2014年05月05日
Twitterで脳を共有する
橘川幸夫 「森を見る力」(晶文社)に出てくる、Twitterの話。
一部引用しながら、いきます。
~~~ここから引用
「大きな広場ではなく、小さな広場が重なりあって連鎖していく。
原理的には個人の発言が全体に広がっていくことはできる。
情報に力があれば。」
TL上で言葉は、どんどん過去に流されていく。
しかし、生命力あふれる言葉や情報があれば、
それは、RTという機能で、
まるでシャケの川上りのように、
TLの激流を遡って、いつまでも「いま・ここ」に存在する。
それは、自分をフォローしてくれる人だけではなく、
フォロワーたちのフォロワーへと、湖に投げられた小石の波紋のように、
さざなみが広がっていく。
「Twitterとは、魂のメーリングリスト」
mixiやfacebookと違い、
人間関係でコミュニティを拡大していくのではなく、
Twitterに基本コミュニティはない。
ただ、誰かの発した言葉に意味と異議を感じた
別の個人が、それを手つなぎ鬼のようにつなげていくだけ。
情報の伝達は、関係が濃密であるかアカの他人であるかは問われない。
情報のコミュニティだけなのである。
これまでのネットコミュニティは
運営者によるネットワーカーの囲い込み戦略が見えてしまう。
Twitterはコミュニティではなく通信のための交換機。
「Twitterとは、集団的なブレストである。
ブレストのルールは何を言っても良いこと。
誰かが言ったことを否定しないこと。
自分の頭の中の可能性として受け止めること。
それを個人が論理にして行動するのは、ネットの外の現実世界で果たすべきこと」
Twitterの言葉とは、140字の定型詩である。
詩と論争はできないし、してはならない。
人々の詩としての声を受けとめ、
自らが言うかもしれない言葉として受け取る。
無数の可能性をシャッフルして、僕たちは、今日の現実を生きる。
~~~ここまで引用
なるほど。
Twitterをあまり積極的に使っているほうではないのだけど、
これを読むと無限の宇宙が広がっているなあと。
心が動いたとき、自分の中にそれをとどめておくために書くのと同時に、
世界にその言葉を解き放つために、Twitterに書くのだなあ。
自分と他人、
そして過去と現在、
その瞬間の脳や感動を共有する。
それがTwitterなんだなあ。
たしかにだいぶ時間が経ってからリツイートされることもあるし。
もっと使っていこうと思った
橘川さんのTwitter試論でした。