プロフィール
ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2014年05月11日

「収穫物語」、本に載る


「モノを売るバカ~売れない時代の新しい商品の売り方」(川上徹也 角川ONEテーマ21)
ツルハシブックスでも発売になりました!

ストーリーブランディングの第一人者、
川上徹也さんがこれまでの本を
ダイジェストにまとめた、
川上ファン待望の1冊です。

3月21日
「うちのまち なじみのお店 ものがたり」@飯塚商店


米は生きているの当日に
川上さんはNegiccoの本の
プロモーションで新潟に来ていて、
そのついでにツルハシブックスに寄りました。


西尾さんの抹茶屋台があり、
まあ、抹茶でもどうですか?

とお茶を飲んでいました。
が、「このあと、お米の食べ比べあるんですけど、どうですか?」

とお誘いしたら、
一緒に参加していただきました。


すると、
とっても喜んでくれて、
「次の本に書きたい!」と言っていただきました。

そして、今回の本、
「モノを売るバカ」のラストを締めくくる
「おわりに」に6ページぎっしりと、
「うちのまち なじみのお店 ものがたり」と
ツルハシブックスのことが書かれています。

そして、あの食べ比べの日のことの詳細が載っています。

魚沼コシヒカリよりも支持された
飯塚商店「収穫物語」


10㎏ 4500円 5㎏ 2250円
でツルハシブックスでも注文することができます。

遠方の方で食べてみたい方は
送料がかかりますが、郵送できます。
(5㎏ 850円前後 10㎏ 1100円前後)

そして、本の中には素敵なメッセージが。

~~~ここから一部引用

「物語」を知ると、その店のことが好きになり、
リスペクトする気持ちがうまれます。
すると「この店で買いたい」と思うようになるのです。

(中略)

今回のイベントは、
地元商店街に眠っている
「物語の原石」を発掘するものだったといえるかもしれません。

~~~ここまで一部引用

「うちのまち なじみのお店 ものがたり」
第2弾、本日から活動開始です。

今回は「女子大学生のための和食入門」
になりそうです。  

Posted by ニシダタクジ at 05:22Comments(0)

2014年05月10日

本に込められた想い

地下古本コーナー「HAKKUTSU」とは、
いったい何なのだろうか?

普段はあんまり考えたことのない問いに
向き合っている。

原点は2002年の
不登校の中学校3年生との出会い。
偶然、地域の人と出会える場があったらいい。

それはもちろん。
駄菓子屋のような場所でもよかったのだろうけど、
なぜか僕は本屋になった。
いろいろな糸が編み合わさって、僕は本屋になった。

2011年。
一箱古本市@現代市。

小学校5年生の女の子が
僕のブースで200円でビジネス書を買っていった。
「きっと大切に読むんだろうなあ」って思った。

僕の隣に店を出していたおじさんは
すごく新しい本を1冊100円で売っていて
飛ぶように売れていた。
1人3冊4冊と買っていく人がいた。

そのときにふと思った。
僕も古本屋さんで100円で本を買う。
でも、その本をちゃんと読んでいないことのほうが多いな、と。

100円で買った。
すると、その本は「100円の価値」になってしまう。
すると、きちんと読まない。

いつの間にか、本の価値と貨幣の価値が逆転していることに気がついた。

小学校5年生は違う。
小学校5年生にとって200円は貴重だ。
200円で買った本を、
彼女はきっと丁寧に読むだろう。

さて、それはいつからだろう?
僕はいつから、貨幣価値をモノの価値だと思うようになったのだろう?
おそらくそれは、25歳くらいからではないか。

だとしたら、
僕は25歳以上に古本を数百円で売らなくてもいい。

さらに。
地域の人がその本を持ってきてくれたら、
偶然の出会いもあり、
もっと本を読むチャンスが増えるんじゃないか。

そんな思いで地下古本コーナー「HAKKUTSU」がスタート。


現在の店内。


地下古本コーナー「HAKKUTSU」の入り口


暗闇で「運命の1冊」を探す。


本には寄贈者からのメッセージが付いています。


発掘したら、写真を撮ります。写真は店内ノートに貼ってあります。


運よく寄贈者がその場に居合わせることも!

