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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2013年11月09日

農業体験ではなく、「誇り」に触れること

新潟市教育委員会
若者支援センター「オール」との
コラボ企画「農的暮らし体験」

「農業体験」ではなく、「農的暮らし体験」。
ここがポイントだ。

まきどき村の人生最高の朝ごはん。
何をもって「人生最高」と言うのか?

農業体験をした後にご飯を食べているから?
囲炉裏を囲んでいるから?

それはまだ
「場の持つチカラ」を説明しきれていない。

新潟市の街中に
畑があって、古民家を移築すれば
それで同じ体験ができるだろうか?

残念ながら難しいだろう。

以前、教育ファームのシンポジウムで、
新潟市はこんなにも豊かな農業資源があるのだと
知って、子どもたちは新潟市に誇りを持つだろう、
という趣旨の発言があったが、そんなことはなくって、

誇りを持って、
農業を営む農家のおっちゃん達の気持ちに触れて、
新潟市でよかったと思うのだろうなあ。

旧庄屋佐藤家だって、
あの地域であの古民家を守ろうとした人たちがいて、
朝、畑に行く道の途中で、たくさんの人と挨拶をして、
朝市のおばちゃんとたわいもない会話を交わし、
そういう空気感をすべて含め、人生最高だと言うのだろうな。

大切なことは、
「農業体験」そのものではなく、
そこに付随する様々な「誇り」と呼ばれるような
無形の何かなのだと思う。

そういうの、本当はもっと小さい子どものときから
何度も経験してるといいのだろうなあと思います。  

Posted by ニシダタクジ at 08:11Comments(0)日記

2013年11月08日

やりたい仕事では成長できない?


「働く。なぜ?」(中澤二朗 講談社現代新書)

横浜で行われた
コーディネーター戦略会議の
高知大学タームで
お会いしました、ジローさんの新刊。

1万人以上を面接した
ジローさんのエッセンスが詰まっています。

今回は冒頭部分からコチラを紹介。



やりたい仕事ばかりを求めていると、
「本当の成長」はできません。(本文より)

~~~ここから引用

図のAとBはどちらが大きいでしょう?

答えは明快
もちろん「B」です。

「成長させてくれる(と思い込んでいる)仕事」は
10%の「知っている仕事」よりも
90%の「知らない仕事」の中に多く含まれるからです。

この話の味噌は、にもかかわらず、「やりたい仕事」にこだわると、
「やりたい仕事」は「知っている仕事」の中にしかありませんから、
みすみす「B」の90%を捨ててしまっているということです。もったいない話です。

~~~ここまで引用

なるほど。
やりたい仕事にこだわりすぎていると
成長の機会を持っている仕事に出会えないかもしれない。

なるほど。
成長の機会は「知らない仕事」の中にある。

だから、なんでも機会だととらえてやってみるしか
ないのですね。

なるほど。
これは真実をついているなあ。  

Posted by ニシダタクジ at 07:26Comments(0)

2013年11月07日

当事者意識を発動させるタイミング

「行動が起こる会議」

これが
にいがた未来考房のテーマ。

いままで
山ほど見てきた
「行動が起こらない会議」

言いたいことだけいって
「そうなったらいいよね~」なんて夢を語って、
会議が盛り上がったように見える報告書はできるのだけど。

誰も行動しない。
だから、なにも変わらない。
こんな会議を
大学3年生からずっと見てきた。

大切なのは、会議をすることではなくて、
行動を起こすこと、未来を創っていくことなのだから。

「フューチャーセンターをつくろう」(野村恭彦 プレジデント社)

によると、
行動が起こる会議の3原則は

1 課題提案者が本気であること
2 実行力を持った参加者がいること
3 ファシリテーターが強い意志を持って関わること

従来の「住民参加型会議」には
2しか存在しなかった。

つまり、本気で課題を解決しようと思っている人も
強い意志を持っているファシリテーターもいなかった。
だから、行動が起こらなかった。

一方で、
僕たちヒーローズファームは、
2006年に「社長に挑戦セヨ」というイベントを始めてから

「学生の本気のアクションを起動させるには?」という
テーマで取り組んできて、
「当事者意識をどこで発動させるか?」
つまり、社長の課題意識に共感し、
当事者意識を発動する設計を考えてきた。

さらに、「イノベーション」を起こすためには、
必ずしも明確な課題意識から出発しないほうがいいのでは、
と思ってきた。

そこで今回の未来考房はそこにチャレンジをしている。

シナリオシンキングという未来予測手法を使って、
起こりうる未来をまずはワクワクを抱いて想像し、
イメージできた未来のところに
個人の当事者意識を落とし込んでいくという方法だ。

