2013年01月18日
リアルと抽象のあいだ
僕たちが生きているのは、リアルな世界だ。
いま、目の前にある人やモノたちをどうしていくか?
自分はどうやってお役に立てばいいのか?
そこがすごく大切だ。
いっぽう。
個人の活動というのはものすごく無力だ。
目の前の人を助けているだけでは
課題は解決できないのではないかという
不安にもかられている。
だから、行政や中間支援の仕事は
それらを抽象化、一般化して、制度をつくり、
困っている人を広く救ってあげるシステムを構築することだ。
昨日、西区コミュニティコーディネーターの反省会で感じたのは、
これを行き来することがとても
大切なような気がした。
名づけて、
リアルと抽象のあいだ。
今、目の前にいる人をなんとかしたい、というリアルと
そういう人がたくさんいるとしたら、どんな仕組みが必要なのだろう。
だとしたら、
今回の企画運営委員の会議のようなのは
まさにリアルと抽象を「行き来」できるような
仕立てにしたらよいのではないか。
「場」の構築。
フューチャーセッション。
リアルと抽象のあいだ。
なんとなく、見えてきた感じがする。
おもしろくなってきたね。
いま、目の前にある人やモノたちをどうしていくか?
自分はどうやってお役に立てばいいのか?
そこがすごく大切だ。
いっぽう。
個人の活動というのはものすごく無力だ。
目の前の人を助けているだけでは
課題は解決できないのではないかという
不安にもかられている。
だから、行政や中間支援の仕事は
それらを抽象化、一般化して、制度をつくり、
困っている人を広く救ってあげるシステムを構築することだ。
昨日、西区コミュニティコーディネーターの反省会で感じたのは、
これを行き来することがとても
大切なような気がした。
名づけて、
リアルと抽象のあいだ。
今、目の前にいる人をなんとかしたい、というリアルと
そういう人がたくさんいるとしたら、どんな仕組みが必要なのだろう。
だとしたら、
今回の企画運営委員の会議のようなのは
まさにリアルと抽象を「行き来」できるような
仕立てにしたらよいのではないか。
「場」の構築。
フューチャーセッション。
リアルと抽象のあいだ。
なんとなく、見えてきた感じがする。
おもしろくなってきたね。