とこんな感じで、発掘します。
その地下に置いてあるメッセージ付の本。

そこには、力が備わっています。

ひとつは、その本の著者が書いた想いの力。
そしてもうひとつは、手書きのメッセージに込められた、
寄贈者の想いの力。

二つのパワーを直感で判断して、
1冊の本をとる。
きっとそういう場所なんだろうと思います。

そこには、本による新たな視点との出会い。
そして、寄贈者との新たなつながりとの出会い。
そんな二つの出会いが待っています。

そこから始まる、新しい物語がきっとあります。

物語が始まる本屋。

これからもそんな場所であり続けたいと僕は思います。


~~~HAKKUTSU寄贈本募集~~~

10代、20代に物語をつないでいきたい方はいませんか?
手書きのメッセージカードを添えて、
持参、もしくは郵送ください。

〒950-2112 新潟市西区内野町431番地2
ツルハシブックス「HAKKUTSU」まで。  

Posted by ニシダタクジ at 06:31Comments(0)

2014年05月09日

狭い粟島で世界の広さを知る

笠原早希さん
新潟青陵大学看護学科2年生。
彼女のきっかけは、
昨年夏の粟島合宿だったという。

「あの狭い粟島で、世界の広さを知った。」

名言だなあと思った。

周囲20㎞の粟島に行き、
世界の広さを知る。

いや。
実は僕もそうだ。
「世界」とは、価値観のこと。

粟島のばあちゃんと話していると、
自分がどれだけ狭い「価値観」に住んでいたかが
わかる。

「視野を広げる」
というのはきっとそういうことなんだろう。

狭い粟島に、
もうひとつの「世界」がある。



ようこそ、粟島へ。  

Posted by ニシダタクジ at 05:54Comments(0)言葉

2014年05月08日

価値観を揺さぶり、感性を磨く夏休みを

昨年参加した
高知大学「自律協働入門」のメモを
読み直す。

学生募集をする時の声掛けは、

就職には直接的には役立ちません。
しかし、「コミュニケーション能力」や「協働実践力」といった
就職はもちろんとして皆さんの今後の人生でもっとも必要とされる基本的な能力の習得には、
非常に有益なものだと言えるでしょう。

きっとこういうことが大切なのだろうと思う。

今年2月の文部科学省のシンポジウムでも
慶応大学の高橋先生が言っていた。

大学のキャリア教育には3種類あり、

1 「就活支援:エントリーシートなどを指導し、内定率を上げる」
2 「キャリアガイダンス:自己理解や就業体験、内省などによりやりたい仕事の幅を広げる」
3 (本来の意味での)「キャリア教育:社会で仕事をする上での必須の基礎的能力や姿勢を培い、やれる仕事の幅を広げる」

という3層構造になっている。

しかしながら、ほとんどの大学で、
1 「就活支援」に偏ったキャリア教育が行われている。

そういった意味では
高知大学の「自律協働入門」を始めとする
地域とコラボレーションする授業は非常の魅力的だと言えるだろう。

おそらく大切なのは、
自分ひとりでゴールに最短距離で到達することではなく、
コミュニケーション能力や協働(コラボレーション)を実践する力で
チームを創って、個人ではできない大いなる(あるいは長期的な)描くものに向かっていくことだ。

しかしながら、
高知大学のように、それらの重要性を考え、
実践している大学は少ないのが現状である。

ということで。
新潟でそんな場所をつくろうじゃないか、
ということで始まったのが

今年の4月から本格的始動している
新潟中央自動車学校の「働き方研究所」だ。

自動車学校というのは、
非常に魅力的なプラットフォームである。

いろんな大学の人が
(しかも1,2年生が多いし、高校生もいる)
一定期間、
同じ目的で(運転免許をとるという)
集まっている。

ここを学びの場に、実践の場にできないか、という取り組みが始まっている。



今週の10日土曜日にも朝活が開催される。
対象は主に大学1,2年生。

