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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2015年12月31日

ゲマインシャフトとゲゼルシャフト


「君に友だちはいらない」(瀧本哲史 講談社)
引き続き、こちらから。

第5章
チームアプローチは、あなたと世界をどう変えるか?

~~~ここから一部引用

「ゲマインシャフト」と「ゲゼルシャフト」という言葉がある。
ゲマインシャフトというのは、地縁や血縁など、
人間が生活していくなかで自然発生的に生まれてくる
社会集団のことを指す。

地縁にしろ血縁にしろ、この関係は、自分が生まれた時点で
ほとんどが決まっている。
そのため事後的に自らの意志で、
それらを変更することも、逃れることも基本的には難しい。
その縁を増やしていくことも、完全に消すことも困難である。

身分制度と村落共同体によって
職業や婚姻、移動の自由がなかった江戸時代までの日本は、
典型的なゲマインシャフト的社会である。

ゲマインシャフトに対してゲゼルシャフトというのは、
「ある目的をもった人々が、その目的を達成するために集まった社会集団」
のことをいう。

何かの目的があって作られるものだから、
いくつもの集団に同時に所属することもできるし、
その目的が必要なくなったり、組織がダメになったら
いつでも解散したり脱出することができる。

~~~ここまで一部引用

著者は、家族の問題や、学校のPTA、自治会などの
問題がゲマインシャフトの関係性に固執するところから生まれるという。
これらの組織をうまく機能させるには、
ゲゼルシャフト的、つまり目的志向性を持たせることが重要になるという。

さらに「いじめ」についてこう言及する

▽▽▽ここから一部引用

いじめという現象は、
村社会に代表されるゲマインシャフト的組織で
おこる典型的な問題である。

いじめは「そこで暮らしていくしかない人たち」が、
自分たちの集団の「同質性」を確認するために、
定期的にわずかな差異を持つ人たちを探し出して叩くという
一種の「儀式」だ。

だから特定の人がターゲットになっても、
その人がその場から去れば、
周期的に別のターゲットをランダムに見つけ出して繰り返し行われる。
いじめの対象を見つけ出す理由はなんでもいいのである。

なぜならば、いじめが、いじめとして機能するためにはの重要なポイントは、
「次に誰がターゲットになるか分からない」ということにあるからだ。

(中略)

この「次のターゲットを明示しない」というやり方は、
絶対権力が支配する社会の統治システムにおいても巧妙に使われてきた。

隣で暮らしていたふつうの家族が、ある日突然、一家揃っていなくなる。
それを見た人々は震え上がり、
「今度は自分たちの番ではないか」「けっして当局の手にとまらぬように
おとなしくしていよう」と胸に誓う。

(中略)

いじめの原点は「狭い人間コミュニティ」であり、江戸時代に盛んに行われた
「村八分」もいじめの一環にほかならない。
現代のブラック企業でも営業成績の悪い社員を、上司が見せしめのようにして
いじめるが、それも組織の同質性を保持するために行っていると言えるだろう。

△△△ここまで一部引用

と、めちゃめちゃ真実をついている。

学校におけるいじめも、
まさに「狭い人間コミュニティ」であり、
それを維持している限り、いじめはなくならない。

そして、それを打破するのは、カリスマではなく、群雄だと著者は説く。

カリスマ型リーダーに引っ張られる組織は、
権力が一点に集中することを避けられないがために、
やがてリーダーの顔色ばかりをうかがう典型的な「官僚タイプ」
の人間が幅を利かせることになり、制度が硬直化し、
あっという間に活力を失っていくことが避けれられない。

振り返ってみれば、日本もかつて「群雄たち」
が国家の基礎をかたちづくった。
江戸幕府(幕藩体制)という地方分権型国家である。

現在も戦後つくられた中央集権システムが行き詰まり、
社会保障をはじめとする国家のインフラがきしみ始めているいまこそ
群雄の出番だ。

なるほど。
僕たちは、群雄になるべく、
ゲゼルシャフト的な目的指向型の組織を
数多く作っていくこと。

なによりも試しにやってみること。
チームをつくってみること。

そこから次の時代の扉が開く。  

Posted by ニシダタクジ at 06:42Comments(0)アイデア

2015年12月30日

ファースト・ペンギン


「君に友だちはいらない」(瀧本哲史 講談社)

第3章
ビジョンをぶち上げろ、ストーリーを語れ。

この章は「指輪物語~旅の仲間」の一節から始まる。

~~~ここから引用

「僕は危険な冒険なんか向いてないんだ。指輪なんかに出会わなければ良かった。
なんで僕のところに。なぜ僕が選ばれた?」
「そんなこと誰にもわからんよ」ガンダルフは答えた。

「ほかの人にない取り柄、力や知恵じゃ全くないこともわかっているだろう。
しかし、選ばれてしまったのだ。
だから持ってる限りの力と勇気と知恵を使わないとだめなのだ。」

成功を遂げたチームに共通するのは、
そのスタート地点から目的の達成までが、
ひとつの映画作品や優れた小説であるかのように、
傍から見る人に感動を与えることだ。

アメリカの神話学者ジョゼフ・キャンベルは、
それらを8つの構成要素に分解し、
「ヒーローズ・ジャーニー」と名付けた。

1 Calling(天命)
2 Commitment(旅の始まり)
3 Threshold(境界線)
4 Guardians(メンター)
5 Demon(悪魔)
6 Transformation(変容)
7 Complete the task(課題完了)
8 Return home(故郷に帰る)

ハリウッド映画をはじめとして、
世界中の人々に受け入れられている映画やドラマの
ストーリーのほとんどがこの神話の構成の影響を受けていると言っても過言ではない。

主人公が旅へと出立すると、
やがて運命をともにする仲間が集まりはじめる。
そして目的地への探索をするなかで、
まわりの仲間や敵との関係性を通じて、

主人公は自分への理解を深め、仲間とともに厳しい試練を乗り越えていく。
そのプロセスを通じて、主人公は自分がどんな秘められた力を持っているのか、
発見していくのである。

ヒーローズ・ジャーニーにおける「天命」は
ビジネスの世界では「ビジョン」と呼ばれる。

最初にチームがもっている問題意識は、
「将来こうなったらいいな」というビジョンだけが先行し、
「どうやってそれを実現するか?」というソロバンの計算は
甘いことがほとんどだ。

だが、それでよいのである。
むしろ人は「でかすぎるビジョン」を語る「穴だらけの人物」に注目する。

三国志の主人公、劉備玄徳は農村の一青年にすぎなかったが、
「どうやら自分は漢王朝の末裔の遠い親戚らしいというだけの理由で
漢王朝を復興させることが自分の使命である、と
壮大すぎるビジョンをぶち上げるのである。

そんな壮大なビジョンに共鳴して、
初期メンバーとして関羽と張飛、
そして後には諸葛亮孔明や趙雲など、
当時の中国国内でも最高レベルに優れた武将・ブレーンが集まってくる。

劉備玄徳タイプのリーダーを
別の言葉で表現するならば、
1匹目のペンギンと呼ぶことができるだろう。

ペンギンにとって海の中は、
シャチやヒョウアザラシなどの天敵がいる危険な場所だ。
だから無闇に飛び込むことはしない。
かといって氷の上に居続ければ飢え死にしてしまう。
そこで勇気を出して飛び込んだ1匹目のペンギンが
無事に餌をとることができたら、他のペンギンも次々に続いて飛び込むという習性をもっている。

この身の危険を顧みず、勇気をもって冷たい海に飛び込む
「1匹目のペンギン」のように、まったく新しい市場に
リスクを背負って打って出る人のことを英語圏では
ファースト・ペンギンと呼んで称賛する

~~~ここまで引用

なるほど。
先行きの見えない時代において、
ビジョンを語ること。
そして最初の海に飛び込むこと。

そうやって、時代は動いていくのだろう。
人生は創られていくのだろう。
そう思った。

ツルハシブックスのミッションは
中学生高校生に居場所と地域の大人との接点をつくり、
「学校だけが世界ではない」ことをつたえること。

大学生20代には、「自信をつける」=「自分の感性に自信を持つ」
という本を読む、人に会う、旅に出る、という成人式期間をとどけること。

そこに向かっていくための
ファースト・ペンギンにひとりひとりがなっていこう。  

Posted by ニシダタクジ at 06:10Comments(0)

2015年12月29日

「成人式期間」を届ける本屋


ツルハシブックス2015年の営業が終了。
恒例の三本締め。
2016年に向けて、ふたたび進んでいく時が来た

おそらく、ツルハシブックスは、
ハックツを軸に事業を再構築する
時期を迎えているのだろう。

10代に出会いときっかけ、サードプレイスを
提供する本屋になる。

それには、クリスマスにやったような寄贈本企画や、
通学路に出張して空き地ハックツみたいなことも
やっていくことが必要だろう。

では、新刊書店として、
あるいは大学生や20代会社員に向けて、
何を売っていけばいいのか?

それはきっといまは適切な言葉が浮かばないが、言わば「成人式期間」
というものになるのだろうと思う。

参考:ひとりひとりに使命があるように、本屋にも使命がある
http://hero.niiblo.jp/e475548.html

成人式期間を売る。
なにものでもない自分から出発して、
自分とは何か?豊かさとは何か?
を問い直してみる機関。

それを提供していくということ、
そのための選書をするということ、
そのためのサービスを提供するということ。
そのサービスのひとつに自動車学校との連動した企画をつくる。

本を読む人をつくっていく企画。
本を読みたいと思っているけど、なかなか読めるようにならない。
何から読んだらいいか、わからない。
今の就職活動への悩みにどの本をよんだらいいのか?

