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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2015年12月11日

日本の今の「常識」は、世界史の中でどうなのか?


仕事に効く教養としての「世界史」(出口治明 洋伝社)


いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ7「茶の本」(現代日本語訳 夏川賀央)

この2冊。
同時に読むと、茨城県北茨城市五浦に行きたくなります。
そんなツアー企画しようかな。
人生を考えるワークショップ付。

教養としての世界史のほうで
特に読んでほしいのが第10章のアヘン戦争。
サブタイトルは東洋の没落と西洋の勃興の分水嶺。

中国・インドから西洋が覇権を奪っていく様子が
描かれています。

西洋のGDPが初めて東洋を凌駕したのは、
じつはアヘン戦争以後のことでした。

から始まる第10章を読むと、
「産業革命」と「帝国主義」とそれによる
世界の動きがよくわかります。
ワンピースの大航海時代のイメージをしてもらえれば、想像しやすいです。

~~~ここから一部引用

古来、西洋が東洋から欲しがったものは
お茶であり、絹であり、香辛料(スパイス)でした。

この中でもっとも軽くて高価なのは香辛料です。
ヨーロッパの肉食中心の食生活にこれは欠かせないものでした。

大航海時代以前は、
アラビアやムスリム商人によってエジプトやシリアを経由して運ばれていました。

ところが大航海時代を経て、
ヨーロッパ諸国が東洋に来航するようになります。
当時、香辛料貿易はネーデルランド(オランダ)の牙城でした。

英国は、オランダからそれを奪い取ろうとしましたが、
強力な軍や政治力を前にして、いったん手を引きます。

しかし、現状において、
清国(中国)から輸入するお茶や陶磁器などの支払いのために、
銀が流出し続ける事態を放置するわけにはいきません。

香辛料に代わる有力な交易商品を模索しながら、
英国はインドに重点を移していきます。

インドは豊かな国でした。
1つには中国とヨーロッパ交易の中継地としての
地の利がありましたが、
加えて綿織物という強力な輸出品を持っていたのです。
綿織物に対する根強い需要は世界中にありました。

お金儲けをしようと思ったら、
国際競争力のある商品を持っていることが、一番強い。
モルッカ諸島には香辛料があり、中国には絹とお茶と陶磁器、
インドには綿織物があったわけです。

英国はインドの綿織物に着目しました。
「綿織物ならなんとかなりそうだ」

そこで、追い風が吹きます。
「産業革命」です。

英国の綿織物工業は
手工業から一気に機械工業になり、量産が可能になりました。

気の毒だったのはインドです。
英国はインドに
「綿花を増産せよ。英国が買い上げる。綿織物はつくらなくていい。
英国の綿織物を輸入せよ。」と要求します。

産業革命のあと、工業化が進んでいた英国では
紅茶の需要も急増していきます。

お茶の産地は中国ですから、
英国の中国に対する貿易赤字が拡大していきます。

そのころインドは英国の植民地化が進み、
英国はインドの農民に主食となる農作物ではなく、
売ればお金になる綿花やコーヒーなどの換金作物の増産を奨励しました。

これらの換金作物の中で
対中国貿易の目玉となったのは、アヘンでした。
英国は第三者の貿易商人の手を通じて、中国に密輸しました。

~~~ここまで一部引用

いやあ、英国、おそるべし。

この後アヘン戦争に突入し、英国の覇権、そして
東洋に対する西洋の優位は揺るがないものとなっていきます。

このときに、西洋は考えました。
西洋は進んでいて、東洋が遅れているという現実は。
歴史的にも証明できるのではないか、と。

このときにローマやギリシャを起源とする
西洋史観が登場します。
それはおそらく今でも学校の世界史で教わっているような内容です。

最終章で出口さんは言っています。
日本の社会常識を、世界史の視点で考え直してみることが大切だと。

これ、本当に大事だなあと。

「学校」だって「会社」とか「就職」だって、一度世界史の視点から考え直してみること。
それ、すごく大切なのではないかなあと。

そして、その上で、
茨城が誇る岡倉天心から学ぶことではないかなあと思います。

茶の本には、熱いエッセンスが詰まっています。

~~~以下メモ

茶道は本質的に不完全なものを崇拝します。
それは私たちが、完成されないものと自覚しているこの人生において、
それでも実現可能な何かを成し遂げようと儚い試みを続ける存在だからなのです。

茶は唯一、ヨーロッパを支配したアジア発の文化

アジアで生まれた茶の文化は、全世界に敬意をもって受け入れられた、唯一の東洋の儀礼、かもしれません。

偉大な王侯に接するときのように、偉大な絵画には接しなさい。

優れた芸術作品を理解するためには、その作品の前にへりくだり、
その一言一句を聞き漏らさぬよう、息をかみ殺して待たなくてはいけません。

私たちはかつての時代よりずっと、いま茶室を必要としているのではないでしょうか?

自然の破壊者になるのでなく、自然と一体となろうとする優しい心。
競い合うのではなく、ともに一つの美を感じ合うことで、アーティストと鑑賞者が統合しようとする謙虚な精神。
完成させることより、完成させようとする過程に価値を見出す、人間的な価値観。
彼がその象徴として見たのが、まさに茶道にあったということなのでしょう。

武士道を、己の信念をストイックなまでに貫く戦う人の哲学とすれば、
茶はそれと正反対にある平和の哲学。戦っているはずの人々が、
武器を捨て、身分の差も無視して、穏やかで優雅な時間を共有しようとしました。
これら二つは、確実に私たちの中に継承されているはずのものです。

