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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



新潟市西区内野町431-2
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2017年12月28日

「違い」の違い


「ストーリーとしての競争戦略 ―優れた戦略の条件」(楠木健 東洋経済新報社)

今日は、戦略の基本原理について。

~~~以下本文より引用を含む

「違い」をつくる。
これが戦略の本質です。

競争の中で業界平均以上の利益を上げることができるとしたら、
それは競合他社と何らかの「違い」があるからです。

「違い」には2種類あり、
「程度の違い」と「種類の違い」です。

「種類の違い」を重視するのが表千家で、
それを「ポジショニング」と言い、
「程度の違い」を重視するのが裏千家で、
そのカギになるのは「組織能力」です。

レストランに例えると、
料理がおいしいという評判で流行っているレストランの場合
その料理を考案したシェフのレシピが優れているのか、
使っている素材や料理人たちのチームワークが良いのかもしれません。

シェフのレシピに注目するのが
「ポジショニング」(SP:Strategic Positioning)の戦略論で
厨房の中に注目するのが
「組織能力」(OC:Organizational Capability)に注目した戦略

このそれぞれをSP、OCと呼びます。

~~~ここまで引用。

この本では、さまざまな会社の事例を挙げて、
SP志向かOC志向か、という話、
セブンイレブンの仮説検証仕入れや、
あるいは、日産やマツダのV字回復の
要因をこの観点から分析している。

SP(ポジショニング)というのは、
「戦わないという戦略」であり、

OC(組織能力)は、
仕方なく戦わなきゃいけなくなったときに、
組織の能力を高めることで競争優位を確保する戦略である。

トヨタのカイゼンなどに代表されるように、
日本の製造業の多くでは、
現場から数々の作業イノベーションが起こり、
それによって競争優位を確保してきた。

一方で、新興企業は、
「ポジショニング」が非常に重要になり、
「ニッチな業界を狙え」などと言われる。

理想を言えば、
SPとOCがともに高いレベルにあり、
なおかつ、利益率の高い(参入障壁の高い)
業界にいることであるのだけど、
この考え方はすごく面白いなあと思った。

つまり、V字回復した企業は、
強いOC(厨房技術)を持っていたけど、
SP(シェフのレシピ)が弱かったところに、
リーダーシップを持つシェフ(カルロスゴーン社長など)
が来て、SPを強化することによって、
もともと力のあったOCが花開いたということになるのだろう。
うーん、面白いね、戦略論。

今回のこの本を読んで思ったのは、
「インターンシップにおける学生の機能」について。

これさ、SP(に強みを持つ)企業か、OC企業かによって
変わってくるんじゃないかなっていうこと。

振興のベンチャー企業は、SP企業のほうが多いと思う。
(独自のポジショニングが取れないとそもそも創業できないから)
いっぽうで、何代目社長です、創業天保何年、みたいな老舗企業は、
OC企業というか続いてるってことは内部に強みがあるんだと思う。

受け入れ先はどっち系の企業なのか?
あるいは、その企業における価値はどこにあるのか?

新規事業開拓(たとえば、食品メーカーで新商品をつくる)
みたいな場合は、OC企業におけるSPの強化になるんだよね。

一方で、インターンを長期的に見た場合。

ETIC.の研修に出てたごく初期の頃、
京都のIT企業の社長が言っていた。

「インターン受け入れですぐに売り上げが伸びるとか、
成果が上がるなどということはありません。
しかし、5年、10年のスパンで見た場合、
インターン生を受け入れ、彼らが成長する会社になるということは
会社にとっては大きな財産です。」

そうそう。
まさにそういうことなんだろうね。
これは、SP企業における、OCの強化ということになる。

うーむ、なるほど~。
もちろん、SPもOCも両方が優れていることが
競争に強い企業の条件なのだけど、

インターン生の役割を、どちらに位置づけるのか?
っていうのを受け入れ先の経営者と合意しているって
大事なことだなと思った。

そしておそらく、相性がいいのは、
中小企業・伝統企業でどちらかというと
OC(組織能力)に強みのある会社での、
SP(ポジショニング)戦略を進めるインターンかもしれないですね。

第2章読み終わりました。
ラストに少し怖い話を。

企業の業績が悪化したとき。
SP先行型の企業は、みるみる業績が悪化し、シェフを変えなければならなくなるが、
OC先行型の企業は、冷蔵庫の中身が時間をかけて徐々に腐っていく。

それ、まさに、日本の大手製造業で
起こっていったことなんじゃないすか。
こわい。

さて、僕は世の中にどんな価値を生めるのだろう。

読み進めます。  

Posted by ニシダタクジ at 09:36Comments(0)

2017年12月26日

あなたは何屋さんなんですか?


「ストーリーとしての競争戦略 ―優れた戦略の条件」(楠木健 東洋経済新報社)

この本、おもしろい。
なんかいい。

今日は、「機能分化」と「価値分化」の違いについて。

ガイシ系(=外資系)
っていう組織体が少しわかった気がする。

前までは、
能力主義で、ドライなんだろうなくらいしか
印象がなかったので。

欧米の会社が「機能分化」であるのに対して、
日本の会社が「価値分化」であるという説明。

ソニーがトランジスタ・ラジオを開発できた理由の
エピソードを紹介している。

~~~ここから本文より引用

ソニーの創始者、井深大さんは、トランジスタの話を聞いてすぐに、
「それは自分にとってなんだろう?わが社にとってなんだろう?」と考えている。
そして、非常に早い時期に、もう、トランジスタ・ラジオをやってみようと心に決めている。

井深さんは、ニューヨークの昼食会に招かれたとき、
「この頃何をしようと考えていますか?」と問われ、
「トランジスタでラジオをつくろうと思って」と答え、
大声で笑われたのだという。

トランジスタ誕生のあと、米国では4つの研究プロジェクトが動いていた。
1 トランジスタの性質の物理的研究
2 トランジスタの性能の改善の研究
3 トランジスタのつくり方の研究
4 トランジスタの普及のための再教育のやり方の研究

米国では、大局から方針を立て、
その方針に合った計画をつくり、それを動かす、
という方法を好む。

そういう米国の通念からすれば、
まだ未熟なトランジスタをいきなり
ラジオという商品にするというのは
夢のような話だと映ったのだろう。

ところがトランジスタ・ラジオという目標が
設定され、そこに活力が集中されたために、
問題解決のための努力が実った。

~~~ここまで本文より引用

ここで著者が説明したいのは、
「機能分化」と「価値分化」の違い。

アメリカはトランジスタの開発を
機能分化したプロジェクトそいて進め、

ソニーの井深さんは初めから自分の仕事を
「トランジスタでラジオをつくろう」
という顧客に提供する製品の価値から入っている。
そして現実にソニーはトランジスタ・ラジオの
イノベーションに成功した。

顧客がどのように使うのか、どのように喜ぶのか、という
観点から開発の基本的な方向づけがされていたことが
日本のエレクトロニクス産業が育った本質的な要因なのではないか。

なるほど。

ここから本文中では前後するのだけど、
僕のメモを

~~~以下メモ

機能と価値の違い。
「マーケティング」が「機能」であれば、
「オーディオ」という切り口は「価値」を問題にしています。

機能のお客さんは組織です。
ある人の「マーケティングの専門知識・技能」という機能は、
その人が所属する組織に提供されるものです。
その意味で、機能は組織に対するインプットです。

これに対して、
価値のお客さんはその人が所属する組織の内側にはいません。
お客さんは文字どおり組織の外にいる顧客です。

価値にコミットするということは、「こういうものをお客さんに提供したい」
というアウトプットが仕事のよりどころになるということです。

欧米では自分が組織に提供するインプット(機能)が
そのまま仕事の定義になるのに対して、
日本企業では、組織が提供する
アウトプット(価値)が人々のアイデンティティとなる傾向がある。
これが分化という組織の編成原理に注目した対比の図式です。

~~~ここまでメモ

なるほど。
欧米の企業は機能分化を文化とし、
日本の企業は価値分化を文化としている。

なるほどね。
外資系っていう世界が少しだけ理解できた気がする。

そして同時に、就活の「違和感」の原因がそこにもあるなと思った。

良い悪いではなく、
日本人は、考え方の癖として、

「価値」は何か?
というふうになっているんだ。

だから、オーディオを作っている会社で、
マーケティングを日々やっているとしたら、

「あなたは何屋さんですか?」
っていう質問に対して、
「マーケティング屋さん」ではなくて、
「オーディオ屋さん」であると答えるのが日本人「的」であるというのだ。

「マーケティング」というのは、
その人が属する組織(会社)にとっての価値であって、
「オーディオ」っていうのは、
その会社が提供する商品の顧客にとっての価値である。

なるほど。

だからさ、就活の時に、
「業種」と「職種」とかって聞かれるのって、
やっぱりちょっと違和感があるんじゃないかな?

特に「職種」っていうのは、
会社に対する機能を聞かれているわけだからね。

その会社にとってお客は誰なのか?
生み出す価値は何なのか?