「本の処方箋」を使いながら、
そんな運転免許合宿があったら楽しいと思う。

答えのない時代を生きているし、
ずっと生きていかなければいけない私たちは、
自分なりの幸福論を見つけなければならない。

そのために、本を読み、人に会い、旅に出なければならない。
そんなきっかけを、つくっていくような本屋。

大人たちからのメッセージの詰まった本が
受け取れる本屋。

そんなギフトの連鎖が起こっていくような本屋を
サムライたちとつくっていこうと思う。

サムライの皆様、1年間ありがとうございました。
1年前に想像していた以上のお店になりました。

「共に学ぼう。」
そんな、現代の松下村塾がツルハシブックスなのかもしれません。  

Posted by ニシダタクジ at 06:37Comments(0)アイデア

2015年12月28日

The time has come

The time has come.

中学の時に習った現在完了形。(笑)
have has+過去分詞
いまこそ、その学びの成果を。(笑)

時は来た。
昨日のコメタクミーティングはそんな感じ。

まずは
「ごはん道場」リハーサル。


飯塚さんに米の解説を聞いて、
米を選んで、米を研ぐところからスタート。
浸水してから、散歩に出かけて、
元助さんと大口屋さんで買い物。

3種類のお米の食べ比べをしながら
内野の商店街で買ったものを食べる。

うーん。
いいイベント。
参加費500円(おかず代は別途、持込み可)
で開催していこうと思います。

終了後の14時から、コメタクミーティング。
1年間の振り返りと、
もういちど目的の確認をして、
最後にスケジュールに落とし込んでいく。

昨日の主役は飯塚一智さん。
飯塚商店店主。
すごい人だなあと改めて思った。

すごい人って実績のある人のことじゃなくて、
いくつになっても、学ぼうとしている人。
好奇心を持ち続けている人。
自らの感性を信じられる人。

そんな飯塚さんと一緒に、
コメタクプロジェクトを進めていけることが
うれしかった。

そしてメイさん。
彼女が大学3年生のときから、注目していたアーティスト。
彼女の作品と空間づくりにいつも心を動かされてきた。
その彼女が同席していることもすごいことだ。

2015年12月27日。
コメタクにとって、記念すべき1日となりました。

コメタクの思想を体現している代表の堀。
愛されまくるキャラと実行力の井上。
カタチにすることができる吉野。

この3人に飯塚さんとメイさんと僕。

The time has come.
いよいよ、その時が来ました。
2016年、コメタク3人+3人から始まるプロジェクトに、
目が離せません。  

Posted by ニシダタクジ at 07:15Comments(0)チーム

2015年12月27日

「贈り物」と「参加」と「学び」の店



午後3時過ぎ、内野駅に降り立つと、
ツルハシブックス「TOYOUフェス」
をやっていました。

3階のバザー&イベント会場はすごい人。
占いの小部屋があったり、
料理イベントが開催されていたり、
にぎわっていました。

「TOTOUフェス」は、
灯油代を集めるという趣旨のファンドレイジングイベント。
なんか、革命しているなあと。
今回思ったのは、「今日はじめてツルハシブックスに来ました」
という人が多かったこと。

イベントを主催する人がいろいろ変わっていくので、
その友だちが初めてツルハシブックスを知ることになる。

19時からトークイベント
「ツルハシブックスはどこから来て、どこへ行くのか?」

参加者のワークショップで出たアイデアで
おもしろそうだったのは、
25日にやったクリスマス寄贈イベントに
60人もの中学生高校生がやってきたこと。

やっぱりそういう機会って欲しているのかも、と思った。
それならばいっそ、ツルハシブックスに来てもらうのではなく、
ツルハシ号で中学生高校生のいるところに出かけていく、
というのもありなのではないか、と。

通学路の空き地や公園に、
「本日出張ハックツ開催中」ってノボリを立てて、
寄贈本を隠して、宝探し的にハックツをやるっていうのは
アリなのかもしれない。

もうひとつの面白そうなアイデアは
「ツルハシ帰宅部」
部活に入っていない中学生高校生と
一緒に最強の帰宅部をつくる、というもの。

これもいけそう。
みんなで上記のハックツをつくったり、
屋台でものを売ったり、そういうことができるといいなあと。

ツルハシブックスは、
そういうお店になっていくといいなあ。

「贈り物」を受け取り、
「参加者」となって、
「学び」の機会を得ていくこと。

ツルハシブックスとは、そういうお店のことなのだろうと。
「贈り物」と「参加」と「学び」の店になろう。  

Posted by ニシダタクジ at 09:03Comments(0)日記

2015年12月26日

「本を贈る」という文化を創る店



「20日の朝日新聞のGLOBEを見たか?」

京都の塩見さんからメッセージが届く。

アメリカ・東海岸の学生街、ボストンのラーメン店
「Yume Wo Katare(夢を語れ)」
の西岡津世志さんの記事。

写真には、
「195ヶ国全ての国に夢を語れる仲間を創出する 
2030.9.8 西岡津世志」
と書かれている。
おそらくは目標達成の締め切りか。

入り口で前払いの会計を済ませると、店員が聞いてくる。
「今日は、夢を語りますか?」

「語る」と答えた客は食後に立ち上がり、
自分の夢を語り始める。西岡さんはそれを
カウンター越しにうれしそうに見つめる。

今年ハーバード大を卒業した小林寛生さんは、
常連客で、この店でアルバイトもしていた。
彼は言う。
「夢を語ると覚悟ができる。応援してもらえて、
同じ夢を持つ人に出会える。人生が明るくなる。」

東京でお笑い芸人を目指していた西岡さんは、
相方とよく行くラーメン屋でアルバイトをすると、
店主に見込まれ、半年後に系列店の開店を任される。
2年後には行列の途切れぬ店となった。

すると店を人に譲り、京都・一乗寺の
ラーメン激戦区に店を出す。
店の名は「夢を語れ」

芸人仲間は「そろそろちゃんと働かんと」と言い、
大学に進んだ友人も、就職後は昔のように夢を語らない。
「年をとると『そういうもんや』『無理や』と。
選択肢を狭めるためにおれらはこれまで頑張ってきたんか?って思った。」

すぐに行列ができ、人気店へ。
しかし、夜の営業をスタッフに任せたら
次第に売り上げが落ち、何人かが辞めたいと言い出した。
スタッフとの時間をおろそかにした結果だった。
開店から1年半、西岡さんは店を閉めた。

貯金が尽きかけたころ、
一人でふたたびのれんを出す。
株式会社にし、東京と関西で6店舗を展開。
その頃中学時代の友人にお前はいいよな、成功して。」
と言われ、ハッとする。

「おれだって日本から出ていないじゃないか」
世界を求めてニューヨークへ。
しかし、何かが違った。
米国人に「若者が夢を語り合っている場所はないか?」
「そりゃ、ボストンだ」

バスに揺られて4時間半。
たどり着いたボストンで西岡さんは
鳥肌が立ちっぱなしだった。
2012年秋、日本の店舗をすべてスタッフにゆずり、
ボストンに店を出す。

店をゆずり受けたひとりの元総合格闘家の藤原さんは言う。
「彼は夢を語り、行動し続ける。『失敗』は彼にとって、
一つの出来事に過ぎない。」

3周年をむかえた今年、西岡さんは新たなプロジェクトを始めた。
クラウドファンディングで資金を募り、夢を語る若者に無料で
ラーメンをふるまう試みだ。
「若者は夢を語るのが仕事。成功したら、次の若者にご馳走する。
そんなビジネスをしたい。」

今後は世界中の若者がいる街に進出する計画だという。

この記事はこう締めくくられる。

「他人が夢を語るのを見て、夢を語り出す人がいる。
夢をかなえる人を見て、動き出す人がいる。
そんなポジティブサイクルを世界に広げるのだという。
夢物語で終わるのか、小さなラーメン店から目が離せない。」

「信じる力、独創性・ひらめき、決断力」
という3つの力に自信があるという西岡さん。

彼がつくっているのは、
夢を語り、挑戦の連鎖を起こす、
という文化なのだろうと。

そしてそれをクラウドファンディングで
売っているのだなあと。

僕は夢至上主義にはあまり賛成ではないのだけど、
仕組みとしては、ツルハシブックスが目指しているものに
近いなあと。

昨日。12月25日。クリスマス。
ツルハシブックスでは、中学生高校生に本をプレゼントする
クリスマス企画が行われた。



24日までに読書会を何度も開催しながら集められた
思いのこもった1冊を、中学生高校生にプレゼントする企画。
30人を超える中学生高校生が来店。
素敵な企画だなあと思った。


贈る本をつくっている様子。

そう言えば、内田樹さんが、
「本を書くということは贈り物である」
って言っていたっけなあ。

「生産と分配の経済」
だけではない第2の経済原理である
「贈与と交換の経済」
が発動する場所、なのかもしれないな。

ツルハシブックスや暗やみ本屋ハックツは、
「本を贈る」という文化を創っているお店なのかもしれません。
さらにその文化を売っているのだなあと。

お店っていうのは、
そういう意味で、メディアだなあと思う。
いま、この瞬間、文化が生まれているのだなあと。

参考:「コミュニケーション・ツールとしての本屋」
(20代の宿題 2014年6月30日)
http://hero.niiblo.jp/e442258.html

そんな文化を応援する大人たちからの
支援を集めるファンドレイザーになりますね。  

Posted by ニシダタクジ at 05:44Comments(0)日記

2015年12月25日

世の中を変えるのは「世代交代」


「君に友だちはいらない」(瀧本哲史 講談社)

