プロフィール
ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



新潟市西区内野町431-2
TEL 025-261-3188

平日12:00~19:00
土曜 7:00~21:00
日祝10:00~19:00
*火・水曜定休





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オーナーへメッセージ

2018年02月13日

サードプレイスは本当に必要なのか?

問いが近い人と話をするのは楽しいなと。

昨日の大テーマは、
「サードプレイスは本当に必要なのか?」

暗やみ本屋ハックツ
http://www.hakkutsu.info/
で出会った人たちの何人かは、

「自分が中学生の時にこんな場所があったら。」
っていう。

でもさ、それって、
中学生の時は自覚していないんじゃないか、って思う。
「サードプレイス」っていう概念がないからね。

学校と家庭しか「世界」がない。
っていうのは本当にそうなんだろうけど。

そして、
ツルハシブックス閉店で僕が学んだこと。
それは、「居場所のジレンマ」とでも
いうべきものだった。

居心地のいい場所は、たくさんの人の「居場所」になり、
その場にいる人の一定数以上がそこを「居場所」化すると、
それは一見さんやほかの人にとって
居心地の悪い場所になるというものだ。

ここから脱することができず、
ツルハシブックスは閉店した。

そこで思ったことは、
「集まる場」は同時に「始まる場」で
なければならないのではないか、というのと、

言語コミュニケーションだけではなく
非言語コミュニケーションの要素が必要なのではないか、と

本を置いているのならば、
その本を随時入れ替え、「空気」を一新する
ことを定期的にやらなければならないのではないか、ということ。

まあ、それを前提として、
昨日の話へ。

「サードプレイス」は、
米国の社会学者レイ・オルデンバーグが提唱し、
スターバックスコーヒーがキーコンセプトとして
世界に広まっていったのだけど。

第1の場所(自宅)、第2の場所(職場・学校)でもない
個人としてくつろぐことのできる「第3の場所」という意味。
これを、社会教育系の人たち(つまり学校教育ではないNPOとか)は、
非常に重要視しているように思う。

しかし、
「サードプレイスは本当に(中高生に)必要なのか?」

という問いを立ててみると、
サードプレイスというプレイス(場所)が
必要なのではないのではないか?と思う。

たとえば、
体育会系の部活動や生徒会や、高校の文化祭
みたいなやつは、サードプレイスではないのか?

そう言われると、
「サードプレイス」というのは、特に高校生にとっては、
特段に重要な概念ではないのではないか?
というふうに思えてくる。

ここで、このブログに何度も登場している
川喜田二郎氏(KJ法生みの親)の言葉を。
http://hero.niiblo.jp/e468419.html
(帰る場所、ふるさとをつくる 15.5.14)

「ふるさととは、子どもながらに全力傾注して
創造的行為を行った場所のこと。」
(「創造性とは何か」川喜田二郎 洋伝社新書より)

そっか。
体育会系部活も、生徒会も、文化祭も
それが「全力傾注した創造的行為」ならば、
そこは「ふるさと」になりうる。

そしてそれこそが、
高校生にとっての「サードプレイス」の実態なのではないか。

つまり、大切なのは、
「プレイス」ではなく、「プロジェクト」なのではないか。
というのが昨日の仮説だ。

「サードプレイス」から「サードプロジェクト」へ。
そんなことが重要なのではないか。

だからこそ、「屋台のある図書館」に価値があるのではないか。
http://hero.niiblo.jp/e474463.html
(誰のための図書館? 15.11.14)

僕はそれが、
「本のある空間」を起点に起こっていくと思っている。


2月10日、古本詩人「ゆよん堂」EXPO@ウチノ食堂「藤蔵」で
山田正史が言っていた。

「1つ1つの本がドアだ。どのドアを開けるか。それが本屋なんだ」
って言っていた。

そうそう。
それだよね。

本を売っているんじゃなくて、
ドアを売っているんだよね。

そんな空間で、その日に出会って人に誘われて、
うっかりプロジェクトに関わってしまうような、
そんな空間をつくること。

昨日のハイライトは、
「数学の前では子どもも大人もない」

もちろん、この「数学」には、
「本」とか「プロジェクト」とかも入るのだけど、

つまり、「学び」の前では、大人も子どももない。
それこそ、吉田松陰先生が野山獄で実践したことではないか。
学びの前では、罪人も聖人もないのだ。

そんな空間、そんなプロジェクト。
そんなのが無数に生まれていくような、「場」。

たぶんそれが僕が
「本のある空間」で実現したいことなのだろうと思った。

「サードプレイス」から「サードプロジェクト」の生まれる「場」へ
その「場」は制的な場所ではなく、動的な「場」であるような気がしている。

なんだか、楽しくなってきました。
いい対話をありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 08:40Comments(0)日記

2018年02月07日

ミライ会議のつくり方

2月4日「若松ミライ会議」@常陸多賀をやりました。

ミライ会議は、
「過去」の振り返りから始まります。
なぜなら、
「顧客」は過去にしかいない、からです。

経営に必要な5つの質問。

1 ミッションは何か
2 顧客は誰か
3 顧客にとって価値は何か
4 成果は何か
5 計画は何か

今まで(今も)、「未来会議」「作戦会議」と言いながら、
成果と計画だけを話し合ってきました。

でも、経営に大切なのは、
それよりももっと、
なぜやるか?
誰に向けてやるか?
生み出す価値は何か?

ということです。
だからこそ、まずは過去を掘っていくことが必須です。

15分の人生モチベーショングラフ記入。
3分のプレゼンテーション。
これを全員繰り返します。
そこが出発点になるからです。

次に、未来を描きます。
自分たちが考える「価値」は何か?を考えます。
未来日記を書くのもいいでしょう。
大切なのは、そこに「お客」が登場しているということです。

「過去」の振り返りで見つけた「お客」。
それをどのように幸せにしていくか?
お客にとって価値はなんだろうか?

これが、通常の「ペルソナ設定」と違って、
よりリアルになります。
実際に出会った人なのですから。

もし、過去を振り返っても、
そういう人が思い浮かばなかったら、
ひとえに経験が足りないか、
日々、感性を発動させていないということではないでしょうか。

「違和感」「危機感」「使命感」
っていう3つの勘違い(昨日のブログ参照)
を発動させていくこと。
そして、価値を問うこと。

一つは社会(地域)ベースで。
もう一つは、個人ベースで。

たとえば、
大学生が企業に数か月コミットする「インターン」ではなくて、
大学生に限らず、社会人も参加できる「プロジェクト」をつくっていく。
そうすれば、企業は、即戦力的なチームができるし、スピード感がある。
地域にとっても、若者がネットワーク化して、新しいことが起こる環境ができる。

個人にとっては、プロジェクトメンバーとしての経験というか、
0から1をつくる経験ができる。
大学生にとっては、社会人と一緒にチームを組んで、
何かに取り組むことができる。

そして何より、そこに、志向性の近い「仲間」というか
ウォンテッドリー仲さんの言葉を借りれば、
「トライブ」が手に入る。
http://hero.niiblo.jp/e485916.html
(就活を再定義する 17.9.29)

たぶん、そういうこと。
本屋も、「コミュニティ」ではなくて、
「プロジェクト」をベースにした「トライブ」をつくっていくこと。
そんなことが可能になるのではないかと思った。

そして、そこで集まったメンバーを
チームにするために、ミライ会議をしっかりとやる
っていうことなのかもしれないね。
そんな文化をつくっていきたいかも。

僕自身も、
過去を振り返って、考えてみると、
根源的欲求の中に、現代美術家的な
「問いを投げかけたい」っていうのがあるんだよな、って。

「まきどき村」のネーミングは
種の袋に書いてあるカレンダーの
種を蒔くタイミングを表記した
「まきどき」(たとえば4月中旬~5月上旬)
なのだけど。

あの時は完全な勘違いで、
「今、種を蒔かないと、
このまきどき村という種は花を咲かせたり、
実をつけたりしないんだ」っていうことだった。

しかし、本質的には、
まきどき村は「豊かさとは何か?」
っていう問いをカタチにしたものではないかと思った。

ツルハシブックスは、
「偶然」という価値について、
(いわゆるキャリアドリフトなど)
本屋という形態を通して、
問いかけているものだし、

コメタクは、
「米を炊く暮らし」を通じて、
好きな米屋で米を買うこと、
余白の大切さについて問いかけているし。

そう考えると、
次は、本丸である、「学校」(大学も含む)
を問うことなのかもしれないな、と。

2002年に不登校の中学3年生の家庭教師を
したときからの問いを
今こそ、表現する瞬間を迎えているのではないか。

そんなことを僕自身は考えた
ミライ会議でした。  

Posted by ニシダタクジ at 08:23Comments(0)日記

2018年02月02日

100冊、お願いします。

「本屋じゃない何か」の話を今日はセンジュ出版でします。

僕には、売りたい本があります。
たまに、「売らなければいけない本」に出会います。

そう言えば、
僕の業界人(?)としての出発点は、
サンクチュアリ出版の本に出会ったことでした。

1998年11月。
設立者の高橋歩さんが、社長を引退し、
世界一周新婚旅行に出るというタイミング。

僕は夜に東京都北区王子のバー「狐の木」で行われた
農学部系の学生・社会人の集まりに行ったのでした。

たしか旅の途中だった僕は、
午後早めにお店についていて、
地下にある「王子小劇場」で
お芝居を見ることになっていました。

その時の情報源は、
「20代サミットメーリングリスト」

PCを持ち歩いて、
公衆電話のダイアルアップ回線で、
メールを受信して、
みたいな旅をしていた僕に、熱いメールが飛び込んできてました。

「20代、熱くなって時代を駆け抜けろ」

ストレートだな。(笑)