日時 5月10日(土)8:00~10:00
場所 新潟市中央区鐙 新潟中央自動車学校2F
参加費 無料(飲み物は各自持参または購入 近くにファミリーマートがあります)
テーマ 働き方研究所的「これからの夏休みの話をしよう」

です。
ちなみに僕の大学時代の夏休みにやったことは
農ゼミとかエコリーグとかの学生団体主催の合宿的なイベントに参加したり
大学3年生からは全国の農家にひたすらアポイントをとって、話を聞きに行ってました。

僕が大切だと思うのは、
長期的視野で人生を見ると

1 価値観を揺さぶること
:今まで信じてきた価値観とは違う世界を見ること

2 孤独になり、感性で行動すること
:ひとりで「美しいものとは?」と考え、自分の感性を磨くこと。

3 誰かと一緒に何かをやってみること
:チームでプロジェクトをやってみる経験、スタッフ側になること。

みたいなことが大切かなあと思います。

1と2の場合、おすすめは人に会うことや
環境の違うところに旅をすること。
一人旅がいいですね。
粟島とか、オススメしますよ。
できれば携帯を置いていく、とかね。

3の場合のプロジェクトを
僕たちは設計しようかなと思います。

働き方研究所でも、グループ会社に様々な会社があるので、
「これからのタクシー」を考えるみたいなワークショップからプロジェクトが始まることを
期待しています。

価値観を揺さぶり、感性を磨く夏休みを。  

Posted by ニシダタクジ at 07:18Comments(0)日記

2014年05月07日

高校2年生が読む「孤独と不安のレッスン」

連休最終日。
にぎわっていました。
3日4日はどうなることかと思いましたが、
5日6日は人がたくさん来ましたね。

来年は1日~4日は休んでもいいかもしれないなと
少し思いました。

「お母さんに聞いてきた」と
小針から高校2年生が初来店。

地下で
「沖縄ルール」を発掘。
中2の修学旅行で沖縄へ行ったらしい。

そして、
「読みたい本がいっぱいある」
とうれしい言葉。

そうそう。
僕、もしかしたら同レベルなのかも。(笑)

ウェブの通販ページで
「孤独入門」に興味を持って、
実際に読んでみて、
「孤独と不安のレッスン」と「空気と世間」を購入。(ともに鴻上尚史)




さすが。
高校生。

というか。
まず高校生の時に、
「孤独と不安のレッスン」は読むべき1冊なのかなと。

鴻上さんはこの本でひたすらに
「同調圧力に負けるな」と書き綴る。
そして、
そこから外れることを恐れるなと書いてある。

クラスの人間関係や
世の中に疑問を感じる
中学生高校生が読むべき1冊。

そして「空気」と「世間」
はそのような同調圧力がどのように
日本社会を覆ってきたのかをキリスト教圏との比較において語る1冊。

日本にとって「世間」とは神であった。
そのメリットは「世間に従っていれば、世間が守ってくれる」
ということだった。

しかし、「自己責任」の名のもと、
世間は守ってくれない。

なので、ドライに言えば、
「世間に従ったところで、飯を食っていけるわけではない。」
ということになる。

そして、
「学校」とは、「会社」とは、それぞれひとつの「世間」である。
そしてそれは、上記の理由ですでに壊れかけている。

「学校」に真面目に通って、世間の一員として役割を果たしたところで、
将来を約束された職業に就くことができるわけではない。
「会社」に忠誠を尽くしたところで、一生守ってくれるわけではない。

しかしながら、長年の慣習により、
「世間」が確かに(かろうじて)存在している。
そしてその強制力は強い。

高校2年生と、
この2冊を読みながら、
ゼミ形式で意見を言い合う、みたいなのを
大学生が主催してやれたら、面白くないかな?

とちょっと思った連休最終日でした。

新潟中央自動車学校
「働き方研究所」のひとつとしてやろうかな。

参加希望ありましたら、ご一報ください。  

Posted by ニシダタクジ at 05:39Comments(0)

