近くの本屋であるのかもしれない。

そういうのを部活感覚でできないか、
というのが、僕のイメージ。

ツルハシブックスにも屋台があったけど、
そういう小さなチャレンジが連鎖するような、
そういう場をつくること、かなと。

「本」っていうのは、
コミュニケーション・ツールとして、
非常に有効であると思う。

僕は「本屋」そのものがメディアであると思っているし、
ヴィレッジヴァンガード郡山アティ店の店長に言われた
「郡山にカフェを作ろうと思っているんです」
という一言こそが僕を本屋に導いたと思っている。

「偶然」が起こり、「運命」的に出会い、
「プロジェクト」に参加する。

この「プロジェクト」という
考え方も重要だと思う。

「プロジェクト」の定義は
新たな価値を創造するための有期性の業務
のこと。

「新たな価値」「創造する」「期限のある」
これがキーワード

「プロジェクト」と「コミュニティ」は目的が違うのだ。
コミュニティは、どちらかというと、居場所機能を果たし、
長く続いていくことが大切だ。

たぶん。
この2つをうまく組み合わせていくというか、
そういう場所をつくること。

コミュニティになりきらない、
プロジェクトのようなドライな関係だけでもない、

そんな関係性が地元にあったら、
高校生たちにとっての「ふるさと」をつくれるのではないか。

川喜田二郎が著書「創造性とは何か」(洋伝社新書)で
ふるさと定義している。

「ふるさと」とは、子どもから大人になる途中で、
子どもながらに全力傾注で創造的行為を行ない、
それをいくつか達成した、そういう達成体験が累積した場所だから、
「ふるさと」になったのだということである。

ベクトルの矢印は「過去←」ではなく
「→未来」という矢印が累積したところが
いつまでも離れがたいふるさとになったということである。

そう。
だから、若者が地方に帰ってこない、と嘆くだけでなく、

若者にとって全力傾注できる「創造的行為」の場を
つくっていくことが地域のカギになる。
そのうち、わかりやすいのがアートの領域だろう。

でも、僕はビジネスの領域でもそれは可能だと思う。
たとえば、八戸の有名な館鼻岸壁朝市に店を出店してみるとか。

そういうやつ。
そんな「プロジェクト」が始まる場所、
それを本屋ができるのではないかと思っている。

さてさて。
僕も新潟でそんな場所をつくろうと思う。

また来ます、八戸。  

Posted by ニシダタクジ at 06:50Comments(0)イベント

2018年03月24日

人生を「個人戦」から「チーム戦」にする

話題の「喫茶ランドリー」
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000001.000030634.html