アクションが起こるには
課題共感と当事者意識の高まりが
絶対に必要なのだが、
最初に当事者意識を高めてしまうと、
考えの枠が狭くなって、
「場」の強みを活かせないのではないかと考えた。

このセッションに集まるメンバーは
今日かぎりの最初で最後のメンバーであり、
何か、意味があると思ってよいだろう。

そこで出た未来への絵を
共有し、そこから自分たちのアクションに落とし込んでいく。

これができると、
会議はずっと面白くなると、
アクションの起こる会議が生まれる。

そんな実験をいましているのだろう。  

Posted by ニシダタクジ at 07:42Comments(0)学び

2013年11月06日

やってみるしかない


上田hanalab(ハナラボ)の井上さんと信州大学の松浦さんとランチしました。
「草笛」のドカ盛りそば、ステキです。

そして、
塩尻の空き店舗プロジェクト「nanoda」
の誕生日パーティー「誕生日なのだ!」に参戦。



大学生から社会人から集まってましたよ。
みんなで芋煮とサンマ焼きを頂きました。
おいしかった。

あらためて。

感じたことは、
やってみるしかない。
ってこと。

やってみると、いろんな人が出会い、
いろんなことが発見されて、
うまくいかないこともうまくいくこともあって、
たくさんの人に支えられて、なんとかなっていたり、ならなかったり。

そういうことって
やってみるしかない。

やってみたものしか見ることのできない
景色なのだなあとあらためて実感。

井上さん
山田さん

いい空気感を見せてもらいました。
イベントじゃなくて日常を見せてもらえてすごくよかった。
ありがとう。
新潟もがんばります~。  

Posted by ニシダタクジ at 08:27Comments(0)日記

2013年11月05日

大学時代の宿題は、消費者マインドから卒業すること



何年か前、
「下流志向~学ばない子どもたち、働かない若者たち」(内田樹 講談社文庫)
を読んで、

内田樹さんの
「教育がお買いものになったときから、子どもは学ばなくなった」
というのが非常に強いインパクトを受けた。

「なんのために学ぶのか?」
という質問に対する僕の答えは、

「学べば分かる」

つまり。
現時点で学んでいない状況の中で、
学んだ後のメリットや自分の変化を分かる必要がない。
ということだ。

これは、学校等における、
「まず、目標を立ててから学び始めよう」
というのと、根っこが異なっているから、相容れない。

しかし。
これはどっちが正しいか?
というようなものではなくて、
両方が真実だろうと思う。

目標を立てて進んでいく学びと
目標とは無関係に結果として学べるものを
振り返って学びに落とし込んでいく。
その両方が世の中では必要なのだと思う。

そして、この本。


「大人のいない国」(内田樹 鷲田清一 文春文庫)

移動時間に読む。

同じ理論なんだけど、
ふたりの対談から引き出される言葉も
力があるなあと。

~~~ここから引用(一部省略)

内田氏談

今の日本における「未成年者」は、
現実の年齢や社会的立場とは無関係に
「労働し、生産することではなく、消費を本務とする人」
というふうに定義できると思うんです。

労働を通じて何をつくり出すかではなく、
どんな服を着て、どんな家に住み、どんな車に乗って、
どんなレストランで食事をするか・・・
といった消費活動を通じてしか自己表現できないと思っている。

鷲田氏談

消費者であるということは、
裏返すと僕らの生活空間自体がサーヴィスで充満しているということです。
ものを食べるにしても、勉強するにしても、もめ事を解決するにしても、
病気やケガを治すにしても、その手段はみんな「サーヴィス」というかたちで提供される。

生きること自体が
どういうサーヴィスを選んで買うか、ということになっている。

内田氏談

消費によってしか自己表現ができないと信じているからこそこういうメンタリティが生まれるんです。
彼らやあらゆるものを「商品」としてとらえようとしますから、あらゆるものについて「費用対効果」を吟味する。

でも、このマインドは「学び」を動機づけることができない。

「学び」というのは、、
自分がこれから学ぶものの意味や価値がまだわからない。、
だから「学び」を通じて、自分が学んだことの意味と価値を事後的に知る、
という時間の順逆が逆転したかたちの営みだからです。

消費者マインド にはこれが理解できない。
自分がこれから買おうとする商品の価値や有用性を知らないで、
商品を買うという消費者は存在しませんから。

~~~ここまで引用

いやあ。
コワイ。
その通りではないかなあと思う。

まあ、でも、これは、
個人ひとりひとりが悪いとか、
教育が悪いとか、そういう悪者探しではなくて、
僕自身は、


「第四の消費」(三浦展 朝日新書)

