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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2011年08月08日

お役に立ちたい

お役に立ちたい。
という根源的欲求。

それは、
「つながりたい」
というさらに根源的欲求から
来ているのではないか。

お役に立てると、
つながっている、という感覚が得られる。

だから人はお役に立ちたい
と思う。

そこがつながらない人もいる。

実世界では、人とのコミュニケーションを遮断し、
ネット上の世界で本音を語る人たちもいる。

夜回り先生は引きこもりの子どもたちに言っていた。
窓を開けて、外を見てみろ。
朝陽がまぶしい。
隣のおばあちゃんがゴミ出しをしている。
重そうだ。もってあげよう。

そこから、始まっていく何かがあるのだと。

「お役に立ちたい。」

農業社会には、大家族時代には、
初期の工業化社会では、
もしかしたら、
なかった感情なのかもしれない。

それは、
「お役に立つ」というよりも
すでに役割が与えられていた。

子どもには子どもの
田植えの時は苗箱を洗うような、
そんな役割が与えられていた。

ばあちゃんは、
畑で自家消費用に野菜をつくるという
役割を与えられていた。

松下幸之助は
冷たい水で洗濯をする女性たちを
なんとかしたいということで、
洗濯機を開発し、量産した。

「お役に立ちたい」
そんなふうに思わなくても、
生きられた時代があった。

いま。
「お役に立てない」時代となった。

経済合理性を追求した結果。
掃除も、洗濯も、経済的価値に
置き換えられた。

ひとり暮らしでも、
なにひとつ不自由のない暮らしを実現した。

われわれは、何もかも得た。
しかし、役割を失った。

自分が何のために生きているのか?
問いかけることとなった。

やりたいことを探すのではなく、
お役に立ちたいことを見つけ、実践していく。

それは、
いわゆる「ボランティア」ではなく、
その人本人が生きるために必要なことだからやるのだと思う。

感謝をするのは
ボランティアをされるほうではなく、
するほうも同じだ。

誰もが生きたいと思っている。

だから、福祉で本当に必要なのは、
どうやって支援するか?
ではなく、
どうやって役割を与えるか?
ではないだろうか。

生きる意味を、つながりを、
多くの人が必要としている。  

Posted by ニシダタクジ at 07:25Comments(0)学び

2011年08月06日

過去の自分しか救えない

僕の中で信じていた
教育の原則があった。

「過去の自分しか救えない。」

という原則。

ヤンキー先生、義家さんは
かつて、ヤンキーだった。
だから、ヤンキーだらけの学校で
教師になった。

それは、
すべては「共感」から始まる
からだろうと思う。

過去に自分自身が通ってきた道だからこそ、
共感が生まれ、そこに温かいものが通い、
心が開かれるのだろうと思う。

「どうせわかってくれない。」
これこそが子どもの心、いや
大人もそうだけど、心を閉ざす原因になる。

「聞いてくれてわかってくれる」
いや
少なくとも「聞いてくれる」だけでいい
そんな空間が必要なのだろう。

教育の原則
「過去の自分しか救えない」

に基いて、
僕が救えるのは、

そこそこに勉強もできて、
大学に進学はしたけれど、
自分が
「何のために生きているのか?」
「どうやって社会で生きていくのか?」
という問いに向かっている人たちなら
すごく共感することができる。

だから。
本屋をやっているし、
大学生のチャレンジプログラムを
作っているのだろう。

だから、不登校とか、引きこもりとか、
その領域に行くことはないと思っていた。
そもそも共感が十分にできないだろうから。

しかし。
自分が救う必要はないのかもしれない。

場をつくり、
子どもが来たら、
その子にあった先輩をマッチング
すればいいのか。

いや。
意図的にではなく、
勝手にマッチングするような場をつくればいいのか。

なるほど。
それならできるかもしれない。

それか。
学校の先生にならなかった理由。

「場」が解決すればいいのだ。

寺子屋、やってみようかな。  

Posted by ニシダタクジ at 08:11Comments(0)学び

2011年08月05日

「生きる」ために私は何をすべきか

「生きる」ために、自分は何をすべきか?

そんな問いにさらされているのが、
今の時代の全ての人なのだろうと思う。

20代のとき。
もがきながらもつかんだもの
「生きる」ことと「メシを食う」
ということは違うんだ、ということ。

僕たちは「生きる」ために生きているのであって
「メシを食う」ために生きているわけではない。

だから、優先順位の第1位は
「どうやってメシを食っていくのか?」
ではなく、
「どうやって生きていくのか?」
という問いになる。

自分にとって「生きる」とは何か?
そんな問いの中で多くの人が生きている。

その答えは人によって異なるだろうが、
僕が必要だと思うのは、

「誰かとつながっている」という感覚であり、
それを具体的にする「人の役に立っている。」という実感。
さらにそれが、「自分にできることで好きなこと」だというワクワク。

