2016年01月02日
「美」が次の社会を創る
「静かなる革命へのブループリント」(宇野常寛 河出書房新社)
ツルハシブックスでいつも注文してくれる
田中さんのおすすめの1冊。
「ニッポンのジレンマ」の録画見ながら、
書いています。
いちばんシビれたのは、
宇野さんとチームラボ・猪子寿之さんとの対談。
~~~ここから本文より抜粋
「頭のいい人たちが思っている以上に、
人々は「カッコいい」みたいな基準で物事をジャッジしているから、
美の概念がバージョンアップすると、
社会そのものもいずれ、求めていた世界に変化していくんですよ。」
「アートって、自分たちが欲する社会を実現するために、
一見間接的だけど、きれいごとでは済まされないような
大きな武器の一つであって、つまり「戦い」のために必要な、
もっとえげつないものであるはずなんだよね。」
「何を支持して、何を達成したいのか。
そのビジョンのために美の基準をバージョンアップすべきなんだよ。」
「社会が何を美とするかということは、
企業や社会そのものの長期的な発展・競争力と
強く結びついているはずです。」
「『美』をどのようにバージョンアップしたら、
自分たちが達成したい社会により近づけるのか、
それは人それぞれによって違うだろうけど、
それ以前に「達成したい社会と『美』がつながっている」
という見方をしている人がそもそも少ない気がします。」
「文化をつくるものには、固有名詞からトップダウン的に創造されるものと、
コミュニティからボトムアップに生成するものという、二つのクリエイティビティがある。」
~~~ここまで本文より抜粋
この次の章で出てくる
尾原和啓さんとの対談で、宇野さんは次のように言う。
「僕が思うに、これまでは結局、西武・無印良品的なものに
代表されるような、東京の都市部に住む一部のエリートが、
モノにメッセージを込めて中央から周辺に送り出すことが「文化」
であるとされていました。
しかしインターネット時代は、ユーザーの一人ひとりが
「文化」をつくりだしていくし、楽天やグーグル、
あるいはまだ見ぬ新しい日本のベンチャーがそれを可能にするかどうかが問われている。」
なるほど。
そういうことか、と。
だから、「美」について、もう一度考えること。
「美しさとは何か?」という問い。
ここから出発していく。
そしてそれはトップダウンで起こるのではなく、
ツルハシブックスのように、サムライたちが、
「美しさとは何か?」
という問いに向き合いながら、つくっていくもの。
そういうのの積み重ねが結果、「文化」と
呼ばれるものになっていくのではないか、と。
「社会が何を美とするかということは、
企業や社会そのものの長期的な発展・競争力と
強く結びついているはずです。」
この「社会」の部分を「地域」や「大学」、「商店街」
と読み換えても、同じことが言えると思う。
クルミドコーヒーの影山さんは、
650円のコーヒーを売る空間を提供することで、
2700円のシュトーレンを売ることで、「美」を表現している。
参考:2700円のシュトーレンを買うということ
(「20代の宿題」2015.12.1)
http://hero.niiblo.jp/e474894.html
ツルハシブックスや、内野商店街が、
何に価値を置いていくのか?
中学生高校生大学生に、
「本」をきっかけに機会を提供していくこと。
そしてサムライや劇団員など、
「参加者」を増やしていくこと。
そこから、美しさとは何か?
という共通認識をつくっていくこと。
その繰り返しが、
ボトムアップ型の「文化」をつくっていくことになると、
そんなふうに思えた1冊でした。