1階づくりはまちづくりという
株式会社グランドレベル(名前がいい)が企画。
ランドリーを地域の核に置いている。

昨日は、コクリエドリンクス
テーマは「パラレルキャリア」。
株式会社えぽっくの若松さんの
パラレルキャリアの話から。

若松さんは研究者を志して大学に進学したが、
何年かかるかわからない研究をするよりも
目の前の現実を変えたい、とビジネスの分野に
飛び込むことにする。

新卒の時の会社選びの視点は、
・創業5年以内
・社員50人以内
・市場が伸びている

ということで
マーケティング会社に入る。

そして、NPO法人ETIC.が提供する
地域を舞台に若手社会人が研修するプログラムなど
さまざまなことを仕事と並行しながら行う。

のち、人材育成の分野に興味を持って転職。

人生100年時代
就業期間>産業寿命
複数のコミュニティ
スキルのかけ合わせ

など、パラレルキャリアが必要な理由を語った。

いま、株式会社えぽっくでは、
「パラレルプロジェクト」という新規事業を
立ち上げ中で、そこには僕も参画している。

後半のワークショップは、
実際に「パラレルプロジェクト」を考えてみる
というワークを行った。

お題はクリーニング専科という
クリーニング店が展開するコインランドリー事業の企画。

大学の近くにあるコインランドリーを
どのように魅力化するか。
4チームに分かれて検討した。

ポイントは、「価値は何か?」というところ。
当然、そこには
「顧客はだれか?」という問いが含まれているのだけど。

ただ単にブレストをして、
アイデアを出して終わりにするのではなくて、
その企画の価値はなにか?問いかける。

プレゼンタイム。
ビックリするような企画がたくさん出た。

印象に残ったのは、
「大学2年生をターゲットにする」
という企画と「卓球台付ランドリー」
かな。

みんなランドリーで誰かと出会い
仲良くなるような企画を提案していた。

そう。
コインランドリーは地域のプラットフォームになりうる。

そんな予感がした。
高齢化した田舎こそ、もしかしたら
コインランドリーが地域の核になるのかもしれないなと。

そこに小さなスーパー(コンビニ)
などがあったり、お茶を飲み、休憩できる場所がある
とすれば、そこが地域の核になるし、
うまくいけば、運営自体を自治会がやるというのも
ありえなくないと思った。

あと、大学2年生でサークルに入っていない人を
ターゲットにしたイベントは面白いかもしれないなと思った。

卓球付きランドリーはめちゃ面白かった。
夜はバーになって、秘密の扉を開けて入る
っていうのもよかった。

こうやって、キカクカイギするのって
楽しいよなあって思った。

昨日も就活についての話になったけど、
やっぱり根本的に、人生というかキャリアを「個人戦」で
考えるのはちょっと違うような気がするんだよね

昨日みたいにワークショップすれば、
アイデアがどんどん出てくるのだから、
もっとチーム戦で考えたらいい。

個人ひとりでやる仕事なんて
ほとんどないのだから。

そんな文化をつくる意味も
「パラレルプロジェクト」にはあるのかもしれないなと
思った。

※パラレルプロジェクトでは、参画者を募集しています。
お問い合わせください。  

Posted by ニシダタクジ at 09:10Comments(0)イベント

2018年03月22日

最終講義



イベント「最終講義」でした。
佐川さん、深谷さん、お寿司差し入れ
ありがとうございました。
楽しいトークイベントになりました。

深谷さんから冊子を1冊いただきました。
吉田松陰先生の「水戸留学」の詳細が書いてあります。

今朝はそんな冊子を読みながら電車にのってきました。

「水戸留学」で学んだことはたくさんあるのだけど、
これから作っていきたいのは、

「学びあいの仕組みづくりで希望を生む」
っていうのを基本に、
問いを投げかけていきたいなと。

昨日もキーワードになった
「他者評価の檻を脱出する」
っていうこと。

質問で出た、
自己評価と他者評価についてのコメントが
なかなか考えさせられて。

自己評価と他者評価を対立概念で
考えないことっていう話が印象に残った。
他者評価は自己評価のひとつの指標にすぎないっていうこと

あとは、そもそも「評価」っていう言葉が
しっくりこない、みたいな。
たしかに、そうかもね。

「評価」っていうのは、
「価値」を生み出したのか?
によって測られるものだと思うし、

その「価値」は、
「経済的価値(つまりお金)」だったり、「動員数」だったり、
あるいは「他者から褒められる」っていうことなんですよ。

で、その多くが、「一元化」されているってういうのが
「学校的価値」なんだよね、きっと。

だから、「他者評価の檻を脱出する」というのは、
「学校的価値」を相対化するというか、
「そういうのもあるよね」的に見られるかどうか、なのではないかなと思う。

僕がそんなことを考えているときに思ったのは、
「就職」とか、「就活」とかって
「旅」や「読書」と同じく、学びの場、機会の選択に過ぎない
っていうこと。

だから、もっと、
フラットに、就職について考えて、就活をできたらいいなあと思う。

「就職」をもっと、
「パートナーシップ契約」にしていかないといけないと思う。
ひとまず数年、会社とパートナーシップ契約を結ぶ。
そこは全力でコミットします、みたいな。
そんなふうな文化をつくっていけたらいいなと思う。