そういうことをお互いにイメージする「就活」が
日本「的」なのかもしれないですね。

さて、
「あなたは何屋さんなんですか?」  

Posted by ニシダタクジ at 08:40Comments(0)

2017年12月25日

「生きる」という問い



「たたみかた」(アタシ社)
23日の鎌倉さんぽで購入しました。

今年の4月に発行された創刊号は、
福島特集。

この前、逗子であった、
10代のためのブックフェアで
「アタシ社」を知った後だったので、
ビビっときました。

まえがきでもう、問いがいっぱい。

自分の「正しさ」がどこからやってきたのかも知らないで、
他者の「正しさ」を理解しようとすることができるだろうか?
これが、私が私に投げかけた問いである。

ただ一つの「正しさ」は存在しない、という結論に至ったからこそ、
その存在しないはずの「正しさ」を探せたらなあと思うようになった。
できる限り、全ての生命が調和的に生きられるような、そんな「正しさ」。

いいな。
そうそう。
終わりのない問い、正しさ。
それは、「美しさ」と言い換えてもいいかもしれない。

そういうやつ。

巻頭に出てくる「上野」の話は
とってもグッとくる。

東北の人たちにとって、「東京」とは
上野のことだと。
長らく発着駅であった上野。

以下、本文から。

~~~以下引用

東北の、そして福島の余韻をまだちょっとだけ残した、
あの混沌の街。闇市に始まり、高度経済成長を支え、
「ヒルズ」的な商業施設を拒絶し、昭和の亡霊を一人引き受け
今ではアジアの混沌を、その深い懐の中に迎え入れている上野。
生きることの根源がそこにはあるんだ。

~~~ここまで引用

そっか。
上野ってそういうところか。
たしかに、包容力ある。

ここに出てくるアメ横の魚屋「魚草」の店主、
大橋さんのコメントが素敵だ。

「アメ横で魚屋をやるっていうのは、
矜持と忸怩を2つ持たなければいけないんだ」

いいなあって。
そこには、「生きる」っていうのがあるなあって。

キレイなだけじゃないし、
正しいだけじゃない。

そこに、自分なりの「生きる」があるのだろうなと。

そんな文を電車の中で、読んでいたら、
あ、そういえば、今日アメ横行けるなって。

常陸多賀「クリエイティブ図書館‐kazamidori」で本棚つくってから上野へ移動。

アメ横

八百屋を探したけど、魚屋さんばっかりで、
地下街でようやく発見。


めちゃアジアでした。
金額も電卓を見せられる感じです。

せっかくなので、魚草(立ち飲みは年内最終日でした)


そして、合羽橋・飯田屋さんへ。


200種類のおろし金の中から、
ジンジャーエールつかうジンジャーシロップ用の
生姜を下ろすためのおろし金を吟味!


新城劇場の麗花さんも実演!

結局、下ろし界のベンツ、に決定しました。


最後に飯田さんと!


料理人を幸せにしたい。
いい料理道具を手に持ったときの、
その「ひと手間」が、たくさんの人を笑顔にする。
そんな飯田屋さんのミッションを感じた。

暮らすこと。
食べること。
生きること。

「働くこと」も大切だけど、
暮らすこと、食べること、生きること。

そういう根源的な問いにも、
自分なりの「生きる」を探し、実践していきたい。  

Posted by ニシダタクジ at 08:30Comments(0)

2017年12月22日

もし、このプロジェクトが「アートプロジェクト」だとしたら

昨日は、
武蔵新城で川崎市とコラボした
ブックフェアのミーティング。

「多様性」「つながる」「メッセージ」をテーマに、
「次世代に残したい本」の展示を行い、
ガラスにはキットパスで絵を描く。

オープン時間の相談で、
展示のお客は誰か?
という話になった。

そうそう。
それそれ、めちゃ大事。
「お客はだれか?」っていう問い。

今回の企画のポイントは、
単なる図書館や書店の「おススメ本」を並べる絵本展示でななくて、
「次世代に届けたい本を1冊選ぶとすればなんですか?」
という問いを投げかけていること。
その「問い」部分が大切なのだなと、あらためて。

あと、自分自身で一番ビックリしたのは、
「僕はさ、アーティストだからさ」って照れることなく、
普通に話し始めていたこと。
ああ、おれ、アーティストなんだって(笑)

落選しちゃったけど、
ポーランドのアーティストインレジデンスに
応募するときに、「現代美術家」風にプロフィールを
書いてみたのだけど、

まきどき村とかツルハシブックスとか、
やっぱアートかもしれないって。

そこで思い出したのは、
2015年10月の北澤潤さんとの出会い。
http://hero.niiblo.jp/e473298.html
(「当たり前を揺るがすこと」2015.10.3)

デザインの役割は、課題を解決すること
アートの役割は、問いを投げかけること

ああ、それなら僕もアーティストだ。
と思って、「現代美術家」の名刺をつくった。

この道20年。
1999年4月に「まきどき村」を始めてから
僕は現代アートをつくっていたことになる。

まきどき村は、
僕の中の問題意識が結晶した畑アート。

「豊かさとは何か?」
という大学1年生以来の問いに
みんなで畑をやるというアウトプットを出した「作品」だ。
問いが詰まっている。

さて、武蔵新城ではどんな場、作品を
つくっていくのか?
っていう自分たち自身への問い。

そんな問いを持ちながら、毎朝の電車読書。


「ストーリーとしての競争戦略 ―優れた戦略の条件」(楠木健 東洋経済新報社)

まだまだ序盤なのだけど、
「なぜ、ストーリーか」っていうのが熱かったので、
こちらにメモする。

~~~以下本文より一部引用メモ(省略・改変あり)

ある登山隊がピレネー山脈で雪崩に遭遇し、
隊員は一時的に意識を失い、意識が戻った時には
背負っていた基本的な装備を失っていました。

ポケットの中にもほとんど何もないどころか、
コンパスも失っていました。
もう生きて帰れない、どうやって山を下るんだ、と絶望します。

そんなとき、ある隊員のポケットから1枚の地図が出てきました。
これを見ているうちにどんどん元気が湧いてきて、

尾根がこうなっているなら、このあたりにいて、
太陽の位置からこう行けば下山できるのではないか、
と地図の上に道をつけていきました。

つまりストーリーを組み立て、
それを共有したわけです。

登山隊は、地図の上につけた道筋を信じて、
奇跡的に下山に成功しました。

この話にはオチがあります。

救助隊を組織した人々は
登山隊と連絡も取れず生還は絶望的だと思っていました。

そこに登山隊が生きて帰ってきたのです。
びっくりして尋ねました。
「あの状況で、いったいどうやって戻ってこられたのですか?」

リーダーは一枚の地図を取り出して答えました。
「この地図のおかげで助かりました。」

救助隊は笑って言いました。
「こんなときによくそんな冗談を言う余裕がありますね。
これはアルプスの地図じゃないですか・・・」

驚いた登山隊のリーダーが自分たちが道筋を
つけた地図を改めてよく見ると、
それは実はピレネーではなくアルプスの地図だったというのです。

~~~ここまでメモ

この衝撃のエピソードから
楠木さんは次のように言います。

▽▽▽ここから本文より引用

これがこの話の一番重要なポイントで、
ストーリーとしての競争戦略の一つの本質を
物語っているのではないかと私は思います。

つまり、戦略ストーリーというのは
きわめて主体的な意志を問うものだということです。

言い換えれば、戦略ストーリーは、
前提条件を正確に入力すれば、
自動的に正解が出てくるというような
環境決定的なものではないということです。

(中略)

未来はしょせん不確実だけれども、
われわれはこの道筋で進んでいこうという明確な意志、
これが戦略ストーリーです。ストーリーを語るということは、
「こうしよう」という意志の表明にほかなりません。
「こうなるだろう」という将来予測ではないのです。

意志表明としてのストーリーが組織の人々に共有されている
ということは、戦略の実行にとって、決定的に重要な意味を持っています。
なぜならば、ビジネスは総力戦だからです。

自分が確かにストーリーの登場人物の一人で
あることがわかれば、その気になります。
こうしてビジネスは総力戦になるのです。

△△△ここまで本文より引用

ストーリーとは「意志の表明」である。
いやあ、そうですよね。
感覚的にはその通りだなあと。

そして、そのストーリーを共有するから
チームメンバーのモチベーションが上がり、
プロジェクトやビジネスが前に進むのだろうなと思った。

昨日のミーティングで言えば、
まるラジの朗読やキットパスでの絵を描くこと
をひとつのストーリー
(昨日は、4月のリニューアルオープン後に
定期的に同様のことを開催する、など)

に作り上げていくことで、
みんなが前に進んでいくのだろうと思った。

もし、このプロジェクトがアートプロジェクトだとしたら
僕たちが来場者や関係者に
投げかける「問い」とはいったいなんだろうか?

そんな問いが生まれた
ミーティングでした。

ありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 08:05Comments(0)日記

2017年12月20日

人とストーリーと経営とアート

つくばプレイスラボにお邪魔したら鍋を
ごちそうになっちゃいました。
熊本の素晴らしい米焼酎も。





鍋はフードコーディネーターの
さおりさんが作ってくれるめちゃ美味い
鳥団子→豚肉→ネギ
という3回変わる鍋でした。感動。

締めはなんと。
スペシャルゲストの珠理ちゃんが
もってきてくれた「BAKE」のチーズタルト。
そして、
もとカフェ経営の堀下さんの淹れるコーヒー。

至福すぎるひとときでした。
ホント、ありがとうございました。

でもって、
今更ながら読み始めたのがこの本。


「ストーリーとしての競争戦略 ―優れた戦略の条件」(楠木健 東洋経済新報社)

前から読みたかったのだけど、
ようやく手に入りました。

まだ冒頭なのですが、
一部抜粋して。

~~~ここから抜粋

要するに、無意味と嘘の間に位置するのが論理なのです。
経営や戦略を相手にしている以上、法則成立は不可能です。
しかし、それでも論理はある、「論理化」は可能だという主張です。

戦略はサイエンスというよりもアートに近い。
優れた経営者は「アーティスト」です。
その会社のその事業の文脈に埋め込まれた
特殊解として戦略を構想します。
それが優れた戦略であるほど、
文脈にどっぷりと埋め込まれています。

サイエンスの本質が「人によらない」ことにあるとすれば、
戦略はサイエンスよりもアートに近い。

戦略は因果論理のシンセンス(綜合)であり、
それは「特定の文脈に埋め込まれた特殊解」
という本質を持っています。

優れた戦略立案の「普遍の法則」があるえないのは、
戦略がどこまでいっても特定の文脈に依存したシンセンスだからです。