~~~ここまでメモ

いいですね。
今こそ、岡倉天心、そして茶の本。

誇り。

西洋化一辺倒だった日本に、いや世界に
いや、東洋にもいいものがあると言い続けた岡倉天心。

自分の感性を信じ、それを表現し続けること。
そこに「誇り」が生まれていくのだと思います。

これからの時代はきっとそういう時代なのだと思います。

世界史を学びながら、自分を表現する機会を得ていくこと。
きっとそれが将来に悩む大学生にもっとも必要なことなのだろうと思います。

そんな若者たちと
ともに悩み、ともに未来を見つめること。

それが2002年からずっと僕がやりたかったことです。

そんな原点に返った2冊の本でした。  

Posted by ニシダタクジ at 06:46Comments(0)

2015年12月10日

豊かさとは何か?という問いを売る

答えのない時代。

いや、本当は答えなんかなかったのだけど。
産業革命以来の工業社会においては、
「効率化」が正解だった。

戦後の復興も、
朝鮮戦争の特需により、
また劇的な人口増による内需の拡大。

これによって50年にもわたる
「答えのある時代」を過ごすことになる。
大企業、公務員、キャリア設計。

大学生の少なくない人たちが
現在のいわゆる「就活」に疑問を感じている。

その根底には、
「答えのない時代」の実感を得ているにも関わらず、
世の中は方程式のような答えへのプロセスを強要するからではないだろうか。

世の大学生たちに伝えたいのは、
それは仮説にすぎないということ。
わずか50年。
産業革命以降を含めても、150年でしかない。
これについてはまた明日、書こうと思う。

仮説を立てる
試行してみる
振り返る

この繰り返しによって、
自分なりの「現時点での答え」
を出していくしかない。
時代や社会が変われば、答えは変わる。

いま。
お客さんがもっとも欲しているものは何か?

お客さんの中でも切実である中学生高校生大学生が
もっとも欲しているものはなんだろうか?

それはおそらく。
「豊かさとは何か?」という問いである。

それは、経済社会に生きる我々にとっては、
何のために生きているか?
とほぼ同義語であるのかもしれない。

「大切なものはなにか?」
と言い換えてもよい。

圧倒的に支持されている店。
これからも伸びていくであろうお店やプロジェクトには、
「豊かさとは何か?」という問いがあり、
その問いに対するお店の提案がある。

クルミドコーヒーは、
手間をかけたものに、それだけの対価を払うという想像力
が豊かさではないか?
と問いかける。

カキモリは、
紙と表紙やインクを選んで大好きなノートをつくるという「たのしく書く」
が豊かさではないか?
と問いかける。

電通中部の都築さんは、
「震災を考え続ける」という問いに集中して、CMを作る。
電通関西の日下さんは、
「商店街ポスター展」を通じて、豊かさを問いかける。

プロダクト(製品・商品)に落とし込むと、
それはわかりやすい言語となる。

「豊かさとは、クルミドコーヒーで650円のコーヒーを飲むこと」
https://kurumed.jp/
※音がなります。

「豊かさとは、カキモリでオーダーノートをつくること」
http://www.kakimori.com/works/pg1.html
※760円からオーダーノートがつくれます。

そういえば、
僕自身も、大学時代からずっと、
「豊かさとは何か?」という問いの中にいた。

まきどき村。
「人生最高の朝ごはん」と名付けられた朝ごはん会は、
まさに「豊かさとは何か?」という問いに対する
僕なりの表現活動である。
表現活動だったからこそ、続けてこれた。

ツルハシブックス。
中学生高校生大学生にとっての
第3の場所と第3の大人を提供すること。
彼らは「豊かさとは?」の問いの前段階にいるので、
そんな機会を本や人との出会いを通じて提供することだ。

そういった意味では、
暗やみ本屋ハックツと先日参加した旅する図書館は
近いのではないだろうか。

「豊かさとは何か?」という問いを売る。
その対価はお金だけでなく時間だったりするのだけれど。

そしてそこに参加する人は、
「豊かさとは?」という問いに対しての答えがほしいわけではなく、
一緒に考えたいのだろうと。
そして、一緒に考える仲間がほしいのだろうと。
きっとそういうところに潜在ニーズがあるのだろう。

「コメタク」はそういった意味で、すごいプロジェクトだと思う。

入り口となるプロダクト(米や関連商品)があり、
参加することができ、(何かを作れるとなおいい)
そこでともに考えることができる。

豊かさとは何か?という問いを売りながら、
お客さんと一緒に考え、一緒に未来を創っていく、
そんな米屋×本屋を僕はつくりたい。  

Posted by ニシダタクジ at 06:36Comments(0)学び

2015年12月09日

自分をストーリーブランディングする


「あなたの「弱み」を売りなさい。~戦わずに売る新しいブランド戦略」(川上徹也 ディスカバー携書)