「パートナーシップ」こそが
足し算ではなく、掛け算を生んでいく。
その先に「価値」があると僕は思っている。

そんな「価値」を共に
問いかけられる仲間と仕事がしたいなと思う。  

Posted by ニシダタクジ at 07:55Comments(0)イベント

2018年02月06日

勘違いから始まる「物語」のチカラ



2日金曜日はセンジュ出版@千住
3日土曜日はきっさこ@神保町

で本屋をつくった「とっくん」こと
むらまつくんと一緒に語った。
なんか、感覚的に近い感じ。

感性というか、
つくろうとしている社会が近いような気がする。

金曜日のキーワードは、
「違和感」と「危機感」と「使命感」

そうそう。
それだわ。

「違和感」から学びが始まり、
「危機感」から何かを考え、
「使命感」から行動する。

この〇〇感って全部勘違いだよね。
フィクションなんだよね。
仮説なんです。

でも、人を動かすのは、「物語の力」
なのだから、それでいいんだって。

土曜日のキーワードは、
「居場所」と「場」

「場」の空気をいかに作り、入れ替えていくか。
そのときの本の持つチカラとか、非言語コミュニケーションとか。
そんな話。

「場」のチカラを失わないようにするには、
常に新しい人が入ってくる仕組みをつくる。
たとえば、ゲストハウスであったりとか。
新刊書店であったりとか。

ライブラリーの危険は、
本が入れ替わらないこと=空気が入れ替わらないこと。

あとは、イベントとかやるときに、
facebookで告知するリスクについて、とか。

http://hero.niiblo.jp/e486514.html
(facebookの告知が「顧客」に届かない理由17.12.13)

そのソリューションとして、
「年齢制限」っていう方法があったなと。
ベントを、29歳以下に制限する。
っていうもの。

そうすれば、フェイスブック界隈にいる暇なおじさん
は来れないからね、物理的に。
それはありかもしれないなと。

イベントだからといって、
広く全員を対象にしなくてもいいな、というか。
対象をもっと明確にしたほうがいいなと。

昔はさ、イベントやるには、
チラシ(あるいはメール告知分)
つくんなきゃいけなかったから、

それを目に留めるために
「こんなあなたにオススメです」って
ちゃんと書いていたように思う。

それがフェイスブックになってから、
あいまいでもイベント立てられるようになったりとか。
そういうことってあるかもしれないな。

あとは、「場」について。
「居場所」になるのを防ぎ、
「場」が力を保つためには、

そこは、「集まる場所」だけではなくて、
「始まる場所」でなければならないのではないか。
っていうこと。

「始まる」っていうのは、
単なるアクションではなくて、
プロジェクトが始まる場所だったりするといいのだろうな、と。

だからさ、やっぱり
「屋台のある本屋 新城劇場」とか
塩尻図書館で企画していた「屋台のある図書館」
とかってそれを端的に言い切っているのがいいなと
思うんだよね。

それ、やっぱりやりたくなってくるわ。

もう一度、駄菓子屋楽校、読み直そうかな。
http://hero.niiblo.jp/e484598.html
(「学校」という輸入されたプラント 17.4.26)

僕がやりたいのは、
「プロジェクトが始まる場」で、
それは本屋だったり、図書館だったり、小さなライブラリーだったり
するのだろうね。  

Posted by ニシダタクジ at 08:26Comments(0)イベント

2018年01月29日

「仕組まれていない」場

国分寺・胡桃堂喫茶店にて、
「カフェから時代は創られる」著者飯田美樹さんのトーク。


パリのカフェに天才が集まったのか、
それとも、パリのカフェが天才を生んだのか?
という興味深い問いを問いかける飯田さん。

こちらはウェブ
https://comptoir-miki.jimdo.com/

大学の時に
活動していたエコリーグから、カフェ研究へ。

「社会を変える」のは
イベントや行事ではなく、日々の何かではないのか?
そんな問いからカフェ研究が始まった。
「人が集まる場」の大切さをあらためて思った。
そしてカフェの魅力についても、あらためて。