~~~ここまで抜粋

昨日の堀下さんの顔が浮かんだ。
そして、あの場を構成したみんなの顔も浮かんだ。
たまたま、居合わせた「お客さん」として居た2人の顔も。

「コワーキング・スペース」
ってそういうことなのか、って。

あの日、居合わせた偶然から
出てくるアイデアや発想。
それをつなげるストーリー。
「場」とはなんだろうっていう問い。

ストーリー(論理)をつくるチカラ。
これが戦略にとって大切なんだなと。

まずは、ひとりひとりのWHYを掘っていくこと。
場の持つチカラを活かすこと。

まだまだもやもやしているけど、
心地よいもやもやです。  

Posted by ニシダタクジ at 07:45Comments(0)

2017年12月19日

テクノロジーを巴投げする(笑)

木更津高校バスケ部の同級生の潤くんとごはん。
いや、いい時間だった。

ソフトウェアの会社を経営しながら、
小中学生向けのプログラミング教室を
開いているのだという。
小学生向けのプログラミング教室、僕も通いたい。

~~~以下、メモより。

パソコンは道具だ。
プログラミングは、
パソコンを「道具」としてどう使うか?
という可能性をみせてくれる。

そこで、問うのだ。
あなたは、パソコンという道具を使って
何をしたいの?と。

IT(情報技術)もAI(人工知能)も
道具に過ぎない。

AIに仕事を奪われる。
あるいは、AIが人間行動を管理するようになる。
実はそういう議論というか結果が大切じゃないんだと。

30年前にパソコンが登場したのと同じ、
「インフラ」であるだけだ。

パソコンは
コミュニケーションインフラとして機能した。

ツイッターはなぜ流行ったのか?

140文字という「制限」をした

フェイスブックは何をしたのか?

個人を「特定」した。

つまり、ツイッターもフェイスブックも、
パソコンやインターネットという無限のインフラを、
テクノロジーの機能を、「限定」したんだ。

その「限定」によって、
人と人が「つながれる」ことを生み出した。

なるほど。
そういうことか。

だから、プログラミングは鉛筆削りのナイフ
のようなものだと。
道具に過ぎないんだと。

使うその人が何をしたいか?
お客に何を届けるか?
その問いが大切なんだ。

~~~ここまでメモより

最後に駅に向かいながら、話していたのは、
同じアウトプットを出さなければいけない仕事
=コンビニの店員とか、タクシードライバーとか
はもちろんAIに取って代わられるだろう。
って話。

それって、
チェーン店で本部一括仕入れの本屋の店員もそうだなと。
それってアマゾンのほうが100倍いいなと。

「AIに仕事を奪われる」
とか無駄に恐れていないで、

AIとは何か?
テクノロジーとは何か?
を問いかけることが大切なんだなと。

ということで、
昨日に引き続き、
向かう電車の中で読んでいた本より。


「結論は出さなくていい」(丸山俊一 光文社新書)

~~~以下本文より引用

右も左も、政治も文学も、いつの間にか軽々と越えていく妙が、
じつに楽しいのだ。辛気臭くも、高尚でもない。
人間が生きている。思考している。精神が運動している。

そして何より素晴らしいのは、柔道の巴投げよろしく、
お二人とも挑みかかっては投げ飛ばされることを
楽しんでいるように見えることだ。
対話に奥行きがあり、柔らかさがある。

「分かる」の語源は「分ける」で、つまり分類することで整理され、
「わかった」につながるということ。
その分類の基準は人それぞれ。
それぞれ勝手に「分けている」可能性もあるわけだ。

裏を返せば、「わかりやすく」と人に求めることは、
自分の分類の基準に入るようにしてくれ、という意味になりかねない。
それは、可能性の半分を失う行為でもある。
他者の発想の基準を発見し、学ぶ機会を失いかねないことでもあるのだから。

「わからない」状況は、もっと楽しまれてもよい。
昨日まで自分を支えていた「わかり方」が壊され、
少しずつ再構築されていく感覚は、快感でもあると思う。

このゆらゆらこそが、その気になれば常にいつも、
ありえたかもしれない世界の可能性への想像力を担保してくれているのだから。
ゆらゆらしていてもいい。言葉にならなくてもいい。

~~~ここまで本文より引用

いいっすね。
なんか。
「分からない」まま、受け入れるっていうこと。

他者も、テクノロジーも、
「わからない」状況を、もっと楽しめたらいい。

テクノロジーに対峙するのでも
単に利用するのでもなくて、
「巴投げ」よろしく、一緒に時代という大空に
投げ飛ばしてしまいたいと。

そういう意味では、
潤のやっているプログラミング教室と「本屋」は、

「問い」やミッションが近いかもしれないなと思った。

世界の広さと、可能性を見せる。

ありかもしれないですね。
次は昼間に会いましょう。
いい時間をありがとう。  

Posted by ニシダタクジ at 08:03Comments(0)日記

2017年12月18日

海図は必要だが、航路を決めすぎてはならない


「結論は出さなくていい」(丸山俊一 光文社新書)

「ニッポンのジレンマ」をはじめ、
問いを放つ番組をつくるNHKプロデューサー
丸山俊一さんの最新刊を読み始めました。

実は、前著の「すべての仕事は肯定から始まる」(大和書房)
に感激して、去年の2月頃、時間を作ってもらい、
お話をさせてもらったことがある。

僕はこの本の中で、本屋である意味を確認させてもらった。
http://hero.niiblo.jp/e475347.html
(素直で謙虚でありながら権威を疑うこと 2015.12.16)

「僕たちは、ある時代ある場所に選択を許されることなく、生まれ落ちます。
そこには過去の歴史があり、その場所の制約の中での位置づけがあり、
ひとつの座標軸の中に立つわけです。
そうしたとき、時間の流れを把握し、空間の広がりを意識した上で、
その座標軸の中でものごとを捉え、考えなければならない。

つまり、そのとき大事なのは、どんな状況に置かれても、
自分の立っている場所を相対化して考えることができるような視野の広さと、バランス感覚、
何よりもそうした思考法、センスを身につけることこそが最大の武器になるのだと思います。」

そうそう。
それが本屋の使命のひとつですよね、と。

さて、今回のこの本。
冒頭から、シンプルに時代を表していて、
とってもドキドキさせられます。

~~~以下、まえがきより引用

「正解のない時代」と言われて久しい。
幸せの形を人々が共有することが難しくなったかに見える時代。

多様性が叫ばれ、叫ばれれば叫ばれるほどに、
現実にはそれが実現していないことを証明しているかに思える時代。
ひとつのレールから降りることがプレッシャーとなり、
多くの人々を縛っているかのごとく感じられる時代。

そんな時代に生きるからこそ、自らの心、意識、
そして無意識のあり方までを丁寧に見つめ、
自分自身と対話することが重要になる。

~~~以上、まえがきより引用

そうそう。
そうだわ。

「多様性」が叫ばれれば叫ばれるほどに
現実にはそれが実現していない。

無言のムラ社会的な同調圧力が
呪いのように多くの人を覆っているように見える。

丸山さんがつくってきた番組の多くが
「教養」と「笑い」の掛け算
なのだという。

そこには決まった結論は存在しない。
出演者の人たちが展開する話を、
見守っていくことだ。

「あるひとつの枠組みの中で自足してしまったり、
自分というものを固定化させてしまうことなく、
他者の声に耳を傾け、変化を楽しみ続ける、柔らかな思考だ」

「結論を出すという不自由さが逃れた時、
人は自由になれるのだ。
思考の運動に身を委ねていけるのだ。
生きていくということは、そうした発見の連続ではなかったか?」

「企画段階の文章は、徐々に書き換えられ、
台本は「捨てるべきハシゴ」となってしまう。」

なるほど。
そして言う。

企画の哲学からブレず、同時に、
多くの人々が関わって転がしていくうちに
成長していく番組の生命力を維持していくためには、
海図は必要だが、航路を決めすぎてはならない。

そうね。
これだね。
ホント、これ。

海図は必要だが、航路を決めすぎてはならない。

いまの世の中は、
高校3年生や大学3年生に
「航路を決めろ」と迫っているのではないか。

また、丸山さんは、この本のなかで、
大学生の安易な「インターンシップ」志向について
警鐘を鳴らす。

▽▽▽以下本文より引用

なんでも体験して、幅を広げて・・・とは、
耳ざわりはよいけれど、さしたる考えもないうちに、
あるひとつの特定の企業の風土、
仕事の流儀、さらには市場の論理に
どっぷりとつかってしまうことが、
むしろ視野狭窄を生んでしまう可能性もある。

「積極的」「体験主義」のプラスとマイナスは、
よく見極めたほうがいい。
インターンシップの間は、当然ながら、
大学生活はかなりの制約を受ける。

講義や、友だちとの交友、キャンパス内で
過ごして学問の基礎や原理を学び、
考える時間はかなり削られることになるだろう。

もちろん、夏休みなどを利用して短期で
さまざまな世界、ビジネスの現場などを垣間見ることには、
メリットもある。

しかし、それは自らの資質や、価値観を
見つけ出すためのものだ。
さまざまな企業の価値観を比較することが
できるような幅のある体験であってほしいし、
そのためにはキャンパスという
空間での思考の軸も失わないように注意したほうがいい。

(中略)