にあるように、
テレビや車、家電製品を売り続けることが
絶対の正義だった時代に、
世の中の要請として

「消費によって自己表現・自己実現せよ」

と世の中が一丸となって、キャンペーンしたことが
原因なのだと思う。

一方で
工業社会の絶対の正義として、
「効率化・合理化」「費用対効果の最大化」
は常に求められてきたのだから、

学校というか、世の中の教育空間が、
消費者マインドを持って、
「消費によって世の中に貢献できる人間」
を大量に生み出したことは、当時としては仕方のなかったことだと思う。

しかしながら。
モノはいいかげん行き渡り、
工業社会からサービス業社会へと移行し、

「付加価値を最大化する」ことが求められ、
そのためには、「自ら考え、行動すること」が
何よりも必要だと言われる世の中になっているのだから、

人生のできるだけ早く、
この「消費者マインド」を脱し、
「価値を生み出す主体」となることを経験していくことが必要になるだろう。

大学時代は、そのラストチャンスなのだと思う。

3日に集まった「起業家留学」の卒業生たちは、
みな口々に「当事者意識」、「起業家精神」、「振り返りの重要性」
を語った。

あらためて思う。
大学時代の宿題は、消費者マインドから卒業することだ。

「何のために?」と問うだけで行動しないのではなく、
とりあえず面白そうだから、成長できそうだからやってみよう、
とチャレンジを始めることだ。

その後、チャレンジを振り返ることだ。
何を学んだのか?と問い直すことだ。
その繰り返しが消費による自己表現ではなく、
価値を生み出す主体となることによって自己表現する人となる近道だ。

可能なら、小学生・中学生・高校生のうちに
段階的にそのようなプログラムを商店街あたりで
やれたら素晴らしいのだが、
まずは大学生にそのような機会を提供していくことが
ヒーローズファームの使命なのだと感じた。

ヒーローとは、「価値を生み出す主体」のこと。
自ら考え、行動すること。
行動を振り返り、「何が価値だったか?」と問うこと。

この機会を地域社会で、あらゆる手法で提供することが必要だと
僕は信じています。

自動車運転免許+キャリア基礎力
「働き方研究所」

現在、大学生募集中です。
免許を持っていない人、
「消費者マインド」を脱ぎ去るチャンスです。

    

Posted by ニシダタクジ at 08:06Comments(0)学び

2013年11月04日

起業家精神と当事者意識

2011年3月まで
ヒーローズファームを
一緒に創ってきた
中村憲和さんの結婚披露イベント

「おかえりなさい。中村憲和。おめでとう。」でした。



内容は、

乾杯。
ひとりひとりからの挨拶「中村憲和とワイシャツと私」。
締め(結婚式だからお開きだと思う)の後に
なぜかケーキ入刀だったり。

むちゃくちゃだったけど、
なんとも言えないあったかい空気感に包まれていました。

いやあ。
ホント、よかった。

彼の足跡には
たくさんの人たちがいて、
そこから始まる無数の物語があって、

またひとりひとりが
今の持ち場で、
「起業家精神と当事者意識」(星野くん談)
を持ってやっているんだろうなあって、思いました。

ヒーローズファーム「起業家留学」は
やっぱり素敵なコミュニティでした。
復活する日もあるだろうなあと思いました。

出会えてよかった。
ありがとう。  

Posted by ニシダタクジ at 06:34Comments(0)イベント

2013年11月03日

大学1年生の1年間に「世間」のシャワーを浴びる

大学1年生の1年間。

大切なのは、
「世間」のシャワーを浴びること。
「世界」を広げること。

坂口恭平の言う、
無数のレイヤーを感じること。

ここからしか、始まらないのではないか。

働き方研究所は、
そんなあなたに贈る、
自動車運転免許+キャリア基礎力講座です。

問い合わせはツルハシブックスまで。

    

Posted by ニシダタクジ at 10:51Comments(0)思い

2013年11月02日

公務員志向なのは安定したいというより承認されたいから

大学生は「安定志向」だと言われる。
公務員、教員、大企業の人気はすごい。

例えば平成24年度の
新潟市の一般行政職の志望倍率は
10倍ジャストだ(46人合格/459人受験)

しかし
「長引く不況で学生はより安定志向になっている」
というのは、本当だろうか?

実は、「雇用不安」そのものよりも、
「承認不安」があふれているから、
多くの人は「承認」を得るために、
公務員志向なのではないか?