ひとりきりのクリスマスに最適の1冊。(笑)

冒頭は、「グローバル資本主義」の話から。

~~~ここから引用

「グローバル資本主義」とは、世界全体がひとつの市場になって、
「消費者」と「投資家」のおカネを引きつけるために、
世界中のあらゆる「企業」が国境を越えて競争している状態のことを指す。

世界中の消費者は、自分の必要としている
品質の製品を、世界中から探して「もっとも安く」
手に入れることができる。

投資家は、全世界の会社のなかからもっとも効率よく儲けさせてくれる
会社やプロジェクトに資金を提供し、そうでない会社・プロジェクトからは、
一瞬にして資金を引き上げる。

(中略)

グローバル資本主義というと、
何か凶々しい「化け物」のようなものを思い浮かべがちだ。
だが、その正体は、私たち一人ひとりの「少しでもよいものを、より安く買いたい」
という思いの集積にほかならない。

(中略)

この「グローバル資本主義」は、
これまで日本がお家芸だった、
「よりよい商品をより安く大量生産する」
というビジネスモデルを急速に葬りつつある。

中国や台湾、韓国、そしてインドなどの
新興国の生産技術が格段に向上して、
ハイテク家電も、パソコンも、「コモディティ」となったからだ。

「コモディティ」というのは、
もともと「日用品」を意味する言葉だが、
経済学では
「どのメーカーの製品を買ってもたいした差がない成熟した商品」
のことを指す。

テレビ、携帯電話、パソコン、自動車といった
20世紀にわれわれの生活を一新した製品はすっかり
コモディティとなった。

(本文より引用)

なるほど。
この前の「茨城学」で水戸市の沼田さんが
茨城県はコモディティ王国だと説明していたけど、
競争相手は日本だけじゃなく世界なのだなあと。

じゃあ、どうすればいいのか?

瀧本さんの答えは「仲間」をつくることだと言う。
友だちではなく、「武器としてのチーム」をつくることだと言う。

と、そんなイントロダクションで始まる1冊。

友人へのクリスマスプレゼントにしては
ちょっとウィットに富みすぎているかもしれない。

第1章から熱いですので、今日はこれを紹介する。

~~~ここから一部引用

人類の歴史上、自然科学においてもっとも劇的な
パラダイム・シフトといえば、天動説から地動説への
転換であったことは間違いない。

中世の西洋社会において、
カトリック教会公認の世界観であった「地球中心説」
に異を唱えることは異端尋問のすえに火あぶりの刑に処されかねない危険があった。

16世紀にコペルニクスが地動説を提唱した以降も、
地動説の信奉者は長年にわたって激烈な迫害を受け、
その考えを「棄教」するよう強制されていたのである。

科学史家のトーマス・クーンは、丹念に史書を追って、
いつどんなきっかけで地動説が主流になったのか、
探っていった。その結果、実に興味深いことが分かった。

私たちが想像するに、
天動説信奉者と地動説信奉者が膝を突き合わせ、
どちらが正しいか議論した結果、
「私たちが間違っていました。今日から天動説を捨てて、地動説に宗旨変えします。」
という人が増えたことによって地動説が天動説にとってかわったと考えるのが自然だろう。

しかし、そうではなかった。
天動説信奉者のほとんどは、
「地球が世界の中心である」ということを最期まで
心の底から信じてこの世を去っていった。

それならばどうして天動説はあるときから見捨てられたのか。

クーンは研究の結果、その理由を
「世代が入れ替わったこと」だと喝破した。

天動説の学者のほとんどが死に絶えて、
新しい世代のほとんどの人が
「天動説なんて非科学的な考え方を支持するヤツは、
頭おかしいじゃね?」と思うようになったからなのだ。

そうやって天動説は天文学の世界から消え去っていったのである。

~~~ここまで引用

著者が伝えたいことは、
大きな世の中のパラダイム・シフトというのは
「世代交代が引き起こす」ということ。

自分たちが信じる新しいパラダイム、
必要とされるパラダイムの信奉者を少しずつ増やしていくこと。
そうやって「仲間」をつくっていくうちに、
いずれ旧世代は死に絶えて、新たなパラダイムの時代となるのである。

ビジネスの世界でも、停滞している分野ほど、ベンチャー企業が有利なのはそれが理由だ。

クーンはこうも言っている。

世の中を変えるのは、いつの時代も、世界のどこであっても、
古いパラダイムや価値観にとらわれていない新人(ニューカマー)である。

新しいパラダイムが必要になっているというのは、
これまでの価値観が役に立たない状況になっているからにほかならない。
まったく前例が通用しない状況の中で、新たな環境に
いち早く適用し、生き残っていくのは、常に若い世代なのである。

~~~なるほど。

だから、チームをつくれ、と著者はいう。

新しい価値観も、新しいパラダイムも、
ひとりだけの力では世の中に広めていくことは難しい。
自分とビジョンを共有し、その実現に向けて行動する仲間を見つけ出して、
初めてスタートラインに立てる。
きっと、大学時代や20代のときにやることってそういうことなのだろうなと思う。

そのときに、常に旧世代との戦いがある。

たとえば就職活動において、
親世代が、安定志向で公務員や名の知れた大企業に
就職してほしいと思っていて、その親と自分の価値観が合わないとする。
これは想像している以上に大学生にとってはつらいだろう。

しかし。
その価値観・パラダイムが
もしかしたら、この50年だけの常識だとしたら、

世の中は変化のときをむかえていて、
今がまさにパラダイムが変わる時だとしたら、
もしかしたら親世代の信じることは「天動説」並みに
覆る可能性があるということだ。

いや、この本の冒頭に書いてある通り、
グローバル資本主義の世の中では、
日本のお家芸が通用しない、ということは
日本のお家芸が通用した過去50年とは、
まったく違う価値観で生きていくしかないと思うのだが。

「若者よ、小さなゲリラ的チームをつくり、チャレンジを起こせ」
と著者は呼びかける。

僕もまったく同じだ。
人生は、試作に過ぎないと思う。

試作品を出し続けていこうと僕も思う。

つぎは誰とチームを組もうかな。

いいクリスマスメッセージをいただきました。ありがとうございます。  

Posted by ニシダタクジ at 07:55Comments(0)

2015年12月24日

畑はコミュニティの拠点になる



茅ヶ崎・RIVENDEL。
13日に行ったのだけど、とても素敵な空間だったので、再訪。

大豆の殻から豆をとる、という作業を
一緒にしました。
この大豆から味噌作りをするのです。

なんか、農作業をしながらの会話って
あんなに楽しかったっけ。
ってまきどき村を始めた時の原点を思い出しました。

「畑は、コミュニティの拠点になる。」

そう直感したのは、
「種をまく人」(ポールフライシュマン・あすなろ書房)
を読んだときでした。

人種も国籍も年齢も、もしかしたら宗教も、
農作業をすれば、何もかも越えられる。

そんな直感。
だから実現したかったし、
やってみたらさらに、地域とのつながり、歴史とのつながりも
見えてきて、さらによい空間になった。

熊澤さんの話を聞きながら、
そんなことを思い出していました。

次は、畑のある本屋さん、ですね。  

Posted by ニシダタクジ at 07:28Comments(0)日記

2015年12月23日

「世間」とコミュニケーションする

10代、20代が
(いや、新しいものを生み出したいと思っているすべての人が)
ぶち当たるひとつの壁がある。

言語化の壁だ。

いますでにある仕事や、
すでにあるプロジェクトではない、新しいプロジェクトを
生み出すとき、それを言語化するのは難しい。

あるいはその価値を伝えるのも
また難しい。

「世間」とコミュニケーションする。

ここにひとつの壁がある。

たとえば、自分の親に、
自分のやりたいことを伝える場合。
特に就職とか、人生に直結しているようなとき。
それはさらに困難になる。

練馬で活動している
「暗やみ本屋ハックツ」も同じだ。

わかりにくいプロジェクトの場合、
(古本を寄贈してもらって売るだけなので単純なのだが)
背景や目的を明確に伝えないと、
宗教なのか?営利目的の何かの入り口なのか?
といろいろと心配されてしまう。

そのときの世間とのコミュニケーションの取り方。
実績と権威がいちばんなのだろうと思う。

なので、暗やみ本屋ハックツができた
背景を「世間」向きに文章化してみることにする。
(ハックツメンバーからの依頼による)

暗やみ本屋ハックツは、
新潟市のNPO法人ツルハシブックスの
10代向けのプロジェクトとして、2015年に活動開始。

地域の方から寄贈してもらった本を、
1冊100円で10代(おもに中学生・高校生)に売る古本屋の運営することにより、
それをきっかけに地域の人たちやスタッフである20代との接点をつくり、
地域活動のきっかけを生み出す新しいタイプのライブラリー活動。

☆NPO法人ツルハシブックス(代表理事 西田卓司)☆

新潟県西蒲原郡巻町(現新潟市西蒲区)で2002年に設立。(所轄庁:新潟県)
代表理事である西田が不登校の中学3年生の家庭教師をしたことによって、
地域の大人と若者の接点をつくりたいと発足。

地域の大人と子どもの遊び場づくり、中越地震・中越沖地震のボランティア、
大学生向けの地域企業でのインターンシッププログラム事業などを経て、
2011年に新潟市西区内野町にツルハシブックスを開店。

同年7月に地域の人から寄贈してもらった本を29歳以下しか入れない地下室で売る
「地下古本コーナーHAKKUTSU」をスタート。
現在までに延べ1,000冊以上の本が「発掘」されている。

