プロフィール
ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 107人
オーナーへメッセージ

2014年04月30日

メーカーの誇りはどこにいったのか?



「思想なき日本酒は造らない。」

秋田の日本酒メーカー「新政」が
danchu 3月号に特集された時のキャッチコピー。
熱いな、って思った。


「森を見る力」(橘川幸夫 晶文社)
を読み進めていると、
たしかに、私たちは森を見ずに木を見てきたなあと思う。

目のつけどころがシャープだったはずの
SHARPやパナソニック、NECが大きく揺らいでいる。
価格決定権を大手家電量販店に奪われた。

それは、日本が豊かになり、
電化製品はいきわたり、
必要な商品から付加価値のついた商品へのシフトが進んだこと大きいだろう。
「付加価値」とは本来の必要性以外の要素である。

かつて家電メーカーが
開発費や人件費を換算して決めていた
メーカー希望小売価格は「オープン価格」となり、
ギリギリの卸値で家電量販店が買い、
定価はほとんど流通側が決めた。

橘川さんは言う。
「もっとも利益が捻出できる部分を奪われ、
メーカーは流通の下請けになってしまった。」

システムダイアリーから「未来の手帳」ザウルスを生んだ
シャープはもはや昔話のようだ。

日本語ワープロも一定の使用者層がいた
(ワープロがなくなったときに、嘆いている人が僕の周りでもいっぱいいた)
にもかかわらず、
ウインドウズ95の販売開始と同時に
一斉に日本語ワープロの開発をやめてしまった。

~~~ここから引用

欧米では、これだけパソコンが普及した現在でも、
タイプライターのメーカーは生き延びている。

ワープロもザウルスも
ヘビーなユーザーを抱えていた。
彼らはメーカーは裏切ったのだ。
ユーザーの期待を切り捨てたのだ。

それは絶対にしてはいけないことだ。
商品とは、ユーザーとメーカーが一緒に作ってきたものなのだから。

~~~ここまで引用

そう。
商品はメーカーが作ってきたのではなく、
ユーザーと一緒に作ってきたのだ。

家電メーカーだけではない。
食品メーカーも同じように、

巨大化を続ける流通の覇権争いに
巻き込まれたままだ。

恐竜化するイオン(文中の表現のまま)
は他社から市場を奪うことが戦略である。
「トップバリュ」で激安のPB商品を売りまくるのだ。

それに対抗する
セブンイレブンは「セブンプレミアム」を強化している。

~~~ここから再び一部引用

製造しているのは大手企業が多く、
消費者の評判もよいようだ。

コンビニは陳列スペースに限りがあるので、
セブンイレブン本体が陳列商品を製造したら、
一般のメーカーは排除されざるを得ないので、
PBの下請け企業にならざるを得ない。

この商品は本当に「おいしい」のか?

たとえば、出版社は、
自分たちが表現したいもの、伝えたいものを持つ人たちの集まりである。
自分たちがいいコンテンツを作れば、きっと受け入れられると思って
日夜編集作業にいそしんでいる。

しかしたとえば、印刷会社が雑誌をつくるとすると、
「印刷すること」が彼らの本業だから、
お金をかけてグラフィックデザイナーを使っても、
その雑誌には志がない。
これに広告代理店の思惑まで加わるとさらに違う要素で編集
というものづくりがされるから「おいしくない」ものになる。

セブンプレミアムは
印刷会社の出す雑誌のように思えてならない。
たしかに最新の情報を集め、食材も良質なものなのだろう。
パッケージも広告も話題の人たちを上手に使っている。

しかし、ここには「食品産業」の中にあった「志」を
一切感じることができない。
「おいしいものを食べさせたい」という作り手の意欲はここにはない。

お客は、本当に「おいしい」のではなく、
「おいしいと思わされている」のではないか。
食べ物で本当においしいと思うのは、
素材の力もあるが、作った人と食べる人のコミュニケーションなのではないだろうか。

~~~ここまで一部引用

メーカーの誇りはどこにいったのか。

いや。
おそらくはそれは資質の問題ではなく、
時代の変化なのだろう。

「日本全体を豊かにする」
という大いなるゴールを達成して、
持つべきゴールを失い、
それとともに誇りが薄らいでいったのだろう。

だからこそ。
冒頭に紹介した新政のような誇りある企業に、
人は惹かれる。

そういえば、内野商店街の「マルカク醸造場」の主人が、
「スーパーに卸したことはない。」と言っていたっけ。

メーカーが作った、
誇りある商品、胸を晴れる商品を買うような生活を
僕はしたいなあと思う。

そして、
ユーザーとのコミュニケーションによって、
商品は作られていくのだという原点に返ろう。

橘川さんは「セブンプレミアムはおいしいのか?」の章を次のように締めくくる。

~~~ここから三度目引用

経営を拡大し、スケールメリットを追求し、
売上高と利益率の最大化を目指す運動があらゆる業界にはびこっている。

しかし、それでは「ものを作る」「心を伝える」という
根本的なモチベーションが欠落した、
機械的なルーチン作業だけが残ってしまうのではないか。

作った人、売っている人の見えない商品構造は、
どこか不気味な未来を拡大していく。

現代の経営者は、
まるで、試験の点数だけをとるために勉強して、
何のために勉強しているのかという疑問を感じていない
優等生のように見える。

一体、誰の幸せのために事業を展開しているのだろうか、
僕には分からない。

~~~ここまで三度目引用

いいなあ。こういう問い。
シビれる読書時間をありがとうございます。  

Posted by ニシダタクジ at 09:18Comments(0)