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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2016年06月01日

パラダイムシフト


「評価経済社会」(岡田斗司夫 ダイヤモンド社)

「パラダイムシフト」
よく使われているが、よく分かってなかった。

トフラー「第三の波」によれば、
歴史上、もっとも大きなパラダイムシフトは
農業革命と産業革命である。

この本の第2章では、
パラダイムシフトを振り返っていて、
これがかなり面白い。

特に「農業革命」って
あんまりちゃんと考えたことなかったから。

~~~以下メモ

農業革命以前は人々は部族ごとに分かれて住んでいました。
魚を捕り、獣を狩り、貝や海藻を採ったり、木の実や果実を採ったりして
暮らしていたのです。

そんな世界で人々の関心ごとは「今日、食べるもの」に尽きました。

モノが不足し、常に我慢を強いられる
始代人たちの文化は、
モノより内面、精神世界へと向かいます。

そうして始代人は宗教をつくり、その世界を表現しました。
日本でいえば、縄文時代の火焔式土器などがそうです。

そんな中で「農業革命」は起きました。
明日、食べるものの保証がまったくなかったのが
いきなり何十日分、何百日分の食料を
一度に手に入れることができるようになりました。

飢える心配がなくなり、人口は爆発的に増えました。

しかし、農地が増えると、争い事が起こります。
他の狩猟民族たちが攻めてきて、
せっかく蓄えた食料を奪っていったりします。

狩猟民族にとっては、
食料とは戦って勝ち取るのが当然の正しいことなのです。
しかし農耕民族にとっては、それはもっとも憎むべき犯罪です。
農耕民族にとっては、食料とは狩るべきものではなく、慈しみ、育てるものだからです。

法秩序と集団での武装や自衛が求められました。
国家と法の誕生です。
食料の新しい秩序を守るために
管理社会と身分制度が生まれました。

農業革命後の社会では、
収穫の基礎である土地を巡る権利を
世襲で受け継ぐことが普通のこととなりました。

また狩猟時代の「食料を見つける才能に優れたもの」
「戦いで勝った者」が族長として部族をまとめる
ということは時代遅れとなりました。
族長の地位も世襲で継がれることが当然になってきたのです。

臨機応変が身上の狩猟社会と違って、
農耕社会とは毎日が同じことの繰り返しです。

「戦いと祝祭のリーダー」であった族長の仕事は
徐々に管理者に近い存在になっていきました。

人々は王に貢物、作物や獲物、宝物を献上します。
王はその見返りとして、彼らの土地の権利を保障し、
侵略者があると防衛することが約束します。
きわめて原始的な「封建制度」が誕生したのです。

農業が起きると、そこには身分が生まれます。
世界中でそれぞれ似たような世襲の社会制度が誕生していきました。

いったん変わってしまうと元に戻れない。
このような社会変化をトフラーは「引き返せない楔(くさび)」
と呼びました。

狩猟社会では自由に移動していた人々も、
農地から離れることはできなくなります。

システム化された身分制度に生涯、縛られます。
変化を嫌う気風が一般的になり、
アニミズムの「カミ」は廃れて、
王や貴族、身分制を肯定する「宗教」を押し付けられます。

農業時代の人々は、もう狩猟時代には戻れません。
それどころか狩猟生活をしている人たちのことを、
理解できなくなっているのです。

「その日暮らしの生活をするのは野蛮人だ」
「身分も持っていない、祝福されてないヤツら」

システムの変化は、人々の価値観の変化を誘い、
お互いを加速し合いながら社会全体を変化させます。
これが農業革命のときに起こったパラダイムシフトなのです。

~~~ここまでメモ

トフラーも著者も、
いまは産業革命につづく第三の波が来ているのだと説く。

すなわち、産業革命から続いてきた
「価値観」が大きく変わるときだと。

このあと、
古代科学帝国の時代がやってきて、
そして終わり、中世へと移っていきます。

世の中は大きく変わりつつある。
その時は、かつての「常識」が通用しなくなります。

おそらく今も、
そんな時代を迎えているのだと思います。

「仕事」や「就職」や「働き方」も大きく変わるでしょう。

「石の上にも三年」とか言っていたらダメなんじゃないか、
と僕は思います。
「途中でやめると迷惑がかかるので、始めない」
その思考こそが現代ではリスクだと思います。

新しいことをやってみたいと思ったらやってみる。
そして途中で辞めることです。

新しいことを始めることは、
何かを途中でやめることとほぼ同義語。
時間も身体も有限なので。

しかし、我が国では、
なぜか「チャレンジしろ」「でも始めたからには簡単に辞めるな」
というダブルバインド(2つの矛盾した命令を同時に受けること)
という子育てをしてきたように思います。

パラダイムシフト。

「感性を信じて、新しいことにチャレンジしろ」
「感性を信じて、途中で辞めろ」

IT企業がそうであるように、
世の中は「試作の時代」へとすでにシフトしているはずです。

大切なのは、そうやって感性を磨いていくことだと、
感性を信じられるくらい経験を積んでいくことだと、
僕は思います。  

Posted by ニシダタクジ at 08:04Comments(0)