2012年08月16日
そのとき、本田宗一郎は38歳。
「創発的破壊」(米倉誠一郎 ミシマ社)
読みたくて、読んでいなかった本をお盆前に購入してのんびり読んでました。
いやあ、いきなりシビれますよ、この本は。
西山弥太郎(川崎製鉄 初代社長)が
「鉄だ!」と
精錬から一貫した製鉄所の必要性を
政府に訴え、まわりからクレイジーと笑われながら実現した。
戦後、焼け野原となった日本に西山を初め、数多くの熱き男たちが日本を再建した。
井深大は「ラジオだ!」と直感し、大衆が喜ぶポータブルラジオを生産した。
松下幸之助は、水道の蛇口をひねるように生活必需品が手に入る世の中を夢見た。
本田宗一郎は、廃墟と化した日本を見て、一般庶民の手に入る交通手段を考え、
自転車にモーターをつけた「バタバタ」から事業を再スタートした。
次の大ヒットは「スーパーカブ」。蕎麦屋、新聞屋、八百屋の配達など、
まさに日々の暮らしに欠かせない交通手段を想定していた。
西山、井深、松下、本田は、
みな、来たるべき大衆消費時代を読んでいたのである。
ここには、発送の劇的な転換があった。
第2次世界大戦当時の日本は、
1 日本には天然資源がない。特に20世紀経済を支える石油に恵まれていない
2 四方を海に囲まれた耕作面積のきわめて少ない島国である。
3 その狭い島国に当時7500万人の人口がひしめき、すぐに1億人に到達するであろうという過剰人口
それが戦後、発想を転換した。
1 資源がないので輸入による加工貿易立国
2 島国とは、四方を海に囲まれた海洋貿易にとって最適の立地
3 人口過剰ではなく、1億人という豊富な労働力と巨大内需
この転換によって、
時代の先を読んだ彼らが立ち上がった。
1945年8月。
敗戦という未曾有の惨状に遭遇した彼らの年齢は、
西山弥太郎 52歳
井深大 37歳
松下幸之助 50歳
本田宗一郎 38歳
東日本大震災から1年半。
次の時代を読み、行動するのは、我々世代しかないのではないか。