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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2015年06月08日

学校教育では「正解」と「不正解」しか教えられない


「新しい道徳」(藤原和博 ちくまプリマー新書)

やっぱり藤原さんの
教育を切る視点には非常に共感するところが
多いなあと感じる。

日本は「テレビが神様」であると断じる。

テレビでもっとも大切なのは「わかりやすさ」である。
「正義の味方か悪の手先か」
「勝ち組か負け組か」
「金持ちか貧乏人か」

実際にはこの「間」の人たちが多いのに、
その多様性を無視して極論が支配する。
ニュースも、討論番組も、バラエティーでも、ドラマでさえも
短い間で子供からお年寄りまで様々な層にアピールするには
「二項対立」が有効なのだ。

したがって、
テレビの過剰視聴は、
頭の中身まで「二項対立」
にしてしまう。

「味方か敵か」
「好きか嫌いか」
「自分に合うか合わないか」
「役に立つか立たないか」
で物事を見てしまう。

そしてテレビは
その二項対立をより強化する役割を果たす。
かくしてテレビは神様になった。

そしてその「テレビ教」を
学校の正解主義が支えているのだと藤原さんは言う。

受験勉強でパターン認識応力を鍛えられた子供は
「正解」に弱い。
「正解」を無自覚に受け入れてしまう特性を持ってしまうからだ。
そしてそのテレビの教えをケータイが強化する。

こうして、
テレビ、ケータイ、学校のいわゆる「テレビ教」が成立している。

なるほど。

本当は正解と不正解のあいだに
無限の多様な解が広がっているのだよなあ。
それをどう実感していくか。

やはり、地域の力だな。
多様な大人、多様な地域に出会うこと、感じること。
正解がひとつではないこと。
自分で考えるしかないということ。

「自然農」との出会いは僕にとって、
ゴールであり、出発点だった。

僕自身が「自分がやるべき農業のスタイルは何か?」
という問いへの正解を探し続けていた。

「正解などない。畑に立てば自然とわかるようになる」

徳島の沖津さんからそう学んだ夏。
あれからすでに17年の時が過ぎた。  

Posted by ニシダタクジ at 06:36Comments(0)日記