ツルハシブックス店員サムライ必読の1冊。

「ブランド」とは何か?
熱く問いかけられる1冊。
そして小さな会社でもブランドは創ることができる
ということを確信できる1冊。

昨日のブログの
「豊かさとは何か?」
という問いをブランディングしていくのにどうしたらいいか?
この本を読んで一緒に考えようよ、サムライのみんな。

物語部分の
「星が丘のチンパンジー」が
シビれます。

小さな食堂のオーナーが
「誰のために料理をつくるのか?」
そして
「その店でどんな気持ちになってほしいのか?」

をできることを考え、実行していくこと。
そこに「ブランド」が誕生するのだと。

少しだけエッセンスも入れておきます。
「お客さんとラブストーリーを築くための5つの方法」

1 人を売る
商品そのものではなく、その商品に関わる人にスポットを当てます。

コメタクで言えば、飯塚商店の米ではなくて、飯塚さんや
コメタクのメンバーそのものにスポットを当てる。

2 志や地域貢献を売る
同じ商品やサービスであれば、多くの人は共感を感じる志があるほうを買いたくなります。

ツルハシブックスで言えば、
中学生高校生に第3の場所、第3の大人との出会いを生み出す、
というミッションを大人に向けて発信する。

3 店を学校にする
学校には「学ぶ」「集う」「体験する」という3つの要素があります。

ハックツで言えば、
どうやって中高生を呼べるのか?という学びがあり、
共感できる仲間との「集う」、があり、中高生も店番を体験できる。

4 問題解決を売る

お客さんが抱えている問題を、
その店なりの手法で解決してくれる店はなくてはならない存在になります。

コメタクで言えば、
ひとり暮らしの女子のていねいな暮らしを支援したり、
冷え性を解消したりする食事方法とかを学ぶ、などいろいろな課題解決がある。

5 期待値の1%超え

人は買う時に「だいたいこんなものかな」という期待値を設定します。
大手チェーンはその期待値どおりであればそれで十分です。
小さな店がリピーターを獲得するには、期待値を上回った時です。
ここでポイントが「本筋の商品やサービスではない些細なことのほうが期待値を上回りやすい」
というのと「期待値は上回りすぎてはいけない」ということです。

なるほど。

ツルハシブックスは、どんな期待値超えができるだろうか?
小さなお菓子をもらうことだろうか。
麦茶を出してもらえることだろうか。
話を聞いてくれることだろうか。

一緒に考えたい。

店員サムライのみんな、
巻末にある「ストーリーブランディング」
ワークシートを一緒にやってみよう。

大学生は、個人としてやってみても、
(実際この本の冒頭と巻末は女子大学生のエピソードになってます)
自分の人生を考える上で非常に有意義だと思います。

就活で自己分析する前に、
自分自身をストーリーブランディングしてみませんか?  

Posted by ニシダタクジ at 06:56Comments(0)

2015年12月08日

豊かさとは、朝、米を炊くこと

カキモリとの出会い。
今年もっとも大きな出会いに
なったかもしれない。

これまでの自分が歩んできた道と
これから歩んでいく道が
ひとつにつながったような、
そんな感覚。

ビジネスとは、事業とは、プロジェクトとは、
「豊かさとは何か?」の表現活動であり、
売り上げとは、
誰かに届けたかった手紙が届いたということ。

そしてそれは、
主催者が自らつくるのではなくて、
参加者と、いや共演者と一緒に作っていくもの。

大学時代から問い続けていた、
「豊かさとは何か?」
という問い。

これに答え続けていくこと。
考え続けていくこと。
お客さんとともに考えていくこと、
作り続けること。

きっとそれがこれからの「仕事」になる。

1999年に始めたまきどき村。
そして、「人生最高の朝ごはん」

それは、「人生最高」とは、
ひとりひとりの主観であるということ。
参加者ひとりひとりの顔ぶれによって
さらなる「最高」があるということ。
毎週更新される「人生最高」がそこにはある。