時代の激変期だからこそと焦る気持ちはよく分かるが、
やはり学生時代にこそ、自らの頭で考え、
自らの心と対話するゆとりを持ち続けたいものだ。

学問というものに耽溺すると、
「問い」続ける力が要請される。
原初的な「問い」を考え続ける力でもある。

△△△以上本文より引用

そうそう。
「インターンシップ」だけでなく、
「問い続ける力」をつけること。
これが大切なんだよね。

進路の検討・進路の選択とは、
単に乗る船を決めることではなく、

目的地や方向性を決め、
方角を指し示すコンパスを手に入れ。
そのための地図を描くことなのだろう。

目的地や方向性が決まっていれば、
航路や乗る船はいつでも変更できる。

2年前のブログと同じ結論になってしまうけど、

志向し続けること。
思考し続けること。
試行し続けること。

そうやって、自分の海図を手に入れること。

そのための「本屋じゃない、何か」になりたい。  

Posted by ニシダタクジ at 08:32Comments(0)

2017年12月13日

facebookの告知が「顧客」に届かない理由

昨年11月のツルハシブックス閉店から
学んだことはたくさんあるけども、

いまだに越えられないのが、
「居場所のジレンマ」だ。

http://hero.niiblo.jp/e482717.html
(2016.11.7 居場所のジレンマ)

この1年のあいだにも、
たくさんの「場」を運営している人たちに
話を聞いたけど、
共通する課題を持っているように思う。

それは、
居心地のよい「場」をつくり、継続して運営していくと、
そこを「居場所」として利用する人が増えてしまう。

「居場所」は内向きのエネルギーを持ち、
初めての参加者が入りにくい雰囲気を持ってしまう。

つまり、その「場」
初めての人にとっては居心地の悪い「場」になる。

そういう意味では、
「本」というのは、「諸刃の剣」であるのかもしれない。

「本」を通じて、人と人がつながるツールにもなるのだが、
一方で、そもそも「本」というのは内向きのツールであるから、
そういうキーワードで人を集めようとすると、
内向きの人が集まってしまうかもしれない。

「facebookを見てるのは、暇なおじさんだけだよ。」
って誰かが言っていた。

実際東京の本のイベントに来ている20代に
話を聞いてみると、友人経由ではない場合、
peatixの告知でっていう人が何人かいた。

一方で、
ツルハシブックスでも陥っていたのだけど、
facebookで公開イベントを告知すると、
若者向けのイベントなのだけど、
「暇なおじさん」が集まってしまう、
という現象が起こっていた。
いや、それが「面白いおじさん」であればいいのだけど。

イベントが「顧客」に届いていない。

それは、もしかしたら、
facebookという広報ツールがいけないのかもしれないなと思った。

https://hachi-style.com/take-a-chance/
チャンスを掴むのはチャンスを掴む準備をした人だけ
(8STYLEより)



イノベーター理論で行くと、
すでにfacebookというメディアのユーザーが
アーリーマジョリティ領域を超え、
レイトマジョリティ領域まで進んで行ってしまったのではないか、
ということが言えるかもしれない。

アクティブユーザー数が2800万人ということは、
ネット人口1億人のうちの30%に満たないのだけど、
(ネット人口にはメール送受信のみという人を含む)
そんな感じする。

そもそも「マジョリティ」とは、
「みんながやっているからやる」というメンタリティを
持っているからこそ「マジョリティ」なのである。
(これは別にいい悪いではない)
必然的にそのエネルギーは内に向かう。

マジョリティであることが心地よいのだ。

ところが、
アーリーアダプターは違う。少数であることを苦にせず、
新しいもの、外にあるものを積極的に取り入れようとする。

僕の中で日本最高のアーリーアダプターは、
長野・上田の柚木真くんなのだけど、
彼の活動は見ているだけで、
僕にとってはエンターテイメントで、うらやましくなる。

柚木くんの脳みそに、
僕のカラダというか、時間を含めて、
委ねてみたくなって、
「ゆのたく」という活動を開始してみようと思う。
(ゆのきのアタマとタクジのカラダ)

さて、
タイトルの課題について戻ると、

facebookでの告知をがんばればがんばるほど、
それは、レイトマジョリティを拾ってしまうのではないか。

そして、SNS上のレイトマジョリティには、
「暇なおじさん」「ちょっと面倒なおじさん」
が割合的に多いのかもしれない。

なぜなら、
「面白いおじさん」は、アンテナが高いので、
いろんなネットワークがあって、
他のイベントに出ているから。
(そのおじさんはそもそもアーリーアダプターである)

そして、その人たちは、
そのイベントそのものや、
あるいはその「場」に対して、
「居場所」感を抱いてしまう。

人間はおそらく本能的に、
「居場所」を欲しているから、
そこに行かないといけないようになる。

こうして「場」が「居場所」感に
支配されることで、「場」の力は急速にダウンしていくし、
初参加の人にとっての魅力を失っていく。

さて。
この仮説が合っているとすれば、

facebookでの公開イベントを打つことは
諸刃の剣であると言えるだろう。

「より多くの人を集めたい」というのと
「レイトマジョリティなおじさんが来てしまう。」
というのがセットになってしまうからだ。

しかし、この仮説には、地域によって違いがある。

茨城の水戸や日立、このあいだお邪魔した岐阜なんかでは、
まだ、facebookコミュニティの中のアーリーアダプターの割合が高いので
公開イベントを打つことが楽しい空間をつくることになる。
(ちなみにこれは、クラウドファンディングの地元支援率とも連動している気がする)

新潟でも、ツルハシブックスが始まった当初はまだ
mixiからfacebookへの移行期だったので、
そこに集まってきた人は面白い人が多かった。

しかし、4年目、5年目になると、
「居場所」問題が顕在化した。

つまり、facebookの普及率というか、浸透率というか、
あるいはそのコミュニティの拡大率というか、
そういうものによるのかもしれない。

東京などは母数が多いこともあって、
そういうことが起こりやすくなってしまうかも。

じゃあ、これからどうすればいいのか。

これが課題だ。

考えるべきことは2つだ。
1 「顧客」に届ける告知ツールを考える。
2 「場」を「居場所」化しないデザインを考える。

まず1は、
facebookという告知ツールを使わないというか、
たぶん「公開イベント」という形をとることは、
リスクが伴うので、ほかの告知ツールを選ぶか、
直接メールするとか、チラシにふたたび戻るとか。

あるいは、「場」そのものを固定せずに、
流動的なものにするか、
(塩尻の山田くんがやってるみたいな
何月何日汐留、みたいなイベントをやるとか)

または、そういう「レイトマジョリティ」なおじさんも
受け入れることができるデザイン
(たとえば、畑に隣接するとかで作業場をつくる)

「畑のある本屋」
っていうのは、そのひとつのソリューションなのかもしれない。

僕としては、どうせやるなら、
化学反応やイノベーションの起こる場にしたいと思っているので、

そのためには、
・多様性の許容(それは違和感の許容でもある)
・フラットな関係性
・掛け算の発想

それができるような「場」とは、なんだろうか。
そんな問いを考え続けていきたい。  

Posted by ニシダタクジ at 08:17Comments(0)日記

2017年12月12日

目標の先にあるもの

1964年東京オリンピック。
1970年大阪万博。

そして

2020年東京オリンピック・パラリンピック
2025年大阪万博

また、やってくる。
はたして、オリンピックや万博が
夢を与えてくれるのだろうか。

いや、そもそも、
夢は与えてもらうもんだろうか?
元気や勇気は人からもらうものだろうか?

そういう僕自身も
1985年のつくば科学万博に行ったことで、
白衣来て仕事する、みたいな
理系のカッコよさ的なものに目覚めた気がする。
(いまは人と人の化学反応を作るのが楽しくなっている)

オリンピックや万博そのものが
夢や希望を与えてくれたわけではないだろうと思う。

昨日、人生初・東京タワー。







1958年竣工。
映画「三丁目の夕日」には、
だんだんとタワーが完成していく様子が描かれている。

あのときは、
みんなが、「その先」を見ていた。
東京タワーがゴールではなかった。

そんな熱がまだ感じられる鉄骨だった。
シンプルな「機能美」があった。

いま、
オリンピックや万博の「その先」を
見せられるのだろうか。

いや、
おそらくは見せられるのだろう。

「その先」に共感できるかどうか別にして。

価値観は多様化した、というより
そもそも価値観は多様である。

戦後復興。
追いつけ、追い越せ。
今よりももっと豊かに。

そんなフレーズにみんなが乗れた時代は
幸せな時代だ。

いまは、もう一度ローカルはローカルで、
自らの「その先」を考えなければならない時代。

目標の「その先」を
語り合い、描いていけるような、
そんな場をつくりたいかな。  

Posted by ニシダタクジ at 07:58Comments(0)日記

2017年12月11日

瓶の中に紙切れを入れ、封をして海に流すことだけ

「暗やみ本屋ハックツ」の
2017年度振り返り+忘年会でした。

サンクチュアリ出版副社長の金子さんと
ブックスタマの社長の加藤さんと
トーハンの水井さんと僕の
おじさん4人ではじまったプロジェクト。

上石神井の本屋「ブックスタマ」(現在は閉店)
の会議室を拠点に、2015年3月に活動を開始。

4月にクラウドファンディング。
6月から工事を行い、9月にオープンした。



代表は宮本明里さん。
新潟・ツルハシブックスの地下にあった
「地下古本コーナーHAKKUTSU」の東京版。

プロジェクト名(店名)を
「暗やみ本屋ハックツ」とした。
月に1度だけオープンする古本屋さん。

いちばん議論したのは、
20代までにするか、思い切って10代限定にするか。

もともと、
ハックツには、
「10代(特に中高生)に本を読んでほしい」という思いが詰まっていた。

だから、
価格設定は20代300円、10代200円、中高生は100円だった
(つまり、小学生は200円)

思い切って10代に絞った。
コンセプトは、「10代に本を通じて、手紙を届ける」

手紙とは、手書きのメッセージと本そのもの。
10代に読んでほしい本をメッセージと共に、
暗やみ本屋に託す。

10代がやってきて、
懐中電灯を頼りに、1冊の本を探す。
目の前に飛び込んでくる手書きのメッセージ。

ピンと来た本を買う。
そういう仕組みだ。

そして、もうひとつ、
本の集め方。

通称「10代に贈りたい本」寄贈本読書会
っていうのを毎回営業後の空間で行い、
商店街で買い出ししてきたごはんをみんなで食べた。


この「10代に向けて」っていうのが、
普通の読書会(あまり出たことないけど)

オープンマインドを作るために
有効なツールであることを知った。

僕は、知らない本を説明されても、
あまり心が動かないのだけど
(特にファンタジーやSFはイメージが湧かない)

なぜ10代に贈りたいのか?

