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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2017年05月15日

「なぜ?」は未来ではなく、過去に対しての問い

何かを始める人に、
「なぜ?」と聞いてはいけない。

たいていの場合は答えられないし、
答えられるプロジェクトは、あんまりおもしろくない。
「なぜかわからない」のは聞く人の世界観が狭いのと、
やる人の中で直感で進んでいて言語化がまだであるということに過ぎない。

おじさんは、
自分が生きてきた枠組みの中で、世界を理解しようとする。
(逆に言えば、そういう人を「おじさん」と呼ぶ)
だから、つい、目の前の理解不能なプロジェクトや若者を否定したり、
「なぜやるの?」「それでどうやって稼ぐんだ?」という質問をしてしまう。

その質問が若者から機会を奪っている、と思う。

なぜ?
という質問は、過去に対してされる質問であると思った。

僕の20代は、「まきどき村」という畑のプロジェクトと
共にあった。

24歳の春。1999年。
大学院の2年目に入るときに、
まきどき村は発足。

朝ごはんを畑で食べる「人生最高の朝ごはん」を始める


2004年からは
近所の住民が管理する旧庄屋佐藤家で
囲炉裏を囲んで食べるようになる。


やりながら、
僕は、なぜ?という質問にいつも困っていた。

「畑をやっている」と言っても、
農業、つまり野菜を販売しているわけでもない。
「それで収入を得ているか?」と言われても、
会員費と朝ごはん参加費で
運営するだけで収入などもらっていない。

なぜか、新潟地域ニュービジネス協議会に誘われて、
ビジネスメッセに出展したりしていたのだけど、
来場者は僕の展示を見て、
「これでどうやってビジネスにするんですか?」
と首をかしげるばかりだった。

実際は、家庭教師をしたり、
パソコンを教えたり、たのまれて店番をしたり、
学習塾を自宅で始めたり、モグリで民宿を始めたり、
サンクチュアリ出版の営業をしたり、
ライターの仕事をして、なんとか「食べて」いっていたのだけど。

そんなふうに20代を過ごしていた。

それを「なぜ?」と今問われれば、
ある程度は答えられる。

僕は、人が集まる場をつくりたかったのだし、
「コミュニケーション・デザイン」を研究していたのだと。

日曜日、朝6時集合で
農作業のあと、朝ごはんを作って食べる
というシンプルな構造の朝ごはんは、

・朝早く集まることでの寝ぼけていたり
メイクができなかったりして心のバリアが少ない。
・200年以上の古民家で囲炉裏を囲むことによって、
地域と歴史に包まれたり、火を見ることで話やすくなる
・農作業や調理を通じての、非言語コミュニケーションが
交わされる。

なによりも
・ご飯をともに食べる、文字通り「同じカマの飯を食べる」
は人と人がつながるもっとも有効な方法である。

まきどき村は、今年19年目を迎えて、
村長と唐澤夫妻を中心に、活動を続けている。

ツルハシブックスのいわゆる「サムライ」制度だって、
始めるときは、なにそれ?って感じなわけで。

黒澤監督の「七人の侍」から、
思いついたのだけど、
(店員サムライだけでなく掃除サムライや贈本サムライなどがあった)

その中でも、もっとも偉大なコミュニケーション革命は
「寄付サムライ」であろう。

コミュニティデザインとは、当事者意識のスイッチを押す場のデザインのこと
http://hero.niiblo.jp/e371609.html
(2014.3.5)

店員サムライであるということ
http://hero.niiblo.jp/e477457.html
(2016.3.3)

~~~以下、ブログから引用

日本のファンドレイジング界に一石を投じた
(と思っているのは僕だけなのかもしれないが)

「寄付侍」と呼び方を変えるだけで、
寄付する人とされる人の関係性が変わった。

「寄付したいんですけど」
「あ、ありがとうございます。」
とどちらかと言えば寄付者が上位にあった関係性が

「寄付サムライになりたいんですけど。」
「え。君にその覚悟があるのか?まだ早い。」
「そこをなんとかお願いします。寄付サムライになりたいんです。」

といったん断ることができるようになった。
(実際はそんなことないのだけど)

ツルハシブックスにとって、
「サムライ」とは、フラットであること
なのかもしれない。
共に学ぼう、ということなのかもしれない。

~~~以上引用

そんな「コミュニケーション・デザイン」研究を行ってきたのではないかと僕は思う。

「暗やみ本屋ハックツ」もある見方から見れば、
「本を介した、まちづくりへの参加のデザイン」と呼べるだろう。

ハックツのコンセプトは、
10代に向けて本を通じて手紙を届ける。

それをなぜか?と問われれば、
2002年に不登校の中学生に出会ったときに、
地域の様々な大人との出会いを届ける仕組みをつくりたい
と思ったからである。

このように今となってみれば、
「なぜ?」にこたえることができる。

しかし、その当時は、なぜやっているか、
まったく言語化できなかった。
1年ほど過ぎてメディアに取り上げられ、その質問をされて
初めて答えられるようになったのである。

13日の新城劇場での取材もそんな感じだった。

これは、自分自身でも同じことが言えるだろう。

始めるときに、
「なぜ、自分はこれをやるのだろう?」
と深く考えてはいけない。

しかし、
やり始めて、様々な出会いや変化があったとき、
あらためて、
「なぜ、これを始めたのだろう?」と問いかけることは
とても大事なことだと思う。

金曜日のブログに書いた
「顧客はだれか?」という問い。

僕は、顧客はその人の過去にしか居ないと思っている。
過去に出会った人、あるいは過去の自分自身。
テレビを通じて出会ったけど、大きく憤り、
自分がなんとかしなきゃ、って当事者意識を持った出来事。

もしかしたら、なにかを始めた後で、
そのプロジェクトに参加してくれた誰か、かもしれない。

顧客に出会うためには、
始めたあとで自ら「なぜ?」を問うことだと思う。

世の大人たちは、
若者が何かを始めようとするとき、
「なぜ?」と聞いてはいけない。
「おもしろそうだね、それ」と言っておこう。

そして、ある程度プロジェクトが進んできたら
「なぜ始めたんだっけ?」と聞いてあげたらいいと思う。

始めるのに理由は要らない。
続けるのには理由がいる。
そしてその理由は、
続けていく中で出会った人なのかもしれない。  

Posted by ニシダタクジ at 08:14Comments(0)学び