「認められたいの正体」(山竹伸二 講談社新書)
によれば、

社会共通の価値観への信頼がゆらいでいれば、
行動を規制する価値観やルールの強制力が弱く、
ある意味で自由な社会が到来する。

しかしながら、様々な実験によると、
自由な状況下こそ、人は行動の基準を他者に委ね、
権威に従うようになる。
それは承認の不安を無意識の動機としているからだと著者は言う。

「他者評価」が行動の理由になってしまうのと同じだ。

僕は
「他者評価」を元に生きることがこそが不幸の源泉だと思った。

だから、それをやめるべきだと思った。
しかし、「なぜ、他者評価に依存するのか?」については、
そこまで考えていなかった。

そうか。
他者評価に依存せざるを得ないのは、
世の中が揺らいでいるからか。

公務員志望者が多いのは、
「不況だから安定したい」
ということではなく、
「承認されたいから権威(ピラミッド)の中に入りたい」
ということの表れなのではないか。

なるほど。
ということは、
社会を変革するチャレンジングな若者を輩出する方法として、

「安定ばっかりのぞんでないで、チャレンジしろよ。
日本はあなたのチャレンジを待っている!!」
と熱く語りかけることではなくて、

「ありのままのあなたでいいんだよ」と親和的承認ができる場をつくり、
まずは小さな集団での役割を果たす場面を作って、それを体感させて、
その集団を少しずつ大きくしていき、
最後には、世のため、人のために、社会課題解決型ビジネスを立ち上げる、
みたいな人が育つのではないか、という仮説ができる。

ということはやっぱり。
商店街や各お店、地域の大人が子どもの承認欲求を(特に親和的承認)を
如何に満たしていくか、が
ニッポンの課題解決にとってすごく重要なのではないだろうか。

安定志向なのは、
安定したいからではなく、
承認されたいから。

子ども~高校生の頃にそれを満たしていくこと。

それがチャレンジングな大学生を生んでいく効率的な方法なのではないだろうか。

PS それでも、大学生からでも間に合います。
「働き方研究所」11月15日オープン。問い合わせ受付中。

    

Posted by ニシダタクジ at 05:26Comments(0)日記

2013年11月01日

「居場所」とは親和的承認の場のこと

「承認」というキーワードで
若者の行動を見ていくと、たくさんの気づきがある。

引きこもりやニートの若者が苦しいのは、
「親和的承認」・・・あるがままの自分を受け入れてもらうことで承認される。
「集団的承認」・・・集団の中で役割を果たすことで集団から承認される。
「一般的承認」・・・世間一般に価値があると思われることを行い、承認される。

このどれもが手に入らないからではないだろうか。
あるいは、ネット上にだけ、「親和的承認」の舞台があるからではないか。

中越地震の時、僕が一緒に活動した人の中には
いわゆる「ニート」だった人たちがたくさんいたのだけど、
彼らはまさにボランティアという誰から見ても価値あることを
することで「一般的承認」を得ようとしていたのではないか。

そこで、「居場所」の出番だ。
行政や民間機関がやっている「居場所」は
そのような人が集まってくる。
そしてそこに「共感」が生まれる。

「共感」は「承認」につながっている。
だから、「共感」なき「賞賛」は意味がない。
むやみに褒めたりすることにあまり意味がないのは、
それでは、承認されている気持ちにならないからではないか。

「居場所」とは、親和的承認の場だ。

ありのままの自分をある程度受け入れてもらうところだ。
かつて、家庭や地域社会が担っていた「親和的承認」の舞台は、
「居場所」に頼らざるを得なくなった。

大人になれば、お酒が飲める。
大人になれば、ギャンブルに行ける。

「居場所」がそこにある。
飲み屋のママに話を聞いてもらうこともできる。
そこである程度の「親和的承認」が得られる。

しかし、子どもはどうだ。

子どもにとって、
もし家庭で「親和的承認」が得られず、
学校でも「集団的承認」が得られないとしたら。

駄菓子屋に行ってオバサンにクダを巻くしかないだろう。

しかし、そんな駄菓子屋はもはや存在しない。

僕が高校生の時、駅前に
ヤンキーのたまり場になっている駄菓子屋+タコ焼きの店があった。
スナックを改装しないで、タコ焼きを焼いていたオバサンは、聞き上手だった。

おそらくはスナックから商売替えして、たこ焼き屋になったのだろう。
ヤンキーのたまり場となった。
夜の店には、タバコの煙が充満してた。
未成年にタバコを吸わせちゃダメだろう、と思いながら、
ビビりだった僕は、テスト前とか、学校の早く終わったときにだけその店に行くのが楽しみだった。

彼女は、
ヤンキーたちの「親和的承認」を満たしていたのではないか。

「傾聴」とよく言われるが、
話を聴くことは親和的承認を満たす方法であり、
共感することでそれは達成されるのだと思う。

だとすると、
若者の「居場所」としては必要なことは、
「親和的承認」を得られる場にすること。

裏を返せば、

「親和的承認」が得られる場は
若者にとっての「居場所」になりうるということ。

だからこそ、
「商店街」「離島」「中山間地」が
若者のフィールドとなり得るのではないだろうか。

いや、もっともインパクトのある「居場所」に
なっていくと僕は信じている。  

Posted by ニシダタクジ at 07:02Comments(0)日記