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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2014年08月25日

夢を叶えるより、今を演じ切る

世の中はこんなにも、科学的・現実的なのに、
どうしてキャリア教育は、あまりにも非科学的・非現実的な
話ばかり採用されるのだろう。

最近では、
サッカー日本代表の本田圭祐選手。
少し前では、
プログルファー石川遼選手。
もう少し前では、
メジャーリーグのイチロー選手。

超有名になったスポーツ選手を題材にして、
小学校の卒業文集が公開される。

そのキャリア教育的意味合いとはいったいなんだろうか?

本田は小学校卒業時にセリエAで10番と書いていた。
だから「夢・目標を設定することの大切さ」を伝えたい。
おそらくはこういうことだろう。

しかしながら、当たり前のことだけど、
小学校6年生のときに「プロサッカー選手になりたい」
と卒業文集に書いた人の圧倒的多数は、
高校、大学、社会人、プロと上がっていくことなく、
いつかサッカーを青春の思い出と位置づけ、選手生活を終える。

スポーツ選手とか、ミュージシャンとか、お笑い芸人とかは、
成功者となれるのはほんの一握りの人であり、
「夢を持って頑張れば、きっと叶う」というものではないことは、

科学的統計的にあきらかなはずだ。

もちろん、
夢や目標をもって頑張ることに意味がないわけでは決してない。
最後まで、あきらめずに夢を持ち続けた人だけが、
夢をかなえているのは間違いないはずだ。

しかし。
「夢を叶えたのは、最後まであきらめなかった人」というのと、
「最後まであきらめなければ夢は叶う」というのは、
数学としては相互に必要十分条件ではない。

なのに、
どうして、教育の現場では、
このようなことが言われ続けるのだろう?

キャリアデザインという
「夢・目標を定めて、そこに向かって逆算しながらコツコツ積み重ねていく」
という単一の方法論しかないのはなぜだろう?

この単一の方法論によって多数の、
「やりたいことがわからない」と悩み続ける
若者を大量に生み出しているというのに、
どうして、いまだに、その方法論が採用され続けているのか。

僕の仮説は、
「評価」と「管理」のためだ。
そして、その根本原因は「効率化」という思想だ。

教育は、評価を前提に作られている。

目標を決めて、どのくらいの理解度があったのか、
どのくらいの教育効果があるのか?
を科学的に証明することが必要であるのだ。

そして、キャリア教育に関して言えば、
「キャリアデザイン」という方法論だけが、
唯一「評価」し得る方法だからだ。

つまり、
「僕の目標は英語を使って海外で仕事をすることです。」という
達成目標があり、
「だから今、TOEIC何点を目指して英語の勉強をしています。」という
わかりやすい行動目標を立てることができる。

すると、「他者評価」が可能になる。
いやあ、TOEICだけじゃなくて、
ネイティブに接することで、いろいろ経験したほうがいい、とか
短期の留学に行ったほうがいいとか、そういう行動目標ができ、
それぞれに評価が可能だ。

そしてさらに「管理」の問題だ。

「目標を持って、逆算していまやることを決めている。」
そういう子は、なんというか、安心だ。
わかりやすい。

たとえば中学3年や高校3年になったときの3者面談で、
「将来の夢は特にありません。どこでもいいから就職したいです。」
みたいな子は、
先生としてはちょっと対応に困るだろう。

だから、
「夢・目標を持って、そこに向かって努力する」という構図は、
管理者側からすると、非常に管理しやすいということになる。

この「評価」と「管理」
という合理的理由で、

「夢を持って、そこに向かって努力することがキャリア形成の唯一の道」
であるという
非科学的・非現実的な方法論が一般化されている。

13歳のハローワークの
前文には村上龍さんの熱い思いが書かれているが、

その要旨は、
「僕にも小説家という天職があった。
だからあなたにも天職がある。
世の中にはこんなにも職種があるのだから、
あなたにぴったりの天職がきっとある。」

という成功事例が1つしかない(村上龍さん本人)
ような本が200万部も売れた。

それを、
「成功事例のひとつ」
あるいは
「方法論のひとつ」だと認識できればいいが、

なぜか、ブームになると、
「それが唯一の答えだ」というような思考停止に
陥ってしまう。

よくよく考えてみると、周りを見渡して、
「カッコイイ大人」「あんな風になりたい大人」というのは
何人かはいると思う。

たとえば5人かっこいい大人たち(だと自分が思う人)を選んだとして、
そのうち何人が、小学校の卒業文集で、
「今の仕事になりたい、就きたい」と書いていただろうか?

おそらくはゼロ、もしくは1人くらいではないだろうか?
だから、確率論的に、
もしあなたがプロサッカー選手を目指していないのだとしたら、
小学校6年生で夢・目標・つきたい職業が決まっている必要はまったくない。

天職は、選ぶものではなくて、
たどりつくものだと僕は思っているし、
天職とは、職種のことではなくて、
天職だと思える瞬間のことだと思っているので、
「天職」だと思える瞬間をつくる仕事は無限にあると思っている。


「ホスピタルクラウン」(大棟耕介 サンクチュアリ出版)


「どんな仕事も楽しくなる3つの物語」(福島正伸 だいわ文庫)
を読むと、それがよく分かる。

「病院でクラウンをやって、病気の子どもたちを勇気づけたい」
とか
「駐車場のおじさんになって、日々人々を元気にしたい」
とか
小学校6年生のときの作文には、ほぼ書けないだろう。

でも彼らは確かに「天職」を生きている。

夢を叶えるのではなく、今、この瞬間を演じ切る。

きっとそれが天職につながっていく。
僕はそう思っている。

だから、
「やりたいことがわからない」と嘆くのではなく、

目の前のアクションのチャンスを手に入れて、
その瞬間を燃焼しよう。

その先に、何かある。
いや、もしかしたらないかもしれないのだけど、
それはそんなに重要ではなくて、
動いた瞬間の輝きがきっとある。  

Posted by ニシダタクジ at 07:48Comments(0)日記