昨日中心となっていたのは、
「インフォーマル・パブリック・ライフ」というもの。
京都のニュータウンで子育てをしていた
飯田さんには、その時間がなくて、とても苦しかったのだという。

公園をぶらぶらしたり、
何を買うわけでもないけど、町を歩いたり、
そういう時間というか暮らしが人には必要なんだ。

それを影山さんは
「仕組まれていない」場と呼んだ。
僕風に言えば、目的を外した場、かな。

目的なく、まちを歩くこと。
たまたま、誰かに出会うこと。
きっそそういう「予測不可能性」が
人にとっては大切なんだろうなと思う。

あらためて、
「目的・目標を持つ」というのはどういうことなのかなと。
「目標」というのは、「予測した未来」であるかもしれない。
たぶん、それだけだと面白くないのかもしれないね。

「計画と無計画のあいだ」
的な何かが人生には必要なのかもしれないね。

本屋もきっとそういう場所だ。  

Posted by ニシダタクジ at 08:24Comments(0)イベント

2018年01月14日

「主人公になる」本屋という場をつくる

山形市・郁文堂書店でイベント





本の処方箋もやりました。


そしてオーナーの原田さんの
手作りの漬物と煮卵。
日本酒飲みたくなった。(笑)







僕は昨年9月、東北ツアー中に郁文堂に立ち寄り、
原田さんに会うことができた。

そして今回、
郁文堂書店プロジェクトをすすめてきた
追沼さん、芳賀さんに会いにやってきたのだった。

郁文堂書店復活プロジェクト。
それはかつての「郁文堂サロン(本屋サロン)」の復活だった。
山形市七日町、山形市の中心部に位置するこの場所は、
役所も近くにあり、たくさんの人たちが交わる交差点だった。

そんな中にあった、郁文堂書店。
現オーナーの原田伸子さんに聞くと、
そこは昔、サロンのようだったという。
サロン、それは情報交換の場。
「生きた」情報が飛び交う場だった。

東北芸術工科大学の当時3年生だった追沼さんと芳賀さんは
この物件に出会った。
斉藤茂吉や司馬遼太郎、井上ひさしも訪れたこの場所は、
すでに閉じてから10年以上の月日が流れていた。

山形ビエンナーレに合わせて、
1日だけのイベントを開催。
100名以上の来場者が集まり、
そこから郁文堂は再生へと歩き始める。

クラウドファンディングで資金を調達し、
「知識の本棚」などを開設した。

僕が9月に行って、
一番びっくりしたのは、
原田さんがそこにいたことだった。

「商売はよ、ここ、ハートだがんな」(2017.9.25)
http://hero.niiblo.jp/e485890.html

原田さんは
その場にいた全員分のお茶を入れ、
おしぼりを出してくれた。
そして、漬物も。

「何十年も前から、そうやってやってきた」
って笑った。

衝撃だった。
それまでの僕は、
「リノベーション」って、古い建物の雰囲気を生かしつつ、
いまの時代に合わせて新しくつくりかえることだと思っていた。

そうじゃない。

リノベーションは、その土地や場所に息づく継ぎたい何か、を
どのように継いでいくかの方法論として改築や新しく何かをつくること
なんだって思った。

郁文堂書店プロジェクトが継ぎたいもの、残したいものは
「郁文堂サロン」と呼ばれていた文化だった。

昨日、原田さんが言っていた。

「ここにくれば、誰かに会える」
と言って人は来たのだという。

えっ。それって、2014年2月のソトコトで
ツルハシブックス店員だった野島萌子が言った言葉だ。

そっか。
本屋っていうのは、そういう空間なんだ。

偶然性というか、予測不可能性というか、
そういうのを求めて、人は本屋に足を運んだんだ。
本との出会い、だけではなく、
それと同じくらいの人との出会いが
郁文堂サロンにはあったのだ。

