2013年04月08日
自信を持つのではなく、他者評価を生きないということ
若者支援について考えさせられる機会を多く頂いている。
それは大学生だったり、
中高生だったり、
引きこもりの若者だったりする。
そしてよく、
「自分に自信を持つ」ということの
難しさを痛感させられる。
心理学者アルバート・バンデューラによると
自己効力感=self efficacy(⇒おそらくは日本語にすると「自信」の一種)
を高めるには
1 制御体験(成功体験)
・・・自分を制御して目標を達成する経験
2 代理体験
・・・達成した人の話を聞く経験。
3 社会的説得(言語的説得)
・・・「やればできる」などという他者からの説得。
4 生理的・感情的状態
・・・長所や短所を感じる生理的体験を自覚すること。
だと言われている。
このうち、今回の課題は、
1 制御体験(成功体験)
だ。
「成功」と言われると、
どうしても私たちは、
「他者評価による成功」を思い浮かべる。
誰かに褒めてもらった。
「すごいね」と言ってもらえた。
金銭的に高く評価された。
など。
では、それが本当に自己効力感(≒自信)
につながっているのだろうか?
そもそも、彼らは自信がないとしたら、
なぜ、自信がなくなっていったのだろうか?
子どものころはみな、なんでもできる気がしている。
僕は高校生の頃、
地球環境問題の現実にショックを受けたのだけど、その現実を前にして、
自分が何か新技術を開発することで、解決しよう。と本気で思っていた。
ところが、
大学に入って、たくさんの本を読んだり、自分自身の能力のなさを痛感すると、
自分には何もできない、と思って、絶望した。
なんのために大学に入ったのか、まったく分からずに途方に暮れた。
そんなとき、
農学部学生の自主ゼミの全国大会が東京であり、
それで発表している同学年の大学生のすごさにショックを受け、
サークルを立ち上げた。思えばあの出会い、敗北感が僕の出発点だったように思う。
そうやって、サークルを立ち上げてからは、
たくさんの失敗をし、周りの大人に多大な迷惑をかけて、
そうやって、一歩ずつ前に進んでいた。
やることに継続性・持続性がなくて、
すぐに断念したこともたくさんあって、
たくさんの人に迷惑をかけたから(現在も)、
僕を批判する人たちはたくさんいる。
そういうときに指摘を受けると、
僕もシュンとなって落ち込んでしまうのであるが、
意外に僕には「鈍感力」というのがあって、
そういう失敗に対して、自信を失わないような耐性をつけてきた。
また、中にはあたたかく見守ってくれる大人や友人もいて、
「行動することに価値がある」と言ってくれたりもした。
だとすると。
「自信を持つ」というのは、
他者から褒められるということによって育まれるのではなく、
自分の意志で行動したことに対して、
それを認めてくれることのプロセスによって育まれるのではないか。
「何かができた」ことがすごいのではなくて、
「やってみた」ことに価値があるのであって、
結果はおまけみたいなもんだ。
「承認される」ということと
「褒められる」というのは、ちょっと違うのだろう。
いちばん大切なのは、
「他者評価を生きない」ということだと思う。
人は、他者評価を生きることで、
どんどんきゅうくつになっていった。
坂口恭平「独立国家のつくり方」(講談社現代新書)に登場する
俗称(本人たちはおそらく思ってはいない):ホームレスは、
家のように見える段ボール群を「寝室」だと言い切り、
図書館を「我が本棚」だと言った。
経済社会という
「統一された他者評価」の基準での「幸せのようなもの」から
決別した彼らの潔さに坂口さんは衝撃を受ける。
ということは、
自己効力感(≒自信)を手に入れるためにまず大切なのは、
「他者に評価される自分になる」ということではなく、
他者評価を生きないこと(⇒さすがにいきなりは難しいから)であり、
他者評価に行動を左右されないことなのではないだろうか。
もし、そうだとしたら、
若者支援の重要なポイントは
・むやみに結果を褒めない。
・行動を承認する。
そんな話をツルハシブックスでしていたら、
教育学部の大学生ふたりが
「褒める」じゃなくて、「認める」なんだよ。
と言ってくれた。
なるほど。
褒めるじゃなくて、認める。
そのために必要なのは、
「承認」する、ここにいてもいい、という空気に満ちた「場」
を作っていくということも非常に大切になる。
居場所とは、そういう場所なのだろう。
それは大学生だったり、
中高生だったり、
引きこもりの若者だったりする。
そしてよく、
「自分に自信を持つ」ということの
難しさを痛感させられる。
心理学者アルバート・バンデューラによると
自己効力感=self efficacy(⇒おそらくは日本語にすると「自信」の一種)
を高めるには
1 制御体験(成功体験)
・・・自分を制御して目標を達成する経験
2 代理体験
・・・達成した人の話を聞く経験。
3 社会的説得(言語的説得)
・・・「やればできる」などという他者からの説得。
4 生理的・感情的状態
・・・長所や短所を感じる生理的体験を自覚すること。
だと言われている。
このうち、今回の課題は、
1 制御体験(成功体験)
だ。
「成功」と言われると、
どうしても私たちは、
「他者評価による成功」を思い浮かべる。
誰かに褒めてもらった。
「すごいね」と言ってもらえた。
金銭的に高く評価された。
など。
では、それが本当に自己効力感(≒自信)
につながっているのだろうか?
