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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2015年06月17日

「学力」への反発という本能

公開講座第3回目。
今回も気づきがたくさん。

「富国強兵」「殖産興業」
の名の下で「日本人」をつくる教育、
それが学校教育だった。

そして、何度も繰り返される
一元化された「学力」と「多様な力(生きる力)」
のせめぎあい。

いやあ。
教育学部必修なんじゃないかな、これ。
と思いました。

~~~以下講義メモ

〇分節型階層社会=士農工商

・江戸時代は4つの身分に明確に区分されていた。
⇒それぞれがそれぞれの「子育てのカタチ」を持っていた。

1 武士社会=儒教
「知行合一」「致良知」「一期一会」を大切にする
・通過儀式(イニシュエーション)を持つ(元服など)
・「恥」の子育て(モラルに反する⇒恥 ⇔ ルールに反する⇒罰)
・「恥」=「卑怯」:誰も見ていなくても自分が見ている。

2 農村社会=農事暦=作物の照応

・育つ=背立つ(稲穂が成長する)⇒内発的動機型
・しつける=田植えを決まった場所にする。

・「育」という字は子の反対に肉付き
⇒悪い子を(外発的に)トレーニングするという文字
・そだつ=農耕的子育て⇔育つ=武士的子育て

3 工=職人社会

・「親方」→「奉公」→「覚える」→「自立」:流動社会
・技を盗む=マイスター

・ゲマインシャフト:共同社会 結・講:お金を介さない社会
・ゲゼルシャフト:職人社会 お金が動く社会
・「覚える」:個人的・体験的学び:大量に均質に教育できない

4 商人社会

・訓育・鍛育⇒商家の家訓を守る:江戸しぐさ、繁盛しぐさ

〇明治維新:1~4を国民教育として一本化する必要があった。

・日本人の子どもの能力を一元化する⇒平準化
・「平準化」:地域性を除外、一斉授業・黒板
・シャドウカリキュラム:学力よりも「遅刻しない」「1時間ガマンして聞いている」ことが軍隊・工場に入った時に重要。
・日本人の意識を統一する。

・学校をつくる:地域みんなでお金を出し合ってやった。
・手に入れたもの:学問知(知識)⇔日常知(知恵)
・科学:学問知が日常知とつながらなくなった:現代

明治時代「富国強兵」「殖産興業」
産業労働者であり、かつ戦争を担う人を育てる。
「皇民教育」

1894年 日清戦争
1904年 日露戦争
1914年 第1次世界大戦

10年ごとの戦争のあいだ。
1925年に大正デモクラシーが起こる。
「民主主義教育」:窓際のトットちゃん「自由の森学園」
など、新しい教育のカタチが生まれる。

しかし、
1931年 満州事変
から
1945年 終戦
までの15年戦争で再び「皇民教育」へ。

終戦後アメリカ型の戦後社会をつくる
アメリカ型:民主主義社会
1 民主主義
2 平和主義

⇒やったことがないので1946年~1950年
新しい教育のカタチの模索が始まる。
全国でさまざまな実践モデルが出てくる。

「コアカリキュラム運動」
⇒地域の力を反映した自発的な学校運営
⇒作文教育などの実践
※「コアカリキュラム運動」で学力が上がったのか?問われる


1950年 朝鮮戦争
1955年 高度経済成長

大量生産・大量消費型の経済モデルを選択し、
それを担う労働者を生むことがが重要になる。

1967年 学力テスト
学力テストを上げた人がよい先生

「学力」重視⇔地域の行事:学力の足しにならない:悪い
「学力」一辺倒⇒学校は荒れる。校内暴力・対教師暴力
⇒管理主義教育:子どもは悪⇒学校がトレーニングする。校則で縛る。
⇒子どもが社会悪に触れないようにする。
⇒体罰・いじめ:学校と父母が対立する

〇2000年「生きる力」:感情喚起型概念⇔定義型概念(それとそれ以外を分ける)

2007年に再び「学力」論争が起こり、
「ゆとり教育」の撤回

〇コミュニティスクール

地域⇔学校
・学校の中に地域の課題を入れていく
・先生を評価する権利がある

~~~ここまで講義メモ

なるほど。
「学力」という単一の尺度で、
子どもが比べられるようになったのは
わずかこの150年、ごく最近なんですね。

それは、校内暴力も起こるよなあと。
比べられないはずの人が比べられるのだから
そのストレスはハンパない。

そして150年の間に何度も
一元化された「学力」と
多様な「生きる力」とのせめぎあいが起こっているのだなあと。

いまいちど問いかけたいのは、
「富国強兵」「殖産興業」の時代なのか?
ってこと。

アイデア・付加価値・イノベーション・デザインの
時代なのではないか?

そのために、教育はどうあるべきか?
子どもはどのように育てたらよいのか?
真剣に考え直さないといけない。

何よりも、
いま、この瞬間を生きている子どもたちが
輝けるような空間を作っていかないといけないなと思った。  

Posted by ニシダタクジ at 07:19Comments(0)学び