「ツルハシブックス」メディア実績(2015年12月現在)

テレビ(新しい順)
・Tenyテレビ新潟「新潟一番 のぞき見」(2015.12.10放送)
・NHK総合「ドキュメント20min」(2014.8.21放送)
・TBSテレビ「いっぷく」(2014.7.31放送)
・NHK新潟「キラッと新潟」(2014.5.23放送)

新聞(新しい順)
・中日新聞(2014.12.02)
・毎日新聞(2014.5.1、2012.2.28、2012.1.07、2011.11.02)
・朝日新聞(2014.3.29、2013.8.6、2011.10.21)
・新潟日報(2014.3.21、2014.1.12、2013.7.4、2011.10.13)
・日本経済新聞(2013.8.27)
・東京新聞(2013.2.20)


雑誌(新しい順)
・ソトコト2014年2月号
・ダヴィンチ2013年8月号

~~~とこんな感じかな。

「実績」と「権威」(があるとされている新聞・テレビ・雑誌などのメディア実績)
によって、信頼性をアップする作戦です。

「世間」とコミュニケーションする。
それには、「世間」の言語に合わせなければならない。
そういう視点って、
世の中をイノベートしようと思ったらすごく大切なんだろうなと思います。
きっといま、僕はそういう段階にきているのだな、と思います。

さっき、ふと思いついたのだけど、

10代には図書館(ライブラリー)を、
20代には本屋を。

きっとそういうことをやりたいのだなと。
しかもそれは単に借りたり、買ったりするだけでなく、
参加できる図書館、参加できる本屋を。

ハックツとは、図書館の一種だと思っている。
暗闇の中で本を選び、100円で買うからこそ、本を読む意欲がわくのだと思う。

そして、ツルハシブックスとは、
図書館と本屋の融合なのではないか、と。思う。

そういう意味では、
僕のミッションは、

本を借りてもらう、ことや
本を買ってもらう、ことではなく、

10代には「図書館」を売り、
20代には「本屋」を売る。

ということなのではないか。

それは当然金銭で買うのではなく、
時間で買うのだけれど。
そこに「学び」と「共感できる仲間」がある。

そこに価値があると、
思える人たちの集まりが、
ツルハシブックスやハックツを運営しているのだと思う。

以下、ツルハシブックス全国デビューのきっかけとなった
2013年2月20日の東京新聞夕刊。


  

Posted by ニシダタクジ at 07:28Comments(0)日記

2015年12月22日

20代のあなたが「茨城」に来るべき理由

20代のあなたが茨城に来るべき理由。

「仕事」「働き方・生き方」「場づくり」「地域づくり」
のテーマで考えたとき、
茨城には学ぶべきものがたくさんあります。

この1年間で僕は素敵な場所、人、会社、空間に出会った。

その中でも5つあげるとすれば、

1 岡倉天心美術館・六角堂
2 常陸太田市・里美地区
3 木内酒造
4 サザコーヒー
5 ファミレス坂東太郎グループ

この5つの場所・地域・会社は
20代がこれからの生き方を考える上で、
大きな学びがあると思う。

1 岡倉天心美術館・六角堂
「西洋化」一辺倒だった時代に、
それだけじゃないんじゃないか?
東洋にもいいものがあるんじゃないか?と問いかけた一生は熱いです。

2 常陸太田市・里美地区
地域の住む人たちの誇りと愛がすごい。
幸せとはなにか?問いかけてきます。

「幸せとは何か?」
「朝、洗濯物がきれいに干せたことだ」
あの名言は忘れません。

3 木内酒造
茨城が誇る日本のクラフトビールトップメーカー。
まず、世界に売り、そのあと作ったレストランが
「そばダイニング」っていうのが熱い。
ビール麦の契約農家さんにそばを裏作でつくってもらって、
それを全量買い上げているという

「本業を通じた社会貢献」という
CSRのあるべき姿を見せてくれます。

4 サザコーヒー
茨城が誇るコーヒーメーカー。
南米に契約農家を持つという豆づくりから取り組む姿勢はすてきです。

なんといっても勝田駅の近くにある
サザコーヒー本店の空間がすごい。
あそこでコーヒーを飲む至福のひととき。
場づくりを考えさせられます。

5 坂東太郎グループ

ファミレスでありながら、逆張りの発想で、
手間をかけ、キッチンを見せ、客単価を上げる、
というコミュニケーションするファミレス。

創業40年間で閉店した店舗はわずか1店舗
という驚異のリピーター率を誇る。

家族連れに愛されるレストランは、
「価値」とは何か?、問いかけてくる。

以上5つを回るツアーとかあったら、
いいのかもしれないね。
途中、参加者同士のワークショップとかいれて。

うーむ。
そういうツアーを売るのはいいかもしれませんね。  

Posted by ニシダタクジ at 07:51Comments(0)学び

2015年12月21日

ひとりひとりに使命があるように、本屋にも使命がある。


「まちの本屋~知を編み、血を継ぎ、地を耕す」(田口幹人 ポプラ社)

今年を締めくくる素晴らしい1冊に出会いました。
「ゆっくり、いそげ」に続き、
ツルハシブックスで買うべき1冊です。

誇りある書店員に出会ってしまった。
そんな感じ。

冒頭の東日本大震災後の描写に始まり、
本屋には、使命がある。と感じさせてくれる1冊。
魂を鼓舞してくれる素晴らしい1冊。
本屋であることを誇りに思え、背筋が伸びる1冊。

最大の目玉はココ。

「まちの本屋を成功させるノウハウは、もしかしたらさまざまにあるのかもしれません。
しかし、最も大事なことは、
自分たちがどんな本屋をしたいのか、
どういう店を最終的につくりたいのか、
どんなお客さまとこれから一緒に生きていきたいかを考える、
ということに尽きると思っています。

スタッフがそれを共有できていれば、
その店に店長はいらなくなります。
それこそ伊藤清彦はいらないし、僕もいらない、ということです。」
(本文より抜粋)

どんなお客さまとこれから一緒にいきていきたいか?

この問いは非常に熱い。
顧客は誰か?

のさらにもう一歩深い問い。

「どんなお客さまとこれから一緒に生きていきたいか?」

店を営む、ということはこういうことなのだろうと思います。

~~~以下本文よりメモ。

売った本の数だけ、何かが起きるかもしれないという想像力を持って仕事ができるかどうか。

売らされているのではなく、売るのだという覚悟を決めたとき、
目の前の一冊一冊の積み重ねが違う意味を持つはずです。

オレは文化なんて売ってないから。

文化をつくっているのは、そこに来てくださるお客さまであり、地域の人たちだからです。

教育と教養ではなく、今日行く、と今日用を売る。

本屋の六次産業化、本の地産地消。まちづくりへの参画。異業種との交流


本屋にとって、まちの存在は必要不可欠です。
逆に、まちにとって本屋が必要不可欠なのだという理由を、
店づくりの根底に持ち、そこに存在し続けることが、「まちの本屋」の本質でしょう。

その土地で本屋を続けていくという覚悟を持ち、地域と向き合い、
根づいている本屋すべてを、「まちの本屋」と呼びたい。

お客さんから、毎月5000円分頼む、と言われる店になる。

~~~以上本文よりメモ。

またしても感じる、圧倒的敗北感。
読書ってそういうのがいいのかもしれないですね。

自分はなにものでもない、と知る。
それが出発点になる。

2016年のテーマは、きっとこれになるなあと。
なにものでもない、を知ることから始める。
ゼロスタート。

書店としてのツルハシブックスの使命を考える。
どんなお客さまと一緒に生きていきたいか?を考える。

そうすると。
僕にとっては20歳の大学生になるのかもしれない。

というか。
昨日、読んでいた「本を読む人だけが手にするもの」(日本実業出版社)
の藤原和博さんの言葉を借りれば、

みんな一緒の時代が終わり、ひとりひとりが
自らの幸福論を構築しなければいけない時代に突入している。

だとしたら、
いわゆる「成人式」は、みんなが一斉に成人するのではなく、
ひとりひとりが「自らの成人式」を構築しなければならない。

そしてそれは、おそらく、1日ではなく、期間だ。
「成人式期間」を経て、人は大人になるのではないか。
必要な要素はおそらく、「孤独」と「敗北」と「学び」なのではないか。

それには、
コミュニティ内の人と距離を置くこと。
逆にコミュニティ外の人に出会うこと。
そして、本を読むこと。

その「成人式期間」は、
実は何歳でも、あるいは何度でもできる。
そのきっかけとなるような本や人との出会いを提供する本屋さん。
そこに書店としてのツルハシブックスの使命があるのではないか。

そしてまさにその部分だったら、
小説があまり得意ではない、本好きではない僕が
勝負できる分野なのではないか。

大学生の多くが自信を失っているように感じる。
いや、大学生ばかりではない、20代の働く人たちもそうだ。

それにはたくさんの理由が考えられるが、
・時代の先行きとこれまでの歴史がわからないこと。
・世界観が狭いというか、視野がせまくなっているから。
・自己肯定できるコミュニティとチャレンジの機会を持っていないから。

こういうところにあるのだろう。
そしてそのもっとも大きな原因が
学校(あるいは会社)という装置が自信喪失機能を果たしているから。
であると思う。

だからこそ、本屋の出番だ。
いや、ツルハシブックスの出番だ。

「みんな一緒」の幸せを追いかけれらない現代において、
ひとりひとりが、歴史を学び、未来を見通し、
世界観を広げ、共感できるコミュニティの中で小さなチャレンジをすること。

そうして自らの幸福論を構築していく行為。
それが「成人式期間」なのではないだろうか。

2016年。
僕は、20歳のために本を選ぼうと思う。
棚をつくろうと思う。

将来が不安でたまらないけど、
それでも歴史を学び、自分を見つめ、未来を展望し、
1歩を踏み出そうとするお客さまと一緒に、生きていきたい。

「自分の感性に自信を持てる」
そんな提供価値を共に悩みながらつくっていきたい。

田口さん、ポプラ社さん、
本屋魂を鼓舞される1冊を、ありがとうございました。

僕がこの本にPOPをつけるとしたら、
「君は、まちの本屋をやらずに死んでいいのか?」
になるかなあ。

本屋であることに誇りを持てる、最高の1冊でした。
ありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 07:43Comments(0)言葉

2015年12月20日

本屋であることは先端にいるということ

本屋であること。
書店員であること。

それは、先端にいるということ。
社会の、世界の、未来創造の、
そんな先端にいるということ。

そんな誇りを思い出させてくれる2冊の本。


「まちの本屋」(田口幹人 ポプラ社)
「本を読む人だけが手にするもの」(藤原和博 日本実業出版社)

タイトルからは想像つかないほど熱いっす。
まだ前半しか読んでないのですが、
刺激的なワードにあふれています。

