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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2015年05月22日

「高齢者」という喪失と「パラレルキャリア」という役の創出

長谷川先生の公開講座、今回は高齢者編。
まずは「高齢者」という言葉を読み解いていく。

キーワードは、
・階級社会
・平準化
・年齢階梯モデル

以下、講座メモ。

1)思えば遠くに来たもんだ
・人は年齢ごとに役割を変えていく(父⇒おじいちゃん※孫ができると)
・地域:長老⇔若い衆 会社:先輩⇔後輩
・「高齢者」⇔? 相手がいない
・カジマヤー:長寿を祝う沖縄の行事:97歳まで役割がある。
※「高齢者」=役割なき区分

2)年齢階梯ルール
社会という幸せ装置の暗黙の3つのルール
・性別ルール(男と女)
・階層ルール(学歴、身分、門地)
・年齢階梯ルール
家族:子、父母、祖父母、先祖(沖縄ニライカナイ)
地域:子ども、若衆、嫁、姑、長老
職場:後輩、先輩⇒定年退職
※職場だけがある一定の段階(年齢)で役割を切られる。
定年退職者⇒職場から切り離された人⇒役割がない

3)動物
動物の役割は生殖(子孫を残すこと)
人間だけが生殖機能を失っても生き続ける。
⇒役割があるから、ではないか?
動物が生きることのほとんどを本能に頼るのに対し、
人間は「学習」によってそれを得るので、
親だけでは足りずに、老人が必要になる。
家庭でも地域でも子ども(次世代)を社会化する役割がある。
老人:次世代を社会化するという役割を果たすべき人

4)平準化と戦後社会
平準化:平らにするということ。
江戸時代から明治時代に変わり、
日本はイギリス型の階層モデルで近代化を目指した。
農村で言えば、地主と小作であり、地主は働かなかった。

ところが戦争によって「平準化」の波が来る。
戦時経済では、すべてが配給制になるのでお金も地位も意味を持たない。
東条英機首相が国民皆兵政策をしたときに、
住所を持たずに移動して働く人たちを含めてすべての日本人に戸籍がつけられた。

そして、戦争を経て、
イギリスモデルからアメリカモデルへの転換を余儀なくされた。
「差別化」モデルから「平準化」モデルへの転換である。

5)平準化モデルのモノサシ(アメリカのモノサシ)
アメリカ:民主主義・科学万能モデル
「性別ルール」「階級ルール」の平準化
家庭:家制度の解体、男女平等
農村:地主解体、小作農⇒土地を持つ自作農へ
企業:労働者組合を設立し、経営者と交渉できるように
それぞれ平準化が起こったが、平準化により新たな役割が生まれた。

ところが
年齢階梯ルールだけが、新たな役割をつくることなく、
支えるべき対象者として「高齢者」という区分を生んだ。
※福祉行政から生まれた

「職」の世界と「役」の世界
「職」の世界:お金とモノ、科学万能の世界:所与の役職を担うことで成立する
「役」の世界:地域社会や家族の世界:年齢に応じて変化する
※「職」の世界はある年齢に達すると、不要になる=役職がなくなる=定年退職

「高齢者」とは、
男性にとって:「職」の世界から切り離された人
女性にとって:年齢の違いにすぎない

「校長会」「教頭会」「名誉教授」など、
男はそれ以前の肩書を守ろうとする。
⇒必要なのは「平準化」時代における「高齢者」の役割をつくること。

6)7つの別れと7つの出会い

1 会社
2 役職
3 仲間
4 お金
5 家族
6 健康
7 情報

「会社を辞める」⇒所与の役職を失う
⇒どう役割を演じていいか分からない⇒路頭に迷う

突然「高齢者」だと言われる。
⇒しかし、「高齢者」の役割が規定されていない。
⇒やることがない
⇒まだ老いの文化ができてない
⇒自らが文化をつくるしかない。

「職」の世界(会社)と「役」の世界(家)
のあいだに、もうひとつの世界をつくっていくこと。
「私」と「個」のあいだに「共」の世界をつくっていくこと。

男女のつながり方の違い
男性:世界を所与の役職から眺める(課長なら課長目線で見る):分別
女性:自分らしさ、隣近所(他者)との関係性から眺める:無分別(気にしない)

分別:科学知 問題⇒質問⇒討論⇒結論
無分別:日常知 問題⇒新たな問題⇒新たな問題⇒結論なし⇒今日は楽しかったね

これらの考え方の違い。
「高齢者」という規定にダメージを受けるのは圧倒的に男性・会社員

課題:分別に生きてきた男がいかに無分別を手に入れるか?

~~~ここまで講座メモ

会社を定年退職して「高齢者」になる。
そこには「役割」がない。
この圧倒的な喪失。
きっとそれは「平準化」の反作用なのだろうと思う。

江戸時代の身分制度や
イギリス型階級社会を生きていたとき。
僕たちは生まれながらにして、身分や階級という役割を背負ってきた。
あるいは、地域の祭りで年齢に応じた自らの役割を演じてきた。

ところが。
平準化の流れで、すべてを平らにしてしまい、
文字通り、「努力すれば報われる」と言うような社会を作ってきた。

結果。
世の中は平らになった。
しかし、平らになった分、役割を喪失していくこととなる。

会社至上主義、経済至上主義は
それに拍車をかけた。

「家庭」や「地域」で父や若い衆という役割を担うことなく、
人は「会社」における「課長」という役割を演じるだけになった。

気がつけば、65歳を迎え、定年退職となった。
その途端、「高齢者」という新しい役以外の役を失うのだ。

「高齢者」はそもそもの成り立ちが
福祉行政からの目線で「守るべき弱者である」という意味だ。
弱者を演じるしかないとしたら、少し悲しい。

「パラレルキャリア」という言葉をふと思い出す。

今年の4月。
ETIC.等が主催する「東北オープンアカデミー」
のイベントに参加したとき。

「パラレルキャリア」というキーワードで
自分のスキルを活かして、東北の復興を支援する
ような人たちを募ったイベントだった。

そこに集まった人たちの多くは、
名だたる企業に勤める40代以上の人たちだった。
僕は「パラレルキャリア」にヒットするのは
20代・30代だと思っていたので、ビックリした。

「パラレルキャリア」は副業ではなく複業であり、
収入の複線化であると言われている。

しかし。
彼らを見ていると、
いま、会社員に必要なのは、収入の複線化ではなく、

「心のパラレルキャリア」というか、「役の複線化」というか、
そういうことなのではないだろうか?

自らの感性を失わないように、
「心の報酬」を感じ続けられるように、
もうひとりの自分を演じられる場所。
彼らはそれを東北に求めているのではないだろうか。

祭りのない地域に生まれ、祭りのない場所で暮らす。
そこには、スマートではあると同時に地域での役割もない。

そんな暮らしだけでは、生きられない。
そんな人たちが動き出しているのかもしれない。

もしかしたら、それは、定年退職した親世代を見ているからかもしれない。
あるいは自分の感性がこのままでは耐えられないと叫んでいるのかもしれない。

もし、そうだとすると、
茨城県、特に県北は立地上、かなり魅力的なフィールドになるのかもしれない。
「心のパラレルキャリア」を生み出せる場になるのかもしれない。  

Posted by ニシダタクジ at 06:35Comments(0)学び