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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2015年05月14日

帰る場所、ふるさとをつくる

大学時代のひとつの宿題は
「帰る場所」をつくる、ということ。

ふるさとを創る
と言い換えてもいいのかもしれない。

ワークショップの手法として
すでにメジャーとなったKJ法の生みの親、
川喜田二郎氏(1920-2009)によると

「ふるさととは、子どもながらに全力傾注して
創造的行為を行った場所のこと。」だと言う。
(「創造性とは何か」川喜田二郎 洋伝社新書より)

「全力傾注して創造的行為を行う」と
そこはふるさとになっていく。

かつてそれは、山であり、川であった。
ただそこには自然だけがあり、
創造性を発揮しなければ遊べなかった。

いま。
居住空間から山や川の多くが失われていった。

昨日のブログの中の
「学校」「地域」「家庭」
のトライアングルを
ひとりひとりの子どもの側から見ると、

「地域」と「家庭」の機能の多くを、
かつて、「自然」が補完してくれていたのではないかと思う。

自然での遊びには、正解がない。
そして自然には、すべてを受け入れる懐の深さがある。

そして社会は、
子どもの遊び場としての自然を失っていった。

じゃあ。
どうすればいいのか?

「ふるさと」を自ら創造するしかない。

僕は20代のとき。
「まきどき村」というプロジェクトに賭けた。
畑はコミュニティの拠点になり得ると思った。

1999年。24歳の時にスタート。
今年は17年目を迎えている。

朝6時に集合し、畑作業のあと、収穫物と
朝市で買った食材とを合わせ、朝ごはんをつくる。



釜炊きごはんを囲炉裏を囲んで食べる。
そこには圧倒的な受容感がある。
自然と地域、地域の人たちと、歴史・文化に抱かれている。
僕にとっては、あの場所はふるさとだ。

そう。
ふるさとは創ることができるのだ。

新潟大学の美術科が
内野町の商店街で10年以上取り組んでいる
「うちのDEアート」の参加学生の一部は、

他県出身で、他県に在住しているにもかかわらず、
アートの日程に合わせたり、合わせなかったりするけど、
内野の町に帰ってきて、周辺の商店街に手土産を渡して回るのだ。

もはや彼女たちにとって、内野町は行く場所ではなく、帰る場所だ。
実家よりもよっぽど「ふるさと」なのではないか。

そう。
ふるさとは創ることができる。

「全力傾注して創造的行為を行うこと」
で創ることができる。
うちのDEアートとは、まさにそんな企画なのだろう。

もちろん、体育会系の部活は、
ある意味、人的にはそういう要素があるだろう。
彼らにとっての同窓会はふるさとそのものだ。

しかし、そうではない場合。
そして、「場所」としてのふるさとをつくりたい場合。

地域プロジェクトに参画する。
あるいは自分で地域プロジェクトをつくる。
そして全力傾注して創造的行為を行う。

その繰り返しで、その場所はふるさとになっていく。

「ふるさと」はきっと、
答えがひとつではないという社会力と、
ありのままの自分を受け入れる自己肯定力を授けてくれる。

それは、社会に出てから、
いや、これからの人生を生きていく上で
大切な、大切なものになっていく。

帰る場所をつくること。
これが大学時代の宿題なのではないだろうか?  

Posted by ニシダタクジ at 07:28Comments(0)日記