っていうテーマだと、
その人自身のストーリーが語られるので、
聞いていて面白いのだ。

そして昨日、
2017年のふりかえりと今後の展望ミーティング


2017年は「暗やみ本屋ハックツ」にとっては
大きな動きの年となった。

ブックスタマ上石神井店の閉店に伴い、
場所そのものが使えなくなったのだ。

移転先を探していた時に、
ハックツのチラシを置かせてもらっていた
cafe30の店主さんが、
「月に1度、使っていいですよ。」と言ってくれ、
春からそちらを会場に開催していた。

そして、代表の宮本さんが転勤となり、
2015年当初は大学生だった原さんにバトンタッチ。

そして、この秋、
cafe30がビルの建て替えのため、
使えなくなり。

先月は雑司ヶ谷イベントに出店、
来年3月には、関町図書館とコラボイベントをすることになっている。

そこで、
特に練馬区近郊に地縁のある方に、おたずねします。

・月に1度、「暗やみ本屋ハックツ」を開催させてくれる場所
(1回限りの開催でもありがたいです)
・ハックツ用の本やノボリなどを保管させてくれる場所

を探しています。

現在、中学生高校生スタッフが活躍しているので、
上石神井近辺より自転車でいける場所を探しています。

もし、心当たりのある方は、西田までご一報ください。

2017年度振り返りでは、

「固定の活動する場所がほしい」

っていう声が出た。
たしかにそうだ。

そこに行けば、という場所があることは、
活動にとってとても大切だ。

一方で、場所がないことで、
いろんな場に出ていくことができる。

スタッフにとっては、
ミーティングなどをしたりする場所が
心のよりどころになったりする。

また、寄贈本を集める時も、
その場所で読書会を開催できれば
その場所に置いておけるが、違う場所であれば
保管場所まで運ばなければならない。

一方お客である10代にとってはどうだろうか。

固定の場所に集まってくる中高生がいる。

同じ場所で開催することで
徐々に心を開き、中高生がスタッフと談笑する姿を
何度も見てきた。

しかし、本質的には、
「暗やみ本屋ハックツ」の活動は、
「機会提供」である。

その日、偶然にも、
暗やみで、本を見つけ、購入して、読んでみた。

その日、偶然にも、
店番をしていたスタッフのお兄さんと話をしてみた。

そんな機会の提供であり、
その結果、10代がどうなるか?は
第一義ではない。

「機会提供」そのものに価値があると僕は思っている。

だからいつも、取材のときは困った。
「ハックツした若者にどうなって欲しいですか?」

別にどうなってもほしくない。

ただ、本との出会い、人との出会いを提供したい。
それがすべてだ。
そんなことをミーティングで確認した。

話はその8時間前にさかのぼる。



僕はハックツの荷物の運び出し向かっている電車の中で、
1冊の本を読み終えようとしていた。


「断片的なものの社会学」(岸政彦 朝日出版社)

この一節がとっても素晴らしくタイムリーだったので、
少し引用したい。

~~~ここから引用

何も特別な価値のない自分というものと、
ずっと付き合って生きていかなければならないのである。

かけがえのない自分、というきれいごとを歌った歌よりも、
くだらない自分というものと何とか折り合いをつけなければならないよ、
それが人生だよ、という歌がもしあれば、ぜひ聞いてみたい。

ただ、私たちの人生がくだらないからこそ、できることがある

賭けに勝ったとき手に入れるのは、「何ものかになれた人生」である。
そして負けたときに差し出すのは、「何ものにもなれなかった人生」そのものである。

もしこのとき、人生そのものが、とてつもなく素晴らしい、
このうえなく価値のある、ほんとうにかけがえのないものだったら、どうなるだろう。
誰もそれを、自ら捨てようとはしないだろう。

さて、「天才」がたくさん生まれる社会とは、どのような社会だろうか。
それは、自らの人生を差し出すものがとてつもなく多い社会である。

神ではない私たちは、それぞれ、
狭く不完全な自分という檻に閉じ込められた
断片的な存在でしかない。

そして、私たちは小さな断片だからこそ、
自分が思う正しさを述べる「権利」がある。
それはどこか「祈り」にも似ている。

その正しさが届くかどうかは自分で決めることができない。

私たちにできることは、
瓶の中に紙切れをいれ、
封をして海に流すことだけだ。

それがどこの誰に届くか、
そもそも誰にも届かないのかを
自分ではどうすることもできない。

~~~ここまで引用

いいな、この本。

ハックツの活動に無理無理キレイにつなげようと
するならば、

「10代の誰かのために」
差し出された1冊の本は、

その人の人生の一端であり、
その人の祈りであり、「正しさ」でもある。
(僕は「正しさ」よりは「美しさ」っていう言葉を使いたいけど)

私たちにできることは、
瓶の中に紙切れをいれ、
封をして海に流すことだけだ。

そうそう。
ハックツっていうのは、そういう活動だし、
そこに共感した人たちが集まってきている。

実は、世の中という大海原には、
たくさんの紙切れの入った瓶が漂っている。

それにどう気づくか、
それをどのように拾うか。
どうやって開けるのか。

そんなことをデザインしていくこと。
ハックツに課せられた問いは、きっと、そういうことなのだろう。

暗やみ本屋ハックツのみなさん、
1年間、ありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。

  

Posted by ニシダタクジ at 08:33Comments(0)思い

2017年12月09日

正しいことをしたければ、偉くなれ。


「青島よ。正しいことをしたければ、偉くなれ」(「踊る大捜査線」より)


世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?
経営における「アート」と「サイエンス」 (山口周 光文社新書)
いよいよ最終章「どう美意識を鍛えるか?」

最後まで熱かったっす。

「なぜ、本屋なのか?」
ってよく聞かれるのだけど、
それに対してのひとつの仮説が書かれてるし、
そこには非常に大きな共感があった。

ひとつは、「哲学」についての話。

~~~ここから一部引用

海外のエリート養成では、まず「哲学」が土台にあり、
その上で功利的なテクニックを身につけさせるという
側面が強いのに対して、日本では、土台となる部分の
「哲学教育」がすっぽりと抜け落ちていて、
ひたすらにMBAで習うような功利的テクニックを学ばせている。

哲学からの得られる学びには大きく3種類ある。

1 コンテンツからの学び
2 プロセスからの学び
3 モードからの学び

コンテンツとは、その哲学者が主張した内容そのもの、
プロセスとはそのコンテンツを生み出すに至った気づきと思考の過程、
モードとは、その哲学者自身の世界や社会への向き合い方や姿勢

現代社会を生きるエリートが、
哲学を学ぶことの意味合いのほとんどが、
実は過去の哲学者たちの「1.コンテンツ」ではなく、
むしろ「2.プロセス」や「3.モード」にあるということです。

「真に重要なのは、その哲学者が生きた時代において支配的だった考え方について、
その哲学者がどのように疑いの目を差し向け、考えたかというプロセスや態度だからです。」

その時代に支配的だったモノの見方や考え方に対して、
批判的に疑いの目を差し向ける。
誤解を恐れずに言えば、これはつまりロックンロールだということです。

「哲学」と「ロック」というと、何か真逆のモノとして対置されるイメージがありますが、
「知的反逆」という点において、両者は地下で同じマグマを共有している。

哲学を学ぶことで、「無批判にシステムを受け入れる」という「悪」に、
人生を絡めとられることを防げるということです。

エリートというのは、自分が所属しているシステムに最適化することで
多くの便益を受け取っているわけですから、
システムを改変することのインセンティブがないわけです。

システムに最適化すること自体は、批判されるべきことではありません。
かつての歴史においても、現代においても、
システムに最適化すること自体を否定し、いわばシステムの外側から
遠吠えのようにシステム批判を繰り返している人はたくさんいます。

しかし、ではそういう人たちが、
実際にシステムを改変できるだけの権力や影響力を持てたかというと、
残念ながらそういうことはほとんどありません。

システムの内部にいて、これに最適化しながらも、
システムそのものへの懐疑は失わない。
そして、システムの有り様に対して発言力や影響力を
発揮できるだけの権力を獲得するためにしたたかに動き回りながら、
理想的な社会の実現に向けて、システムの改変を試みる。
これが現在のエリートに求められる戦略であり、
この戦略を実行するためには、「システムを懐疑的に批判するスキル」としての
哲学が欠かせない、ということです。

おれたちはみんなどぶの中を這っている。
しかし、そこから星を見上げている奴だっているんだ。(オスカー・ワイルド)

~~~ここまで引用

なんか、そうだなあって。

踊る大捜査線の名ゼリフ
「正しいことしたければ偉くなれ」
を思い出した。

そうなんだよ。
社会を変えるには、システムの内側にいて、
そのシステムを修正していける人が必要なんだ。

僕はそのプレイヤーにはなれないけど、
そういう人たちに、本という機会を提供することはできる。

エリートたちに、問いを生んでもらう本屋。
エリートの卵である大学生に、問いを育む本屋。

社会システムに対するロックンロールを
奏で、歌えるようなエリートを生んでいきたい。

僕の社会へのアプローチは、
今のところ、そういう感じです。  

Posted by ニシダタクジ at 08:29Comments(0)

