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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2013年04月04日

冗長率というコミュニケーション力

芝居がかった、とか
セリフみたいな、とか、
ヤラセっぽい感じ、とか。

その原因がどこから来るのか?
それは、芝居のセリフにあまりにも
無駄がないから、だと言う。

本日も
コミュニケーションについて考える、
平田オリザさん「わかりあえないことから」(講談社現代新書)の
自主ゼミの時間です。

ある演劇の教科書に

その、竿を、立てろ

という例文があって、

この、ではなく「その」を強調したい時には「その」を
棒ではなく「竿を」を強調したい時は「竿を」を
転がすのではなく「立てろ」を強調したい時は「立てろ」を
それぞれ強調して読むと言う練習を繰り返し、
感情表現ができるようになると実際に書いてあるそうだ。

しかし、これは日本語としては少しおかしい。

本当に竿を強調したい時、
わたしたちは

「さお、さお、さお、その竿立てて」
と言うし、

立ててほしい時は
「立てて、立てて、その竿」
と言うのではないか。

これは西洋近代演劇を模した日本演劇の不幸だと平田さんはいう。

・日本語は、強弱アクセントをほとんど使わない。
・日本語は、強調したい言葉を、語頭に持ってきて繰り返すことができる。

これが、日本語の演劇が
「芝居くさい」ことの原因だという。

演劇は話し言葉が多用される。
それを書くときに重要なのは、
「会話」と「対話」を区別することだとと著者は考える。

「会話」:複数の人が互いに話すこと。またその話。
⇒価値観や生活習慣なども近い親しいもの同士のおしゃべり。

「対話」:向かい合って話し合うこと。またその話。
⇒あまり親しくない人同士の価値観や情報の交換。あるいは親しい人同士でも、
価値観が異なるときに起こるその摺りあわせなど。

日本社会には、この「対話」の概念が希薄なのだと言う。
それは、日本が稲作文化の中で、
ほぼ等質の価値観や生活習慣を持った者同士の集合体を
基本として構成されていたから、阿吽の呼吸、みたいなのが大切だとされたのだ。

他方、ヨーロッパは、
異なる宗教や価値観が陸続きに隣り合わせているから、
自分が何を愛し、何を憎み、どんな能力で社会に貢献できるかを
説明しなければならない。

日本がいいとか、ヨーロッパがいいとかではなく、
これは文化的な背景が違うからどちらがいいというわけではない。

そしてもうひとつ、「冗長率」だ。

一つの段落、一つの文章に、どれくらい意味伝達とは関係ない無駄な言葉が
含まれているかを数値で表したもの。

ふつうのおしゃべりである会話が、高い数値になりそうだが、
そうではなく、異なる価値観のすり合わせをする対話がもっとも冗長率が高くなる。

「えーと、まぁ、おっしゃることはわからないでもないですが、ここはひとつどうでしょうか、
別の、たとえば、こういった見方もあるんじゃないかと・・・」

とここまで何一つ本題に入っていない。
冗長率は圧倒的に高くなる。

この冗長率を操作することで、
相手の理解度や聞きやすさが変わってくるのだという。

7時のニュースと9時のニュースでは
圧倒的に9時のニュースの方が冗長率が高い。
またスポーツニュースなどに芸能人を起用したりするのは
まさに冗長率を変えて、聞きやすくしているのだろう。

著者によると、
冗長率操作の天才はニュースステーションの久米宏さんで、
ニューストピックに応じた冗長率の操作が天才的だったという。

なるほど。

~~~ここから引用

日本の国語教育は、この冗長率について、
低くする方向だけを教えてきたのではなかったか。
「きちんと喋れ」「無駄なことは言うな」
・・・だが本当に必要な言語運用能力とは、
冗長率を低くすることではなく、それを操作する力なのではないか。

だとすれば、国語教育において、本当に今後、
「話す・聞く」の分野に力を入れていこうとするならば、
少なくともスピーチやディベートばかりを教え、
冗長率を低くする方向にだけ導いてきたこれまでの
教育方針は、大きな転換を迫られるべきだろう。

~~~ここまで引用(「わかりあえないことから」より)

うーむ。
なるほど。

これ、コミュニティデザインの分野って
まさにそうだなあ。

相手によって、
冗長率を変化させていくことができる力。

田舎に行って、
じいちゃんばあちゃんたちと話すときに、
「結論から申しますと」

みたいな切り出ししたら、怒られるよなあ。

これは、面白い。
何を養成するためのコミュニケーション力なのか。
もういちど問い直す必要がありそうです。  

Posted by ニシダタクジ at 07:14Comments(0)学び