カキモリが教えてくれた。

豊かさとは、手紙を書くこと。
自分で選んだ便箋と封筒で、
自分で選んだペンとインクで手紙を書くこと。

そう。

「豊かさとは?」
という問いに、自分なりの仮説を立て、表現し、
お客さんとコミュニケーションしながら、作り上げていくもの。
それを未来と呼ぶのではないだろうか。

カキモリには、
古くて新しい「未来」があった。

僕が目指していきたいのもきっとそういうところだと思った。
いままでも、そうやって来た。

豊かさとは、畑をやることだと。
豊かさとは、地域とつながることだと。
豊かさとは、囲炉裏を囲んでご飯を食べることだと。

豊かさとは何か?
という問いに仮説を立てる。
そしてそれを表現する。
共演者とコミュニケーションしながらつくっていく。

それこそが「未来」なのではないか。

ハックツが考える「豊かさ」は、

豊かさとは、誰かに本を届けることだ。
思いを込めて、メッセージを書いた本を、誰かに贈ることだ。
その本が誰かに届くことだ。

ツルハシブックスが考える「豊かさ」は、

豊かさとは、「偶然」を届けることだ。
思いがけず立ち寄った店に小さな出会いがあり、
そこから新しい人生が始まっていくことだ。

コメタクが考える「豊かさ」は、

豊かさとは、朝、米を炊くこと。
自分で選んだ茶碗に、
大好きな米屋で買ったごはんがよそわれる瞬間のことだ。

豊かさとは、〇〇である。
と仮説を定義し、その実現に向かっていくこと。

お客さん(共演者)とコミュニケーションしながら、
その本質を探りながら、作り続けていくこと。

未来はきっと、そこにある。  

Posted by ニシダタクジ at 07:09Comments(0)思い

2015年12月07日

カキモリのある町


カキモリのある町。

僕はこのフレーズを忘れないだろうと思う。

カキモリは蔵前にある文房具屋さん。
http://www.kakimori.com/
このwebのトップのフラッシュだけでキュンとします。

自分のオリジナルのノートがつくれます。
これが特に若い女性に大人気なのだそう。


昨日、参加した「旅する図書館」の会場が
カキモリの隣にあるカキモリink stand。
自分好みのインクを混ぜてつくることができる場所。

もうこの時点ですごいのですが。
今回の「旅する図書館」は
手紙にまつわる本を紹介して、
その後、カキモリで便箋と封筒を選び、手紙を書くというもの。


紹介された本


カキモリで便箋と封筒を選ぶ


代表の広瀬さんからインクの説明


ガラスペンで手紙を書く

なんだろう。
この豊かな空間は。

カキモリは2010年に蔵前にオープン。
もともとは群馬県でノベルティ文具の企画・製造を行っていた。

都内で小売をするにあたって、
通販ではできないことをやる、と
小さな文房具屋をオープンした。

カキモリではノートをオーダーメイドでつくることができる。
文房具屋さんなので万年筆やボールペンも売っている。
そして隣のink standでは、自分好みのインクを造ることができる。

「たのしく書く人」の言葉通り、
「書く」を楽しむことができる場所。
「書きたくなる」場所だ。

スゲー。

もう、形容できない。
またしても感じる圧倒的な敗北。

文化創造の場所。
そういう場に立ち会ってしまった衝撃。

いま、ここから小さな文化が生まれている。
生まれ続けている。

広瀬さんが言っていたけど、
社会は急速にアナログからデジタルに替わり、
手で書くことがなくなってきている。

だからこそ、
「書く」価値、手紙の価値が上がってきている
のだと言う。
その「書く」にフォーカスした文房具屋であり、ink standがカキモリだ。

豊かさとは何か?
という問いに正面から向き合い、
それを具体的方法で提案していくこと。

お客さんと共に
小さな文化を生み出していくこと。

ツルハシブックスも、
コメタクも
暗やみ本屋ハックツも、
そういう現場でありたいと思った。

そして、冒頭にも書いたけど、
何より衝撃だったのは、
カキモリが印刷・発行しているマップ。
「カキモリのある町」

これがまた愛にあふれたすごく素敵なマップ。
まずネーミングがすごい。

「カキモリのある町」
ストレートなんだけど、愛が詰まっている。
イラストもすごくかわいくて、いいんです。

たったの1枚で
この町に住みたいと、
思わせてくれるマップに心から衝撃を受けました。

ツルハシブックスもコメタクも、
ハックツも
愛にあふれたこんなまちのマップを作れたらいいなと思った。

「小さな文化」って
そうやって生まれていくんだって。
いや、生まれ続けていくんだって。

とても素敵な1日でした。
「旅する図書館」の井東さん、岡島さん
カキモリの広瀬さん、参加者のみなさん、
心震える1日を、ありがとうございました。

カキモリのある町。(地図のダウンロードもできます)
http://www.kakimori.com/town/index.html  

Posted by ニシダタクジ at 06:11Comments(0)日記

2015年12月06日

お客を集めるのではなく、店員を集める

昨日はハックツの日でした。
お客さんはなんと4名。
ピンチです。

しかし、このピンチ感が
いいミーティングを生み、
素敵なアイデアがたくさん生まれました。

顧客はだれか?
どうやって届けるか?

そう考えると、
むしろ中学生高校生にスタッフになってもらう、
という募集の仕方があるのではないか?
と。
(みづきちゃんスゴイ!)

たしかにもしかしたら、
「お客募集」よりも
「中学生高校生の店員ボランティア募集」
のほうが敷居が低いのかもしれないと思いました。

そして、店員の子達と一緒に、
どうやったら中学生高校生がお店に来てくれるのか
を考える、

そう。
そもそも今のスタッフのモチベーションはそこにあるはずです。

学びたい。
共感できる仲間がほしい。

それは中学生高校生も一緒でしょう。
しかも、本当に来てほしい中学生高校生は
アンテナの高いアーリーアダプターな中高生ではなくて、
ちょっと自信がなかったり、もやもやしてたりする子。

いや、そもそも本なんか
あまり読まない人がお客さんに来てほしいのです。

その子はどうやってお店に来るのか。
おそらくは、「友達の誘い」が
もっとも可能性が高いでしょう。

実際、ハックツに初日に来てくれた
ちゆきちゃんとななえちゃんは、
たくさんの友人をハックツに誘ってきています。


そして、昨日はついに同級生の男子も店員になりました。
(大学生の大野くんも昨日初参加しました)

そう。
店員をやってみないかと誘ってみる。
それのほうがもしかしたらハードルが低いのかもしれないのです。

ここでひとつの不安がよぎります。
店員をやってもらって、
お客さん来なかったらどうするか?