当時、坂本龍馬的な生き方にあこがれていて、
その夏には桂浜での野宿も敢行した僕にとっては
どストライクなイベント。
これだ!と直感して、イベントに参加しました。

その主催がサンクチュアリ出版で、
高橋歩さんを含む5人のゲストが
お芝居の後にトークをする、という企画でした。

僕の会は、
のちに映画監督になる軌保博光(てんつくマン)さん

あの時に配られた小冊子
「クロスロードジェネレーションブック」
(サンクチュアリ出版が名言集「クロスロード」刊行に合わせて発行した小冊子)

僕は帰りの新幹線でこの冊子を読んで、
涙が出るほど衝撃を受けて、
「この本を新潟で配らなきゃ」と思って、
サンクチュアリ出版に電話した。

「この本を100冊、送ってほしいんですけど、いくらですか?」
「えっ。100冊ですか?」
「はい。100冊、お願いします」
「ホントは300円なんですが、200円でいいですよ。」

という会話を経て、
僕は20000円を振り込み、
クロスロードジェネレーションブック100冊を手に入れた。
もう20年も前の話。

でも、この時の「配らなきゃいけない」
っていう謎の使命感というか、おせっかいな気持ちって
今もあるよなあと思った。

結局本屋ってそういう衝動の積み重ねを
カタチにすることなのかもしれないですね。  

Posted by ニシダタクジ at 07:43Comments(0)日記

2018年02月01日

「差異」こそが価値

人と違うこと。
人とというか、多数と違うこと。
差異こそが利益の源泉である。

均質なものの供給こそが価値だった
時代があった。

歴史を見ないと、いま起きている現状が、
当たり前のように思ってしまう。

「終身雇用、年功序列」
は日本が高度成長していた時に大いに機能した。

なぜ、機能したか。

求めるスペックが近かったし、
そして何より、転職というエネルギーは、
本人にとっても、社会にとっても、大きなコストだったから。

供給システムとして
機能したのが学校であるし、「学歴社会」だった。
均質な人を「輪切り」にして、管理者と非管理者に分ける。
それはもっとも効率的な生産システムだった。

学びの場の歴史的スタンダードは、
日本でも例外ではなく、
「寺子屋スタイル」であると言われる。

「場」に人が集まって、各自が学んでいる。
そこに分からないことが出てきたとき、
師匠の出番がやってくる。

いま、web上にも良質なコンテンツがあふれている。
そんなときに、「学校」という「場」が果たすべき役割とはなんだろうか?

各教科の勉強なのだろうか?
それとも集団生活なのだろうか?

それは何の役に立つのだろうか?
いや、そもそも、「それは何の役に立つのだろう?」
という問い自体が学びのお買い物化を体現しているのではないか。

「学び」というのが、一人前の「社会人」を育てるものだと仮定して、
学ぶべきものとはなんだろうか?


「公教育をイチから考えよう」(リヒテルズ直子×苫野一徳 日本評論社)

この中で、苫野さんは、
学びの「個別化」「協同化」「プロジェクト化」
を繰り返し説く。

学校という「場」は、
特にその協同化・プロジェクト化の拠点になる役割があると。

僕はこれは、
学校ではなくて、図書館や本屋、ブックカフェの
役割なのではないかと思う。

学校という均質集団では、プロジェクトに幅が出ない。
「地域」という不確定要素があることで、
おもしろいプロジェクトができていく。

そして、そこには、ビジネスというか、商売、
「小商い」と呼べるようなものがあると、
さらに面白いと思う。

商いには、ゴール(目標)があり、
それがそのプロジェクトに目的地を
与えてくれるから。

そして、その際にも、
「このプロジェクトは何が違うのか?」
という問いが必須となってくる。

差異こそが価値の源泉である。

そんなことを子どもたちに伝えられる
プロジェクト基地のような本屋や図書館をつくっていくこと。

それ、やってみたいわ。  

Posted by ニシダタクジ at 08:03Comments(0)日記

2018年01月31日

つまらない企画は、「会議」から生まれる


「圏外編集者」(都築響一 朝日出版社)

いまごろ読み始めております。

「つまらない雑誌は、編集会議から生まれる。」
って。

~~~ここから引用

取材は「おもしろいってわかってる」から行くんじゃない。
「おもしろそう」だから行く。
だれかが取り上げたものは、それなりに内容がわかっているけれど、
だれもなってないものは「ほら」って見せることができない。

うまく記事にできるかどうかわからない。
でも、おもしろそう。だから行く。
そういうこと。
会議には基本的に合わない仕事なのだ。

けっきょく会議っていうのは、「リスクヘッジ」でもある。
みんなで決める。だから、それがもし失敗したとしても、
「みんなでいいって言ったよね。」みたいな。
それはある意味で、集団責任回避システムにすぎない。
そんなことしているあいだに、ネタの鮮度はどんどん下がっていく。

~~~ここまで引用

いや。
そうなんだよね、ほんとに。

大きい組織のつらいところはそこだね。
「おもしろそう」っていうのでは行動はできない。

でも、おもしろい記事は、
「おもしろそう」って思った「誰も書いていないネタ」
に転がっているのだ。

まずやってみる。
「おもしろそう」だから。
それくらい感性を信じてもいいなと思う。  

Posted by ニシダタクジ at 07:59Comments(0)日記

2018年01月05日

「生きてる感」がどこから来るのか?





新幹線が見えるスタバ@東京駅。
好きなんですよね。

https://medium.com/be%E3%81%AE%E8%82%A9%E6%9B%B8%E3%81%8D-%E6%8E%A2%E7%A9%B6%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%89

1月4日になってしまいましたが、
兼松さんのBEの肩書ワークをやってみました。

ホントは1年じゃなくて、3年を振り返りたかったのだけど、
1年仕様になっていたので、1年でやってみました。

これ、面白い。
Do(やったこと)の下から、
Be(どうあったか、ありたいこと)が見えてくる。

わたしのユーダイモニアのタイトルは
ある「衝撃好き」の1年。(笑)

1年間を振り返ると、
「シビれた」とか「衝撃を受けた」とかいう
言葉が多く出てくるもんだなと。

そして、それこそが自分自身が
「生きてる」感があるんだなとあらためて思った。

2017年を4つに分けてみる(強引に)

1~3月 「近代」への疑問

1月、未来食堂小林せかいさんに出会い、
お店はもっと「コミュニケーション・デザイン」できると感動し、
2月、西村佳哲さんと山口覚さんに出会い、
これからのキャリアのつくり方としての「キャリア・オリエント」を構想した。
3月、「日本人というウソ」と「日本人は何を考えてきたのか」
っていう2冊の本から、「近代」という時代への疑問が湧いた。

4~6月 ミーティングをエンターテイメントに

4月、新城劇場がスタートし、ミーティングのファシリテートをすることになり、
「チューニング」という概念を見つけ、実感した。
5月、法政大学長岡ゼミ「カフェゼミ」でつながるカレーの加藤さんの話を聞いて、
「予測不可能性」というエンターテイメントの神髄に気付いた。
5月、碇さんからインタビューを受け、心を開くデザインが得意なことを引き出され、
「余白おじさん」というネーミングをもらった。

7~9月 「問い」を生みたい

7月、アルプスブックキャンプで藤本智史さんのトークを聞き、
「その日、その瞬間、自分でしか書けない記事」の魅力に気づき、
大学生の価値について新たな発見をした。
8月、藤原印刷・藤原章次さんに出会い、
「それって作品って言えるのかな?」に衝撃。
9月、郁文堂書店(山形市)に出会う。
原田さんにお茶を入れてもらって感動。
リノベーションって、魂・想いを継ぎながら時代に合わせていく手法のこと
9月、まがりブックスをスタート。
「まがり=間借り」というコンセプトはコミュニティや就職にも使えそうだ。

10~12月 「本屋」じゃない何か

10月、9月につづいて、20代へインタビュー。
「他者評価の檻を脱出させる」という使命に気づく。
12月、まちライブラリー礒井さんに、
「本屋とか図書館とか言ってるやつは、、、」と言われる。
12月、立て続けに「本屋やりたいんだ」と言われる。
12月、ポーランド芸術祭にエントリーして落選するが、
プロフィールを「現代美術家」風に書き直して、自覚が出る。

っとまあこんな感じ。
これにBEの質問に答えていく。
(リンク参照)

そして出てきたBEの肩書。
DOの肩書→BEの肩書

現在美術家→「場」や「仕組み」を通じて、問いを投げかける人
衝撃を受け、構想し、行動する人。
「自分で考える人」がフラットな関係性の中で生み出す未来を実現する人

ワークショップ・ファシリテーター→場をデザインする余白おじさん
「場」をつくることで、言葉じゃなく伝える余白おじさん。

本屋→「本屋じゃない何か」屋
「場」で楽しそうにしている人を見ていると幸せな人

キャリアのつくり方研究家→鎖はずし人
10代・20代を他者評価の呪縛から解き放ちたい人

と、こんな感じで、
4つのDOの肩書から
4つのBEの肩書が見えてくる。

あれ、これって関連してるかも。
ってすこし思った。

場をつくりながら、
ゆるいファシリテートしながら、
問いを投げかけること。

一番のお客は、
「他者評価の呪縛」に気づかないうちに縛られている人たち。

なんかなんか、見えてきました。

つづく、ですね。

ワークをやってみて、
一番大切なのは、
自分は「生きてる感」をいつ感じているのか?

