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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2012年02月07日

誇りを生む仕事

ニイダヤ水産。

福島県いわき市の北に四倉港という
小さな漁港がある。
その脇でひっそりと
干物を作り続けていたニイダヤ水産。

塩、みりん、しょうゆ。
シンプルな味付けが
素材を活かした味に仕上がり、
福島県内の旅館の朝食に上っていた。

2011年3月11日。
そんなゆったりとした時間を津波が奪うことになる。
四倉港は、壊滅的な打撃を受け、ニイダヤ水産は全壊。
機械も海水をかぶって、壊れた。

ニイダヤ社長、賀沢さんは65歳。
廃業を覚悟して、避難所のお世話係をしていた。

そこに、安否を確認する連絡が入る。
福島県会津若松市のNPO法人素材広場の横田純子理事長だった。

横田さんは、旅行会社に勤務のときに、
福島の旅館の朝食に、北海道や外国で獲れた焼き魚
が出るのは、お客さんにとって、うれしくないという問題意識を持って、
退職後、素材広場を設立。

ニイダヤ水産の干物を朝ごはんに取り入れる旅館を探すなど、
福島の魅力をお客さんに伝えるために、
福島の食材を福島の旅館に、というプロデュースをはじめ、
平成21年度には農林水産省の「地産地消の仕事人」に選ばれる。

横田さんは、賀沢さんの無事を確認して、ホッとした。
すぐに顔を見に、会いに行った。
賀沢さんの顔色は悪くなかったが、
元気を失っているように見えた。

「ニイダヤ水産をつぶしてはダメだ」
と取引をしていた旅館さんから声をかけられていた。

横田さんは聞いた。
「ニイダヤさん、復活してほしいのだけど、何か必要なものある?」
「真空器があれば、なんとかなるかな」
「真空器、いくらなの?」
「中古でも5,60万円する。」
「わかった。私がそれ買うよ。だから復活してほしい。」

横田さんはすぐさま、「ニイダヤ水産復活プロジェクト」
を立ち上げ、各地の福島物産展での売上の一部を積み立て始めた。

その頃、同じく津波で壊滅的な被害を受けた
宮城県名取市出身の新潟大学教育学部2年生の菊池美香子さんは
「自分たちに何か、できることはないか?」
と新潟にいながら、被災地のためにできることを探していた。

2011年8月12日
夏の暑い日、菊池さんたちは福島県いわき市にいた。
ニイダヤさんと横田さんに出会う。


「私たちも、手伝います。」

大学生たちは行動を開始した。
居酒屋に素材広場の取り扱う商品を仕入れてもらい、
支援金付のメニューを作ってもらった。

協力してくれる居酒屋に、
ニイダヤ水産のための募金箱も設置した。
2月末までに10万円の基金を集める。
それが目標でがんばっている。




ニイダヤ水産社長、賀沢さんはいま、佐渡の北に浮かぶ、粟島にいる。
粟島への魚加工技術の移転を進めている。
自分の工場は4月に移転・再開する目処が立った。

65歳。
工場を再建する。
多くの借り入れをして、再スタートする賀沢さんに頭が下がる。

横田さんが言っていた。
「ニイダヤさんが四ツ倉を代表して復活するんだ。」

その先に
干物を美味い、と言ってくれるお客さんの笑顔がある。
ニイダヤ水産で働く人たちの笑顔がある。

すぐ近くに、
誇りを生む仕事をしている人たちがいる。

横田さん、賀沢さんにとにかくホレたから、
僕はニイダヤ水産復活プロジェクト、やっています。

僕の担当はニイダヤ水産復活ファンド。
一口5,000円で30口。15万円全額を横田さんを通じて、
ニイダヤ水産の真空器の購入費用に充ててもらいます。

残りあと20口。
協力してくれた方には、ニイダヤ水産復活の日に干物セットが届きます。
それはもしかしたら、粟島の魚を使った干物になるかもしれません。

福島・いわきと新潟、そして粟島。
日本を横断するプロジェクト、
あなたも一口協力いただけませんか?

復活記念パーティーで、横田さんと賀沢さんの
誇りに触れてみませんか?

ヒーローズファーム西田までお問い合わせ下さい。
info@herosfarm.net  


Posted by ニシダタクジ at 09:20Comments(0)日記