2017年12月08日

美意識とクリティカル・シンキング


世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?
経営における「アート」と「サイエンス」 (山口周 光文社新書)

いやあ、ホント、いい本。
僕にとってめちゃめちゃ刺さる。
グサグサくる。
ドキドキするわ、ほんとに。

昨年の「コミュニティ難民のススメ」以来の衝撃。
タイムリーな本をありがとうスタンダードブックストア。

~~~今日のメモ

「イノベーションが競争の鍵だ」ということを誰もが言うようになったということは、
つまりすでにイノベーションは競争の鍵ではない、ということでもあります。

競争戦略というのは差別化を追求するわけですから、
皆が同じ目標を掲げて走っているという現在の状況の先に、
大きな見返りがあるとは考えられない。

問題になるのは「イノベーションのその先」に何を追求するか、ということです。
このパースペクティブを持たないままに、
「イノベーションの実現」だけをゴールに走るのは非常に危険だと思います

世界観とストーリーは決してコピーすることができない。

デザインとテクノロジーはコピーできるが、ストーリー性だけは、
コピーされてもオリジナル価値が揺るがない最後の価値である

アカウンタビリティとは要するに「言語化できる」ということであり、
言語化できることは全てコピーできるということです。

ノート型パソコンというイノベーションを生み出したのは東芝でした。
優れたイノベーションは、それが優れていればいるほど、即座にコピーされることになります。
デザインとテクノロジーはサイエンスの力によって容易、かつ徹底的にコピーすることが可能だからです。

人生を評価する自分なりのモノサシを持ちなさい

これからのビジネスリーダーの素養として、最も重要な要素は何か
それはセルフアウェアネス=自己認識である。
つまり、自分の状況認識、自分の強みや弱み、
自分の価値観や志向性など、自分の内側にあるものに気づく力のことです。

「システムに良く適応する」ということと、「より良い生を営む」というのは、全く違うことだからです。

「誠実性」というコンピテンシーを高い水準で発揮している人は、
外部から与えられたルールや規則ではなく、
自分の中にある基準に照らして、難しい判断をしています。

「悪とは、システムを無批判に受け入れることである。」ハンナ・アーレント

「悪」というものが、システムを受け入れ、それに実直に従おうとする「誠実さ」によって、
引き起こされるものだとすれば、私たちは、「悪」に手を染めないために、どうすればいいのか?

「システムを相対化すること」しかありません。

自分なりの「美意識」を持ち、その美意識に照らしてシステムを批判的に見ることでしか、
私たちは「悪」から遠ざかるすべはないのです。

一方でシステムから排除されてしまえば、社会的な成功を収めることは難しい。
ここに私たちが向き合っている大変難しい問題があります。

「システムを批判的に対象化する」ということは、
そのまま「システムを全否定する」ことを意味するわけではありません。

システムを修正できるのは、システムに適応している人だけです。
つまりエリートの役割なのです。

~~~ここまで今日のメモ

やっとタイトルの意味が分かった。
エリートこそがシステムを修正できる。
そしてそれに気づくのは美意識の力だ。

オウム真理教事件が引き起こされたのは、
システムへの過度の適応と美意識の欠如だった。

美しさを鍛えながら、
クリティカル・シンキングというか、
相対的にシステムを見ることが必要だ。

本を読み、美意識を磨き、
目の前のことをどう感じるのか、
表現していくこと。

それは本当ですか?
と問いかけること。

たとえば、
「自分に自信がない」っていうのは
ダメなことだと思えるけど、
それは本当にダメなことなのか?

ひとりでは何もできない。ということは、
言い方を変えれば、
必ず誰かと一緒にやるということ。

それっていま、むしろ求められてるんじゃないの?
そういう発想。
フラットな関係性の中でプラスを掛け合わせていく。

そういう中で「美しい」に出会うこと。
「美しくない」と思うことはやめること。

その繰り返しで、
自らの「美意識」を鍛えること。
それが一番、大学時代に必要なことなんじゃないのか?

本棚で世界観を表現しあい、
ときに本を売り、ときに人と出会う場となり、
ミーティングファシリテーションを学び、
さまざまなプロジェクトを生み出し、
美しいかどうか振り返り、
その繰り返しによって、
未来が創られていくような、

そんな本屋をつくりたい。  

Posted by ニシダタクジ at 08:38Comments(0)

2017年12月07日

「正しい手」よりも「美しい手」を指す


世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?
経営における「アート」と「サイエンス」 (山口周 光文社新書)

第1章読み終わりました。
いやあ、いいですね。
エッセンスだらけっす。

今日のテーマは「美しさ」です
エレガントな一手ってやつですね。

まずは
「デザインと経営には、本質的な共通点がある。」
ここから。

ユニクロが佐藤可士和氏を、
ソフトバンクが大貫卓也氏を起用して、
商品づくりの根幹にかかわることを決定しているのはなぜか?
ということ。

これを著者は次のように説明します。

~~~ここから引用

「エッセンスをすくいとって、後は切り捨てる」
そのエッセンスを視覚的に表現すればデザインになり、
そのエッセンスを文章で表現すればコピーになり、
そのエッセンスを経営の文脈で表現すればビジョンや戦略ということになります。

強い会社は選択が上手なのではなく、捨象、つまり捨てることに長けているのたわ、と指摘しています。

なにをしないかを決めるのは、なにをするのか決めるのと同じくらい大事だ。
会社についてもそうだし、製品についてもそうだ。
スティーブ・ジョブズ

コンプライアンス違反がどうやっておきるか。
なんら有効な経営戦略を打ち出せない経営陣が、
現場に無茶な目標を突きつけて達成し続けることを求めた結果、
やがてイカサマに手を染めざるを得なくなった、というストーリー。

そもそも、経営陣の最も重要な仕事は、
経営というゲームの戦略を考える、
あるいはゲームのルールを変えるということです。

昨今、労働問題や粉飾決算などのコンプライアンス違反を犯して
世間を仰天させるような企業には、一つの「共通項」があります。
それは既存事業の枠組みを前提にしてKPIを設定し、
ひたすらに現場の尻を叩くという、
いわゆる「科学的マネジメント」に傾斜していた、ということです。

大規模な「イカサマ」に手を染めて破滅する企業の多くは、
その直前まで「科学的経営管理」によって世間から称賛されているケースが少なくない。

サイエンスだけに立脚していたのでは、
事業構造の転換や新しい経営ビジョンの打ち出しはできません。

「そもそも何をしたいのか?」「この世界をどのように変えたいのか?」
というミッションやパッションに基づいて意思決定することが必要になり、
そのためには経営者の「直感」や「感性」、
言いかえれば美意識に基づいた大きな意思決定が必要になります。

このような局面で、サイエンスのみに軸足をおいて、
論理的に確度の高い案件ばかりに逃げ込み続ければ、
やがて現場は疲弊し、モラルの低下とイカサマの横行という
問題が起きるのは当たり前のことです。

「フワッ」と浮かんだアイデアが優れたものであるかどうかを判断するためには、
結局のところ、それが「美しいかどうか」という判断、つまり美意識が重要になるからです。

正しい手を指すためにどうするかではなく、
美しい手を指すことを目指せば、正しい手になるだろうと考えています。
このアプローチのほうが早い気がします。(羽生善治「捨てる力」)

高度で複雑で抽象的な問題を扱う際、「解」は、
論理的に導くものではなく、むしろ美意識に従って直感的に把握される。
そして、それは結果的に正しく、しかも効率的である。

大きな方向性や戦略について深く考察することは、
とりもなおさずこのスピードを毀損することになります。

~~~ここまで引用

なるほど。

科学的な正しい一手を指すということは、
とても大切なことなのだろうけど、
そこに傾斜しすぎることの危険を説いている。

そして、
日本企業の「成功体験」とは、
「スピード」という強みを最大限に活かしたこと。

そして、その「スピード」のために必要なのは、
「ゴール」であって、「ビジョン」ではなかった。

「思考停止」して動くことであって、
「なぜ、これが必要なのか?」と考えることではなかった。

そして何より、
年功序列型組織が悪いわけでは決してないけど
負の側面として、「失敗しないと出世する」
という思考に陥ってしまい、

そうなると打ち手はどんどん「サイエンス」的に
正しい一手となるが、それは次第にコモディティ化し、
さらなるスピード勝負、コストダウン勝負になる。

経営陣は経営戦略、つまり
経営的にどのように「戦い」を「省略して」いくか
を考えなければならないのに、

KPIを設定して、現場にがんばれ、と言い、
その数字を管理するだけである。
構造的に疲弊せざるを得ない。

足し算でイノベーションは起こらない。

まず引き算をして、
強みだけを取り出して、
掛け算していくこと。

あるいは、マイナスとマイナスを
掛け合わせて、一気にプラスにしていくこと。

そうやって、イノベーションは起こるのだと思う。

必要なのは、「ゴール」ではなく「ビジョン」であり「ミッション」である。
この世界をどうしたいのか?
この事業の先にどんな社会が広がっているのか?

そして、
「美しい」と思う一手を打つことである。

だから、感性を磨くこと。

「自信を持つ」っていうのは、
スキルではなく、むしろ感性のほうだ。

感性を信じて、
美しいと思う次の一手を打ち続けること。

プロフェッショナルとは、美しい一手が、
あとから考えると正しく、効率的だったとなることだ。

さて。

僕にとっての次の「美しい一手」とはなんだろうか?  