っていうこと。
それがBEの肩書に近づいていく
自分の「ありかた」なのだろうなとすごく感じた。

兼松さん、素敵なワークをありがとうございます。  

Posted by ニシダタクジ at 08:18Comments(0)日記

2017年12月22日

もし、このプロジェクトが「アートプロジェクト」だとしたら

昨日は、
武蔵新城で川崎市とコラボした
ブックフェアのミーティング。

「多様性」「つながる」「メッセージ」をテーマに、
「次世代に残したい本」の展示を行い、
ガラスにはキットパスで絵を描く。

オープン時間の相談で、
展示のお客は誰か?
という話になった。

そうそう。
それそれ、めちゃ大事。
「お客はだれか?」っていう問い。

今回の企画のポイントは、
単なる図書館や書店の「おススメ本」を並べる絵本展示でななくて、
「次世代に届けたい本を1冊選ぶとすればなんですか?」
という問いを投げかけていること。
その「問い」部分が大切なのだなと、あらためて。

あと、自分自身で一番ビックリしたのは、
「僕はさ、アーティストだからさ」って照れることなく、
普通に話し始めていたこと。
ああ、おれ、アーティストなんだって(笑)

落選しちゃったけど、
ポーランドのアーティストインレジデンスに
応募するときに、「現代美術家」風にプロフィールを
書いてみたのだけど、

まきどき村とかツルハシブックスとか、
やっぱアートかもしれないって。

そこで思い出したのは、
2015年10月の北澤潤さんとの出会い。
http://hero.niiblo.jp/e473298.html
(「当たり前を揺るがすこと」2015.10.3)

デザインの役割は、課題を解決すること
アートの役割は、問いを投げかけること

ああ、それなら僕もアーティストだ。
と思って、「現代美術家」の名刺をつくった。

この道20年。
1999年4月に「まきどき村」を始めてから
僕は現代アートをつくっていたことになる。

まきどき村は、
僕の中の問題意識が結晶した畑アート。

「豊かさとは何か?」
という大学1年生以来の問いに
みんなで畑をやるというアウトプットを出した「作品」だ。
問いが詰まっている。

さて、武蔵新城ではどんな場、作品を
つくっていくのか?
っていう自分たち自身への問い。

そんな問いを持ちながら、毎朝の電車読書。


「ストーリーとしての競争戦略 ―優れた戦略の条件」(楠木健 東洋経済新報社)

まだまだ序盤なのだけど、
「なぜ、ストーリーか」っていうのが熱かったので、
こちらにメモする。

~~~以下本文より一部引用メモ(省略・改変あり)

ある登山隊がピレネー山脈で雪崩に遭遇し、
隊員は一時的に意識を失い、意識が戻った時には
背負っていた基本的な装備を失っていました。

ポケットの中にもほとんど何もないどころか、
コンパスも失っていました。
もう生きて帰れない、どうやって山を下るんだ、と絶望します。

そんなとき、ある隊員のポケットから1枚の地図が出てきました。
これを見ているうちにどんどん元気が湧いてきて、

尾根がこうなっているなら、このあたりにいて、
太陽の位置からこう行けば下山できるのではないか、
と地図の上に道をつけていきました。

つまりストーリーを組み立て、
それを共有したわけです。

登山隊は、地図の上につけた道筋を信じて、
奇跡的に下山に成功しました。

この話にはオチがあります。

救助隊を組織した人々は
登山隊と連絡も取れず生還は絶望的だと思っていました。

そこに登山隊が生きて帰ってきたのです。
びっくりして尋ねました。
「あの状況で、いったいどうやって戻ってこられたのですか?」

リーダーは一枚の地図を取り出して答えました。
「この地図のおかげで助かりました。」

救助隊は笑って言いました。
「こんなときによくそんな冗談を言う余裕がありますね。
これはアルプスの地図じゃないですか・・・」

驚いた登山隊のリーダーが自分たちが道筋を
つけた地図を改めてよく見ると、
それは実はピレネーではなくアルプスの地図だったというのです。

~~~ここまでメモ

この衝撃のエピソードから
楠木さんは次のように言います。

▽▽▽ここから本文より引用

これがこの話の一番重要なポイントで、
ストーリーとしての競争戦略の一つの本質を
物語っているのではないかと私は思います。

つまり、戦略ストーリーというのは
きわめて主体的な意志を問うものだということです。

言い換えれば、戦略ストーリーは、
前提条件を正確に入力すれば、
自動的に正解が出てくるというような
環境決定的なものではないということです。

(中略)

未来はしょせん不確実だけれども、
われわれはこの道筋で進んでいこうという明確な意志、
これが戦略ストーリーです。ストーリーを語るということは、
「こうしよう」という意志の表明にほかなりません。
「こうなるだろう」という将来予測ではないのです。

意志表明としてのストーリーが組織の人々に共有されている
ということは、戦略の実行にとって、決定的に重要な意味を持っています。
なぜならば、ビジネスは総力戦だからです。

自分が確かにストーリーの登場人物の一人で
あることがわかれば、その気になります。
こうしてビジネスは総力戦になるのです。

△△△ここまで本文より引用

ストーリーとは「意志の表明」である。
いやあ、そうですよね。
感覚的にはその通りだなあと。

そして、そのストーリーを共有するから
チームメンバーのモチベーションが上がり、
プロジェクトやビジネスが前に進むのだろうなと思った。

昨日のミーティングで言えば、
まるラジの朗読やキットパスでの絵を描くこと
をひとつのストーリー
(昨日は、4月のリニューアルオープン後に
定期的に同様のことを開催する、など)

に作り上げていくことで、
みんなが前に進んでいくのだろうと思った。

もし、このプロジェクトがアートプロジェクトだとしたら
僕たちが来場者や関係者に
投げかける「問い」とはいったいなんだろうか?

そんな問いが生まれた
ミーティングでした。

ありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 08:05Comments(0)日記

2017年12月19日

テクノロジーを巴投げする(笑)

木更津高校バスケ部の同級生の潤くんとごはん。
いや、いい時間だった。

ソフトウェアの会社を経営しながら、
小中学生向けのプログラミング教室を
開いているのだという。
小学生向けのプログラミング教室、僕も通いたい。

~~~以下、メモより。

パソコンは道具だ。
プログラミングは、
パソコンを「道具」としてどう使うか?
という可能性をみせてくれる。

そこで、問うのだ。
あなたは、パソコンという道具を使って
何をしたいの?と。

IT(情報技術)もAI(人工知能)も
道具に過ぎない。

AIに仕事を奪われる。
あるいは、AIが人間行動を管理するようになる。
実はそういう議論というか結果が大切じゃないんだと。

30年前にパソコンが登場したのと同じ、
「インフラ」であるだけだ。

パソコンは
コミュニケーションインフラとして機能した。

ツイッターはなぜ流行ったのか?

140文字という「制限」をした

フェイスブックは何をしたのか?

個人を「特定」した。

つまり、ツイッターもフェイスブックも、
パソコンやインターネットという無限のインフラを、
テクノロジーの機能を、「限定」したんだ。

その「限定」によって、
人と人が「つながれる」ことを生み出した。

なるほど。
そういうことか。

だから、プログラミングは鉛筆削りのナイフ
のようなものだと。
道具に過ぎないんだと。

使うその人が何をしたいか?
お客に何を届けるか?
その問いが大切なんだ。

~~~ここまでメモより

最後に駅に向かいながら、話していたのは、
同じアウトプットを出さなければいけない仕事
=コンビニの店員とか、タクシードライバーとか
はもちろんAIに取って代わられるだろう。
って話。