それは簡単です。

「どうやったらお客さん来るんだろうね?」
と一緒に考えること。
チラシを一緒に配りに行くこと。
店員をする、というのはきっとそういうことです。

大学生や20代の社会人のお兄さんお姉さんと
一緒に店員をやりながら、
一緒にどうやったらお客さんが来てくれるか、
どうやったらいい店になるか、考える。

きっとそこにエンターテイメントがあるのではないでしょうか。

お客を集めるのではなく、店員を集める。
これは、ハックツがハックツであるからこそ
できることなのかもしれません。

有意義な振り返りができた12月のハックツでした。
頼もしいスタッフのみなさん、
今後ともよろしくお願いします。  

Posted by ニシダタクジ at 07:20Comments(0)学び

2015年12月05日

なにものでもないという出発点

自分は、なにものでもない。

自分を規定しているのは、
それまでの暮らしであり、そして世間だ。

自分なんか、なにものでもないじゃないか。

と思えたとき、
人は初めてキャリアの出発点に立つ。

なにものではないからこそ、
なにものにでもなれる。

「学歴社会」によって、つくられたプライド
それは、「何者かである」という自信だ。

人は本来、なにものでもない。
過去に規定されない。

今を、生きている。

アンラーニング。
昨日、森山さんが教えてくれたキーワード。

どうやるか?ではなく、どうあるか?
doing ではなく being

何が正しいかわからない世の中で、
学んできたこと、経験を一回捨てること。

ジャズのセッションのように、
ゆるやかに方向性を持ちながら、
どこに落ちるかわからないセッションを楽しむ。

そんな人生や会議を歩みたい。

自分は何者でもない。
だからこそ、いま、目の前の他者と生み出せる何かがある。  

Posted by ニシダタクジ at 06:50Comments(0)

2015年12月04日

幸せの源泉は考え続け、試行し続けること

長谷川先生による茨城大学公開講座。
今回のテーマは「ボランティア」

「ボランティア」とは、
1970年代に入ってからようやく
日本社会に生まれてきた言葉である。

~~~以下メモ

1970年厚生白書
「高齢化社会」「ボランティア」
が初めて登場する

1969年国民生活審議会答申
コミュニティの復権

〇ボランティアとは?

1 無償性(無給性)
1960年代後半は市場原理が全開。

「市場原理」=「交換価値」(お金)
お金=比べる道具
交換のための道具だったはずなのに、
いつのまにか「比べる」を目的化した。

AさんとBさんというかけがえのない人まで
比べるようになった。

1970年前後に生まれたボランティアの問い
⇒世の中の「価値」は比べられないのではないか?

お金の価値を限定する。
お金だけが価値ではないとする。

2 義勇性(主体性・自発性)
十字軍から生まれた。
義勇軍=自分たちこそ正義

「特攻」はボランティアか?
全体主義⇔個人主義・拝金主義

個と集団⇔会社原理
主体性⇔日本型実存主義

3 公共性(公益性)

みんな⇒無政府主義
(全体主義)⇒自分がやること、自分が動くこと

村落共同体⇒個人主義・実存主義

みんな⇒企業原理(会社・お金)

コモンズ(共有)⇔統治
ムラ⇒ノラ⇒ハラ

4 継続性

ボランティア=社会的責任
1995年阪神淡路大震災⇒NPOが組織化

行動原理
いいこと⇔悪いこと
得⇔損
個人⇔みんな
3つの座標

〇多様な課題に立ち向かう

1 福祉系ボランティア
「つながる」(人間の生存)
つながらなきゃ生きていけない。
人は1人では生きられない。
みな障がいをもって生まれてきた⇒幸せ装置としての社会

2 学習系ボランティア
「学ぶ」
人間の脳のうち旧脳(本能)は15%
本能だけでは生きられない。
⇒社会は本能で作られていない。
幸せの知識・技術を伝えていく、手渡していくこと⇒学習

3 環境ボランティア
食物連鎖の頂点に立った動物としての人間の責任
「地球には2つのピラミッドがある。ひとつは石のピラミッド、もうひとつは水のピラミッド」

自然⇔人間 対立 (西洋)自然を克服する
自然=人間 一体 (東洋)自然と調和する

4 信仰型ボランティア

理念を自分の行動規範にしている

宗教=哲学
信念を全うするために生きている。

~~~ここまでメモ

では、僕にとってのボランティア経験を。

子どものころの僕は、
ボランティアなどしたこともなかったし、
関心がなかった。
あの「偽善」な感じがいやだったのだ。

中学・高校・大学と進むにつれて、
環境問題や食糧問題に興味を持ち始め、
世の中のダークな部分を知る。

たとえば、ODA(政府開発援助)
が援助という名のもとに途上国の借金を増やし、
かつ日本企業に仕事が行っているという事実に愕然とする。

大学時代は、いわゆる啓発系の環境NGOで
2年間くらい活動した。

畑サークルで野菜を育てたり、
地元FM局で環境問題のラジオ番組を担当したりした。

そこでの気づきは、「思考停止」の恐怖だった。
そして何より、環境問題の本質は、
「地球が危ない」ではなく、
「個人が自分の幸せを真剣に考えていない」
ことにあるということが分かった。

