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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2014年04月29日

思考を停止して勉強するという矛盾


「森を見る力」(橘川幸夫 晶文社)

僕は2001年に橘川さんの
「インターネットは儲からない」(日経BP)
を読んだ時から大ファンで、
ほかにも「希望の仕事術」とかも大好きですが、

久しぶりに世の中をぶった斬る大作が「森を見る力」。
帯に書いてある「データを見るな、森を見よ」
というのも熱い。
いいなあ、橘川さん好きだ。

とかつてツイッターで絶賛していたら、
本人からリツイートされて、お昼ご飯をご一緒させてもらったことがあります。
絶賛するためのメディア、それがツイッターです。

まだまだ読み始めたばかりですが、
シビれるところがたくさんあります。

P38「就活地獄はどこから来たのか」

冒頭から

僕たちの社会が失ったものはたくさんあるが、
一番大きな喪失は「社会の教育機能」ではないか。

と始まります。

~~~以下一部引用

かつては地域全体が教育の場であったが、
社会という教育機能が蒸発し、学校だけが取り残された。

かつて職場とは、生産や流通の場であると同時に教育の場であった。
ところが会社が企業と呼ばれるようになったころから職場の意味が変質してきた。

先輩・後輩の序列が失われ、
共同性も失われ、
ひたすら生産効率の数字だけが一人歩きしはじめた。

教育とはコストがかかるものである。
まして全人格的にマンツーマンで育て上げるには、
奉仕に近いエネルギーを必要とする。
後輩に教えなくても自分でやったほうが早い作業も
後輩を育てるためにやらせたいする。

しかし企業はそうした奉仕を不合理と感じた。
必要な人材は外部から完成した人材を供給するか
外部に発注すればよい。
基本教育は専門の社員研修会社に委託すればよい。

「コーチング」という、何を教えるかを無視した、
教え方の技術だけが企業にもてはやされた。
マンツーマンの関係を作るより、効率良い一般的な方法を強いられた。
戦後の個人主義の突出も、そうした動きに拍車をかけた。

出版社は外部の編集プロダクションに作業を委託し、
テレビ放送局は番組制作を外部プロダクションに委託する。
会社の魂である「コンテンツを作る」ということを外部委託してしまえば、
ノウハウを失い、教育しようにも教育のしようがない。

「一緒につくる」という一体感がなければ、
組織は冷たく機械的なものになる。

競争社会というのは、結局、誰ひとり勝ち組になれない社会なのだろう。
買った者は勝ち続けなければ負けてしまうのだから。

現在の大学生は「就活」に苦労しているという。
学生にとって就職の問題は今も昔も大事な問題であった。

しかし、以前は、今以上に就職の選択肢があったのだ。
それは社会に「教育者」が溢れていて、
たとえば、高校に行かないでバイクばっかり乗ってるヤンチャな子も、
町内の自動車修理工場の親父が「おまえ、いつまでもそんなことしてないで、
うちで働いてみる気はないか」と声をかけてくれたり、

大学受験に失敗して自暴自棄になっている子に、
親戚の中小企業の社長が声をかけてくれることがいくらでもあった。
つまり、就職という社会への入口が、社会のあちこちに用意されていたのだ。

しかし、企業が巨大化し、チェーンストア化してくると、
就職することは、巨大な会社に入ることでしかなくなった。

商店街の衣料品店に就職するのと、
ユニクロに就職するのでは、方法が違ってくる。

巨大な企業に入るには、結局、良い大学に入らなくてはいけないし、
良い進学校に入らないといけない、という窒息しそうなパイプに若者たちを
押しこめるしかなくなっている。

90年代にエントリーシートが普及し、
ソニーなどは履歴書欄に出身学校を記入することをやめたことがあった。

有名大学、有名企業という幻想は、
一度、学生も企業も捨てたはずなのに、

何万通とウェブでエントリーシートが届くシステム化された就職活動では、
結局、まずは出身大学で切るという
同じ幻想に引き戻されている。

~~~ここまで一部引用

就職活動があまりにシステム化されて、
ふたたび、「学歴」がモノを言う社会になった。
じゃあ、それに適応するために、
高校生の時はとりあえず勉強していたほうがいいのか?

それは部分的には正しいかもしれないけど、
長い目で見れば、危険だろうと僕たちは思うだろう。

「思考停止して勉強しろ」
という謎の価値観を押し付ける学校は、
本当に本人たちのことを考えているのだろうか。

平田オリザさんの「新しい広場をつくる」に書いてある
東大入学生の文化の地域間格差は衝撃的だ。

東京の私立中高一貫校と
地方の公立地域一番進学校の出身では、
高校までに味わってきた「文化」度が違うのである。
そのギャップに、会話が合わない地方出身者が続出し、
悪くなると不登校・中退につながってしまうという。

中学生高校生たちよ。
勉強してもいいけど、思考停止をしてはいけない。

「学ぶだけでいいのか?」
「なんのために学ぶのか?」
と問い続けながら、考え続けながら
勉強をしていなければならない。

そんな問いのチャンスが得られるような空間を
僕は作りたいんだなあと思った。

「就活地獄はどこから来たのか」を
橘川さんはこんなふうに締めくくります。

~~~ここから引用

誰も信じていないことを狂信しなければ就職が出来ないという、
残酷なまでのプロセスを、人間の生涯にとって最も重要な年代だと思われる
20歳前後の時期に要求する社会は、どこかおかしい。

個人も企業も、自分の利益だけを見て、
それを病的な執念で拡大しようとしている。
そのことによって、窒息させられているのは自分たちなのに。

組織の外側の社会全体を感じるように、
森の中で深呼吸をするように、
僕は、この社会で生きていきたいと思う。

~~~ここまで引用

うーむ。
なるほど。

「就職活動」に違和感を感じる、
っていうのはするどい感性なんだなあ。

だから、高校でも、思考停止して
勉強させられるっていうのに違和感を感じるのもまた、
感性なんだろうなあ。

その「おやっ?」
って疑問に思える感性を
吐き出し、受け入れる場と人間関係を作っていくのが、
「第三の場所」をつくっている人たちの使命なのではないかなあ。  

Posted by ニシダタクジ at 06:23Comments(0)学び