それって、
チェーン店で本部一括仕入れの本屋の店員もそうだなと。
それってアマゾンのほうが100倍いいなと。

「AIに仕事を奪われる」
とか無駄に恐れていないで、

AIとは何か?
テクノロジーとは何か?
を問いかけることが大切なんだなと。

ということで、
昨日に引き続き、
向かう電車の中で読んでいた本より。


「結論は出さなくていい」(丸山俊一 光文社新書)

~~~以下本文より引用

右も左も、政治も文学も、いつの間にか軽々と越えていく妙が、
じつに楽しいのだ。辛気臭くも、高尚でもない。
人間が生きている。思考している。精神が運動している。

そして何より素晴らしいのは、柔道の巴投げよろしく、
お二人とも挑みかかっては投げ飛ばされることを
楽しんでいるように見えることだ。
対話に奥行きがあり、柔らかさがある。

「分かる」の語源は「分ける」で、つまり分類することで整理され、
「わかった」につながるということ。
その分類の基準は人それぞれ。
それぞれ勝手に「分けている」可能性もあるわけだ。

裏を返せば、「わかりやすく」と人に求めることは、
自分の分類の基準に入るようにしてくれ、という意味になりかねない。
それは、可能性の半分を失う行為でもある。
他者の発想の基準を発見し、学ぶ機会を失いかねないことでもあるのだから。

「わからない」状況は、もっと楽しまれてもよい。
昨日まで自分を支えていた「わかり方」が壊され、
少しずつ再構築されていく感覚は、快感でもあると思う。

このゆらゆらこそが、その気になれば常にいつも、
ありえたかもしれない世界の可能性への想像力を担保してくれているのだから。
ゆらゆらしていてもいい。言葉にならなくてもいい。

~~~ここまで本文より引用

いいっすね。
なんか。
「分からない」まま、受け入れるっていうこと。

他者も、テクノロジーも、
「わからない」状況を、もっと楽しめたらいい。

テクノロジーに対峙するのでも
単に利用するのでもなくて、
「巴投げ」よろしく、一緒に時代という大空に
投げ飛ばしてしまいたいと。

そういう意味では、
潤のやっているプログラミング教室と「本屋」は、

「問い」やミッションが近いかもしれないなと思った。

世界の広さと、可能性を見せる。

ありかもしれないですね。
次は昼間に会いましょう。
いい時間をありがとう。  

Posted by ニシダタクジ at 08:03Comments(0)日記

2017年12月13日

facebookの告知が「顧客」に届かない理由

昨年11月のツルハシブックス閉店から
学んだことはたくさんあるけども、

いまだに越えられないのが、
「居場所のジレンマ」だ。

http://hero.niiblo.jp/e482717.html
(2016.11.7 居場所のジレンマ)

この1年のあいだにも、
たくさんの「場」を運営している人たちに
話を聞いたけど、
共通する課題を持っているように思う。

それは、
居心地のよい「場」をつくり、継続して運営していくと、
そこを「居場所」として利用する人が増えてしまう。

「居場所」は内向きのエネルギーを持ち、
初めての参加者が入りにくい雰囲気を持ってしまう。

つまり、その「場」
初めての人にとっては居心地の悪い「場」になる。

そういう意味では、
「本」というのは、「諸刃の剣」であるのかもしれない。

「本」を通じて、人と人がつながるツールにもなるのだが、
一方で、そもそも「本」というのは内向きのツールであるから、
そういうキーワードで人を集めようとすると、
内向きの人が集まってしまうかもしれない。

「facebookを見てるのは、暇なおじさんだけだよ。」
って誰かが言っていた。

実際東京の本のイベントに来ている20代に
話を聞いてみると、友人経由ではない場合、
peatixの告知でっていう人が何人かいた。

一方で、
ツルハシブックスでも陥っていたのだけど、
facebookで公開イベントを告知すると、
若者向けのイベントなのだけど、
「暇なおじさん」が集まってしまう、
という現象が起こっていた。
いや、それが「面白いおじさん」であればいいのだけど。

イベントが「顧客」に届いていない。

それは、もしかしたら、
facebookという広報ツールがいけないのかもしれないなと思った。

https://hachi-style.com/take-a-chance/
チャンスを掴むのはチャンスを掴む準備をした人だけ
(8STYLEより)



イノベーター理論で行くと、
すでにfacebookというメディアのユーザーが
アーリーマジョリティ領域を超え、
レイトマジョリティ領域まで進んで行ってしまったのではないか、
ということが言えるかもしれない。

アクティブユーザー数が2800万人ということは、
ネット人口1億人のうちの30%に満たないのだけど、
(ネット人口にはメール送受信のみという人を含む)
そんな感じする。

そもそも「マジョリティ」とは、
「みんながやっているからやる」というメンタリティを
持っているからこそ「マジョリティ」なのである。
(これは別にいい悪いではない)
必然的にそのエネルギーは内に向かう。

マジョリティであることが心地よいのだ。

ところが、
アーリーアダプターは違う。少数であることを苦にせず、
新しいもの、外にあるものを積極的に取り入れようとする。

僕の中で日本最高のアーリーアダプターは、
長野・上田の柚木真くんなのだけど、
彼の活動は見ているだけで、
僕にとってはエンターテイメントで、うらやましくなる。

柚木くんの脳みそに、
僕のカラダというか、時間を含めて、
委ねてみたくなって、
「ゆのたく」という活動を開始してみようと思う。
(ゆのきのアタマとタクジのカラダ)

さて、
タイトルの課題について戻ると、

facebookでの告知をがんばればがんばるほど、
それは、レイトマジョリティを拾ってしまうのではないか。

そして、SNS上のレイトマジョリティには、
「暇なおじさん」「ちょっと面倒なおじさん」
が割合的に多いのかもしれない。

なぜなら、
「面白いおじさん」は、アンテナが高いので、
いろんなネットワークがあって、
他のイベントに出ているから。
(そのおじさんはそもそもアーリーアダプターである)

そして、その人たちは、
そのイベントそのものや、
あるいはその「場」に対して、
「居場所」感を抱いてしまう。

人間はおそらく本能的に、
「居場所」を欲しているから、
そこに行かないといけないようになる。

こうして「場」が「居場所」感に
支配されることで、「場」の力は急速にダウンしていくし、
初参加の人にとっての魅力を失っていく。

さて。
この仮説が合っているとすれば、

facebookでの公開イベントを打つことは
諸刃の剣であると言えるだろう。

「より多くの人を集めたい」というのと
「レイトマジョリティなおじさんが来てしまう。」
というのがセットになってしまうからだ。

しかし、この仮説には、地域によって違いがある。

茨城の水戸や日立、このあいだお邪魔した岐阜なんかでは、
まだ、facebookコミュニティの中のアーリーアダプターの割合が高いので
公開イベントを打つことが楽しい空間をつくることになる。
(ちなみにこれは、クラウドファンディングの地元支援率とも連動している気がする)

新潟でも、ツルハシブックスが始まった当初はまだ
mixiからfacebookへの移行期だったので、
そこに集まってきた人は面白い人が多かった。

しかし、4年目、5年目になると、
「居場所」問題が顕在化した。

つまり、facebookの普及率というか、浸透率というか、
あるいはそのコミュニティの拡大率というか、
そういうものによるのかもしれない。

東京などは母数が多いこともあって、
そういうことが起こりやすくなってしまうかも。

じゃあ、これからどうすればいいのか。

これが課題だ。

考えるべきことは2つだ。
1 「顧客」に届ける告知ツールを考える。
2 「場」を「居場所」化しないデザインを考える。

まず1は、
facebookという告知ツールを使わないというか、
たぶん「公開イベント」という形をとることは、
リスクが伴うので、ほかの告知ツールを選ぶか、
直接メールするとか、チラシにふたたび戻るとか。

あるいは、「場」そのものを固定せずに、
流動的なものにするか、
(塩尻の山田くんがやってるみたいな
何月何日汐留、みたいなイベントをやるとか)

または、そういう「レイトマジョリティ」なおじさんも
受け入れることができるデザイン
(たとえば、畑に隣接するとかで作業場をつくる)

「畑のある本屋」
っていうのは、そのひとつのソリューションなのかもしれない。

僕としては、どうせやるなら、
化学反応やイノベーションの起こる場にしたいと思っているので、

そのためには、
・多様性の許容(それは違和感の許容でもある)
・フラットな関係性
・掛け算の発想

それができるような「場」とは、なんだろうか。
そんな問いを考え続けていきたい。  

Posted by ニシダタクジ at 08:17Comments(0)日記

2017年12月12日

目標の先にあるもの

1964年東京オリンピック。
1970年大阪万博。

そして

2020年東京オリンピック・パラリンピック
2025年大阪万博

また、やってくる。
はたして、オリンピックや万博が
夢を与えてくれるのだろうか。

いや、そもそも、
夢は与えてもらうもんだろうか?
元気や勇気は人からもらうものだろうか?