ツルハシブックスのキャッチコピーは、
「気がついたら私も、本屋という舞台の、共演者になっていました」だ。
(少し長い)

郁文堂サロンもきっとそんな機能だったのだと思うとうれしくなってきた。

そして、電車の中で読んできたこの本とリンクしてるなあって。

「コト消費の嘘」(川上徹也 角川新書)

おととい、水戸で川上さんのトークイベントがあり、購入。



この本がめちゃめちゃ問いに詰まっていて、
ドキドキしながら読み進めたら、
昨日の山形行きの電車の中で読み終わってしまった。

柴咲コウさん風に言えば、
「頷きながら、一気に読みました」となる。
(某映画化されたミリオンセラー小説のマネ)

モノではなく、コトを。
外国人観光客に、コト消費を。
それ、本当に継続した売り上げにつながってますか?
って。

コト消費ではなく、
コトとモノがつながったコトモノ消費へ
もっと言えば、人にフォーカスした「モノガタリ消費」へ

川上さんって、「ストーリーブランディング」を売っているというより、
「あなたの物語はなんですか?」っていう問いを売っているんだなって。
素敵な仕事だ。

川上さんによれば、ストーリーブランディングの手順は以下の通りだ。
1 ヒストリーを聞き出す。(会社・個人)
2 ビジョンとキャラクター設定を考える
3 川上コピー(旗印)を決める
4 三本の矢(志・独自化・エピソード)
5 川中・川下の言葉やアイデアを出す
6 川上コピーを発表する
7 社内浸透と社外アピール

ここでポイントは3の「川上コピー(旗印)」を決めるということころ。

川上さんは、
「過去」と「未来」を融合して旗印を掲げ物語の主人公になる。
と説明する。

過去のストーリーと未来のビジョン、そしてキャラ設定。

会社も、個人も、商品も、「主人公」化するということ。
ここが本書の大きなポイントだと思った。

このあと本書では、台湾の宮原眼科というお菓子屋さんの事例が
出てくるが、これが圧倒的にすごい。
建物、お客さん、従業員、商品、最後に企業を
主人公にしながら、お菓子を売っている。

これは、昨日の郁文堂書店にも当てはまる。
建物や、原田さんや、原田さんがつくってきた
郁文堂サロンの物語が人を惹きつけている。

そして、この文にシビれた。

「物語の主人公になって商売をする」と一度決めたら、ゴールはありません。
あなたのお店が主人公であり続けるには、
常に「未来のビジョン」に向かって進んでいく姿を、
観客(顧客・見込み客・消費者)に見せ続ける必要があるからです。

いいな、そうそう。
そんな商売をしていかないとね。
お客と高めあえるようなお店をつくること。
それが商売の醍醐味だよなあって思った。

そして、昨日もイベント前にやっていた、
本の処方箋でも、人生に悩む人たちが集まってきていた。

「ここに来れば誰かに会える」
それがサロンの役割だったのではないか。

そして、その「出会い」が起こったとき、
人生が動き始める。

それは、その人が人生の「主人公」へと
変わった瞬間なのではないのか。

本来、人は、人生の主人公だ。
日々を過ごしていると、それを忘れてしまう。

本屋での本との出会い、人との出会いが、
人生を少し動かす。

いや、気がつかないうちに、
人生が動いている。

たぶん、本屋が提供する「機会」は、
そういう機会なのだろう。

気がついたら、人生が動いていた。
気がついたら、共演者になっていた。
それは、その人が人生の主人公になる瞬間、

山形・郁文堂書店が売っているもの、
僕がツルハシブックスで売りたいものは、
そんな瞬間なのかもしれない。  

Posted by ニシダタクジ at 08:52Comments(0)イベント

2017年11月26日

ベルギービールを愛するということ



名古屋女子ビール部の復活イベント。
日本におけるベルギービールの第一人者である
三輪一記さんのトークからスタート
一般財団法人日本ベルギービールプロフェッショナル協会代表理事
ベルギーは九州と同じくらいの面積に1000万人が暮らしている。
なんと、1600種類のベルギービールがあるのだという。