それが人を「生きている」という実感の元になると
僕は思う。

「やりたいこと、夢を見つけなさい」
とよく言われるが、
それは方法論のひとつに過ぎなくて、
「自分にできることで好きなこと」を見つけるということになる。

しかしそれは
「生きる」に値するには少し足りない。
お役に立ちたいという志から始まる
人と人とのつながり。

それがあって初めて、
人は「生きる」を実感できるのではないか。

ソーシャルビジネス、
社会貢献事業が世の中の市民権を得てきたのは、

「生きたい」という
根源的欲求にどう答えていくか?
というひとつの答えだからなのだろうと思う。

この地で、新潟で、
僕たちは「生きる」ために何をすべきか。

大学生の中で
そんな問いが始まる夏にする。  

Posted by ニシダタクジ at 05:39Comments(0)言葉

2011年08月03日

後半生を賭けるもの

人生の折り返し地点にいま、立つ。
そんな感じがする37歳の朝。

「環境」というテーマに
生きる意味を見出した10代後半。
アプローチ方法としての
「農業」「農作業」の可能性を感じた20代前半。

まきどき村のまわりの地域のおっちゃんたちに触れ、
心を動かされた20代後半。

ここに、本当の豊かさがあると思った。
「地域」をもう一度取り戻したいと思った。
地域の子どもたちに
地域の大人たちが必要だと思った。

何よりも
自分自身が「生きる」とは何なのか?
自問自答を繰り返していた。

17歳の夏。
マンガSHOGUNで、
熱い壮大な生き方にロマンを感じてから20年。

たくさんのアクションと
まわりの人の支えでたどり着いた何か。

そして、いつの間にか時代は大きく動き、
「生きる意味」とか「使命」とかが
日常用語になっていた。

先日、早稲田大学の自分経営ゼミで聞いた衝撃の言葉がある。

いま、人類史上初めて、「家族」というコミュニティを失いつつある。

いま、人類史上ではない。
生物史上はじめて、「家族」という
コミュニティ単位を失いつつある。

「買い物難民」

そんな言葉はなかった。
高齢化が進んだからではない。
そもそも、一人暮らしのお年寄りは存在しなかったからだ。

コミュニティ崩壊のしわ寄せは弱者にくる。

子どもたちもそうだ。
今回の早稲田のプレゼンでも
壮絶な過去を語る人たちがいた。

家族の崩壊からの孤独。
それを受け止め、立ち直る子どもたちの姿を見た。
しかし、その陰に何千、何万という
苦しんでいる子どもがいるのだろう。

子どもだけではない。
「経済至上主義」という名の宗教は
どうも違うらしいと気づきだし、

自分らしさ
生きる意味
何のため、誰のために生きるのか
という問いを始めた大人たち。

その解決策はおそらくない。

僕にできることはなんだろう?
僕がやりたいことはなんだろう?
世界が、社会が僕に求めていることはなんだろう?

そんな問いの中にある。

「地域」が「コミュニティ」が
人と人を再びつなぎ、
ひとりひとりが「生きる」ことを取り戻す時代。

「食べること」
「学ぶこと」
「表現すること」

食と農、本と講座、アートや音楽。

そのひとつひとつが
人と人をつなぐ。

時代は変わった。

すごい人が社会をつくる時代は終わった。

すごい人も
普通のちょっとダメなオッサンも
自らの役割を知り、
小さな希望を生んでいく世の中。

まずは「本」と「農」で
人と人をつないでいくかな。

新たなストーリーがふたたび始まります。

15年前、半農半Xの塩見さんに頂いた言葉。
「後半生を賭けるもの」を
全力で見つけ、握り締め、人生を疾走していく人になる。  

Posted by ニシダタクジ at 06:11Comments(0)日記

2011年08月01日

織田裕二が降りてくる本

本を開ける。

目の前に飛び込んでくる一言に
織田裕二が降臨する。

「キターーーーーーー!!!」

これだよ、これ。
これがあるから、本との出会いって
辞められない。
特に人のススメで読んでみた本。

一言で
買い!を決断する本がある。

忘れもしない。
大学4年の夏。
本屋さんで飛び込んできた1冊の本。

僕はそれまで、農業関係の本にしか
興味がなかったのだが、
初めて、経営のコーナーに吸い込まれるように足を運んだ。

そのときに出会った一言。

「成功者は思いを5分ごとに確認する」
(福島正伸 起業家に必要なたった一つの行動原則)

ガツーン。
買いです。

そんな瞬間があるから、
本屋さんを歩くのってやめられないよね。
本屋さんには新しい人生が転がっているって思う。

昨日もそんな瞬間がありました。

「熟議で日本の教育を変える」(鈴木寛)

1ページ目のはじめにから
すでにガツーン。

自ら歴史を創るチャンス。

ドカーン。
キターーーーーーー。
いきなり来ました。

そして第1章が、
松下村塾との出会い。。

うお~~~。

これだ、この本だ。
俺が捜し求めていたのは。

そんな感じのテンションになる本に出会えた
1日は新しい人生のスタートラインです。  

Posted by ニシダタクジ at 08:04Comments(0)