そういう僕自身も
1985年のつくば科学万博に行ったことで、
白衣来て仕事する、みたいな
理系のカッコよさ的なものに目覚めた気がする。
(いまは人と人の化学反応を作るのが楽しくなっている)

オリンピックや万博そのものが
夢や希望を与えてくれたわけではないだろうと思う。

昨日、人生初・東京タワー。







1958年竣工。
映画「三丁目の夕日」には、
だんだんとタワーが完成していく様子が描かれている。

あのときは、
みんなが、「その先」を見ていた。
東京タワーがゴールではなかった。

そんな熱がまだ感じられる鉄骨だった。
シンプルな「機能美」があった。

いま、
オリンピックや万博の「その先」を
見せられるのだろうか。

いや、
おそらくは見せられるのだろう。

「その先」に共感できるかどうか別にして。

価値観は多様化した、というより
そもそも価値観は多様である。

戦後復興。
追いつけ、追い越せ。
今よりももっと豊かに。

そんなフレーズにみんなが乗れた時代は
幸せな時代だ。

いまは、もう一度ローカルはローカルで、
自らの「その先」を考えなければならない時代。

目標の「その先」を
語り合い、描いていけるような、
そんな場をつくりたいかな。  

Posted by ニシダタクジ at 07:58Comments(0)日記

2017年11月28日

「余白」と「委ねる」と「問い」と「学び」


松本の夜。


信州大学の授業「地域ブランド実践ゼミ」の講師飯田さんが
トイレに行っていて映っていないので講師風景を。

~~~講義メモ

料理道具専門店の飯田屋(合羽橋)
おろし器マニア「おろしニスト」飯田結太さんについてはこちら
http://konomi.me/I0004943

1000分の1の熱狂
認知されない→存在しないと一緒

研ぎ澄まされた何か。

実店舗の可能性
アマゾン・楽天で失敗した人が買いに来る。
もう失敗したくない。

・かぶる会社がないこと
・情熱を持ち続けること
・新カテゴリーをつくること

世界観がないと価格競争を強いられる。
やっていることを削ぎ落とす。
100%キッチン

料理をつくる人をいい道具で幸せにする。
→ひと手間増える。

料理は人のためにするもの。
その人を幸せにする。
世の中が幸せになる。

~~~ここまで講義メモ

いやあ、かっこいい。
「削ぎ落とす」ことが信頼を生み、ブランドになるって思った。
ダイコンおろし買いに行きたくなった。
いや、行きますけど。誰か一緒に行きませんか?

そして夜の部へ。
塩尻の山田くんとその仲間たちに混ぜてもらい、松本の夜。

奥義と型と構造化とか
9歳の男の子が始めたレモネードスタンドの話とか
初頭効果と終末効果の話とか
feel imagine do shareの話とか
ナンパとマーケティングとブランドの話とか
藤原印刷さんの話とか

しました。

~~~以下メモ

5秒間で浮かばなければ、存在しないと同じ
「ブランド」においてイス取りゲームのイスは2,3席しかない。
ブランドの最高位は「リレーションシップ」

リビセン本は10冊セットでbaseで売った
でファンが買って、買った人みんなが本屋になった。

ノウハウはだんだん0円になっていく。
連携じゃなくて、連繋。
為せば成るではなくて、為して成す。
プチプチみたいなもので全部つぶせばいい。

タメをつくると攻守交代する
詩は余白。読んだ人に委ねることができる。

答えは教えない。教科書2.0。

本は読むものではなく戦うもの。
本は抱くもの。買うもの。

~~~以上メモ

なんていうか、男6人、楽しい夜でした。

余白デザイナー僕としては、印象に残ったのは、
やはり、余白の話。

「余白」ってなんだろう?
ってあらためて考えた。

3年前の夏、新潟で四万十の迫田さんと
塩尻で三田の家の坂倉さんに出会った。
ふたりが同じようなことを言っているのではないかと思った。

「ツルハシブックスはもっと面白くできる」

そう思った。
そのための方法が、僕がいなくなることだった。

「余白」をつくる。
完成を未完成に戻す。
マサシとゆきもんが次のツルハシブックスをつくった。
昨日のブログでシェアした
「これがツルハシブックスの日常」です、だ。
「偶然」という名のアートがあの日もたしかに生まれてた。

「余白」というのは、「委ねる」ということ。
さっきの詩の話と同じだ。

たぶん。
昨年2月に、ワークショップ3.0
http://hero.niiblo.jp/e477213.html
で上田信行さんのワークショップスタイルを見てから、

~~~以下参考:ワークショップ3.0(西田メモ)

ワークショップ3.0
・参加者の興味や関心に応じて、
その場で何をするか決定し、比較的長時間をかけて目標の達成を図ろうとするもの
・ファシリテーターが予想以外の学びを得る場合が多い
・参加者とファシリテーター双方に即興性と創造性が重要視され求められる。

・その場で関心が出たことを話すことが可能
・何が起きるかわからないのでモノの準備が必要
・ある程度の前提知識が必要

~~~以上参考

僕のファシリテーションも「フォワード型」かつ「委ねる」型に変わった
それに伴って、参加者満足度が上がり、
さらに、なんといっても僕自身の学びが深くなった。
自分自身が学べる場となったのだ。
吉田松陰的に言えば、ワークショップが共に学ぶ場になった。

だから楽しいのかもしれない。

それを構造的に言えば、

「余白」をデザインすることで、
場に「委ねる」ことができるようになり、

それによって、
参加者にも「問い」と参加性が生まれ、
「学び」が大きくなるということなのではないか。

そのベースには、
青木将幸さんの言う「安心空間」づくりが必要で、
その方法としては昨日書いた「チューニング」が使える。

たとえば、昨日も書いたけど、
日曜日の多治見でオープニングで行った。
「10代に贈りたい本」の読書会は、

その人の内面や場にかける思いの深い部分を、
本を通じてさらけ出す効果を持っていた。

さらにその前の時間にやった
「本の処方箋」も悩みをさらけ出すことで、
「場」の空気が「ああ、本音を語ってもいいんだな」
となった。(たぶん)

そこに「余白」をつくり、「委ねる」こと。
「問い」を投げかけ、ひとりひとりが語り、
それによって「学び」を得ること。

たぶんそれこそが、楽しいミーティングの条件で、
そうやって企画は生み出されていくのではないだろうか。

手法に頼らず、「委ねる」こと。
そんなワークショップをこれからも作っていきたいと思った。  

Posted by ニシダタクジ at 09:09Comments(0)日記

2017年11月27日

「思い」のチューニングから始まるキカクカイギ

多治見まちづくり株式会社が主催する。
多治見駅に近い本町にある旧ワタナベ時計店をリニューアルして
本屋をベースにした「場」づくりのプロジェクトにお邪魔してきました。


世界時計


ワタナベ看板


メガネ、時計、貴金属を扱っていたみたいですね。


ランチを食べた喫茶K


卵を敷いたスパゲッティ「イタリアン」です。
ごはんとのセットがあるくらい、濃いめの味付け。多治見のソウルフード。

そのほか、多治見の図書館は
2015年度の「ライブラリーオブザイヤー」
(これ、横浜に見に行っていました)

そちらも見学に。
高校生がいっぱい勉強していました。

お題は、若者も立ち寄れるように、
いろんな人を巻き込みながらつくる本屋のある空間をつくる、という感じ。

13:00からは「本の処方箋」をやりました。
14:30からはトークライブというか企画会議的な。

本の処方箋は、いろんな悩みがありましたけど、
やっぱりこういうセッションが楽しんだなと。

もっとちゃんとやるには、
空間仕切るとか、時間をかけるとか方法があるけど、
それなりに人が来て盛り上がりました。

「オープンマインド」をつくる。
そういうデザインになっていたのかもしれません。

14:30からのトークでは、
まちづくり株式会社の小口さんの視察報告の後に、
自己紹介を兼ねた「10代に贈りたい本」の紹介。

それが終わって、
時計見たら、15:40で、
「あれ、予定終了時刻まであと20分しかないですけど。(笑)」
結局16:40くらいまでやってましたけどね。

僕の話は、
ツルハシブックスの本を通した取り組みを映像で紹介したあと、
プラットフォームとしての本屋の可能性について話す。
なぜ本屋なのか、そして本屋でできること、など。
https://www.youtube.com/watch?v=vWAlg7NSUUk

そのあと、3人1組になって感想を言った後で、
この場所でできることについて、思いを語り合った。

これが10分で終わらずに15分。
やっぱりみんな話したいんだな、と。
ゲストは話題提供者でいいんだなと。

話し合ったことを発表してもらうと、
どのチームも、大学生とか中高生とか、
そういう人たちに向けた企画が話されていた。

それが分かったのは、
発表が終わって、僕に返ってきたときに、

「顧客はだれか?」
「顧客にとっての価値は何か?」
っていう話をしたかったので、

4チームに、
「それって誰に向けてやりますか?」と問いかけた。
そしたら、大学生や中高生がもっとこの街を歩いてほしい
っていうことが分かった。

これは、もともとのイベントページにもそのような
「10代」「若者」っていうキーワードが出てきた
こともあるけど、

「10代に贈りたい本」を持ってきてもらい、
その上で、それを発表しているから、
それによって、その人の価値観や人間性が
見えてくるっていうのがある。

「10代に贈りたい本」という
コミュニケーションツールの凄さをあらためて感じた。

「私の好きな本」
「最近読んだ面白かった本」
よりも、「10代に贈りたい本」はパワフルだ。

それは本の話だけではなく、
「なぜ、この本を10代に贈りたいのか。」を
必然的に話さなければいけないからだ。

「コクリ!キャンプ」を主宰する三田愛さんの言葉を借りれば、「種火」。
誰もが心の奥に持っている種火。
そこに気づいて、火を広げること。

「思い」を語る、「種火」を語る。
それがチューニング(音合わせ)となり、
場の空気が温まる。
そんなことが起こっていたように思う。

そのあと、茅ヶ崎市美術館で行われた「ハックツ展」の話と
山田さんの名言「これがツルハシブックスの日常です」の動画
https://www.youtube.com/watch?v=bYq8iDb_ei4