~~~ここから「本を読む人だけが手にするもの」メモ

日本における20世紀型の成長社会は、1997年を境に終焉を迎えた。

20世紀型の成長社会が象徴する「みんな一緒」という時代から、
21世紀型の成熟社会が象徴する「それぞれ一人一人」という時代に変わったのである。

みんな一緒の幸福論の終わり。

人生は、国家と企業が自動的につくってくれるものだったからだ。
自分の勤める会社という「渦」に巻き込まれているだけで、会社が幸せにしてくれた。

ところが、もはや、国家と企業には
そうした幸福論を保証する能力がないことがバレてしまった。
それぞれ一人一人が自分の幸福論を編集し、
自分オリジナルの幸福論を持たなければならない時代に突入したのである。

自らの幸福論を構築していくためには、幸福論を紡ぐための教養が必要である。
しかし、そうした教養は学校では教えてくれない。

ところが、その親たちは、黙っていても7割方が幸福になれる時代を駆け抜けてきた人たちなのだ。

彼らにとって成熟社会は、未知の世界だからだ。
だとしたら、自ら切り拓くしかないだろう。
だからこそ、人生の糧を得る手段として読書をする必要があり、教養を磨く必要があるのだ。

宗教が機能している社会では、宗教が物語をつくり、幸福とは何かを教える。
でも、日本のように宗教が機能不全の国家では、自分で自分の宗教、
あるいはその代替物としての幸福論を持たなければならない。
だが、携帯メールはその場限りのつながりを与えてくれるだけで、幸福論の代わりにはならない。

だれもが、やがて決断せざるを得なくなるだろう。
自分の世界観と人生観を持ってどういうベクトルに向かって進んでいくのか。
つまり、何をテーマに掲げて生きていくのかということを決めなければならない。

誰かに託したり、自らを捨てて帰依することができる人はそれでいいと思う。
しかし、そうではない普通の人は、自分で本を読み、
自分で世界観を構築しなければ幸福論は築けない。

読書を通じて知識のインプットを蓄積していかないと、
自分の意見というものが出てこないという事実だ。

本を読むという行為は、決して情報を得たいためにやることではなくて、
むしろ自分のなかからどのくらい引き出せるかという営みなのです。

読書といっても言葉だけでなく、視覚的に映像を頭のなかに想起するとか、
過去の自分の体験と照らし合わせて対比して考えるとか、
さらには自分で得られた情報からさらに自分で自分の考えを構築するというプロセスが入ってくるので、
人間の持っている創造的な脳力がフルに活かされると思います。

知識、技術、経験が点のまま浮き上がってこないと、想いや考えは生まれない。
脳内のつながりが回路となり、想いや考えが結晶し始めると、
それが発信機となってある種の電磁波のようなものを発するのではないか。
私は、その電磁波に共鳴するものが引き寄せられてくると本気で信じている。

沈殿している知識や技術や経験のかけらを結びつけるのに、
縦糸、横糸、斜めの糸があり、その糸のことを触媒と呼び、
そのひとつが読書である。残り2つは、「遊び」と「芸術」である。

ジグソーパズル型思考からレゴ型思考へ。

1つ1つのピースには、たった1か所の正解となる場所が決まっていて、
代わりに置くことのできる場所はない。
仮に間違えて置いていますと、本来そこに置くべき
正しいピースの行き場所がなくなる。当然、ジグソーパズルを完成できない。

ふと気づくと、日本社会には、ジグソーパズルを
早く正解に完成させることができる人ばかりになってしまった。

ジグソーパズル型の人にはできないことが2つある。
1つは、最初に設定された「正解」の画面しかつくれないこと。
2つ目の問題点は、変更がきかないということ。

人生を地平から見ているだけでは、
いま進んでいる1本の道しか見えないのに対し、
鳥瞰図の視野を手に入れれば、その横に走っている別の道が見えるようにもなるだろう。

~~~ここまで「本を読む人だけが手にするもの」メモ

いや、スゲーって。
だからこそ、大学生は、本を読まなければならないだと
熱く感じさせてくれる1冊。
ツルハシブックスの果たすべき役割はめちゃめちゃ大きい。

そういう本たちをどのように、
大学生に伝えていくか?
が「まちの本屋」には美しく描かれている。

まだ第1章なのだけど、少し抜粋する。

~~~ここから

買われなくても構わないのです。読みたい本が、そこにある。
そういうきっかけや状況を、書店員がつくり出せるかどうか。
POPは、それを演出する一つの方法に過ぎません。

旬を売る本屋になる

本屋が何をしたいかではなく、そこに集うお客さまが棚から何を持ち帰ってくれるか。
それでその店の方向性が決まる。
お客さまや地域が本屋の棚と品揃えをつくっているとも言えます。

