プロフィール
ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 107人
オーナーへメッセージ

2014年02月22日

「季節限定」こそが当たり前だ

「うちのまち なじみのおみせ ものがたり」
(3月15日~30日開催予定)
の取材で、大口屋さんに行ってきました。

大口屋さん。
ツルハシブックスのすぐ近所に
ある魚の加工品を製造・販売するお店。

化学調味料
保存料
着色料は使わない。

だから、漬物などは、発酵が進み、味が変わる。

「当たり前のことだ」
と大口さんが言う。

夏になれば、汗をかくから、しょっぱいのが欲しくなる。
冬になれば、身体を動かさないから、甘めの塩が美味しく感じる。

同じ味付けでも、
夏と冬では、感じ方が違う、と言っていた。

日本の豊かさとは、
新潟県の豊かさとはなんだろうか?

春夏秋冬がある。
季節の移り変わりがあること。
雪が降って、春が来る。

そんな中で、たくさんの食文化が花開く。
そして「郷土料理」が生まれる。

「郷土料理」とはいったいなんだろうか?

「その季節にしか獲れない野菜・魚で」
「長年の積み重ねで工夫して」
「食材の美味しさを引き出した料理」

だと言えるだろう。

だとすれば、
雪国の郷土料理のほとんどは、
「季節限定」とならざるを得ない。

1年中獲れる野菜や魚は存在しないからだ。
いや、もしかしたら干したり浸けたりして、
1年中使えるようにしているのもあるかもしれないが。

いま。
日本各地を旅行すると、
各地の「名物」と呼ばれるものを食べたくなる。

そして、各地のターミナル駅の近くには
その名物料理の看板を掲げた店がある。

しかし、そこに季節感はない。

たとえば新潟の「のっぺい」は、
里芋が獲れ始める時期に作りはじめるのが通常だろう。

1年中、同じものが食べられる。
というのは、日本の気候を考えると「異常」である。
「季節限定」こそが当たり前だ。

冬の新潟や富山に来たら、
「寒ブリ」を食べたいと思うように、
地域の旬の料理を食べることこそ、本当の旅の醍醐味なのだろう。

冬の名物料理を真夏に汗をかきながら食べる。
そんな不思議な光景はない。

そして、郷土料理には、意味がある。

たとえば、
同じ「煮菜」という料理でも、
新潟平野の方は酒粕で煮たものとなるが、
中越地方は豪雪地帯だから、
野沢菜を油でいためてから煮るようなカタチをとる。
それは、脂分をエネルギーとしてとるためだという。

そうやって考えると、
その土地、その土地の気候に合わせて、
郷土料理は作られてきた。

にもかかわらず、
まさに専業の思想なのかもしれないけど、

外からやってくる観光客のために、
郷土料理を1年中出し続けるビジネスが成立し、

そのために、
保存料、着色料を投入した結果。
その土地でなくても食べられるようになり、
物流が発達した現在においては、
もはや東京にいれば全国どこの郷土料理も食べられるようになっている。

いま。
現地で、その季節にしか食べられない料理は、
付加価値が低い料理か、日持ちが悪い商品だけになっている。

大口さんの話を聴いて、
大学生に聞いてもらいたいと思った。

「季節限定」こそが当たり前の食文化を、
大口屋さんから発信したい。  

Posted by ニシダタクジ at 06:48Comments(0)学び