顧客はだれか?
顧客にとっての価値は何か?
を問いかけた後で、その場の広がりについて、話をした。

そして、「居場所」になるリスクの話。
居心地のいい場所は、「居場所」になってしまうリスクを負うこと、

集まる場所(居場所)だけではなく、
始まる場所にならないといけないこと。

始まる場所になるために、企てる場所に
ならなければいけないということ。
そんな話をした。

これからも、まちの人が集まり、
「企画会議」を重ねていくことが大切なのではないかと思った。

最後にもう一度参加者からの
ふりかえりというか感想をもらう時間が取れたらいいなと
思ったけど、タイムオーバー。
まあ、残った人はそれなりに話していたので、それはそれでよかったけど。

帰り道。
大好きな書店「ちくさ正文館 本店」のある
千種駅で途中下車。


「あなた」という商品を高く売る方法―キャリア戦略をマーケティングから考える
(永井孝尚 NHK出版新書)

を買いました。
例の「100円のコーラを~」の著者の本。
「バリュープロポジション」という考え方。

「①どんな強み(自分の強み)」を生かして
「②だれの(ターゲット)」
「③どんな悩みに(ニーズ)」
「④いかに応えるか(自分の仕事)」

そして
「相手がほしいもの」
「自分が提供できるもの」
「ほかが提供できるもの」
の三角形の中の

「相手がほしいもので、
ほかが提供できなくて、
自分が提供できるもの」

を見つけていくことが
バリュープロポジションだと。

そんな風に考えると、僕自身は、
「若者を巻き込みたい」
「若者と一緒に何かしたい」
と考えている地域の人たちへ、

あるいは、
「地域で何か面白いことしたい」
「自分に自信がないので何かアクションしたい」
と思っている若者たちへ、

企画会議というよりも、
もっとゆるい「キカクカイギ」くらいの
「場」を提供することかもしれない。

そこから生まれる「企画」そのものに対しては、
みんなが目標設定やチーム作りを行って実現に向かっていくこと。
それは地域でやればいいのだと。

そっか。
そんな「キカクカイギのつくりかた」が
僕の提供できることかもしれないといま思いました。
意外にブルーオーシャンかもしれませんね。

僕ができることは、
「思い」のチューニングで、場のチカラを高めて、
キカクカイギそのものに「また来たい」と思えるようになるっていうこと。

具体的には、

冒頭に自己紹介をやる
・フルネーム(あるいはニックネーム)
・出身地とご当地自慢
・最近あった(あるいは24時間以内にあった)よかったこと
・参加動機
あたりを参加者全員で共有でいるとよい。

そして、ミーティング中にも
グループワークを入れて、
小さな「感想」と思ったことや思いついたことを共有する

そして終わり際に
・今日の感想
(印象的だった言葉、自分が感じたこと)
をランダムに言って終わるということ。

文字にすると、簡単な気がする。
すぐにできるかも。

まあ、いいや。(笑)
こうやって、企画が生まれる場をつくっていくこと。

ゆるいキカクカイギの場づくり。
そこに僕のミッションがあるのかもしれません。

そして
「10代に贈りたい本」という問いかけは、
まちの人々と、まちづくり会社やまちづくりに携わる人たちを
つなぐコミュニケーションツールになり得る、と思ったことが
一番の学びでした。

多治見のみなさん、ありがとうございました。
またお会いしたいです。  

Posted by ニシダタクジ at 08:23Comments(0)日記

2017年11月18日

ドラクエ3のように地図が広がっていく

コクリエドリンクスvol.5でした。

菅原さんの話、おもしろかった~。
人と人をつなぎまくっているヒタチモン大學の
菅原さん。

人と人をつなぐときに、
考えていること。

1 個性(らしさ、スキル、客層)どうしがどうつながるか
2 個々の相性
3 各々の客層の相性

この、3の客層の相性っていう
発想はなかったので、面白いなあと。

そして、菅原さんのすごいところは、
マップに落とし込む、ということ。

コミュニティ生息域とかファン層の分布とか、
視覚的に理解しているところがすごいなと。

ヒタチモン大學は、
毎年、テーマを持ってやっている。

1年目は日立市内でイベントをする。
2年目は食のイベントに特化してやる。
⇒すると市外・県外の人が反応し、日立に来る。

3年目はひたすら外(日立市外)に出る
⇒ドラクエ3のように地図が広がっていく

4年目の今年は都内にターゲットを絞り、
茨城へ来てもらうように

きっかけは秋田のシェアビレッジ
http://sharevillage.jp/

ここに元日にいったら、
都内からかなりの人が来ていたということ、

これは茨城に必要な動きだ、
ということで都内から茨城への動きをつくろうとして、
これから「茨城移住計画」をスタート。

強調するテーマは、「スポーツ移住」
菅原さん自身がラグビーをやるために
水戸から日立へ転職・転居をしたこともあり、
そういうニーズがあるのではないかなと。

なるほど。
たしかに、スポーツコミュニティって
同じベクトルを共有しているから、仲良くなれる。

で、菅原さんの人脈の広げ方。

紙媒体(チラシ)配りは意味がない。
デジタルだけでも意味がない。

紙媒体であれば、渡す時の工夫を。
フェイスブックでもつながってから、
ハガキを書いて、メッセージを送る。

NGワードは「よろしくお願いします」
人はお願いされたくない。
考えなきゃいけないのは、何を与えるか。giveできるか。

ハガキに書くのは、
「とりわけ、この話が面白かったです」ということ。
そして「またお会いしたい」ということ。

そして、興味深かったのは、
ハガキというメディアの位置づけ。

ハガキというメディアを会社に送る
ということ。

メールでは、個人から個人への開いて、それで終わり。

ところが、ハガキだと、
何人かの手を介さないと届かない。

そして、もし、会社に送るとなると、
(もちろん家庭でも同じだけど)

そのほかの人にも目にとまる。
ハガキはオープンメディアだから、
この人からこの人へハガキ(しかもお礼状)が来たんだな
っていうのはみんなが認識する。

そこから始まる波がある。
たしかに。
そう思った。

菅原さんは、ハガキを書くのが好きなので、
ハガキというツールを使っている。
みんなも好きなツールを使ってやったらいいと。

そういう感じ。
リアルあってのデジタル。
ほんとそうだなと。

個性や才能の見つけ方は、
過去を掘っていくこと。
これはほんとその通りだと思った。

趣味は、スーパーやコンビニで
人が何をどう買うかを見ること。
「動線フェチ」なんだって言ってた。

その原点は
ゲームにあるのだという。

プレステ版の「ザ・コンビニ」
「シムシティー」のまちづくり
そしてドラゴンクエスト。

ドラクエ3では、
旅を進めると、だんだんと地図の範囲が
広がっていくのだという。

そして、
ドラクエにはもうひとつ大切な原則がある。

「会話しないと進めない」っていうこと。

誰かと話さないと先に進めないし。
みんなと話せば、誰かがヒントを持っている。
そうやって、菅原さんは人と人をつないできたのだ。

そんなリアルとデジタルのあいだ、
な本屋さんをつくりたいなあと思いました。  

Posted by ニシダタクジ at 07:48Comments(0)日記

2017年11月10日

「手段が目的化」する危険

制度や仕組みはいつも危うさを抱えている。

「手段が目的化する」危険だ。

内田樹さんの
「大学教育は生き延びられるのか?」
http://lite.blogos.com/article/256652/

を読んだ。
まさにそれが起こっているのだ。

有効な手段だと、
その時は結論されたのだろうが、

それを検証され続けないと、
いつのまにか手段が目的化してしまう。

そして、これを読んで思ったのが、
「評価する」ということのむずかしさ。
公平な基準で評価をする。

ひとつひとつを数値化する。
それこそが目的を失わせるのではないかと思った。

新潟市は、小中学校に
コーディネーターなる人を入れて、
地域とのコラボレーションを進めている。

その報告会に愕然とした。
「うちの学校は年間何回、行事をやり、
何人の地域の方に参画していただきました」
みたいな報告ばかりだったのだ。

うそだろ、
なんのためにコーディネーターいれたんだよ?