2014年05月06日

消費をリデザインする

消費をリデザインする。

きっとこれからの
キーワードになっていくだろう。

昨日。
イオンとセブンイレブンに行き、
イオンの「トップバリュ」と
セブンイレブンの「セブンプレミアム」
を見比べてみた。

すると、
イオンの「トップバリュ」には
製造元は一切書いていなく、
「販売者 イオン株式会社」となっている。

セブンプレミアムは
ちゃんと下に製造者(メーカー)が書いてある。
ほとんどは大手の企業だ。

「トップバリュ」を買う人は、
価格最優先で、誰がどこで作っているか?
というのは特に関心がない。
あるいは、イオン株式会社を全面的に信頼しているということになる。

もちろん、セブンプレミアムの
大手企業だって、原材料でどこの国の
どんなものを使っているのか、わかることはないのだけど。

「森を見る力」(晶文社)で橘川さんは、
「メーカーが流通の下請けになった。」
と語っていた。

僕は新卒のあと、
小さなビールメーカーで
企画・営業の仕事をしていたことがあるのだが、

そこで一番学んだこと、
社長が何度も繰り返していたのは、
「メーカーと小売りは50-50(フィフティーフィフティー)だ。
頭を下げてまで売ってもらわなくてもいい」

ということだった。
だから、エキナカや道の駅など、
販売力のある小売店から無理な条件を提示されたとき
(たとえば、試飲を何本で土日には店頭に立って試飲させてほしい、など)
断ることにしてきた。

その言葉は今でも残っている。

いまや、「効率化」の名のもとに、
流通が覇権を握り、メーカーも消費者も
その軍門に下っている。
選んでいるようで、選ばされている。

そして商店街や、
地元資本スーパーは、売り上げが伸びない。

5月4日にツルハシブックスで初の
「まきどき村飲み会」というのを開催した。

これは、
まきどき村メンバーの増井くんが
GWを利用して沖縄に行くということで、
泡盛と沖縄のもので飲む、という単純な会だ。

その開催動機は、
まきどき村が人生最高の朝ごはんで使用している
かやぶきの家「旧庄屋佐藤家」の年間使用料の支払いが
迫っているので、その資金集めを語って集めた。

参加費はひとり2500円。
そのうち、ツルハシブックスの場所の使用料がひとり500円。
そして7人想定だったのでひとり1000円として、
沖縄から調達した食材費が7000円。

つまり、ひとり当たり1000円がまきどき村会計に入る、
という計算で開催された。
実際、10名を超える人が集まって、大きな黒字を計上することになった。

あとから考えると、
これは「消費のリデザイン」が起こっていると思った。

飲み会の参加費2500円は
飲み会としては少し安いくらいだ。
しかし、食べ物はすごく少ない。
(ひとり1000円を切る食材費だから)

しかし。
参加したひとりひとりの満足度はすごく高かったように思う。
席配置も固定しなかったことによって、
ツルハシブックスという空間の魅力が最大限に引き出されたように思う。

もし、これを
内野商店街やスーパーいちまんなどで
調達した「うちのDE飲み会」にしたとすると、
それはそれで楽しくなるなあと思った。

それは、
「消費者主権」(というほど大げさなものではないけど)
を取り戻す一歩になるかもしれないなあと思った。

マルカク醸造場のオヤジが言っていたっけ。
「ウチはスーパーに卸したことはない。
スーパーに卸すと、必ず買いたたかれる。
ここから買ってくれるお客さんだけに売っていく。」



そんなオヤジの作る味噌と
まきどき村の野菜で一品つくる飲み会を
次回開催できたらいいなあと。

消費のリデザインが始まっている。  

Posted by ニシダタクジ at 08:57Comments(0)日記

2014年05月05日

Twitterで脳を共有する


橘川幸夫 「森を見る力」(晶文社)に出てくる、Twitterの話。

一部引用しながら、いきます。

