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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2011年10月18日

オールオアナッシング

「おせっかい教育論」
(内田樹 鷲田清一 平松邦夫 釈徹宗 140B)
はかなり面白いね。

昨日も朝読書でツイートしまくってました。

昨日ヒットしたのはココ。

オールオアナッシング。
服従か、決裂か。

教育の現場に、いや、子どもが育つ現場に
そういう全か無か、みたいなのが
入り込んでしまっている。

それはいったい何のためなんだろう?
って思う。
きっと管理のためよね。

オールオアナッシングの世界って
すごくさびしい。
学校になじめるか、学校に行かないか

しか選択肢がないのだから。

たまに学校に行く。
ふだんは山に行く。
そんな小学生がいたっていいじゃないか。

この本では、
「教育は何のためにあるのか?」
という根本的問いを放つ。

教育は個人の利益を最大化するためにあるのではなく、
共同体が生き延びるために教育はあるのだ。

これが原則。
シビれる。

だから、教育を学校だけに任せるなんて
本来はありえないのだ。

親、先生とは違う
第3、第4の価値観を持つ大人が必要だという。

だから武道教室やスポーツ教室
はすごくいいのだ。と。
そこには、指導者の価値観で支配された
空間があるはずだから。

地域の中にそんな空間をつくっていくこと。
それが自然な営みだよね。

「すべては自然か不自然か。」
そこが判断基準になる。

そうすると、
オールオアナッシングな教育空間は、
日本人にとって、まったく自然な空間ではないような。

この本にはこうも書いてある。
子どもが学ぶには「謎」が必要。

たしかに。
そういうテレビ番組はやっているし。
ドラえもんとかのアニメもそうだったりするし。

それを地域の大人が演出しないといけない。

「このおっさんはなんでそんなにフレンドリーにしてくるのか?」
とか
「なんでそんなに真剣にお祭りに取り組んでいるのか?」
とか

そういう謎を子ども与える大人が
ひょっとして教育に貢献する大人になるのかもしれない。

オールオアナッシングを超えて、
地域に謎をたくさん作っていこう。  

Posted by ニシダタクジ at 06:18Comments(0)日記