って率直に疑問に思った。

~~~以下、上の記事から引用

授業がどういう教育効果をひとりひとりの学生にもたらすことになるのか、
それは教師にも学生自身にも予見できません。

英語の履修目的が異文化理解や異文化とのコミュニケーションのためである以上に
格付けのためのものだからです。

TOEICはおそらく大学で教えられているすべての教科の中で
最も格付けが客観的で精密なテストです。
だからみんなそのスコアを競うわけです。
競争相手が多ければ多いほど優劣の精度は高まる。

「誰でもできること」を「きわだってうまくできる」ことの方が
「できる人があまりいないこと」を「そこそこできる」ことよりも高く評価される。
格付けに基づいて資源分配する競争的な社会は必然的に均質的な社会になる。
そうやって日本中の大学は規格化、均質化し、定型化していった。

狭いところで「あなたは余人を以ては代え難い」と言われることよりも、
広いところで「あなたの替えはいくらでもいる」と言われる方を求める。
それは自分の唯一無二性よりも自分のカテゴリー内順位の方が
自分のアイデンティティを基礎づけると彼らが信じているからです。

「そんなことをしているのは自分しかいない」という状態が不安で仕方がないのです。

大学に格付けを要求するのは社会全体からの要請です。
あなたの大学がどういう大学であるのかは、
「他の大学を以ては代え難い」ところの唯一無二の個性によってではなく、
日本のすべての大学を含む単一のランキングにおいて何位であるかによって決定される、
そういう考え方に日本中が同意しているのです。

本当にユニークな研究教育活動は比較考量ができませんから、
格付けすると「評価不能」としてゼロ査定される。
研究教育活動がユニークであればあるほど
評価が下がるという仕組みがもう出来上がっているのです。

「ランダムさのないところに新たなものは生じない」
(Without the random, there can be no new thing)。
これは『精神と自然』の中のグレゴリー・ベイトソンの言葉です。

~~~以上引用

うわっ。
少子化時代を迎えた今、
大学の淘汰はやむをえないことなのだろう。
そしてそれは、明確な基準によってなされるべきだ。

うんうん。
たしかにそうだろう。

しかし、明確な評価基準を適用すればするほど、
ユニークなものは価値を失っていくのだ。
それはそのまま、若者のアイデンティティに
直結しているだろうと思う。

他者評価を得ようとすること、
それは、交換可能になる、とほぼ同義なんだ。

評価ではなく、「価値」を生み出そう。
目の前のお客に向き合い、「価値」を創り出そう。  

Posted by ニシダタクジ at 07:10Comments(0)日記

2017年11月06日

ツルハシ号、出張します。

11月5日(日)
昨年のツルハシブックス店舗の閉店の日、
新たな出発に出ることにしました。

冬の間、ツルハシ号(ミゼット2)
は軽くて後輪駆動なので、雪道は走るのが
難しいので、スタットレスタイヤを履いていません。

なので、冬のあいだ、
太平洋側へ出張することになりました。

内野から五泉を抜けて、
旧三川村の道の駅「阿賀の里」でピットイン。

阿賀野川と紅葉があまりにもきれいだったので、
その後、川沿いに登って写真を撮りました。


お昼は喜多方ラーメン。
「ばんない」は推定80人くらい並んでいました。
で隣の松食堂へ。

これが大当たり!
チャーシューが激ウマ。


また行きたい。
その後、郡山を通らないルートで、
「道の駅 羽鳥湖高原」にピンと来て、
山登りを敢行。ツルハシ号、無理させた。


そしたら、羽鳥湖が穴場中の穴場でした。
きれいだった、羽鳥湖。

山を下って、白河市へ。
白河図書館、白河駅前をとおりすがったところで、
!!!
そういえば。

白河といえば。
EMANON!

オーナーの青砥さんつながりで、
2回ほど来たことがある、
白河駅前にある、高校生×地域のカフェ「EMANON」へ。




高校生が勉強してる!


中庭には畑!


まさかのピザ窯!


ウッドデッキも高校生と作ったんだって。


これが会員証。ポイントを貯めると、すごいことに・・・


地元の食材を利用したコラボメニュー


高校生が開発したプリン。


そして、この人が青砥妹こと、青砥侑紀さん。

もう、なんか、圧倒されました。
惹きつける魅力ある。

機能もも高校生が、勉強するでもなく、
レジ前にいたのだけど、

話を聞かせてもらったら、
毎日来るのだって言ってた。

で、ポイント貯めて、
肉じゃがつくってもらうんだって。

うわ、いいね。
そういう関係。

侑紀さん自身は高校生の時に、
料理だ!ということで、料理の道に進みつつ、
お菓子屋さんでお菓子作りを学んで、
いまは東京の大学生を休学中。

いや、なんていうかね。
最終的には人の魅力だなあと。
場のチカラって人の魅力だよって。
とっても吸い込まれそうになりましたよ。

こういう場づくりのお供として、ツルハシ号が
活用できたらいいなあと思いました。

ツルハシ号と本を持って、
いろんな場所に出張して、
数週間のあいだ、その場所に、
本棚と本とツルハシ号を置かせてもらう、
みたいなことができたらいいなと思います。

来年春まで、ツルハシ号、出張します。
興味のある方は、お問い合わせください。  

Posted by ニシダタクジ at 07:58Comments(0)日記

2017年10月19日

「機会提供」をする「アンサングヒーロー」

本屋さんってなんだろう?
本屋さんの顧客は誰なんだろう?
顧客にとっての価値はなんだろう?
そんな根源的な問い。

地下古本コーナーHAKKUTSUがブレイクして、
取材を受けていて、いちばん困った質問は

「ハックツした若者にどうなってほしいですか?」
って聞かれること。

いや、別に、、、
みたいな。エリカ様みたいになってた。

僕の役割は
「本を売った瞬間」に完結しているのだ。

その人が本を読んだことで、どうなるのか?
はあまり興味がない。

ほんと、そうなんだ。
無責任だと言われようがそうなんだよね。

そんな、「機会提供」だけをしていきたい。
それは、「学校」や「教育」には不可能だからだ。

なにか大いなる「目的」のために、
いまを生きなければならない。
プロダクトを提供しなければいけない。

そんなこと、ないんじゃないかと。

機会を提供する、ということ。
それはそれだけで価値があるのではないか。

この前の居心地のいいカフェの話でもあったけど、
目的のない「余白」時間という機会を提供する、っていうのが
カフェの役割なのではないか。

そっか。
人は「目的のない」何かを必要としているのではないか。

もともと「本屋」ってそういう場所だったんじゃないかな。
「なんか面白いことないかなあ」って。
目的のない何か。
そういうのを欲しているんだな、きっと。

そこでなんらかの本に出会う。
人生が変わるほどの衝撃を受ける。

その時に、
本屋に感謝する人もたまにいるだろうけど、
ほとんどは、本そのもの、著者だったりに
感謝するだろう。
(僕は、甲府の春光堂さんにずいぶん助けられています。)

そんな「偶然」の「機会」を提供する
歌われざる英雄「アンサング・ヒーロー」
それが本屋さんなんだと思います。

センジュ出版の吉満さんと話したことを思い出したのでシェア。
http://hero.niiblo.jp/e476010.html
(2016.1.7 「本」というささやかな祈り)  

Posted by ニシダタクジ at 07:54Comments(0)日記

2017年10月11日

「承認欲求」と「他者評価」をイコールで結ばないこと

昨日書いた「他者評価」についてあらためて考える。

これは細かく言えば、
「世の中的に価値があるとされる他者からの評価」(たとえば、学校の先生)
ということになるだろう。
この場合、「他者」は経済的価値、単的に言えば「お金」だったりもする。

人が、学校化社会の中で
(※学校化社会についてはこちら http://hero.niiblo.jp/e484605.html )
「他者評価の檻」に入ってしまうのはなぜなのか。

おそらく、「承認欲求」であると思う。

アドラーは、その呪縛を
以下のように説明する。
(「嫌われる勇気」より http://hero.niiblo.jp/e438912.html )

・承認欲求は不自由を強いる
・他者からの承認を選ぶのか、承認なき自由を選ぶのか
・自由とは他者から嫌われることである
・幸せになる勇気には「嫌われる勇気」も含まれる

なるほど。
それが「嫌われる勇気」か。

だから、
他者評価の檻を脱出するためには、
まずは自らの「承認欲求」について、
存在を認めることが必要だ。

僕のおすすめは、
山竹伸二さんの「認められたいの正体」(講談社現代新書)
なのだけど、

「評価」ではなく「承認」を必要としている。
http://hero.niiblo.jp/e470668.html
(2015.7.16)

日本社会は、経済成長のため、
もっと具体的に言えば、家電や
生活必需品ではないものを売るために、
「個性化消費」というものを生み出した。

つまり、自分が自分らしくあるために、
消費をするということだ。

そうやって、
「承認欲求」を「他者評価欲求」へと
巧みに切り替えていったのではないか。

「承認」とは、
権威のある人から評価してもらう、
つまり「ほめてもらう」こととは異なる。

チームで何かやってみる。
ミーティングでチューニングを行い、個人の調子を確かめる。
プロジェクトの区切りで、チームメイトからフィードバックをもらう。

それは「承認」に満ちた場であるのかもしれない。

ビジネスの本質的には、
画一的な指標、あるいは「世の中的に価値のあるとされる人」
からの評価を求める必要などない。

ただ、顧客に対して、
価値を生み続けること。

それこそが仕事の意味であり、
そこには「承認」があるはずだ。

自分を評価する人を見るのではなく、
自分の顧客を見ること。話を聞くこと。
顧客にとっての価値は何か、考えること。
試してみること。実践すること。
やってみたあとで、フィードバックをもらうこと。

