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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2013年11月27日

「偶然」が起こるという価値

コワーキングスペースは、なんのためにあるのだろうか?

なぜ、そこに人は集うのだろうか?

「学校」という空間はなぜ、つまらないのか?

小布施や武雄、塩尻の図書館に
高校生が押し寄せ、勉強しているのはなぜか?

本屋が図書館が持つべき機能とは、なんだろうか?

それは、もしかすると、
「偶然が起こる」という価値
なのかもしれない、と思った。

スタンフォード大学クランボルツ博士は、
「計画された偶発性」理論を説く。

個人のキャリアは
計画していない予期せぬ偶然の結果によって決まる。

たまたま、あの本を読んだから。
たまたま、あの人に出逢ったから。
あのタイミングで、ああいう出来事が起こったから。

もし、それを、人が本能的に感じているとしたら。

例えば高校生は勉強する。
そのゴールは大学第一志望の合格だ。
もっとも効率的な勉強計画を組み、
集中できる環境に身を置き、勉学に励む。

よく、
「自宅では集中できない」という声も聴く。
図書館だと集中できる、と。
それはまさしく「場のチカラ」だ。

マクドナルドで朝活するより、
スターバックスでしたほうが、なんか話が盛り上がるような気がする。

その「場のチカラ」の構成要素のひとつに、
「偶然」が起こるということが挙げられるのではないか、と思った。

ツルハシブックスに来ていた大学生が来店動機をこう言っていた。

「ツルハシブックスに行くと、誰かに会えるから」

「誰か」に会える、というのはまさに「偶然」の産物だ。

もしかすると、本屋は、いや図書館も、
「偶然」を売っているのではないか?

「あの日、あのとき、あの本に出逢えなかったら」
という運命の一瞬を売っているのではないか?

コワーキングスペースが
「起業」支援を目的に設置されているとしたら、
そんな「偶然」がたくさん起こるようにしなければならないのではないか。

そう言えば、渋谷の「co-ba」で出会ったふたりは
この前のイベントでたまたま会って、一緒に事業を立ち上げました、
なんて言っていた。

東京では、そんなことが頻繁に起こる。
東京の魅力は「偶然」が転がっていることなのかもしれない。

対して、
学校という空間は
まず「ゴールありき」で作られる。

そしてそれを評価するのは、
ゴールに対しての達成度、到達度だ。
そこに「偶然」の価値は少ない。
いや、「偶然」が評価される環境にない。

それが、本能的に、居心地の悪さを生んでいるのではないか?

小布施や武雄、塩尻の図書館に高校生が押し寄せているのは、
自分たちがその主体とならなくても、
「偶然が起こっている」、あるいは「偶然が起こりそうな」空間の心地よさを
感じているのではないか?

かつて「カフェ」(いわゆる昭和の「喫茶店」)は、
偶然が起こる場所だった。

マスターに「ギターを最近始めて、バンド組んでみたいんだ」って言えば、
「そういえば、あの人、昔ベースやってたって言ってたなあ。」
と誰かを紹介してくれた。

バッタリ居合わせた隣のお客さんと、
趣味の話で意気投合し、一緒にスポーツを楽しむようになった。
そんな空間。

いつのまにか。
世の中は、社会は、高度に目的に最適化された。
目的へ最短距離を行くようになった。

コーヒーを飲む時間を楽しむのではなく、
カフェインを注入して眠気を覚ますために
最小のコストを選択するようになった。

そこには「偶然」が起こらない。

場の持つチカラ。

その重要なポイントは、
「偶然」が起こるということ、なのかもしれない。

だからこそ。

本屋と図書館、図書館と言っても、まちの小さなライブラリーの出番だ。
そこにコミュニケーションが生まれ、偶然が起こる場所を
世の中の人たちは待っている。

「偶然」こそが人生を彩る。  

Posted by ニシダタクジ at 06:30Comments(0)日記