本屋を耕すこと

~~~ここまで

本棚を耕しているか?
旬の本を売っているか?
そもそも「旬」をつくっているか?
と熱く問いかけられる。

この2冊。
サムライの皆様には、合わせて読んで頂きたい2冊です。

本屋であるということ。

それは、時代や社会の先を考えるということであり、
お客さんとコミュニケーションするということであり、
自らの人生の未来を考えるということであり、

それらを通じて、
まさに、コミュニケーションすることを通じて、
未来が創られていく現場に立ち合っているということ
なのではないかと思う。

「未来を創る」とは、
i-phoneを開発したり、病児保育システムを生み出したりといった、
決して大げさなことだけではない。

目の前のお客さまや街の人たち、ほかのスタッフと対話し、
そこからひとりの人生や生活が少しだけ動くこと。

未来の構成要素はひとりひとりであるのだから、
そのひとりひとりが少しだけ変わること。

その最前線に本屋は、
いや、「コミュニケーションする本屋」はいるのだ。
その本屋のさらに最前線に店員侍たちが立っている。

そんなことを思い出す、素敵な2冊です。

小さなイノベーションを美しく起こし続けるような本屋になりたい。  

Posted by ニシダタクジ at 09:08Comments(0)

2015年12月19日

人に共感するから選ばれるまちになる

「茨城学」ゲスト水戸市の沼田さんの一言。

「人に共感するから選ばれるまちになる」

ほんとその通りだと思う。
SNS時代の旅の目的地の選び方。

見どころのある場所。
おいしいもの。
確かに、1度は行ってみたくなる。

しかし。
その判断基準では競合だらけだ。

食べログのヘビーユーザーは、
レビュアーさんで店を選んでいるらしい。
この人のおススメなら間違いない。と。

きっとそれがこれからの時代の旅になる。

魅力的な人が、
「水戸はいいところだ」
「茨城は最高だ」
という。

それもおそらくは、
顧客設定が大切になってくると思う。

顧客は誰か?
顧客にとっての価値は何か?

僕の第1の顧客は中学生高校生だが、
購買層としては、第2の顧客である
人生に悩む大学生や20代社会人になる。

彼らのためになるような茨城ツアーは?
と考えると、

やはり場所としては、
岡倉天心のいる北茨城市の五浦と、
魅力的なじいちゃんばあちゃんが住む常陸太田市の里美。
水戸市だったら千波湖と偕楽園かな。

企業としては、
ひたちなか市のサザコーヒー、
那珂市の木内酒造
古河市に本社のあるファミレス、坂東太郎かな。

このあたりを見ることで、
人生とは?働くとは?
そんなことを他の参加者と一緒に考えるツアーを企画したい。

東京を朝でて、五浦美術館。
午後からは里美に行ってヒアリングして宿泊。
翌日のランチに木内酒造に行き、
締めにサザコーヒー本店でコーヒーを飲んで終了。
そんなツアーで人生を問いなおす。

それを西田の魅力で売れるかどうか?
そこに挑んでみたいものだ。  

Posted by ニシダタクジ at 06:01Comments(0)学び

2015年12月18日

ボランティアという問い


長谷川先生の公開講座最終講義。

最初に前回までのまとめ。

1945年から1950年の高度成長のきっかけを経て
1970年代を境に安定成長に入っていく。
その狭間に、「ボランティア」という言葉は生まれた。

「ボランティア」を訳すのに適当な言葉がなかった。
どう定義するか?どう日本語訳するか?
と議論になった。

それから40年余り。
ボランティアという言葉は一般的に認知されるようになった。

ボランティアには4つの性質があると言われる。

1 無給性
2 公益性
3 自発性
4 継続性

それに加えて、長谷川先生は、
これからの時代を見据えて、
5 関係性
が重要になってくるという

つまり、ボランティアをやることで
関係性ができるということ。

たとえば、高齢社会が進行し、
認知症になる人が増えるとする。

認知症とは、医学の観点からすれば、
神経回路に異常をきたすということ。
神経細胞それぞれはまだ生きているのだけど、
それをつなぐ回路が切れていくということ。

しかし、人の暮らしはそうではない。
AとBの夫婦がいて、
たとえAの夫が認知症になっても、
妻であるBには夫との記憶がある。

つまり、Bの記憶で生きていけるということ。
社会的には人は一人では生きていない。

これを、地域に広げてみると、
「ボランティア」という行為そのものが神経回路を
つなぐ役割をするということ。
相互に関係している「パートナー」として機能すること。
それがこれからの社会で必要なのではないか。

20分ほどの講義のあとは、グループワーク。
お題は「ボランティアを日本語訳する」

私たちのグループでは、
共感、キャッチボール、すり合わせ、引き出しあう
などのキーワードが出て、

結果として
「ボランティアとは、相手と同じ目の高さに立って、
感情を共有しながら、お互いの力を引き出し合う行為」
という結論になった。

ほかのグループでは、
一言で「アンパンマン」である
などと出ていて盛り上がる。

そもそも、日本には「ボランティア」という概念がなかった。
「奉仕」はあった。
「奉仕」は基本的に、持てる者が持たざる者に
施しを与える行為であった。

そこに入ってきた「ボランティア」。
それを訳せなかった、あるいは訳さなかった。
それは結果論だが、
「ボランティアとは何か?」という問いを残した。

しかし、それこそが大切だったのではないか。
西欧のキリスト教的ボランティア発想ではなく、
日本型ボランティアが生まれる可能性をつくったのではないか。

僕は子どものころ、(いや、今でもそうですが)
ものすごく照れ屋だったので、
「ボランティア」なんて恥ずかしくてできなかった。

なんというか「人のためにやってます」みたいなポーズが
耐えられなかったのだ。
偽善っぽい感じも嫌だった。
そんな僕がボランティアにデビューしたのは2004年の中越地震。

ただただ、無力だった。
何もできなかった。

それを長谷川先生は、
「無力かもしれない」ということに気づいたのだと言う。

そうか。
僕は無力だったし、ボランティアとは相手とのコミュニケーションである
とそのとき強く思った。

しかし、逆説的だが、
僕は無力だからこそ、ボランティアをやれる気がしたのだ。

相手に何かを差し出すことではなく、
一緒につくっていく何か、それがボランティアなんだと
感じられたから、ボランティアをやれたのかもしれない。

ツルハシブックスに、従業員はいない。
すべての店員がいわゆるボランティアである。

しかし、「店員ボランティア」ではない。
「店員侍」である。
お客さんに「サムライですか?」と聞かれて
「サムライです。」と返事をする。

サムライ、なのだ。
何らかの覚悟をもって参画するメンバーなのだ。
そこに学びの場を得ようとするひとりなのだ。

そしてお客さんの中でも、
ツルハシブックスを応援したいと集まる人たちを
「劇団員」と呼ぶ。彼らもまた、メンバーである。

「劇団員」であるという自覚。
ツルハシブックスという舞台で、自分を演じるということ。

ツルハシブックスだけではない。
世の中を舞台に、演じられる人。
自分のまわりに「ツルハシブックス」を出現させられる人。
それを「ツルハシブックス劇団員」と名づけた。

講義の最後に、長谷川先生から一言があった。

「ボランティア」とは、
「支配」⇔「従属」、施す、施される、の関係性ではなく、
人間同士の新しいかかわり方(関係性)のことである。
近代的に言えば、WIN‐WINの関係性ということになるのだろうが、
なんかちょっと僕は違う気がする。

ボランティアとは何か?
対象者にとって、必要なものは、空間は、サービスは何か?
という問いに挑んでいく同志のような存在であると思う。
そしてその舞台に、対象者と共に共演者として立つこともある。

それが、ツルハシブックスの店員侍と劇団員の名に
込められた想いである。

侍と劇団員のみんな、今日も、目の前の舞台で、共に演じよう。

長谷川先生、受講生の皆様、素敵な時間をありがとうございました。

  

Posted by ニシダタクジ at 07:18Comments(0)学び

2015年12月17日

「人に会う」、「本を読む」、そして「旅に出る」

先週の金曜日のhomeで
半農半Xのワークをして、

西田卓司個人の「やりたいこと」は、
「中学生・高校生と地域の大人をつなぐこと」
ではなく、
「共に悩み、共に未来を見つめること」
だと判明した。

それを、三層構造で実現しようとしているのが、
ツルハシブックスと暗やみ本屋ハックツだろうと思う。

「共に悩み、共に未来を見つめること」のためには、
「場」があったほうがいい。
特に中学生高校生にとっては、
そのような「場」がない。

あるとすれば、
同じ部活の子と話す時間くらいだろうか。

それも大切な時間だろうが、
「未来を見つめる」ためには、
「世界を知る」そして、「過去を知る」必要がある。

昨日の丸山さんの言葉を借りれば、
「自分を相対化する」ことだ。
そのための方法は3つ。
本を読む。人に会う。そして、旅に出る。だ。

この中で中学生高校生にとって、
もっとも入りやすいのが「人に会う」だろう。

その時の「人」は
NPOカタリバで言うところの「ナナメの関係」である
大学生や20代社会人であることが望ましい。

その理由は、年齢が近いからではない。
おそらく、彼ら自身も悩んでいるから、である。

だから、大人でも同じだ。
その人たち自身が悩んでいること。
これからどうやって生きていくか?不安であること。

中学生高校生、あるいは大学生・20代から学ぼうとしていること。
それこそが「場」を構成する大人の条件であると思う。

NPOカタリバが高校で展開するカタリ場がパワフルなのは、
「ナナメの関係」である大学生が、
高校生から、あるいはカタリ場という場そのものから、本気で学ぼうとしているからではないだろうか。

反対に、学校に「場」としての力がないとしたら、、
先生が子どもたちから学ぼうとしていないのではないか。
あるいは先生自身が授業を向上させたりというチャレンジをしていないのではないか。

ツルハシブックスや暗やみ本屋ハックツは、
現代の松下村塾になり得ると思う。

吉田松陰先生は、共に学ぼう、と言った。
その直前に入っていた野山獄では、
獄中で書道教室や俳句教室を開催し、
「学びあいの場づくりで希望は生まれる」ことを証明した。

その、「学びあい」の三層構造を作り出すこと。
これが2016年のツルハシブックスと暗やみ本屋ハックツの
テーマになっていくだろうと思う。

第1の顧客は、中学生・高校生
彼らには、地域の大人との出会いときっかけを。

第2の顧客は、大学生・20代社会人
彼らには、人生を左右するくらいの学びの場と共感できる仲間を。

第3の顧客は、その他の大人たち
彼らには、応援する喜びと、学び続けるという機会を。

悩みを受け止め、
「世界を知る」そして「過去を知る」
ために本を読んだり、学んだりする。
そこから「未来を見つめる。」

「人に会う」、「本を読む」、そして「旅に出る」

その繰り返しで、
人は人になる、と思う。

そんな場を一緒に創らないか?

目の前に学びながら。

  

Posted by ニシダタクジ at 06:41Comments(0)足跡

2015年12月16日

素直で謙虚でありながら権威を疑うこと

世界の変化のスピードがこれだけ速くなると、
<地図>はもはや役に立たない。
必要なのは<コンパス>です。
そして素直で謙虚でありながら権威を疑うことなのです。

MITメディアラボ伊藤穣一さんの言葉。


「すべての仕事は『肯定』からはじまる」(丸山俊一 大和書房)

読み終えました。
3か月くらい寝かせてました。
タイミングいいなあ。

いちばん思ったのは、
テレビというメディアは
「わかりやすさ」に最大の価値を持たせている
と思っていたのだけど、

丸山さんみたいに、
そうじゃないところに価値を置いている人がいるんだなあって。

~~~以下メモ

わかりやすい「時代」からの卒業。

万物は反転する。

ある時点まで「正解」だったものが突然「不正解」になる。

困難の中で、「想定外の自分」を発見する。

伝統の継承は、実は、破壊によってなされます。
「変わってはいけないこと」と「変わらなければならないこと」。
大事なのは、この2つの違いを真摯に見極めながら進むことだと思うのです。

仕事の進め方は、人の個性と密接に関係のあるもの。
若き日の何気ないエピソードの中に、
自らの仕事のスタイルをイメージさせるようなヒントが隠されているものです。

僕たちは、ある時代ある場所に選択を許されることなく、生まれ落ちます。
そこには過去の歴史があり、その場所の制約の中での位置づけがあり、
ひとつの座標軸の中に立つわけです。
そうしたとき、時間の流れを把握し、空間の広がりを意識した上で、
その座標軸の中でものごとを捉え、考えなければならない。

つまり、そのとき大事なのは、どんな状況に置かれても、
自分の立っている場所を相対化して考えることができるような視野の広さと、バランス感覚、
何よりもそうした思考法、センスを身につけることこそが最大の武器になるのだと思います。

問いは「答え」ではなく、求める「姿勢」にこそ意義がある。

「理想」と「現実」という単純な二分法こそ、
実は疑ってみることが重要なのではないでしょうか?