「承認欲求」と「他者評価」をイコールで結ばないこと。

「評価」がほしいのか、
「承認」がほしいのか、問いかけること。

「他者評価」の「他者」を
「顧客」や「チームメイト」に替えること。  

Posted by ニシダタクジ at 08:09Comments(0)日記

2017年10月01日

「目的」を無くす、ズラす「場」の魅力



https://www.freddy-leck-sein-waschsalon.jp/

フレディ・レック ウォッシュサロン トーキョー
東横線学芸大学駅から徒歩15分ほどのところにある
7月にオープンした
クリーニング・コインランドリー・カフェの複合タイプ
洗濯のグッズも売っている。

周りにおしゃれなカフェがたくさんあるので
純粋なカフェ利用はいなかったみたいですが、
逆に言えば、みんな洗濯してる途中にお茶してるんだね。

昨日の武蔵新城のミーティングで話した、
みんなにとっての居心地のいい場所のミーティング。

おもしろかったのが
「日記を書きたくなる場所」

いいね、それ。
どういうときに人は日記を書きたくなるのだろう。

「目的」がないとき。
カフェに行って、お茶を飲んだ瞬間。
その時間、目的がなくなる。

その時間が心地がいい。
なるほど。

定有堂書店の奈良さんが
言っていた「本屋の青空」は
それかなあと。

店に入って本棚を眺めていると、
どんな本を買いに来たか忘れてしまうような本屋。
気が付くと、目的以外の本を買ってしまったような、
そんな空間。

目的を無くしたり、ズラしたり。
そういう空間、場がいいのかもしれない。

それが「余白」ってことなのかもしれない。
冒頭のウォッシュサロンも
洗濯機に洗濯物を投入した瞬間。
60分という空白の時間ができる。

その時間をどう過ごすのか?

その余白、余裕に、生まれてくる何かを
大切にするような場が求められているのかも。

いい仮説、できました。  

Posted by ニシダタクジ at 07:52Comments(0)日記

2017年09月12日

「ふりかえり」と「自己評価」

http://hero.niiblo.jp/e484636.html
「近代」という「旧パラダイム」
(2017.4.30)

4月に書いた
「サヨナラ学校化社会」(上野千鶴子)
ブログを読み直す。

~~~ここから引用

自分で自分の評価ができない、他人の目でしか自己評価できない
従属的な意識は、学校で叩きこまれてきた習い性のようなものです。
しかも、「だれかのために」「なにかのために」という
大義名分がないと、自分を肯定したり評価したりすることができない。

他人の価値を内面化せず、自分で自分を
受け入れることを「自尊感情」といいます。

(中略)

エリートたちが育った学校は、彼らの自尊感情を根こそぎにした
場所でもありました。
学校が自尊感情を奪うのは、劣位者だけとはかぎりません。
学校は優位者に対しても、彼らの人生を
なにかの目的のためのたんなる手段に変えることで、
条件つきでない自尊感情を育てることを不可能にする場所なのです。

~~~ここまで引用

ここ数年テーマだった「大学生の自信の無さ」について。
昨日、話していて、ひとつの気づきがあった。

学校というのは、
他者評価を前提とした生き方を強いる。

あなたはできないんだ。凡人なんだ。
だから、努力しなきゃいけない。
努力して、安定した仕事につかないといけない。

それを学校の先生からも、
親からも強いられる。

そうやって、「労働者」を生み続けるシステム。
それが学校であり、学校化社会なのだろうな。

昨日の気づき。

「自信の無さ」がどこから来るのか。
それは、「他者評価への依存」からではないか。

他者からどう見えるか?
先生からどうしたら認めてもらえるか?

そればかりを気にして、
「評価されるように」行動する。

ところが。
大学生になったとき。
そこに評価してくれる大人はいない。
そもそも評価軸がない。

「他者評価」からの解放。

されたはずだった。
ところが、学校化社会の呪縛は大きい。

来たるべき「就活」や「就職」のために
いま何をしなければならないか。
どうすれば評価されるのか。
そんな問いを始めてしまう。
「効率化」とともに大きな「他者評価」の呪縛。

そもそも、人生に「失敗」など存在しないのかもしれない。
他者評価の檻の中にのみ「失敗」は存在するのかもしれない。

そのリハビリを始めていくこと。
それが大学1,2年生でやらなければ
いけないことなのかもしれない。
具体的に何をすればいいのか。

「ふりかえり」である。

何かやってみて、「ふりかえり」をする。
ひとりではなくて、何人かで
イベントスタッフやプロジェクトをやってみて、
「ふりかえり」の時間を大切にする。

自分自身への自己評価と、
一緒にやった仲間からのフィードバックがある。
それを同時にやっていくこと。

大学生は、だからこそ
「やってみる」、そして「ふりかえる」が大切なのだ。

僕がツルハシブックスで目指してきたのは、
「チャレンジと自覚しないでチャレンジを始める」という
機会を提供することだった。

そしていまやっているのは、
「ミーティング」と「ふりかえり」をエンターテイメント化すること。

「つながるカレー」の話を聞いて、
「予想しなかったこと」はよかったことも悪かったことも
彼らにとってはエンターテイメントなのだと知った。

それは明確な(経済的な)目的・目標を決めていない
アマチュアリズムからくるということを知った。

「そんな甘い考えでは、この厳しい経済社会を
渡り歩いていけない。」
と大人たちは言うかもしれない。

しかし、その考え方そのものが、
資本主義・学校化社会の呪縛であるのではないか。

人はみな、人生のアマチュアである。
目標など明確に決めずに、感性を信じて、「やってみる」。

そして「ふりかえる」こと。フィードバックをもらうこと。
自己評価こそが自信の源泉である。

自己肯定感の低い若者問題をどうするか?
は、多くの人たちが問いかけ、僕自身も考えてきた。

決して「ほめること」ではない。
「ほめる」ことは「他者評価」であるから。

そうではなく、
「ふりかえり」の手法を伝えること。
「ふりかえり」のエンターテイメント性を伝えること。
自己評価の機会を増やしていくこと。
そして「自己評価で生きている大人たち」に出会うこと。

そんなリハビリが必要なのかもしれないな、と。

なんかだんだん、僕がこれからやりたいことがわかってきました。
時間かかりすぎだけどね。
いいんだ、人生劇場は巨大な実験室なのだから。

  

Posted by ニシダタクジ at 08:22Comments(0)日記

2017年09月08日

「就職」という「間借り」

「就職」「就活」を変える
っていうのはどういうことなのだろう?

一方的に企業側が選ぶのではなくて
学生が自らPRして企業を選ぶ「逆求人」なんかを
仕掛けることだろうか。

あるいは、
地域の中小企業にアプローチできるように
インターンシップのプログラムを準備して
1,2年生のうちから実践的に実施することだろうか。

でも。
僕は本屋さんだ。
本屋さんができるアプローチはなんだろうか。

茨城が誇るサザコーヒーの話を聞いていて、
たくさんのエッセンスをもらった。

「自分の会社を一言で言うと、何ですか?」
「レッドオーシャンで生き残るには、トップで無ければならない。
トンがることに集中する。」
「お客さんがこの店を使ってる、っていう誇りを持つような店。」

などなど。

はたらくってなんだろう?
って問いをたくさんもらった。

本屋としてのアプローチは、「間借り」という
考え方を広めること。
すべて、間借りなのだと。

たとえるなら、船の一角に乗せてもらっているだけなんだ
っていうこと。

その船が大きければ、
1人への負荷は少ないし、
その船が小さければ、
1人の責任とやりがいも大きい。

いずれにしても、
その船に乗ることは、「間借り」なのだということ。

たまたま今、このタイミングで
同じ船に乗っているのだということ。

カタカナでいえば、「パートナーシップ」だ。

「行き先の方向性が近いので、
私も載ってもいいですか?
お役に立てるようにがんばります。」
ってそういう感じ。

船長が、「載せてやってるんだから」
とか偉い顔をして、命令口調で言われたら、
すぐに降りたほうがいい。

就職も3日間の小さなプロジェクトも、「間借り」にすぎない。

パートナーシップを組んで、
それぞれ独立しながら、個性や特技を生かした、
楽しい船旅をつくっていくことだと思う。

「就職」はいつでも降りられる船旅。
「就活」はその船えらび。

そんな感覚で、
就職するほうも、されるほうも考えられたらいいなと思う。

そんな船旅に出るとしたら、
あなたが誰と旅に出たいですか?  

Posted by ニシダタクジ at 07:55Comments(0)日記