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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2014年05月31日

いい大学、いい企業という幻想



久しぶりに読み直した本。
2005年1月が初版発行だから10年ほど前に読んだことになる。

昭和30年代。
今から60年前。

その時代その時代で
「誰もがいま欲しがるもの」が存在してきた。
洗濯機、テレビ、冷蔵庫。
カラーテレビ、クーラー、自動車。

それらは便利であるし、魅力的なものだったが、
購入の動機は
「誰もがほしがっているものを自分も欲しい」
という論理が働いていたことは間違いない。

「他の人が欲しがるもの」が
「私の欲しがるもの」であるという時代が
長く続いた。
それは生産者にとってありがたい話だ。

「市場」と呼ばれるみんなが
同じものを欲しがるならばそれを大量生産すればいい。
そして他の人が欲しがるものを手に入れることが
私の豊かさを実感させるものだった。

それはモノの世界だけではない、
と著者は言う。

いつの間にか
「他の人が欲しがるような人生をあなたも欲しがりなさい」
という人生観を植え付けられてしまったのではないか。

職業の選択についても
「いい職業」というのは、
他の人がつきたい職業
他の人からうらやましがられる職業がいい職業だとされてきた。

教育もそうだ。
いい大学とは、他の人が入りたい大学だ。
東大に入りたいのは、それは他の人が入りたい大学で、
なおかつなかなか入れない大学だからだ。

~~~ここから引用

「自分が何を欲しているのか」よりも
「ほかの人が何を欲しがっているのか」
を自動的に考えてしまうような
「欲求」のシステムを私たちはずっと生きてきた。

しかし、それは実はひとりひとりにとっては
楽な社会であったとも言える。
なぜならそのような社会では「自分の頭」や
「自分の感性」をほとんど使わなくてもいいからだ。

いま社会で求められていそうな線を狙って生きていけばいい。
自分は何が欲しいのか、自分にとっての人生の意味や幸福は
何なのかなどという、私の「生きる意味」など突き詰める必要はなかったのである。

そうやって
私たちの「生きる意味」を探求する力は失われていった。
表面に現れている破竹の経済成長という社会レベルでの成功物語の裏側では、
ひとりひとりの「生きる意味」を構築する力の弱体化という、
個人レベルでの衰退が進行していたのである。

~~~ここまで引用

しかしながら。
いつの間にか、社会は変わってしまった。
モノはいきわたり、すでに欲しくない。

「モノより思い出」
の名キャッチコピーに代表されるように、

これからは
ひとりひとりの「幸せ」や「生きる意味」が
変わってくる時代。

だからこそ。
自分は何を求めて生きるのか?
という「生きる意味」を
探究する力を身につけていかなければ、
生きていけない。

おそらく。
現在、新潟の進学校と呼ばれる学校に通っている高校生たちや、
新潟大学に合格した新入生たちは、
そのような矛盾の中で生きているのだろう。

親世代は、いまだに
「みんなが欲しがるもの」を基準において、
子どもたちを説得しようとする。

しかしそれは違うんじゃないか、と自分の感性は言っている。
いつの時代も信じられるのは自分の感性だけだと僕は思う。

自分がほしいものはなんだろう?

そんな問いから自分の人生は始まるのかもしれない。  

Posted by ニシダタクジ at 05:57Comments(0)