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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2014年09月04日

受験勉強の目的は「集中力」と「戦略性」をつけること

自分のルーツを巡る旅に
気がついたらなっていた。

酒田の小松さん夫妻。
ツルハシブックスでの
小商いイベントにはるばる酒田から来ていた二人。

思えば、僕のルーツは大学生の時の
農家めぐりの旅から始まっている。

サークル「有機農業研究会STEP」を立ち上げ、
学食から生ごみをもらって微生物資材でたい肥化して、
畑につかって、野菜を育てていた。

初めての作物づくりはサツマイモで、
それはそれは立派なサツマイモが獲れた。

そのときの感動を伝えたいと
たくさんの人が参加できる畑を企画。

「半農半Xという生き方」で知られる
京都の塩見直紀さんにプレゼントされた
「種をまく人」(ポールフライシュマン)に後押しされ、

新潟市西蒲原郡巻町(現新潟市西蒲区)の
日帰り温泉施設の向かいでスタートした。

当時、畑をやるというのは、
相当なマイナースポーツ(?)で、
よっぽとエコ信者か、奇人変人の集まりだと
思われるような雰囲気があった。

そんな風にしたくなかったから、
温泉のついでに、
あるいは畑の後温泉に入って帰ってほしい
というような気持ちで、その場所にした。

小松さんたちがこれからやろうとしているのは
きっとそういう気楽な農的暮らしへの入り口なのだろうと思った。

鶴岡へ移動。
噂のスペース「みちくさ舎」で、
東北芸術工科大学の松田道雄先生に再会。



地域の大人と子どもが一緒に遊ぶ「だがしや楽校」の発案者。


この本を読んだのは2004年。
「地域の大人と子どもをつなげたい」と思っていたので、
ドキドキしながら読んだ。

中越地震で川口町の子どもと遊ぶボランティアを
一緒にしていた新大生たちと、翌年「虹のひろば」を立ち上げる。

巻にある小さな神社の境内で、
子どもと昔の遊びを中心にして遊ぶ企画。

そんなことを思い出させる旅だった。


持っていった本のうち1冊が「16歳の教科書」(講談社)

この藤原和博さんの章に、心を持っていかれた。

僕は、2003年に民間人校長になった藤原さんの本をかなり読んでいて、
民間人校長になりたいと思い、
もし、校長になったら、社会科を自分で担当したいと、
玉川大学教育学部(通信 中学校社会科コース)に2004年に編入。

2005年にスクーリング、2006年に介護体験、2007年に教育実習に行った。

実はスクーリングの段階で、
「僕のポジションは学校ではないな。」
と感じていたのだけど、
なんでも経験なので、介護体験と教育実習もさせてもらった。

教育実習でいちばん学んだのは、
「クラスで見せる顔は子どもの一面でしかない。」ということ。

音楽部や美術部の子たちが
部活動中や総合体育大会で運動部の子たちが出払っているとき、
イキイキとした笑顔を見せたのが印象的だった。

あの体感は、いまでも僕の胸の中にある。

そんな経験をさせてくれたのは、
藤原先生の著書を読んだからだと思い出した。

そんな藤原さんの文章に再会。

~~~ここから一部引用

戦後の経済復興から高度成長期の間の工業化社会、
つまり「成長社会」の教育現場では、
「早く」「ちゃんと」「いい子に」という3つがいちばん大事な価値観だった。
産業界でそういう人間が求められていたし、

産業界にも、「もっとたくさん」「もっと安く」「もっと標準的に」
といった万人にとっての正解があった。

でも21世紀の日本は十分に成長しきった「成熟社会」。
そこには「これをやっておけば大丈夫」という正解がなくなった。

だからこそ、藤原さんは、
よのなか科で、正解のない課題に対して、
「納得解」を自分なりに出すことに取り組んでいる。

「情報処理力」ではなく、「情報編集力」を鍛えるということだ。
そして、自分の力の半分は、他人の力で成り立っている、ということ。

だからこそ、
藤原さんは「ナナメの関係」をつくることを提唱する。

「親/子」「教師/生徒」というタテの関係ではなく、
「友達‐友達」といったヨコの関係でもない、ナナメの関係。

「情報処理力」だけなら、タテの関係で学べる。
「これを覚えなさい。」「はい。」みたいな。
そうではなくて、異世代の人が集まるナナメの関係に身を置くということ。
それは、若者の気持ちじゃなくて、地域コミュニティの問題だと思うけど。

藤原さんは
中高生の時に身につけるのは
「集中力」と「バランス感覚」だという。

どんな人でもある分野で成功していたり、
ユニークな仕事をしている人は、100%集中力がある。
これは話していればわかる。

~~~ここまで一部引用

そして、この本で最高に痛快なのは、
「夢なんかいらない」というところだ。

▽▽▽ここから一部引用

大人に「夢を持ちましょう」と言われ、
「夢を持たなきゃいけない」というプレッシャーをうけ、
さらには「自分が成績が悪いのは、将来の夢や目標が持てないからだ。」
と勘違いするヤツもいる。

でも僕は夢なんかいらないと思う。
むしろ「夢を持たなきゃ症候群」みたいなものは
逆に危険なものだとさえ思う。

まず、技術と経験のない「夢」など、
しょせん「幻想」にすぎないでしょう。

誰もがイチローになれるものではなく、
人間って、技術と経験を積んでいけば、
階段を上るようにして自分の視点が高くなっていくでしょう。
そして、見える世界が変わってくる。
夢だの目標だのは、そこから先に考えても、全然大丈夫なんだ。

じゃあ、夢も目標も見えないのに、
なんのために勉強するのか?
なんのために働いていくか?

僕は「クレジットを高めるため」という言い方をしています。
クレジットというのは他人からもらえる信頼や共感、信任の総量のこと。

クレジットが分かりにくければロールプレイングゲームの「経験値」
みたいなものだと考えてもらっていい。

つまり。
クレジットが低いままだと、
いつまでもドラクエでいえば、こん棒と布の服で
戦っているようなものだ。

クレジットが高まると、
他人からアクセスされるようになるし、
他人にもアクセスできるようになる。
そうすると、納得解の幅が広がっていく。

△△△ここまで一部引用

受験勉強で得られるのは、
「集中力」と「戦略性」だという。
人間は「やることを絞ろう。時間も能力も限られているんだから」
と気がついたとき、はじめて戦略的になれる。

そして、決めた戦略を実行するには
「集中力」が必要になる。

その2つは正解のない世の中を生きていくときに
かならず武器になる。

いいなあ、藤原先生。
久しぶりの藤原節はとても心地よかったです。

いい旅のお供になりました。  

Posted by ニシダタクジ at 07:43Comments(0)足跡