プロフィール
ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2014年06月25日

居場所とは、ヨコのコミュニケーションがある場のこと

コミュニケーションには、
2種類が存在する。

1つが
タテのコミュニケーション。

会社だったり、学校だったりで、
立場が違う人たちのあいだで
交わされるコミュニケーションだ。

それは、
会社であれば、命令や指示だったり、
学校であれば、褒めることや叱ることだったりする。

言わば、
上下の関係性を保ったまま交わされるコミュニケーションだ。

それに対して、
ヨコのコミュニケーションは、
部活の中や、仲間うちで交わされる
コミュニケーションだ。

相手の言うことを
評価や助言することなく、
そのまま受け入れること。

このヨコのコミュニケーション
が世の中には少なくなっているのではないか、
と感じる。

そして、もしかしたら、
世の中で生きていくのに必要なのは、
この「ヨコのコミュニケーション」の機会とそれをする勇気なのかもしれない。

大学生が友人のやっていることに対して、
「すごいね」というときと、「おもしろいね」
というときでは、全然印象が違うという。

「すごいね」と言われても
うれしくないそうだ。

それは、
「すごいね」というのは、
タテのコミュニケーションの言葉だからではないか。

「すごいね」というのは、言葉外に、
「自分とは違って」「自分にはできないけど」
というような、ニュアンスを含んでしまう。
だから、うれしくない。

いま、世の中に、
ヨコのコミュニケーション機会が減っている。
駄菓子屋が姿を消し、地域が機能せず、
学校外のコミュニケーション機会が少ない。

若者たちにとって、
タテのコミュニケーションしかない生活は、
息苦しさを感じてしまうだろうと思う。

指示・命令されたり、評価・助言されたりすることが
前提で行われるコミュニケーション。

そうではなく、
駅前のたこ焼き屋のように、
ただ、聞いてあげること。

あるいは、
アート作品をつくったり、
音楽を一緒にやったりする。

そのような
ヨコのコミュニケーションを
人は根源的に必要としているのではないだろうか。

そして、
ツルハシブックスで生まれるのは、
来る人の話を聞いてあげたり、
一緒に何かプロジェクトをつくっていったり
するときのヨコのコミュニケーションなのではないか。

小阪裕司さんの本
「心の時代にモノを売る方法」


を読むと、
ビジネスの起源は
「コミュニケーション」にあることを実感する。

ビジネスのためにコミュニケーションがあるのではなく、
コミュニケーションのためにビジネスがあるのだと。

そしてそれは
「タテのコミュニケーション」ではなく、
「ヨコのコミュニケーション」であり、対話の機会だ。

もしかしたら、
アートイベントも、音楽も、朝活も、
究極的には、ヨコのコミュニケーションのために、
参加しているのかもしれないと思った。

そして、
そのような「ヨコのコミュニケーション」が存在しているところを
人は「居場所」だと感じるのではないだろうか。

「本屋のような劇場」であるツルハシブックスは、
気がついたら共演者になっている場だ。

そこには
「ヨコのコミュニケーション」が気づかないうちに散りばめられ、
居心地の良さを感じ、人が集まり、
自らヨコのコミュニケーションの機会を生み出すように企画が起こり、
人は共演者になっていくのではないだろうか。

吉田松陰先生が
野山獄で生み出した「学びあい」の場による希望とは、
「ヨコのコミュニケーション」という居場所から始まったのではないだろうか。

ツルハシブックスが目指す姿がだんだんと見えてくる。  

Posted by ニシダタクジ at 06:50Comments(0)日記