~~~ここから引用

「大きな広場ではなく、小さな広場が重なりあって連鎖していく。
原理的には個人の発言が全体に広がっていくことはできる。
情報に力があれば。」

TL上で言葉は、どんどん過去に流されていく。
しかし、生命力あふれる言葉や情報があれば、
それは、RTという機能で、
まるでシャケの川上りのように、
TLの激流を遡って、いつまでも「いま・ここ」に存在する。

それは、自分をフォローしてくれる人だけではなく、
フォロワーたちのフォロワーへと、湖に投げられた小石の波紋のように、
さざなみが広がっていく。

「Twitterとは、魂のメーリングリスト」

mixiやfacebookと違い、
人間関係でコミュニティを拡大していくのではなく、
Twitterに基本コミュニティはない。

ただ、誰かの発した言葉に意味と異議を感じた
別の個人が、それを手つなぎ鬼のようにつなげていくだけ。
情報の伝達は、関係が濃密であるかアカの他人であるかは問われない。
情報のコミュニティだけなのである。

これまでのネットコミュニティは
運営者によるネットワーカーの囲い込み戦略が見えてしまう。
Twitterはコミュニティではなく通信のための交換機。

「Twitterとは、集団的なブレストである。
ブレストのルールは何を言っても良いこと。
誰かが言ったことを否定しないこと。
自分の頭の中の可能性として受け止めること。
それを個人が論理にして行動するのは、ネットの外の現実世界で果たすべきこと」

Twitterの言葉とは、140字の定型詩である。
詩と論争はできないし、してはならない。
人々の詩としての声を受けとめ、
自らが言うかもしれない言葉として受け取る。
無数の可能性をシャッフルして、僕たちは、今日の現実を生きる。

~~~ここまで引用

なるほど。
Twitterをあまり積極的に使っているほうではないのだけど、
これを読むと無限の宇宙が広がっているなあと。

心が動いたとき、自分の中にそれをとどめておくために書くのと同時に、
世界にその言葉を解き放つために、Twitterに書くのだなあ。

自分と他人、
そして過去と現在、
その瞬間の脳や感動を共有する。

それがTwitterなんだなあ。
たしかにだいぶ時間が経ってからリツイートされることもあるし。

もっと使っていこうと思った
橘川さんのTwitter試論でした。  

Posted by ニシダタクジ at 05:31Comments(0)

2014年05月04日

もうひとつの世界を感じる

島開き2日目。
高校1年生の猪くんも参加。
今まで見てきた世界だけが
世界じゃないんだ、って感じられる場所、粟島。

粟島で
坂口恭平「独立国家のつくり方」とか読んだら、
素敵だなあって思った。

今年から
しおかぜ留学でやってきた中学生が
元気に屋台を手伝っていた。

留学生に限らず、
子どもにとって、いや大人にとっても
もうひとつの世界を知るということは
とても大切なことなんじゃないかと思った。

「いま、僕たちが生きている世界は、唯一の世界ではない。」

「世界」という言い方が
大げさなら、「世間」だったり「コミュニティ」
に言い換えてもいい。

でもなんというか、
「世界」っていうのがピッタリくる。

見えているもの
感じているもの
そして、ちょっとした違和感。

そういう感性を大切にしてほしいと思う。

世界はひとつじゃない。

坂口さんがホームレスの取材をしていて、
築いたように、世界は無数の層(レイヤー)があり、
そのひとつひとつが「世界」なんだ。

そして、坂口恭平さんの言うように、
あなたの意志でもうひとつ世界を創ることができるんだ。

それは小さなサークルかもしれないし、
地域社会かもしれない。
昨日も聖地、役場の2階で飲んでいた。

あそこで飲んで歌えるって、すごく素敵だなあって。
またあそこに帰ってきたいと思う。

「カフェそそど 粟島」も始まり、
粟島にはもうひとつの世界が広がっている。

  

Posted by ニシダタクジ at 05:45Comments(0)日記

2014年05月03日

捨てたものもあれば、手に入れたものもある。

粟島島開き1日目。
なんとも言えないのんびりとした空気。

3年目の焼きおにぎりブースは、
13時過ぎに完売。
僕のランチはサザエのつぼ焼き。
美味しかった。

14時には終わり、
新しくできた「カフェそそど」でコーヒーを飲む。

いや、コーヒー焼酎を飲む。
アルコール強めだった。
ミルク割にするとちょうどよい。

15時から散歩。
途中。
道端に座っていたおばあちゃんを見つけた。


95歳。
民宿「弥助」のばあちゃん。
島に生まれ、17歳で嫁に行き、民宿を始めた。

「これがないと歩けないんだ」
と手押し車を見ながら、話をしてくれた。

「いつお迎えが来るかわからないけど
弥助に嫁に行って、この年まで生きて幸せだった。」
そういうおばあちゃんの表情がとっても豊かに見えた。

そのあと、
道端で飲んでいるおっちゃんたちに混ぜてもらった。
つまみなしの日本酒はかなりキツかったけど、
とても素敵な時間だったなあ。

そして、最後を飾るのは、釜谷港の夕日。


ああ。
キレイだなあって。

「捨てなければ、手に入らない」
っていろいろな人がいうけど。
本当にそうなんだろうなあって。

粟島にあるものは、
いろいろなものを捨てたからこそ、
いま、あるのだろうと思った。

本田直之さんの
「LESS IS MORE」(ダイヤモンド社)


に次のような発言がある。

「選択肢がないことが豊かなのかなっていうふうに思います。
日本はいろいろ選べるものが多すぎて、目移りしちゃったり。
デンマークにいると、すごくシンプルに自分の欲しいものが見えてくる。
何が重要かってことがはっきりしてくるんだと思いますね。」
(サトコ・タナカ・フォールスバーグさん/デンマーク/船舶会社勤務)

この発言に続けて本田さんは言う。