問題を二択化させてしまうことの弊害は大きい

敵も味方もない、そこにあるのは関係性だけだ。

ジレンマを解くのではなく、ジレンマを漂う。受け止める。考え続ける。

「利益」を追った果てに見える、「利益」外の要素の大事さ。

~~~以上メモ

「わかりやすさ」とか「正しさ」とかに
もやもやしている大学生にオススメの1冊ですね。

いや、大学生だけじゃなくて、多くの人が
そんな問いを持っていきているのではないかなと思います。

「わかりやすさ」を追及すると、
どうしても「正しい」か「間違っているか」
「スタンダード」か「アウトロー」かという
話になってしまう。
それって西欧的価値観なのかもって思った。

「効率化」というのは二次的で、そもそも、
多様な民族や生活様式が陸続きにつながっていた西欧において、

日曜日の並河さんの話であったように、
「共通する言語」が少なくなっていくことは必然であり、

そうなれば当然、
意思統一というか合意形成するための
「わかりやすい」二者択一が必要になってくる。

その「わかりやすさ」の基準が
経済合理性、つまり効率性だったのかもしれない。

丸山さんが本文中に書いてあるように、
(ここが一番ポイントなので再掲)

「僕たちは、ある時代ある場所に選択を許されることなく、生まれ落ちます。
そこには過去の歴史があり、その場所の制約の中での位置づけがあり、
ひとつの座標軸の中に立つわけです。
そうしたとき、時間の流れを把握し、空間の広がりを意識した上で、
その座標軸の中でものごとを捉え、考えなければならない。

つまり、そのとき大事なのは、どんな状況に置かれても、
自分の立っている場所を相対化して考えることができるような視野の広さと、バランス感覚、
何よりもそうした思考法、センスを身につけることこそが最大の武器になるのだと思います。」

おそらくは本屋の顧客に対する使命というのは、
いや、違う。
本屋としてのツルハシブックスが顧客である人生を迷う大学生、20代社会人に
提供するべき「価値」はこういうことなのだと思う。

この時代、この場所に選択を許されることなく生まれ落ちた。
その背景である歴史や場所の制約、
そんな中で、自らをどう座標軸の中で位置づけるか。
どの方向に進んでいくのか?

そんな問いを、本をきっかけにして、ともに学んでいく空間をつくること。

おそらくはそれが現代の松下村塾と言えるような
ものなのではないだろうか。
その方針で2016年は本を選んでいきたいなあと強く思った1冊でした。

志向し続けること。
思考し続けること。
試行し続けること。

素直で謙虚でありながら権威を疑うこと。

そんな本屋を一緒につくろう。  

Posted by ニシダタクジ at 06:10Comments(0)

2015年12月15日

「関係性」で世の中をとらえなおす

先週木曜日の公開講座のまとめ。
「日本社会の変動とボランティア」の第2回。

~~~ここからメモ

企業社会⇔ボランティア
「企業戦士」:日本をどうにかしたい、と思って頑張ってきた。

戦後の2つの断層:55年、72年。

4つの縁
血縁・地縁・友縁・職縁

1945年以前
血縁:家制度の中に個人は埋め込まれていた。
地縁:互酬性:「結」「村八分」
友縁:同窓会・結社⇒集会結社の禁止
職縁:企業が台頭:産業組合化

1つ目の波:民主化の波
1945年~52年:戦後改革、55年体制へ

血縁:家長の力がなくなっていく
家同士の結婚⇒個人の結婚
個人が家族から切り離されていく。

地縁:名望者(名誉を望む人)の追放
力のある人がいなくなった。
女性・若者の台頭(4Hクラブなど)

友縁:公民館でのサークル活動
田園都市構想

職縁:財閥解体
自由党+民主党=自由民主党
社会党右派+左派=社会党
(55年体制)

奉仕とは、上層階級が上から下へするもの、ほどこし。

55年断層:高度成長の始まり
経済界の変化⇒政界の変化
官僚⇒経営者⇒労働組合で経済成長を目指す。
※農山漁村⇒外されていった:補助金でガス抜き

2つ目の波:都市化の波
1972年、高度成長から安定成長へ
都市化(流動化社会)の波
物理移動・暮らし方の変容

血縁:核家族化、マイホーム

地縁:「結」(互酬性)を失う⇒コミュニティ
町内会・自治会から、「近隣型ボランティア」へ。

友縁:市民運動、公害反対運動、保育所運動
事業型(目的別)ボランティア

職縁:ベースアップの終わり(72ニクソンショック)

3つ目の波:高齢化の波

血縁:在宅福祉の必要→「有償ボランティア」が生まれる⇒その後、ホームヘルパーへ。
高齢者が自分の住み慣れた地域で暮らすためには
⇒ノーマライゼーション、インテグレーションが必要

地縁:コミュニティビジネス:シルバー人材センター(有償ボランティア)
日本のボランティアの思想は互酬「情けはひとのためならず」
物質財産⇒精神財産(お金にならないけど価値がある。

友縁:A⇔Bという関係で生きている。
150円のものを売り買いした⇒150円の人間関係がつながる瞬間

職縁:これまで会社からの距離で自分を決めてきた。(アイデンティティ)
退職後、自分がつかめない⇒ボランティア
会社原理:ピラミッド ボランティア:フラット 組織原理が違う

4つ目の波:無縁化の波

血縁:引きこもり
地縁:非社会的行動(コミュニティに属さない)
職縁:若い人に話が通じない
「お金の偏在」

「関係性」でボランティアをとらえなおす。

4つの原則(宇宙観)
・「同じだけど違う、違うけど同じ」
・誰のものでもないけどみんなのものがある
・比べられないものと比べられるもの
・限りがある

動機:互酬性理論から考える
行動形態:個の尊厳と個の不可能性から考える
充足感:社会性‐個人の座標から

~~~ここまでメモ

つなぎなおす。
ということなのだろうと思う。

「関係性」、
それも、昔ながらのしがらみだらけの関係性ではなく、新しい関係性を必要としているのだろう。

1999年、畑を始めたとき、まきどき村の地元、
福井地区の人たちに触れ、「コミュニティが解決する」と直感した。

そこで直感した「コミュニティ」という単語は
おそらくは、今語られている
「風の人」と「土の人」がミックスされた空間の
ことなのだろうと思う。

そして多くの子どもたちは、「風の人」になる。
いや、ならざるを得ないのだと思う。
それこそが、「所属」という安心感が抜けて、
アイデンティティの根幹を揺るがしているのだと思う。

しかし。
だからこそ。

中学生高校生、もっといえば小学生、もっと下の時に、
「地域コミュニティという安心感」を体感していることが大切なのではないだろうか。

おそらく、ツルハシブックスやコメタク、ハックツが
やろうとしていることは、それを大学生や20代を起点に
中学生高校生に広げていくこと、なのかもしれない。

人は「関係性」、つまり「つながり」を必要としている。
それを、本やお米、ご飯を炊く、食べる、農作業をする、
そういったところからつなぎ直す活動。

日曜日に行った茅ヶ崎のREVENDELも
きっとそんな機能を持った場所なのだろうと思った。

そんな空間を、多くの人が必要としている。
そしてそれは実現可能だと思う。

写真:まきどき村「人生最高の朝ごはん」2002年
まだ旧庄屋佐藤家じゃなくて、朝市の横で食べていたころ。

  

Posted by ニシダタクジ at 07:09Comments(0)学び

2015年12月14日

会うたびに変わらない熱意で実現を語ること


茅ヶ崎・REVENDEL

「暮らしの教室」のひとつ。
3地域4会場で展開される
「暮らし」を考える場。
http://monosashi.me/

モノサシっていうアドレスが素敵だ。
代表の熊澤さんの、「暮らしと農は切り離せない」という言葉どおり、
農園があり、クラブハウスがあり
メンバーになると宿泊も可能という素晴らしい場だった。

昨日は
「お金を超える価値のつくり方」ということで、
並河進さんの講座。


並河さん


並河さん+熊澤さん


今回のワークショップのお題は、REVENDEL農園で作られた
小麦と大豆から作った味噌を何と交換するか?

~~~ということで以下メモ

小さな世界⇒大きな世界
家族⇒地域⇒国⇒グローバル

多様性  小⇒中⇒大
モノサシ 大⇒中⇒小

グローバル:共通言語が少ない⇒モノサシが少なくなる。

  買う
モノ←お金
  →  
 売る

お金=便利なものさし
基準がひとつしかなくなっていく恐ろしさ

価値があってお金(価格)が生まれた
↓はずなのに
いつの間にかお金(価格)によって価値が決まる
ようになっていた。

もはや自分で価値を判断できない
→価格によって価値を判断する。

without money

資本主義の世の中でどうやって
お金を超える価値を生み出していくか。

  買う
モノ←お金
  →  
 売る

モノに新しい価値を与える。
お金じゃないもので買う
タンス+机⇒値段のわからないものになる。
相場観のないものになる。

価値あるとされているものを疑ってみる。
価値がないとされているものに価値を見出す。

「新しい」」
「便利なもの」
「きれいなもの」
は本当に価値があるのか?

