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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2015年12月20日

本屋であることは先端にいるということ

本屋であること。
書店員であること。

それは、先端にいるということ。
社会の、世界の、未来創造の、
そんな先端にいるということ。

そんな誇りを思い出させてくれる2冊の本。


「まちの本屋」(田口幹人 ポプラ社)
「本を読む人だけが手にするもの」(藤原和博 日本実業出版社)

タイトルからは想像つかないほど熱いっす。
まだ前半しか読んでないのですが、
刺激的なワードにあふれています。

~~~ここから「本を読む人だけが手にするもの」メモ

日本における20世紀型の成長社会は、1997年を境に終焉を迎えた。

20世紀型の成長社会が象徴する「みんな一緒」という時代から、
21世紀型の成熟社会が象徴する「それぞれ一人一人」という時代に変わったのである。

みんな一緒の幸福論の終わり。

人生は、国家と企業が自動的につくってくれるものだったからだ。
自分の勤める会社という「渦」に巻き込まれているだけで、会社が幸せにしてくれた。

ところが、もはや、国家と企業には
そうした幸福論を保証する能力がないことがバレてしまった。
それぞれ一人一人が自分の幸福論を編集し、
自分オリジナルの幸福論を持たなければならない時代に突入したのである。

自らの幸福論を構築していくためには、幸福論を紡ぐための教養が必要である。
しかし、そうした教養は学校では教えてくれない。

ところが、その親たちは、黙っていても7割方が幸福になれる時代を駆け抜けてきた人たちなのだ。

彼らにとって成熟社会は、未知の世界だからだ。
だとしたら、自ら切り拓くしかないだろう。
だからこそ、人生の糧を得る手段として読書をする必要があり、教養を磨く必要があるのだ。

宗教が機能している社会では、宗教が物語をつくり、幸福とは何かを教える。
でも、日本のように宗教が機能不全の国家では、自分で自分の宗教、
あるいはその代替物としての幸福論を持たなければならない。
だが、携帯メールはその場限りのつながりを与えてくれるだけで、幸福論の代わりにはならない。

だれもが、やがて決断せざるを得なくなるだろう。
自分の世界観と人生観を持ってどういうベクトルに向かって進んでいくのか。
つまり、何をテーマに掲げて生きていくのかということを決めなければならない。

誰かに託したり、自らを捨てて帰依することができる人はそれでいいと思う。
しかし、そうではない普通の人は、自分で本を読み、
自分で世界観を構築しなければ幸福論は築けない。

読書を通じて知識のインプットを蓄積していかないと、
自分の意見というものが出てこないという事実だ。

本を読むという行為は、決して情報を得たいためにやることではなくて、
むしろ自分のなかからどのくらい引き出せるかという営みなのです。

読書といっても言葉だけでなく、視覚的に映像を頭のなかに想起するとか、
過去の自分の体験と照らし合わせて対比して考えるとか、
さらには自分で得られた情報からさらに自分で自分の考えを構築するというプロセスが入ってくるので、
人間の持っている創造的な脳力がフルに活かされると思います。

知識、技術、経験が点のまま浮き上がってこないと、想いや考えは生まれない。
脳内のつながりが回路となり、想いや考えが結晶し始めると、
それが発信機となってある種の電磁波のようなものを発するのではないか。
私は、その電磁波に共鳴するものが引き寄せられてくると本気で信じている。

沈殿している知識や技術や経験のかけらを結びつけるのに、
縦糸、横糸、斜めの糸があり、その糸のことを触媒と呼び、
そのひとつが読書である。残り2つは、「遊び」と「芸術」である。

ジグソーパズル型思考からレゴ型思考へ。

1つ1つのピースには、たった1か所の正解となる場所が決まっていて、
代わりに置くことのできる場所はない。
仮に間違えて置いていますと、本来そこに置くべき
正しいピースの行き場所がなくなる。当然、ジグソーパズルを完成できない。

ふと気づくと、日本社会には、ジグソーパズルを
早く正解に完成させることができる人ばかりになってしまった。

ジグソーパズル型の人にはできないことが2つある。
1つは、最初に設定された「正解」の画面しかつくれないこと。
2つ目の問題点は、変更がきかないということ。

人生を地平から見ているだけでは、
いま進んでいる1本の道しか見えないのに対し、
鳥瞰図の視野を手に入れれば、その横に走っている別の道が見えるようにもなるだろう。

~~~ここまで「本を読む人だけが手にするもの」メモ

いや、スゲーって。
だからこそ、大学生は、本を読まなければならないだと
熱く感じさせてくれる1冊。
ツルハシブックスの果たすべき役割はめちゃめちゃ大きい。

そういう本たちをどのように、
大学生に伝えていくか?
が「まちの本屋」には美しく描かれている。

まだ第1章なのだけど、少し抜粋する。

~~~ここから

買われなくても構わないのです。読みたい本が、そこにある。
そういうきっかけや状況を、書店員がつくり出せるかどうか。
POPは、それを演出する一つの方法に過ぎません。

旬を売る本屋になる

本屋が何をしたいかではなく、そこに集うお客さまが棚から何を持ち帰ってくれるか。
それでその店の方向性が決まる。
お客さまや地域が本屋の棚と品揃えをつくっているとも言えます。

本屋を耕すこと

~~~ここまで

本棚を耕しているか?
旬の本を売っているか?
そもそも「旬」をつくっているか?
と熱く問いかけられる。

この2冊。
サムライの皆様には、合わせて読んで頂きたい2冊です。

本屋であるということ。

それは、時代や社会の先を考えるということであり、
お客さんとコミュニケーションするということであり、
自らの人生の未来を考えるということであり、

それらを通じて、
まさに、コミュニケーションすることを通じて、
未来が創られていく現場に立ち合っているということ
なのではないかと思う。

「未来を創る」とは、
i-phoneを開発したり、病児保育システムを生み出したりといった、
決して大げさなことだけではない。

目の前のお客さまや街の人たち、ほかのスタッフと対話し、
そこからひとりの人生や生活が少しだけ動くこと。

未来の構成要素はひとりひとりであるのだから、
そのひとりひとりが少しだけ変わること。

その最前線に本屋は、
いや、「コミュニケーションする本屋」はいるのだ。
その本屋のさらに最前線に店員侍たちが立っている。

そんなことを思い出す、素敵な2冊です。

小さなイノベーションを美しく起こし続けるような本屋になりたい。  

Posted by ニシダタクジ at 09:08Comments(0)