そもそも、彼らは自信がないとしたら、
なぜ、自信がなくなっていったのだろうか?
子どものころはみな、なんでもできる気がしている。
僕は高校生の頃、
地球環境問題の現実にショックを受けたのだけど、その現実を前にして、
自分が何か新技術を開発することで、解決しよう。と本気で思っていた。
ところが、
大学に入って、たくさんの本を読んだり、自分自身の能力のなさを痛感すると、
自分には何もできない、と思って、絶望した。
なんのために大学に入ったのか、まったく分からずに途方に暮れた。
そんなとき、
農学部学生の自主ゼミの全国大会が東京であり、
それで発表している同学年の大学生のすごさにショックを受け、
サークルを立ち上げた。思えばあの出会い、敗北感が僕の出発点だったように思う。
そうやって、サークルを立ち上げてからは、
たくさんの失敗をし、周りの大人に多大な迷惑をかけて、
そうやって、一歩ずつ前に進んでいた。
やることに継続性・持続性がなくて、
すぐに断念したこともたくさんあって、
たくさんの人に迷惑をかけたから(現在も)、
僕を批判する人たちはたくさんいる。
そういうときに指摘を受けると、
僕もシュンとなって落ち込んでしまうのであるが、
意外に僕には「鈍感力」というのがあって、
そういう失敗に対して、自信を失わないような耐性をつけてきた。
また、中にはあたたかく見守ってくれる大人や友人もいて、
「行動することに価値がある」と言ってくれたりもした。
だとすると。
「自信を持つ」というのは、
他者から褒められるということによって育まれるのではなく、
自分の意志で行動したことに対して、
それを認めてくれることのプロセスによって育まれるのではないか。
「何かができた」ことがすごいのではなくて、
「やってみた」ことに価値があるのであって、
結果はおまけみたいなもんだ。
「承認される」ということと
「褒められる」というのは、ちょっと違うのだろう。
いちばん大切なのは、
「他者評価を生きない」ということだと思う。
人は、他者評価を生きることで、
どんどんきゅうくつになっていった。
坂口恭平「独立国家のつくり方」(講談社現代新書)に登場する
俗称(本人たちはおそらく思ってはいない):ホームレスは、
家のように見える段ボール群を「寝室」だと言い切り、
図書館を「我が本棚」だと言った。
経済社会という
「統一された他者評価」の基準での「幸せのようなもの」から
決別した彼らの潔さに坂口さんは衝撃を受ける。
ということは、
自己効力感(≒自信)を手に入れるためにまず大切なのは、
「他者に評価される自分になる」ということではなく、
他者評価を生きないこと(⇒さすがにいきなりは難しいから)であり、
他者評価に行動を左右されないことなのではないだろうか。
もし、そうだとしたら、
若者支援の重要なポイントは
・むやみに結果を褒めない。
・行動を承認する。
そんな話をツルハシブックスでしていたら、
教育学部の大学生ふたりが
「褒める」じゃなくて、「認める」なんだよ。
と言ってくれた。
なるほど。
褒めるじゃなくて、認める。
そのために必要なのは、
「承認」する、ここにいてもいい、という空気に満ちた「場」
を作っていくということも非常に大切になる。
居場所とは、そういう場所なのだろう。