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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2016年12月21日

漂泊する個人の時代


「21世紀の自由論~優しいリアリズムの時代へ」(佐々木俊尚 NHK出版新書)

先週、今週は佐々木俊尚ウィーク。
先週の講演で引用されていた2冊を読む。

最初はリベラリズムとは何か?とか政治の話ばっかりで、
どうしようかなと、思っていたけれど、
やっぱり前フリとして重要で、
最後には希望ある終わりになるところがいいなあ。

この本の(とりあえず今の)ハイライトはこちら

~~~ここから引用

通常の共同体はどんなに小規模にしても、
一時的なものだったとしても、
赤の他人が集まったものであっても、
そこに内外の壁がある限り、
必ず外部を排除し、内部では同調圧力を
高めてしまうことが起きる。

わずか三人の共同体でも、
内部で二人が一人を仲間はずれにし、
外部は排除するというのはふつうにあることだ。

そのような排除・抑圧を防ぐ共同体は
本当に可能なのだろうか。
そのような内外の壁をつくらず、
結果として排除を生まない共同体を、
私は可能だと考えている。

中心がなく、開放され、内と外が
つねに入れ替え可能な共同体である。

~~~ここまで引用

そして、佐々木氏は、
それがテクノロジーによって
生まれたSNSなどのメディア空間によって可能になる
と説明する。

フェイスブックやツイッターには
「中心」が存在しない。
情報はあくまでも参加者同士のつながり
という「線」の上だけで流れている。

なるほど。

リベラリズムの「普遍的なもの」の世界では、
高位にある理想に向かい、人々は高みを目指して
登ることを義務づけられた。

そのような上下で移動する世界だった。

しかし、リベラリズムが終焉した後のネットワーク共同体では、
高位に理想はない。
その代わりに縦横の平面が無数に広がり、
その中を人は流動する。

そうして人は「入れ替え可能」である状態に置かれる。
それは、全員がマイノリティになるということだ。

そうして人は漂泊していく。
それを恐れるべきだはないのだろうと思う。

そしてこの本を読んで、
やはり個人としては、
アイデンティティや居場所は不要なのではないか
という思いであり、

ゆるやかにつながる空間としての
本のある空間であり、

さらにツルハシブックスとしては、
次のステージは「畑のある本屋」なのだろうなという思いが強まった。

漂泊する個人の時代をどうい生きるのか?

そんなことを一緒に悩んでいきたい。  

Posted by ニシダタクジ at 08:13Comments(0)