自分の行動を他者の(あるいは与えられた)価値観に委ね、
「みんながやっているから」と消費・廃棄を続ける。
結果、誰も幸せになっていない。

不幸の源泉は、思考停止にある、と思った。
だとしたら、幸せの源泉は考え続けることだ。

そして僕は、2004年。
30歳にしてボランティアを初めて経験する。

10月に起こった中越地震。
あのときにNPOのメンバーのひとりが
「被災地で絵本の読み聞かせボランティアをしたい」
と提案したので、受け入れ先を探した。

水道もガスも復旧していない被災地では、
こどものびのび隊というボランティアが活動していた。

当時、火曜日は何も予定がなかったので、
新潟大学のボランティアセンターと連絡を取って、
現地へ行くことにした。

ボランティアに行った初日、
こどものびのび隊のスタッフに、こう伝えた。
「新潟大学の学生を毎週火曜日なら8名くらい連れてこれる」

返ってきた答えは私の想定外だった。

「要らない」

そう言われた。

「毎週火曜日に8名の大学生は要らない。
それよりもあなたが8日連続で来てくれ。
被災地の子どもたちには、毎日同じ人が来てくれる安心感が必要なんだ」

衝撃だった。
僕のボランティアデビューは、
断られることから始まった。

翌週の火曜日から僕は予定を調整して5日間連続で現地に入った。
子どもたちを毎日見た。

弟の多い小学校4年生の女の子に
ストレスがかかっているように感じた。

でも、何もできなかった。
ただただ、無力だった。
日々、無力さを感じるために現地に通った。

あのときに僕のボランティア観は作られた。

ボランティアは無力だ。
あまりにも無力だ。
何もすることができない。
子どもたちを元気にすることはできない。
ただ、寄り添うことしかできない。

全国にある
「ボランティアセンター」
のマークによくハートマークが使われているが、

ハートを差し出すことがボランティアではない。
ボランティアができることは、
ハートの半分を持ち、
おそるおそる相手の半分のハートと合わせてみることだ。

ひとりひとり、ハートの大きさや形が違う。
そこに勇気をもって、おそるおそる半分のハートを差し出してみること、
それがボランティアなのだと思う。

僕にとってボランティアとは、コミュニケーションだ。
相手のハートの形や大きさを知りたいと思う行為だ。

そしてそれは、
考え続けること、試行し続けることだ。

僕にとってボランティアの幸福感はそこにあると思う。

「人の役に立っている」
という承認欲求からくる自己満足ではなく、
考え続け、試行し続けることの中に、
自分にとっての学びや成長、
何よりもコミュニケーションの喜びがあるのではないだろうか。

記事はこどものびのび隊の後に
NPO法人茨城教育ネットワークと共同で行った学習支援ボランティアの記事です。

  

Posted by ニシダタクジ at 07:14Comments(0)学び

2015年12月03日

「学校」という装置


「サヨナラ、学校化社会」(上野千鶴子 太郎次郎社 2002)