Posted by ニシダタクジ at 08:25Comments(0)

2017年12月06日

「やりたいことがわからない」は種として正常な状態


キンコン西野さんトークライブ。


「革命のファンファーレ」(西野亮廣 幻冬舎)

もうね。
1500円(税込)っていう価格設定からすごい。
講演会場での直売を前提としている。

食わず嫌いだったのだけど、
塩尻の山田くんが面白かったというので、
僕も興味があって、行ってきました、トークライブ。

いやあ、面白かった。
怒涛のマシンガントーク。

エッセンスは2日のブログ
http://hero.niiblo.jp/e486424.html
に書いたので、今日はその続き。

~~~以下トークライブおよび本文からメモ

クラウドファンディングはお金を集める装置ではない。
お金の正体が分からないとお金は集められない。
お金とは何か?という問い。
クラウドファンディングとは何か?という問い。

ホームレス小谷がお金の本質を語ってくれている。
1日を50円で売る。なんでもやる。
お金を受け取らないことで信用を稼いでいる。
クラウドファンディングで結婚式費用を集める。50円で買った人が入れている。
信用の両替機としてのクラウドファンディング

お金とは、信用の数値化であり、クラウドファンディングとは信用をお金に換える両替機。

テレビタレントのクラウドファンディングがうまくいかないのは、
テレビタレントは、意外に信用がないから。
テレビはスポンサーがお金をはらっているから。

料理番組では美味しいと言わないといけない。
好感度が重要だから。好感度を上げるためにウソをつく。
昔は確かめる術がなかったが、今はその真偽を確かめることができる。
情報操作ができなくなった。

テレビに出続けると、好感度、認知が上がる代わりに信用を失う。
好感度と信用はトレードオフ。
認知タレントと人気タレントの違い。
認知タレントはスキャンダルがあると詰んでしまう。

認知タレントのCDは売れないし、有料ライブも人は呼べない。
現代の通貨は信用。

ウソは感情がつくんじゃなくて、環境がつかせる。
ウソをつく環境に身を投じないこと。
つまりテレビのグルメ番組に出ないこと。

空気を読むと、信用が離れていく。
大切なのは大局観。

アイデアを提供してもらうにはどうしたらいいか?

徹底的に行動すること。
動かないやつは自分ひとりの脳みそでしか考えられない。
徹底して行動することで脳みそが集まってくる。

そして、旗を立てる。
人とアイデアが集まってくる。

~~~ここまで引用メモ

印象に残ったのは、
「飛行機はなぜ飛ぶのか?」
という往年の漫才コンビ紳助竜助のネタ。

「飛行機ってなぜ飛ぶか知ってるか?」

・何百人も載せている
・結構なお金を払ってもらっている
・目的地につくと思っている
・そのままいったら海に落ちる

「飛ばなしゃーないやろ。」

鳥も羽はやさなきゃしゃーないから羽が生えた
両生類も陸にあがらなしゃーないから上がった

天才のつくり方⇒極端な環境に身を置くしかない
サラリーマンからは天才は生まれない。みんながやっているから。

いいなあ、そういうの。
飛ばなしゃーない。だから飛ぶ。

そして、本で復習。
いきなりまえがきでシビれたよ。

~~~以下本からのメモ。

「やりたいことはわからない」は、種として、動物として、環境に即した、正常な状態である。

「いつの時代も、次の世代のほうが種として優秀である」という自然界の宿命。

最近の若者は・・・、というのは、「進化に乗り遅れてる」と自ら宣言するようなものだ。

親世代の常識は、「お金=ストレスの対価」だ

ところがストレスがかかる仕事から順にロボット化されていき、
ストレスがかかる仕事がみるみる世の中からなくなっていくではないか。

好きなことを仕事化するしか道は残されていない時代

批判のほとんどは、変化に対する恐れだ

学校の先生に一番必要のないスキルがお金だ。

哲学や教養のない炎上は商法として成立しない。

まもなく定年で、まとまった退職金も貰えるのに、
それまで我慢できずに会社を辞めて、喫茶店始めちゃうオヤジだとか、
そういった生き方をしている人を芸人と呼んでいる。
つまり芸人というのは、肩書きではなく、生き方の名称だ。

肩書きを変える程度のことで炎上してしまう、
肩書きは一つに絞れという世間の風潮が、
職業に寿命がやってくる、これからの時代を生きる上で極めて危険。

インターネットが何を生んで、何を破壊したのか。

過去の常識にしがみつくな。その船は、もう沈む。逃げろ。

感情に支配されず、常識に支配されず、お金に支配されず、
時代の変化を冷静に受け止め、常に半歩だけ先回りすることが大切だ。

船底に穴が空き、沈んでいく船の、まだマシな部屋を探してはいけない。
最後に水に浸かる部屋を奪い合ってはいけない。
今の状況を正確に捉え、生き延びることが大切だ。

クラウドファンディングは資金調達のツールではなく、
共犯者作りのツールである。

おみやげは生活必需品だったのだ。
おみやげは必ず体験の出口にある。

スマホがカバーできてない娯楽となると、あとは体験しか残らない。

体験を共有するべく、おみやげを買う。
商品は、体験に紐付ければ確実に売れる。

自分一人で広告してはいけない。広告させることが大切だ。

宣伝用アカウントに、宣伝効果があるはずがない。
大切なのはニュースを出すことではなくて、ニュースになることだ。
何の為の情報解禁日なのかを、もう一度考えろ。考えるんだ。

決定権は覚悟だ
未来は覚悟に比例する
キミに決定権はあるか?
成功者は必ず決定権を持っている。

~~~ここまで本文より引用。

僕の読書は、
線ひいたり折ったりしないで、
ツイッターでつぶやきながら読むスタイルなのだけど、
なんかめちゃメモしたなと。

本の一番のポイントは、
「やりたいことがわからない」は種として正常な状態であるということ。

種の生存戦略として、
時代や社会に合わせていくこと。

時代が社会、いやお金のシステムや意味づけさえ
変わろうとしている現代において、
やりたいことが決まっているというのは、
むしろ危険なことなんじゃないかと。

そして、思わず笑ってしまったのが、ここ。

宣伝用アカウントに、宣伝効果があるはずがない。
大切なのはニュースを出すことではなくて、ニュースになることだ。
何の為の情報解禁日なのかを、もう一度考えろ。考えるんだ。

「もう一度考えろ。考えるんだ。」

いいなあ。
この繰り返し。

常識や慣習をそのまま受け入れないこと。
思考停止しないこと。
考え続けること。
試作しつづけること。

僕がここ数年で読んでシビれたビジネス書のエッセンスというか
ポイントみたいなものが詰まっている1冊でした。

・ゆっくりいそげ(影山知明 大和書房)
・MEDIA MAKERS(田端信太郎 宣伝会議)
・魔法のマーケティング(川上徹也 フォレスト出版)
・心の時代にモノを売る方法(小阪裕司 角川新書)
・応援したくなる企業の時代(博報堂ブランドデザイン アスキー新書)

と併せて読みたい。

そして、この前紹介した、
「あなた」という商品を高く売る方法―キャリア戦略をマーケティングから考える(永井孝尚 NHK新書)
がこの「革命のファンファーレ」の解説になっているような気もする。

「考え続けるという希望」(2014.11.14)
http://hero.niiblo.jp/e457307.html

変化の時代に、
怖いのは、停止してしまうことだ。
動き続ける、考え続けるしかない。

そこには、「知るべき絶望」があるかもしれない。
しかし、そこからしか始まらない。

いま、自分が乗っている船
(学校や会社、プロジェクト、あるいは思想や考え方)
の船底に穴が空き、沈み始めているからもしれない。

そのときに、自らの船で漕ぎ出していけるか。
あるいは新しい船を造ることができるのか。
船を造るための資金を集めるほどの信用があるのか。

そして、なにより、その船の行き先を自分で決められるのか。

そんな問いが突き刺さる、トークライブと本でした。
ありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 08:20Comments(0)

2017年12月05日

ミッションに基づく直感で決める



大阪心斎橋・スタンダードブックストア。
ツルハシブックスの本のラインナップは、
オープン当初から
この本屋さんを参考にしていました。

僕が買いたいな、と思った本を注文して、
お客さんに先に買われると、
「お客さん、お目が高いね。」(オメガトライブではない。)

と言いながら売っていた。
ツルハシブックスは1日1冊は必ず新刊を売る、
というルールになっていたので、
お客さんが来ないころは、自分で買っていた。
(まあ、自分が買いたい本をそろえているのだから、そうだよね)

今回は、わずか15分しかなかったけど、
のぞきに行ってきた。

そしたら、やっぱりあるんですよ。
この本の中身はこれ。


世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?
経営における「アート」と「サイエンス」 (山口周 光文社新書)

