プロフィール
ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 8人
オーナーへメッセージ

2011年08月06日

過去の自分しか救えない

僕の中で信じていた
教育の原則があった。

「過去の自分しか救えない。」

という原則。

ヤンキー先生、義家さんは
かつて、ヤンキーだった。
だから、ヤンキーだらけの学校で
教師になった。

それは、
すべては「共感」から始まる
からだろうと思う。

過去に自分自身が通ってきた道だからこそ、
共感が生まれ、そこに温かいものが通い、
心が開かれるのだろうと思う。

「どうせわかってくれない。」
これこそが子どもの心、いや
大人もそうだけど、心を閉ざす原因になる。

「聞いてくれてわかってくれる」
いや
少なくとも「聞いてくれる」だけでいい
そんな空間が必要なのだろう。

教育の原則
「過去の自分しか救えない」

に基いて、
僕が救えるのは、

そこそこに勉強もできて、
大学に進学はしたけれど、
自分が
「何のために生きているのか?」
「どうやって社会で生きていくのか?」
という問いに向かっている人たちなら
すごく共感することができる。

だから。
本屋をやっているし、
大学生のチャレンジプログラムを
作っているのだろう。

だから、不登校とか、引きこもりとか、
その領域に行くことはないと思っていた。
そもそも共感が十分にできないだろうから。

しかし。
自分が救う必要はないのかもしれない。

場をつくり、
子どもが来たら、
その子にあった先輩をマッチング
すればいいのか。

いや。
意図的にではなく、
勝手にマッチングするような場をつくればいいのか。

なるほど。
それならできるかもしれない。

それか。
学校の先生にならなかった理由。

「場」が解決すればいいのだ。

寺子屋、やってみようかな。  

Posted by ニシダタクジ at 08:11Comments(0)学び