ワイン以上の多様性があって、
熟成することでまた味わいが変わり、
開ける瞬間、飲む瞬間、楽しみが広がるのだという。

昨日は8名の参加者と
数年前まで活動していた名古屋女子ビール部についてと
2階にあるライブラリーの活用法について、話をしました。

いちばん盛り上がったのは、
ベルギービールの絵本をつくる、というもの。
三輪さんがベルギーで出会ってきた作り手の物語を
ちょっとずつ絵本にしていくこと。

ひとつは、
・酔った段階では、活字の本はなかなか読めない。
そして、
・作り手の物語を知りたい。
さらに、
・絵本であれば、みんなで読める。

そういうコミュニケーション・ツールとしての
本づくりをするのはいいかもしれない。


「ソムリエール」っていうマンガがある。
(著:城アラキ、イラスト:松井 勝法 集英社 2007年第1巻発売)

このマンガでは、作り手の物語がつづられている。
北海道で無農薬で作り続けている兄弟の話とか。
ラベルからは伝わってこない作り手の物語、思いに触れると、
そのワインを飲むときに、心が旅をするんだ。

そういえば、今回誘ってくれた
名古屋女子ビール部のプロデューサーの
本間さんが最初に言っていた。

「ベルギービールを飲むと、
ベルギーを旅しているような気持ちになる」
旅ができるビールなんだ、ベルギービールは。

で、今回のイベント企画がなぜ起こったのかというと、
新潟で本間さんと話していて、

ベルギービール屋さんの2Fに本棚があって、
そこでライブラリーをつくる、みたいな話で、
そのときにピンと来たのは。

ひとり飲みできる女子は、(男子もだけど)
精神的に自立した人が多いような気がする。(僕の統計上)

そういう人たちが、
ビールと本をきっかけに出会ったりしたら
楽しいのではないかなと思ったのです。

で、実際に昼間からビールを飲む、
名古屋女子ビール部っていう名称
に惹かれてやってきた女子が2名いたので、
それは意外に当たっていたのかもと。

そして、参加者のひとりが言っていたことで
印象的なことがひとつ。
「出会いが楽しいから1人で飲みに行く。」

なるほど。
酒場はお酒をみんなで飲むことで、
心が開いている状態をつくりやすい。
酔っ払いはみな、(精神的に)フラットになれる。
そういうことなのかもしれない。

「イノベーション」がどう起こるか。
これは、水曜日のフォーラム、
金曜日の信州大学の授業からのテーマでもあるのだけど。

多様性とフラットな関係性。
これがカギになるなと思った。

そういう意味では、
ベルギービールを飲みながら
語る場は、何かが起こりそうな気がする。

ひとつ詩が浮かんだ。

ベルギービールを愛するということ。
それは多様性を愛するということ。
作り手をリスペクトするということ。

酒場で飲む、を愛するということ。
それはフラットな関係性を愛するということ。
1回限りのいまこの瞬間を楽しむということ。
(2017.11.25 名古屋女子ビール部)

ベルギービールは、本に似ている。
そしてベルギービール屋は本屋に似ている、って思った。

本屋という空間は、
「人は多様でいいんだ」というメッセージを
本棚が発している空間だと僕は思う。

そしてそこで本と出会い、心が動かされる。
人と出会い、何か会話が生まれる。
そこから始まる物語がある。

本を通じると、人と人はフラットになる。
本屋での出会いは、その時限りの劇場のようになる。
それがツルハシブックスでやってきたことだった。

そうだとすると、ベルギービール×本って、
かなり面白いんじゃないか。

「集まる場」と「始まる場」
そんな場所になったらいいなと思いました。

僕にとっても素敵な気づきがありました。
またご一緒しましょう、本間ねーさん。  

Posted by ニシダタクジ at 08:27Comments(0)イベント