落書きされた教科書はきれいではないが、教科書っぽいのではないか。

それ、つくりますプロジェクト
新日本様式こころプロジェクト
「せつない」を成分分析する。
⇒商品開発する。

トイレ美術館
⇒トイレの見え方が変わった。

  買う
モノ←お金
  →  
 売る

買うという行為に買う以上の価値を与える。
千のトイレプロジェクト
東ティモールでトイレをつくる。
村の人と一緒につくる。⇒ほめられるのを待っている。

ネピアのシェア上がる
→お店が共感して商品を置く
→売り上げが上がる

・応援につながる
・参加する

買うことが応援につながったり、参加につながったりする。
GIRL meets GIRL
ピンキーリング

  買う
モノ←お金
  →  
 売る

お金じゃないもので売り買いする

グローバリゼーションの波
勝ち残るには値段や差別化しかないのか?
そもそも戦わなければいけないのか?
ルールが1つなのはどうか?
⇒without money

値段を外した状態でデビューさせる。
⇒価値・価格を決めさせる。

モノ→お金

モノ←お金
に変わっている。

逆アリプロジェクト
逆にありかも、を考える。
こわいおじさんにクマさんと名付けるとかわいくなる。

モチベーションは問いを実証したいということ。
目に見えないものと経済をつなげていくこと。

毎回世の中に響かなくてもいい。
試行すること。

やっている人がどういうバックグラウンドでやっているかが大事
こうやってつくったんだ。

チームに必要なのは、
最終的にカタチになるんだと信じていること。
1人でもヤケに信じているやつがいることでカタチになる。

会うたびに変わらない熱意で実現を語る人
実現した実績のある人→それを入れていく。
みんなが信じられる何かを入れていく。

~~~ここまでメモ

いやあ。
スゲー。
カッコイイなあ。

並河さんはアーティストだなあと思った。

目に見えないものを経済とつないでいく。
そのプロセスでたくさんの問いを生んでいる。

アートの役割は、当たり前に問いを生むことだと
北澤潤さんが言っていたけど、
究極の当り前であるお金に、問いをなげかけているんだなあと。
これについてはまた明日。

一番印象に残ったのは、最後のところ。
プロジェクトが実現するのに必要なのは、
最終的にカタチになると信じている人の存在。

これ、きっと僕の役割だなあと。

最終的にカタチになるのだと信じること。
そして会うたびに変わらない熱意で実現を語ること。

それがコメタクでもハックツでもツルハシブックスでも
僕の役割なのではないかと思った。

素敵な時間と空間でした。
ありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 08:06Comments(0)

2015年12月13日

「共に悩む」という提供価値

「中学生と共に悩み、共に未来を見つめる仕事がしたい。」

それが2002年の僕の出発点だったと思い出した。

「中学生と地域の大人を出会わせる場をつくる」
はそれをソーシャルにしたときのミッションだ。

自分自身のやりたいことは、
「共に悩み、共に未来を見つめること。」

答えを提供することじゃない。

それかもしれない。
と思った。

現代の提供価値はそこにあるのかもしれない。

コミュニケーションや学びやビジネスは、

「一方向」から「双方向」へ。
しかし、その次は、
「双方向」から「共に悩む」へ。

そして「共に悩む」
という価値を提供できるのは、

本質的には、「いま、悩んでいる人」である。

2002年に15歳の少年の心を開いたのは、
当時27歳の僕がプータローであり、
将来に悩んでいたからではないか。

答えを教えることや、導くこと、が価値ではなく、
共に悩むこと、共に未来を見つめることが
価値だとしたら、

おそらく、23歳と22歳の女子である「コメタク」は未来を創っていく
最前線にいるのだろうと思うし、

考え続ける、悩み続ける大人こそが
若者の心を開き、共に未来を見つめることができるのかもしれない。

「本の処方箋」とは、
そういう時間のことなのではないか。
そして僕はそういうのを得意としているのではないか。

弱みを天職にする、とはそういうことなのかもしれない。

というつぶやきでした。  

Posted by ニシダタクジ at 05:40Comments(0)足跡

2015年12月12日

パラレルキャリアと半農半X

「home」に初参加。
塩尻の山田さんが参加、というのを見て、衝動的に申込み。
山田さんいつも元気そう。


「home」の説明は以下。
欲しい未来を創りたいと思っているひとたちが、肩書など関係なく集う場所を、というので2年前よりスタートした「home」。毎回ゲストをお呼びし、対話の場をつくっています。

今回のゲストは、半農半X研究所の塩見直紀さん。
大学生時代の1998年からお世話になっている
めちゃめちゃ恩人です。


(写真は10月の東京朝活のときの写真)

キーワードにあふれる時間でした。
原点に返るって大事だなあと。

~~~ここから資料より抜粋

半農半X・・・持続可能な農ある小さな暮らしをベースに天与の才を社会に活かす生き方、暮らし方。

半農半Xコンセプトの普遍性
・食べ物(人は何か食べないと生きられない)⇔パン
・生きる意味(人は何か「生きる意味」がいる⇔サーカス

21世紀の二大問題:環境問題⇒半農と天職問題⇒半X
人生を変えた4キーワード⇒7世代後、将来世代、後世への最大遺物、半農半著
我々は何をこの世に遺していこうか。金か、事業か、思想か。

た・ねという2軸:翼&根っこ
た(たかく、たくさん、OPEN ):
翼・風 Creation(competition collabo) 平和文化創造・贈与
ね(根っこ、根源、BASIC ):
根っこ・土 Sustainability 時速可能性・いのち

21世紀の2つのセンス
センス・オブ・ワンダー:自然の神秘さや不思議さに目を見張る感性)
ソーシャルデザインのセンス:地域や社会の問題を仕事化するセンス

4つの「もったいない」
・物には神がいる(ワンガリ・マータイ)
・天与の才の未発揮(使命多様性)
・地域資源の未活用(食文化・棚田・・・)
・未コラボレーション(組み合わせは無限大)

21世紀の加減乗除
・加+:継続/日々の積み重ね
・減-:シンプルライフ
・乗×:コラボ/共創
・徐÷:フォーカス/自分のテーマに編集

これからの考え方、暮らし方の7視点
・敬天愛人、則天去私のこころ(謙虚)
・野花や季節の変化など「恵み」を感受する感性
・雑草のような強さ、逆境をバネ、こつこつ(積善)
・出会いから人生を切り拓いていく(創縁、機会開発)
・自分が本当に好きなことで社会変革を(favolution)
・「ないものねだり」から「あるもの探し」へ
・周囲のX、森羅万象のXを活かし、プロデュース

~~~ここまで資料より抜粋

主催の但馬さんの話からスタート。
「孫の世代まで地球環境を残す。」
「正しさよりも楽しさで人は巻き込まれる。⇒コミュニティをつくる」
「ビジネス・コミュニティデザイナーになる」

ああ。僕もそんなこと考えていたなあと。
環境問題とは人生を哲学するのに
有効な入口なのかもしれないなあと感じました。

そして塩見さんの講演
~~~ここからキーワード抜粋

「場所が決まれば修業が始まる」
「地図を示せば仲間が増えるのです」
「世界を変える魔法は組み合わせの中にある」

言葉で世界を変えたい。
1人1研究所。
100のコンセプトで世界を変えたい。

ソーシャルデザインとは、
社会的課題の解決と新たな価値の創造
人生探究都市という不思議なまちをつくる

使命多様性→ひとりひとりにXがある。
成長戦略としての半農半X
「あなたは何をやり抜こうとしているのか?」

稼ぎつつ、家庭を築きつつ、社会を変えつつ・・・
リスペクト×インスパイア
先人知×若い感性
地域×先端

~~~ここまでキーワード抜粋

イベントに来ている人たちは、
何かを模索中のアンテナの高い人たちのように見えた。

冒頭に説明があったように、
欲しい未来を創りたい、と思っている人たちと
半農半Xについて考えた。

少しほろ酔いで書いた僕の半農半Xの3つのXは
アーティスト、本屋、カフェでした。

自分の型(大好きなこと・得意なこと)は、
「食べること」
「人と人をつなぐこと」
「中学生高校生大学生と共に悩むこと」

研究所をつくるとしたら
これからの「本屋×米屋」研究所
になりました。

・ごはんを食べる機会を増やす
・米屋の中に本屋をつくる
・地域と仲良くする

その他、時間切れでできなかったけど
・コレクションしているものや長く続けてきたことは?
・悩んできたことは田舎で起業する際のネタになります。あなたの悩みが世界を救う。
・人生でかなえたいことを○○プロジェクトの形で8つ
・「受け取る」だけでなく「与える」あなたが提供できるものは?
・「それをやりにおれが生まれてきた。そのことだけを考えればよい。」(ヘミングウェイ)
それを5つ思い出してください。

などなど、インスパイアされる問いに詰まっていた。

homeっていうのは、
きっとそういうプラットフォームなんだなあと。

人生におけるパラレルキャリア
(これは必ずしも収入のある仕事というわけではない)
を一緒に探り、一緒に創っていく、そんな空間。

そういう意味では、半農半Xのコンセプトに近いのではないか。

人は皆、X=天職を探している。
それは職業名ではなくて、生き方のこと。

そういう意味では、
ツルハシブックスも、コメタクも、ハックツも、
そういう現場なのだろう。
パラレルキャリア・プラットフォーム。

そこに思想(コンセプト)として、
「半農半X」が食い込んでくる。

だから僕の中ではきっと「コメタク」へとつながった
まきどき村からとツルハシブックスからの流れが
今やっていること、これからやっていくことになっている。

塩見さんと出会ったとき。
僕はまだまきどき村の構想前だった。
塩見さんからプレゼントされた「種をまく人」(ポールフライシュマン あすなろ書房)
を読んで、畑のコミュニティ価値に魅力を感じるようになった。

まきどき村からツルハシブックス、そして、コメタクへ。

「豊かさとは何か?を問う」
「場の持つチカラを高める」
「共に悩み、共に未来を見つめる」

きっとそうやってつながっていく。

塩見さん、山田さん、但馬さん、山川さん、
素敵なクリスマスプレゼントをありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 08:59Comments(0)学び