2010年07月10日
表現する、ということ
表現する。
それはもはや、
衣食住と同じく、
生きるために必要なことになってきた。
マズローの欲求の段階が上がってきている
という理由もあるだろう。
世の中全体が、目標を見失っている
という理由もあるだろう。
しかし。
ヒトは、根源的に表現することを
必要としている生き物であると思う。
昨日、長岡造形大学に行って、議論をした。
建築学というのは、
本来は工学ではなく、芸術だろう、
ということ。
上山学長がステキなことをおっしゃっていた。
学長の専門はランドスケープデザインなのだが、
関わった長崎水辺の森公園がある。
その公園に来た高校生が長岡造形大学に進学する。
ランドスケープを学びたくて。
その学生が言ったという
「公園がこんなにも人生を変えるのか?」
すごい。
そう。
表現するということは、こんなにも誰かの人生に影響を与える。
それなのに。
いまだに、学歴至上主義は残り、
中等教育での芸術の時間は減り続けている。
まるで「芸術ではメシを喰えない」
と教えているかのようだ。
「芸術でメシは喰えない」
たしかにそうかもしれない。
しかし。
ヒトは「生きる」ために表現することを必要としているのだ。
食べるために働くのではなく、「生きる」ために働きたい。
そんな大学生のメッセージが聞こえる。
それはもはや、
衣食住と同じく、
生きるために必要なことになってきた。
マズローの欲求の段階が上がってきている
という理由もあるだろう。
世の中全体が、目標を見失っている
という理由もあるだろう。
しかし。
ヒトは、根源的に表現することを
必要としている生き物であると思う。
昨日、長岡造形大学に行って、議論をした。
建築学というのは、
本来は工学ではなく、芸術だろう、
ということ。
上山学長がステキなことをおっしゃっていた。
学長の専門はランドスケープデザインなのだが、
関わった長崎水辺の森公園がある。
その公園に来た高校生が長岡造形大学に進学する。
ランドスケープを学びたくて。
その学生が言ったという
「公園がこんなにも人生を変えるのか?」
すごい。
そう。
表現するということは、こんなにも誰かの人生に影響を与える。
それなのに。
いまだに、学歴至上主義は残り、
中等教育での芸術の時間は減り続けている。
まるで「芸術ではメシを喰えない」
と教えているかのようだ。
「芸術でメシは喰えない」
たしかにそうかもしれない。
しかし。
ヒトは「生きる」ために表現することを必要としているのだ。
食べるために働くのではなく、「生きる」ために働きたい。
そんな大学生のメッセージが聞こえる。