久しぶりに読み直してみたくて、古本屋さんで購入。
2002年の発刊。
NPOを立ち上げたばかりの時に読んだイメージがある。

その頃は内容がよくわからなかったけど、
今なら、「学校化」という意味が少しわかる。

関西の四流私大から東大に
移ってきた上野さんが
東大生から感じたこと、そして関西にいるときとの
ビフォアアフターが書かれていて、「学校化」に切り込んだ1冊。

東大生の多くは、
適応能力の高い、権威主義を内面化した学生だということ。

上野氏が言う、「東大生シンドローム」は
権威主義が内面化されていることからくる「恥の感覚」のこと
自分にとっての判定者は教師ではなく、同輩であるというプレッシャー。

~~~以下、本文より一部引用

学校とは本来、試行錯誤ができる訓練期間であるはずです。
「エリート」と呼ばれる人たちは、
自分がなにかを知らないということを
自分で認めるのがイヤなのです。

学校はなぜ、試行錯誤を子どもや若者に許し、
彼らが失敗から学んで育つ場所とはなっていないのでしょうか。

学校という制度は、近代以前にはありません。
近代になってから新しくできた職業は、
官員さんと社員さんと教員さん。
「員」のつく名の職業です。

これは学校も教師もすべて近代の産物であって、
それ以前には存在しなかったということです。

寺子屋はいわば民間のボランティアでした。
近代の学校は国家が整えたひとつの制度です。

学校に通うことが義務とされ、
子どもの数に見合うだけの教室が建てられ、
そこに配置するための何十万という教師の集団が
師範学校で養成され、国定の教科書を使い、
同じようなセッティングで授業が行われる。、
そういうシステムが整えられました。

そして、そこを通過することで
人間がある規格にはめられ標準化される。
それを最近は「国民化」といいますが、
生まれも環境もばらばらな人間を、
均一な日本国民に仕立てあげていく事業が行われました。

おなじような国民化の装置として、
国民皆兵による軍隊をあげることができますが、
この二つはともに、
従順な身体をつくる装置だということができます。

全員がまえを向いて一人の人の話を
みじろぎせずに聞く身体を小学校の一年生から
叩き込み、「気をつけ、休め、右向け右」
や分列行進など、日常ではありえない身体へ馴致し、
集団のなかでのひとつの単位へと標準化してゆく点で、
学校と軍隊はパラレルでした。

学歴社会では、
学校での成績によって社会に出てからの処遇が決まり、
地位や給料というかたちで階層差が生じます。
上の階層の出身者は学校での処遇がよかったので、
社会に出てからも上の階層になる。
下の階層の出身者も結局、下の階層に収まる。

この再生産のカラクリが学校を通過することで正当化されるのです。
キャリアとノンキャリの身分差が学校という装置をくぐることで
本人にも納得され、社会にも正当化されるのです。

なぜ学校がこのような装置として機能しているのか。
そこには民主主義社会がもっているある種のジレンマがあります。

自由・平等の民主主義の社会とは、
実はまったく平等な世界というわけではありません。
人間の社会は実際にはそれぞれ異なる処遇と
異なる権力を付与された人々から成り立っています。

だから人はみな平等のタテマエにもかかわらず、
他人が自分よりも優位な立場にあるということ、
支配的な立場にあるということを、
下位にいる人間にみずから同意してもらわなければなりません。

みずから合意すれば、
服従するコストが安くてすみます。
これが近代というもの、資本主義というもののしかけです。

もし合意がなければ、
服従を求めるためには脅し・暴力・締めつけ・・・と
とても高いコストを支払わなければなりません。

優勝劣敗主義は「敗者の不満」と同時に「勝者の不安」
をもたらします。

勝者といわれる優等生は、
親や教師の期待や要求を読み取る能力に長けています。

しかしそうやって、
人の期待を読みとることばかりやっていると、
自分にとって何が意味があるのかとか、
自分の好きなことはなにかとか。
自分の人生にとってなにどういう優先度があるかということが
わからなくなってくるのです。

それを「優等生シンドローム」と言います。
ある種のロボット化です。

学校は「学校的価値」を再生産してきました。
「学校的価値」とは、明日のために今日をがまんするという「未来志向」と
「ガンバリズム」、そして「偏差値一元主義」です。

だから学校はつまらないところです。
いまを楽しむのではなく、
常に現在を未来のための手段とし、
すててを偏差値一本で評価することを学習するのが学校なのですから。

その学校的価値が学校空間からにじみ出し、
それ以外の社会にも浸透していった。
これを「学校化社会」といいます。

~~~ここまで本文より引用

なるほど。
まさにそう。

そしてもっとも大きな課題(だと私が思う)は、
子どもの教育を「学校」だけが担っているということ。
つまり、「家庭」と「地域」が機能していないということ。

学校における価値が唯一の価値だとみんなが
思っていること。

キャリア形成においては、
職業名として「夢」を持ち、
そこに向かって計画的に進んでいることを良しとする。

計画を立てれば、
あとはその計画に従って、機械のようにすることができる。
それが学校成績を上げる。

そうやって、
多様な価値観と、考えること感じることから
切り離されていくのが「学校」という装置なのだろう。

近代の世界を国家が生き延びるための仮説、「富国強兵」
それを実現するための装置が「学校」なのだろうと強く感じた。

いま。
世界はどこに向かっているのか?

国民国家として、
いや地域コミュニティとして、
自分たちが切り拓いていく未来はどこにあるのか?