~~~ここから引用

まさにそのとおりで、現代の日本には、瞬間の欲求を満たす選択肢が
あまりにもたくさんありすぎる。
そのため、将来のことを考えた長期的な判断をすることが難しくなっていると言えます。

(中略)

私の暮らすハワイでは、モノにこだわっているほうがむしろかっこ悪いくらい。
海の目の前にビシッとしたスーツでキメて、すごい車で乗りつけても意味がないのですから、
モノをはじめとする短期的な利益の選択肢が少なければ、そのぶん経験や体験に力を注げます。
結果として新しい幸せに近づけるというわけです。

~~~ここまで引用



粟島には、何もない。
夜、お酒が飲みたいな、と思ったら、
昼のうちに酒屋で買ってストックしておくしかない。

それは、
何かを捨ててきたということだ。

もちろんそこには選択の余地はなかったかもしれない。

しかし。
95歳のばあちゃんが幸せですと言い切れる、
そんな場は、旅行客を幸せにするのかもしれない。

昨日のブログで書いた、
「ダイアログ with ばあちゃん」
http://hero.niiblo.jp/e413111.html

これは、ばあちゃんだけでなくって、
都市部に住む若い人にとって、
必要なツアーになるのかもしれません。

「捨てなければ手に入らない。」
それを過去形にした、
「捨てたものもあれば、手に入れたものもある」

そんな価値観が人生において必要だと思った粟島の一日でした。  

Posted by ニシダタクジ at 06:09Comments(0)日記

2014年05月02日

福祉×ツーリズム

粟島でのスタディツアー1日目。
粟島の福祉の現状を聞く。

福祉の最大の課題だと僕が思うのは、
リタイア後から要支援・要介護になる前
の人たちへの支援だろうと思う。

定年退職後の男性だったり、
畑をやっていたけど足腰を悪くして、
畑に出れなくなった女性だったり。

まだ、日常生活に支障はないほど、
元気なんだけど、社会との接点を
急激に失っていく。

「趣味を持て」
なんて簡単に言うけど、
人は、自分のためにはあまり頑張れない生き物だ。

「生きがい」をどうプロデュースするか?
という観点から、考えていくこと。
「仕事」「役割」をどう作っていくか、ということ。

それを観光の側面からアプローチできないか?

そこで思いついたのが
「ダイアログ・ウイズ・バーチャン」

島のばあちゃんの1日を体験するツアー
しかもそれは元気なばあちゃんではなく、
足腰を悪くして畑を引退しつつあるばあちゃんに密着。

朝4時に起きて(!)
昼間は散歩して近所のばあちゃんと道端で話す。
少しだけ家の料理を手伝って、夜8時過ぎに寝る。

そんなばあちゃんの話し相手になるツアー。
方言がわからない人のために、
方言一覧表をつくり、紙にしておく。
そうすれば、まずは言語の違いを乗り越えられる。

体験型観光は何かをするツアーだった。
これはあえて、「何もしない」ツアー

しかし、ただ単にひとりで放浪の旅に出て、
誰とも話さずにひとりを満喫するのとはまたちょっと違った、
人の温かさに触れられるツアー。

携帯も、スマホも、パソコンも、
すべて手放して、
島のばあちゃんとの対話を楽しむ。
そんな観光がいま、求められているのかもしれない。
何よりそれがばあちゃんの生きがいづくりにもつながってくる。

福祉×ツーリズム