おもしろ~。
こういう本好き。
なんていうか、真実すぎて、笑えない。

「個人や組織のイノベーションがどう起こるか?」

っていうのは、僕と問いが近いので、
この本はめっちゃ響きます。

といっても、まだ第1章の途中なのですが、
ここらで少しアウトプットしておきます。

~~~以下本文より引用

正しく論理的・理性的に情報処理するということは、
「他人と同じ正解を出す」ということでもあるわけですから、
必然的に「差別化の消失」という問題を招くことになります。

「科学的に検証できない」ということは、
「真偽がはっきりしていない」ということを意味するだけで、
その命題が「偽」であることを意味しません。

コンサルティング会社が提供している価値を一言で言えば、
「経営にサイエンスを持ち込む」ということになります。
「サイエンス」に依拠する以上、その判断の立脚点はどうしても数値にならざるを得ません。

歴史を振り返ってみれば、過去の優れた意思決定の多くは、
意外なことに感性や直感に基づいてなされていることが多いということです。

フランスでは、文系、理系を問わず、
すべての高校生が哲学を必修として学び、
哲学試験はバカロレア(大学入学資格試験)
の第1日目の最初の科目として実施されます。

これまでの日本企業の多くは、
「人と同じ答え」を「より早く、より安く」
市場に提供することで勝ち残ってきたわけです。

経営における意思決定のクオリティは、
「アート」「サイエンス」「クラフト」の三つの要素の
バランスと組み合わせ方によって大きく変わる。

「アート」はアカウンタビリティ(説明責任)に耐えられないから
「アート」と「サイエンス」と「クラフト」
を戦わせると、「アート」は負ける。

イチロー
「僕は天才ではありません。
なぜかというと、自分が、どうしてヒットを打てるかを
説明できるからです。」

言語化できるかどうか、再現性があるかどうか、
「サイエンス」の世界では重要な案件。
天才・長嶋茂雄は説明できないから天才。

アカウンタビリティ(説明責任)は無責任の無限連鎖を呼び、
リーダーシップの放棄を引き起こす。
「あのときは、そのように判断することが合理的だったのです。」
という言い訳を生んでしまう。

しかし、考えてみれば、
もしセオリー通りに論理的にかつ理性的に経営するのであれば、
経営者やリーダーの仕事とはいったいなんなのでしょうか?

もし、経営における意思決定が徹頭徹尾、論理的かつ理性的に
行われるべきなのであれば、それこそ経営コンセプトと
ビジネスケースを大量に記憶した人工知能にやらせればいい。

トップに「アート」(系人材)を据え、
左右の両翼を「サイエンス」と「クラフト」
で固めてパワーバランスを均衡させる。

強い企業、類い稀な革新を成し遂げた
多くの企業がこのようなガバナンスの構造を持っていた。

ウォルトディズニーもホンダの創業期も、
80年代のアップルも、近年のソフトバンクも、

強烈なビジョンを掲げてアートで組織を
牽引するトップをサイエンスやクラフトの面で
強みを持つ側近たちが支えてきたという構造になっていた。

~~~ここまで本文より引用

なるほどな~~~。

めっちゃいいわ、これ。
問いが熱い。

アカウンタビリティ(説明責任)は無責任の無限連鎖を呼び、
リーダーシップの放棄を引き起こす。
「あのときは、そのように判断することが合理的だったのです。」
という言い訳を生んでしまう。

しかし、考えてみれば、
もしセオリー通りに論理的にかつ理性的に経営するのであれば、
経営者やリーダーの仕事とはいったいなんなのでしょうか?

もし、経営における意思決定が徹頭徹尾、論理的かつ理性的に
行われるべきなのであれば、それこそ経営コンセプトと
ビジネスケースを大量に記憶した人工知能にやらせればいい。

めちゃその通り過ぎる。
「アート」人材をリーダーに据えて、
直感で決める。
どちらが美しいか?で決める。

それはきっと最初のほうで出てくるけど、
「哲学」を学んでいるか、っていうことも重要なのだろう。

西村佳哲さんのいう、「あり方」がある人が、
直感で選ぶ道に行くこと。

そこに向かって進める個人や組織体こそが
イノベーションを起こせるのだと思う。

ミッションに基づく直感を発動させられるチームをつくる

それが一番大切なことじゃないかなと感じた1冊です。
まだ途中ですが。  

Posted by ニシダタクジ at 08:26Comments(0)

2017年12月03日

「本屋」やめます

「内野の駅前で本屋をやってます。」

2011年3月。
ツルハシブックスがオープンしたことにより
僕は初めて、一般的な職業名を手に入れた。

ちょっと、うれしかったのだった。
「本屋をやってます。」
って言えることが。

それまでの僕は
まきどき村という畑をやりつつ、
中学生向けの学習塾をやってみたり、
家の中にミニ本棚をつくったり、
神社の境内で小学生の遊び場をつくったり、
サンクチュアリ出版の営業をしたり、

長期実践型インターンシップ「起業家留学」で
企業課金でプログラムをつくったり、研修したりしていた。

だから、
「西田さんって何やってんですか?」
ってよく聞かれたし、
「本業はなんですか?」
って聞かれた。
(この質問をしてしまう時点で、その人の思考はおじさん確定なのだけど。笑)

昨日は
まちライブラリーの礒井さんと
大阪でビブリオバトルを立ち上げた池内くんと秘密の会合@なんば
(公開してるけど)




むちゃくちゃ面白かった。
さすが、一緒に飲みたい5人のおじさんの筆頭にくる礒井さん。
何もお題が無かったのだけど、盛り上がりまくり。

まず、
大阪人の礒井さんは、

「あいつ、おもろい」

これが最大の褒め言葉だ。

昨日、礒井さんと話せてよかった。

本屋、やめようって思った。

いや、ツルハシブックスをやめるわけでも、
本を売ることをやめるわけでもないけど、

「本屋」という肩書から自由になろうって。

本屋とか、図書館とか、言った時点で、
言われたほうは既存の(というかその人の頭の中にある)
本屋、図書館像を思い浮かべてしまう。

それでは、クリエイティブな場にならない。

たしかに、そうだ。
「この人は何屋さんなんだろう?」
っていうお互いが知り合ったほうが、
ワクワクするようなアウトプットが出るような気がする。

うんうん。
本屋の西田、やめよう。

そういう意味では、
「ツルハシブックス 劇団員」っていう肩書も
悪くないなと思った。

劇団員???
みたいな。
それが良い問いとなるのかもな。

これがいちばん思ったこと。

あとは、いろんなメモ

・本屋とか図書館とか言ってる奴は辛気くさいからモテない。(笑)
・それはなぜかというと、内面に意識が向きすぎているから。
・アイドルは逆に外面に意識が向きすぎているから、カッコよくない。
・内面と外面のバランスをとること。

・オリンピックとか万博を最初にやるっていうのは、夢がある。
・目標設定で前例があるっていうのは、どんどんつまらなくなる。

・本屋で知的な飲み会。座って3000円。みたいな。
・女子大生と経営者の飲み会。学びたい人向け。笑。

そんな楽しい未来の話をしました。

というわけで、僕は「本屋」やめます。

現代美術家/余白デザイナーで、
ツルハシブックス劇団員です。  

Posted by ニシダタクジ at 08:30Comments(0)

2017年12月02日

世界一のタオル屋

矢沢永吉。
日本を代表するロックミュージシャン。

矢沢永吉の
キャッシュポイントはどこか。

そんな話。
学校は「お金」のことを教えてくれない。
なぜなら、みんなが素人だから。



キングコング西野さんの講演を聞き、
「革命のファンファーレ」を読みました。
おもしろかった。

一番シビれたのが冒頭の矢沢の話。

ヤザワ=世界一のタオル屋説

矢沢永吉はライブのたびにオリジナルタオルをつくり、
そのタオルをライブのとあるタイミングで、全員で宙に放り投げる。

そこで、投げ捨てるから、
その瞬間に消耗品になり、
3000円のタオルが10000枚また売れる。

そこがキャッシュポイントとなって、
質の高いライブをつくることができる。

その結果、CDを(数多く)売れなくてもよい。
→売れ線の曲を作らなくてもよい。
→矢沢はロックンローラーであり続けられる。

そこで、衝撃的な一言。
「天才になるには、本業でお金をとっちゃだめだ。」

うわー。マジか。
それ、新しいな。
要は、お金をとる場所をズラす。」ってこと

そのズラすっていう感覚が面白かった。
たとえば、西野さんの書いた「えんとつ町のプペル」は、

原画展を各地で開催してもらい、
その出口で絵本を売っている。

つまり、
「えんとつ町のプペル」を「おみやげ化」するんだと。

それは、西野さんの長年のリサーチの結果。
せっかく作ったのだから、売りたいと。

いいもの作っても売れるわけじゃない。
つくってもお客に届かなかったらつくったことにカウントされない。
お客さんに届くまでの導線をデザインする。
つくるだけつくって終わりではダメ。

クリエイティブにおける育児放棄をしないこと。
つくることはお客さんまで導線をデザインすること。
買う側から考えてみる。
人は何を買って何を買っていないのか?

「作品」は買わなくなっている。
「生活に必要なもの」は買っている。

しかし、売れている「作品」がある。
それは何か?たとえば、演劇パンフレット。
そう、売れている作品は「おみやげ」として売れている。

「おみやげ」は「思い出」を思い出す装置=生きるために必要なもの

ディズニーランドの出口に、巨大なおみやげ屋さんが
鎮座しているように、
自分の作品がおみやげになるとしたら、その前に体験が必要。
作品がおみやげになるような体験。
絵本の原画を無料で貸し出して原画展をやってもらうことで、絵本がおみやげになる。
各地で開催され続けることで売り上げがとまることのない仕組みを作った。

絵本を売っているのは本屋ではなく、展示場。
体験をデザインすること。
展示場が楽しかったからお土産として本を買う。
体験の出口としておみやげ=本を売る。

なるほどな~。

これ、聞いていて、いと本と編み出した、
著者でもないのに本にサインする本屋っていうのを思い出した。
http://hero.niiblo.jp/e274363.html
本こそ「あなたから買いたい」(2013.7.21)

この日以来、
僕は、著者でもないのに、
購入された日付を書き、そこに一言添えて、
本を売ってきた。

ああ、あれって、ツルハシブックスという体験のお土産だったんだと
あらためて思い出した。

昨日も岐阜のさかだちブックスでの
トークライブ後、

「本の処方箋」を少しやったのだけど、
トークライブで、サインの話したら、
サイン入れてくれっていう人が続出して、
サインを書いていた。

ああ。
これか。

「おみやげ化する」ってこういうことか。と

やってたんだね。
少しだけ。
それを言語化できてなかったってこと。

たぶんこれからの僕のテーマは2つだ。

ひとつは、矢沢永吉バリに、
本屋のキャッシュポイントをズラすこと。

もうひとつは、
そうはいっても、本を売るために本屋をやっているのだから、
本がおみやげ化するような体験をお店の中でつくること。

暗やみ本屋ハックツも、
総合的にそういうことが提供できたらいいなと思った。

まだまだ、考えたいので、明日のブログに続きます。  

Posted by ニシダタクジ at 17:24Comments(0)学び