少なくとも「富国強兵」ではないとしたら、
自分たちは「学校」をもう一度見直さなければならないのではないだろうか。  

Posted by ニシダタクジ at 06:34Comments(0)学び

2015年12月02日

ささる、問う、つながる、包み込む

金曜日のヒカリエと
月曜日のクルミドコーヒーを
ちょっと総合してみると。

これからのメディアのあり方が
浮かび上がってくる。

広告メディアの役割や方向性は、
「ささる」:東海テレビCM
「つつみこむ」:商店街ポスター展

クルミドコーヒーは、
650円のコーヒー、2700円のシュトーレンを
売りながら、「問う」。
そして、共感した人たちが「つながる」

「ささる」「問う」「つながる」「包み込む」
こういう構造になっているのではないか。

「問う」ためには、「ささる」必要があって、
「つながり」を継続するためには、
「つつみこむ」デザインが必要なのではないか。

一番大切なのは、
問う⇒つながる
がうまく機能していること。

つまり。
単に「つながる」のではなくて、
そこには「問い」の共有があることが
大切なのではないか。

問いを前提にした「つながる」があって、
そこから生まれる包み込まれる感じ、
がこれからのコミュニティを作っていくのではないか。

そう考えると、これからは、
メディアとコミュニティは
切り離せない関係性になっていく。

「世界を変えていく」と「世界を創っていく」
というのが同時に起こっていく、
そんな「場」が生まれるのではないか、
と思った。  

Posted by ニシダタクジ at 07:12Comments(0)言葉

2015年12月01日

2700円のシュトーレンを買うということ


クルミドコーヒー「クルミドの夕べ」に初参加。
今回のテーマは「価値と価格について」

2時間。
あっという間。

ジーンときた。
金曜日のヒカリエともオーバーラップして、
自分がいまどこにいるのか、どこに向かっているのか。
そんな問いが生まれた。

~~~以下メモ

・テーマは価値と価格。価値が高いものが価格が高かったはずなのに、
いつの間にか逆転して、価格の高いものに価値があると思っている。
・高い値段というラベルを付けてもらわないと自分で判断できない。
・クルミドの夕べはあえて0円。価値があるのかないのかは参加者自身が決める。
見えない価値に対して嗅覚が働く人と時間を共にする時間。
1500円にすると勉強したい人(受け身な人)が来てしまう。

・みながいいと言っているのを否定するのはたやすい。
他の人はいいとは言ってないけど、自分はいいと思う。それを信じられるように。
・テレビのニュースは価値があるかどうかわからないものは放送されない。それを発信するのは難しい。

・フォントの歴史や背景、活版印刷の手間を身体的に経験した人は、文字を見るときに感性に差が出る。

・価格の決め方は三パターン。1コストから2価値から3収益から。
・3収益からは不動産投資などに見られる。1億使っても、それ以上儲かればいい。
・1コストからは機械化にはかなわない。収益でもコストでもなく、価値から価格を決めていく。
・2価値に基づいて価格を決める。人は何を価値だと思うか?
流通しやすい価値。痩せる、片付く、モテる、など、実用性・機能性の高いもの。

・クルミドコーヒーは、世の中であまり価値があると思われてないこと、モノに正当に価格をつけて売る。
何に価値があるか?100年200年かけて伝承されてきた知恵、文化、技術。
・手に入れるのに何百年かかっても失うのは一瞬。
・明治維新という断絶。

・「価値」を「価値」だと感じるのは、「空間軸」と「時間軸」
・空間軸。関わりを持つ⇒大事な人が増える
⇒私にとって大事だと思う人が大事だと思う⇒私にとっても大事
・時間軸。孫世代に残したいものは何か?
・「想像力」に尽きる。視野狭窄⇒思考停止⇔好奇心:好奇心で、私の範囲が広がっていく。

・大切なことなので2回言いますが、「教養がない」というのは、
別に過去の文学作品のタイトルを知らないということではなく、
自分の知らない事はこの世でさして重要でもないと思い込んでしまう視野狭窄のことです。
つまり、世界を自分の物差しで測って事足れりとする態度のことです。
(とある大学教員の15.3.4のツイート)

・クルミドコーヒーが考える価値とは、人が傾けた手間や時間や情熱のこと。
・お金とは人が傾けた手間や時間や情熱を手に入れるための道具であり、受けとったしるし=反対給付である。
・お金とは人の仕事を受け取る道具である。

・この人がこれをやるなら信じられる。⇒人の仕事を受け取る。
時間と手間と情熱を傾けられる何かが商品になる。

・手間をかけたものに高い価格を払っていく。⇒自分の周りの関係性が高まっていく。
⇒そこに対価を払うこと。⇒それを、支えている。
2700円のシュトーレンを買うということは
手間をかけた仕事がその地域で残っていくということ。

・お金のために働くようになる⇒原価を下げる⇒用は足りてるが心は満たされない
⇒価格は人件費に直結している⇒セブンカフェ、セルフスタンドは機械に払っている
⇒機械に払い続けていれば自分たちの仕事も機械に奪われる。

・価格を上回る価値を提供し続けている⇒見えない資産が膨らんでいる、未収金がたまっていく。
クオリティを下げる⇒これまで貯めたものを切り崩している

・クルミドコーヒーという精神性
・ほかの地域では実現できない「価値」を生み、伝える
・「場」にいる人たちが何を目指して、何のために頑張ろうとしているのか。
・おれたちはあの星を目指しているよね、と確認できること
・「お客になる」「会員になる」とはその集団が目指している価値創造に共感しているということ。

・何を機械にやってもらい、何を人の手でやるのかを3000人で共有すると地域の文化になる。
・国分寺ではコーヒーは人の手で淹れたものを飲む、と定義・共有する。

~~~ここまでメモ。

もし、僕たちが文化をつくっているとしたら、それはどんな文化なのだろう?
そんな問いを思い出す熱い夜になりました。

2700円のシュトーレンを買うということ。
2700円のシュトーレンを売るということ。

それは、手間をかけた仕事を地域に残していくということ。
それは、手間をかけた仕事を地域に残していきたいというメッセージ。

3000人で共感・共有すれば、それは地域の文化になる。
国分寺では、これに「価値」を置き、これを大切に残していく。
クルミドコーヒーとは、そんなメッセージなのだなあ、と。

ツルハシブックスが目指している星を再定義する時期を迎えています。
3000人が共感できる価値を共有したいなあと。

そこは僕の出番なのかもしれません。
年末までにつくりあげます。

素敵な問いをありがとうございました。


クルミドコーヒーのシュトーレン


影山さんの著書「ゆっくり、いそげ」:ツルハシブックスで買うべき1冊
僕が今年一番売りたいと思った本です。


影山さんとツーショット。  

Posted by ニシダタクジ at 08:02Comments(0)学び