ほかにもいろいろ考えられそうだ。  

Posted by ニシダタクジ at 04:59Comments(0)アイデア

2014年05月01日

アルバムを発表するようにビジネスを展開する

本日より、ツルハシブックスは、
1口オーナー制度「ヒーローズ」の
メンバー募集を開始しました。

http://tsuruhashi.skr.jp/space.html

月額10,000円で、
ツルハシブックスを一緒に支えてくれる
仲間を募集しています。

今月中には
月額1,000円のツルハシブックスファンクラブ
の募集もスタートします。
(有料メルマガのシステムを活用して全国から募集いたします)

昨年8月に新潟市による商店街活性化の補助事業による
家賃補助(3年間)が終わり、ツルハシブックスの家賃負担は3倍になり、
また冬場の光熱費のために、現在も非常に厳しい運営を迫られています。

3月のツルハシブックス3周年の時に
「ツルハシブックス公開経営会議」を行い、
12名の共演者の皆様とともに考えたアイデアを
実行に移します。

他にも、
ツルハシブックスという「場」を
最大限活用してもらうための
屋台利用と、朝活のプランを設定しました。

人と人をつなぐ本屋。
自分を発掘する本屋。
そして、物語が始まる本屋。

そんな空間を共演者のみなさんと創っていきます。

ツルハシブックスは小さな劇場です。
そこでは、誰かが演じています。

そこに、誰かが入ってくる。
そこから始まる物語を見たくて、
いや自らも共演したくて、人は足を運びます。
そんな劇場のような空間を創りたいと心から思います。


「森を見る力」(吉川幸夫 晶文社)は
これからのビジネスのあり方、方向性に対して
熱い問いを投げかけてきます。

アフター・インターネット(インターネット後)の時代では、
次の4つがスタンダードになってきます。

「中抜き」
インターネット以前には世界は切り離されていたので、
スーパーや貿易など、「つなぐ」ことでビジネスは成立した。
しかし、インターネットでは「最初からつながっている」。
だから「代理人」となるようなビジネスはもはや成立しない。

「つながりっぱなし」
インターネット以前には「内と外」「公と私」「本音と建前」
のように人は二重構造をもっていた。
しかしインターネットはつながりっぱなしであり、
「オン」と「オフ」の境目はもはやない。

「発信者負担」
インターネット以前は広告モデル以外は受信者負担の原則があった。
受けては雑誌などを「購入して」情報を得るのである。
しかし、インターネット後、個人が表現欲求を満たす場が出てきて、
発信する費用を自らが支払ってでも発信したいと思うようになった。

「P2P」(Peer to Peer)
インターネット後の世界は、
人と人が直接つながる、そして巨大なデータベースを共有する。
既存の利権やルールが通用しない、果てしない荒野である。
まったく新しい環境の中で新しいルールとライフスタイルをゼロから立ち上げる気力が必要である。

アフター・インターネットという激変の時代の苦しみを
僕たちはいま、体験しているのだと思う。

そんな中で問われているのはやはり僕は
個人ひとりひとりの美意識なのだろうと思う。
何を持って美しいとするか、
何を持ってカッコいいとするか、である。

橘川さんの
スティーブ・ジョブズに対する記述が熱いので引用する。

