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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2017年04月12日

「目的」は必要なのか?


「社交する人間~ホモ・ソシアビリス」(山崎正和 中央公論新社)

読み直すタイミングというのがある。
まさかのここでジェイコブズが登場してくる。
読書サーフィン面白い。

「効率性」
は何か違うんじゃないか?
という違和感。

「目標を立てる」というのがそもそも苦手だったこともあり。

研修に行って、
「5年後ビジョン」を「定量的」と「定性的」に言え
って言われたのもキツかった。

あのときは、
ああ、僕はビジネスに向いてないんだなと思った。

さて、この本。
読めば読むほど読み直してよかった。

キャリアデザインへの違和感。
目標設定、達成という思考への違和感。

近代工業社会の成立は、
仕事観、人生観そのものを根本から揺るがしたのだろうと
改めて実感した。

~~~以下一部引用

「テクノロジー」とは、
機械工業を富の生産の基本的なしかたと見なし、
機械生産によって実現された効率主義を文明の理想と
考える価値観の浸透であった。

いうまでもなく、
この効率主義を可能にしたのは、
人間の作業を機械で置き換えることであったが、
その前提となるのは、作業の目的を作業の実行に先立って
固定化することであった。

機械は人間の身体を作業から極力排除し、
そのことによって身体が作業から受ける抵抗や
反作業を感じられないものにする。

その結果、工業生産では作業の過程で
方法を変更したり、目的の内容を微調整する
必要は原則的に排除される。

いいかえれば作業の計画と実行、
目的と過程を不可逆的に峻別して、
後者が前者に影響することを極限まで防止するのが、
機械生産の思想なのであった。

~~~ここまで引用

なるほど。

「産業革命」が「革命」したのは、
工業生産そのものではなくて、
人間の思想そのものだったのだなと。

「何か目的のために向かっていかなくてはいけない。」

本屋をやっているとき、
そんな脅迫を抱えて生きている大学生に何人も出会った。

彼らは行動している
(ゆえに、少し変わった本屋にたどりついている)
にも関わらず、常に不安を抱えていて、

いろいろ活動しているのに、
「この先に何があるのか、わからない」
「ゴールに向かっているのか、不安だ」
という思いを抱えている。

実はその思想そのものが
工業社会的なのだと。

まず、ここから始めなきゃいけないんじゃないか。

いま、幸せになるには、何が必要で、何が必要じゃないのか。

そんな根源的な問いに挑んでみること、から始まる人生がきっとある。  

Posted by ニシダタクジ at 08:00Comments(0)