~~~ここから引用

ジョブズのプロダクツが、それまでのエンジニアが作ったものと違うのは、
それが単なる製造機械ではなく、
ミュージシャンのアルバムのように、
ジョブズの表現物になっていたことである。



iPadが生まれた時、ジョブズは、
「僕の人生で最高のものが出来た」と言った。
それは、単に性能が良い商品が出来たとか、
売れる商品ができたというのとは違って、

「自分の表現したいプロダクツが出来た」
という風に、僕らは受け取ったはずだ。
まさに「ジョブズの魂」なのである。

パソコンの文化が、単なる製造機械の歴史ではなく、
カルチャーの歴史であるとしたら、
ロック・ミュージシャンがアルバムを発表するように、
ビジネス展開したのはジョブズだけだろう。

(中略)

少年は夢見る。

それは、世界を自分の想い描くような形にリデザインすることである。
しかし少年は、成長するにつれ、その途方もない夢を
現実の壁で崩され、大人が作った一部の業界範囲や
会社内部の中で生きる道を選択する。

しかし、中には、
現実のビジネスシーンにまみれながらも、夢を忘れない大人がいる
夢を忘れないことをロックと呼ぶ。

何もないところから、
想像もつかない作品を生み出し、
多くの人からの喝采を浴びたジョブズは、もういない。
他人の夢を継承することは出来ない。

アップルが、これからも未来への夢を実現していくとしたら、
それは、ジョブズと同じような人間が、ゼロから開始することでなければならない

(中略)

ジョブズから学ぶものはプレゼン技術でも、強引な交渉力でもない。
一人の人間が自分が最初に感じたものを忘れることなく、
誤魔化すことなく、追求し続けること。
ジョブズは死んだが、僕らはIPadという名前のジョブズの魂と共に、今日も生きるのだ。

ジョブズは自らが開発した商品に、
機能の先進性はもちろんのこと、
ひたすら「カッコ良さ」を求めた。
機能の先進性は社会性だがカッコ良さは時代性である。

なぜ、カッコ良さを求めたのか。
答えは一つである。
ロックはカッコ良くなければならない。

なぜなら、ロックのスタートは、
世の中のカッコ悪い、醜悪な現実に対する怒りから始まったものだからだ。

~~~ここまで引用

いやあ。
熱い。
シビれる。

僕たちは、
「アフター・インターネット」と
「アフター・ジョブズ」の世界を生きている。

そこにはただ荒野が広がっていて、道がない。

アルバムを発表するように、ビジネスを展開する。
ツルハシブックスは、カッコ良いのだろうのか?

少年のころに見た、
世界をリデザインするという意志を失ってはいないだろうか。

15歳が、
自分と自分の住んでいる地域を好きになり、
自分と地域と社会の未来創造へ歩き出している地域社会を創る。

そのための「場」と「機会」をいま、つくっているんだ。

そんな誇りを持って、本屋という劇場に立つ。

そんな毎日を送るんだ。

共演者求ム。  

Posted by ニシダタクジ at 06:03Comments(0)学び