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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2018年01月06日

松下村塾は塾生募集広告なんか出さなかった


「ローカリズム宣言~「成長」から「定常」へ」(内田樹 deco)

移住雑誌「TURNS」の連載
「若者よ! 地方をめざせ」の大幅加筆修正バージョン。

買ってよかった。出会えてよかった。
新潟・新津の英進堂書店さん、ありがとう。

いつも内田さんの本は鋭いのだけど、
「で、どうすればいいの?」
(まあ、自分で考えろってことなんでしょうけど)
って思うのだけど、この本には提案も載っているので
より熱いです。鼓舞されます。

特に特にシビれたのは、
第9章 脱「市場経済」です。

~~~印象的だったところをメモ。まずは市場経済について

お金さえあれば、生きてゆくために必要なことが
何でも市場で買えるというのはある意味では素晴らしいことです。
お金を稼ぐことに集中して、それ以外のことは考えずに済みますから。

人間として生きる上で必要なものは全部マーケットで
値札がついて売っている。金さえあれば誰でも買える。
個人で暮らす立場からすれば、これほど生きやすいことはありません。

でも、それは逆に言えば、お金がないと生きていく上で
必須の支援さえ手に入らないということを意味しています。

格差の拡大は誰かの邪悪な意思によって起きているのではありません。
市場の合理的な選択の帰結なのです。

超富裕層に権力も財貨も文化資本もすべてを集中した方が
短期的には資本主義は快調に運転する。(先のことさえ考えなければ)

人間にとって必要な資源が少数者に排他的に蓄積された場合には、
集団全体の生命力は衰えます。イノベーションも起こらなくなる。

市場に委ねている限り、格差拡大は絶対に止まりません。
だから、どこかで強い意志をもって、市場の全能を停止させなければならない。

~~~ここまで本文よりメモ

なるほど。
市場は、「効率化」を求め、
会社は、「コストの外部化」によって儲けた。
そのスパイラルが限界に達したのだと。

さらなる効率化をするためには、
すべてを集中させることしかない。

しかし、それでは生き延びれないんじゃないの?
っていうのが内田さんの問いです。

そして、生き延びるためには、として以下のように説明します

~~~ここからメモ

これから社会的能力として最優先されるのは「いい人」であること。

「いい人」だと思われることが相互扶助・相互支援ネットワークに
登録されるときはかなり優先度の高い条件です。

能力があることより、リーダーシップがあることより、
資本があることより、「いい人」であることです。

能力とかリーダーシップというのは「ひとりでも生きていける」能力です。
集団を形成するために必要なのは、そういうタイプの強さではなく、
むしろ「仲間がいないと生きていけない」という弱さだからです。
自分の弱さを自覚している人だけが共生できる。

弱さをカミングアウトするためには「心の広さ」が必要です。
心の狭い人は、同じ意見の人と徒党を組むことはできても、
異なる意見の人と組むことはできないからです。
心の狭い人は均質な集団しかつくれない。

でも、生き延びるための集団は均質的であってはならない。
均質的な集団は、平時にルーティンワークをこなすときは効率的ですけど、
危機的な状況には対応できません。
だって、全員が同じ能力しか持っていないんですから。
危機というのは何が起きるかわからない状況のことです。

ですから、危機を生き延びることを優先させて
制度設計された集団は必ず多様な才能、多様な適性が共生するものになります。

危機を生き延びることを目指して設計された集団は、
「単独では何の役に立つのかさっぱりわからない人たち」を大量に抱え込んでいる。

集団はメンバーの資質や能力が多様であればあるほど危機的状況には強い。
そして、そういう集団の成員たちは、それぞれあまりに特異な才能の持ち主なので、
ひとりでは生きていけない。ひとりでは生きていけない人たちによって形成されている集団が最強である。

集団を強靭なものにしようと思ったら、強者連合を作るよりは、
「自分ひとりでは生きていけない」と信じている弱者たちを集めるほうがよい。

~~~ここまでメモ

なるほど。
これ、学校で習っていることとまるっきり逆ですね。

そして最後、私塾について語るココに、
シビれまくりました。

~~~さらにメモ

蘭学者の緒方洪庵が開いた適塾、大坂の商人たちがつくった懐徳堂、
吉田松陰の松下村塾、福澤諭吉の慶應義塾など、
どれも個人が身銭を切って立ち上げた教育機関です。
それらの私塾が日本教育史上もっとも成功した教育機関であった。

国家や自治体の支援がなくても、法律や要項に従わなくても、
教育はできるということを彼らの先例が教えています。

江戸時代にも藩校という、いまでいう国立大学に相当する教育機関がありました。
でも、そこからは残念ながら乱世を縦横に往来するような人材は生まれなかった。
既成のキャリアパスで出世しそうな秀才しか育てられなかった。だから、私塾ができた。

現代における私塾の登場は、時代が乱世に入りつつあることの証拠だと思います。

高等教育機関がもたらすのは、単に地域の経済効果だけではなく、
いわば一種の「空気」でもあるからです。
風通しのよい知性、権威や世俗におもねらない自尊心、活発な好奇心、
そういうものが流れ出る場所が存在する街と、
そういうものがない街の違いは暮らしていればはっきりわかります。

学校が若者たちの心身の成熟のための機関としてさっぱり機能しなくなってきた以上、
共同体にとって必須のその仕事を誰かが引き受けなければならない。
そう考えている人による私塾運動が、いま全国で同時多発的に始まっている。

塾でも道場でも、かたちはどうあれ、
教育共同体がこれからの地域共同体の再生の核になるだろうと僕は思っています。

広告なんかしなくても、知的で創造的な「空気」が漂っている場所なら、
意欲のある若い人たちは必ず惹きつけられて集まってきます。
松下村塾は広告なんて出さなかった。
でも、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋はじめ異才が門前列をなした。
そういう場所は鼻のきく若者にはわかるんです。

~~~ここまでメモ

うわ~。
それだよ、それ。
そういうのやりたいんだよ。
それが僕の考える「本屋」なんだよ。

やろうぜ、私塾をさ。
見た目は本屋かもしれないけど。

そんな感じ。

「高等教育機関」を「本屋」に置き換えてみる。

「本屋」がもたらすのは、単に地域の経済効果だけではなく、
いわば一種の「空気」でもあるからです。
風通しのよい知性、権威や世俗におもねらない自尊心、活発な好奇心、
そういうものが流れ出る場所が存在する街と、
そういうものがない街の違いは暮らしていればはっきりわかります。

そうそう。
そういう空気をつくるんだよ。

その「空気」を感じた人たちが集まってきて、
学びあい、高めあい、また助けあっている。

そんな「場」をつくるんだ、って。
そして、それは自分にしかできないんじゃないかって。

20年前。1998年2月。
大阪ボランティア協会の早瀬昇さんの講演を聞いた。

「ボランティアを始める人の条件は2つ。
これが世の中に絶対に必要だという思い込みと
これができるのは自分しかいないという思い上がりだ」

そうそう。
「思い込み」と「思い上がり」
つまり、「勘違い」が行動の源泉なんだ。
この本は僕が「勘違い」するのに十分なインスパイアがあった。

昨日のワークで出てきた
「本屋じゃない何か」、その未来像は見えた。
言語化はできていないけど、たしかに見えた。

あとはそれをストーリーへと組み込んでいく。

やろうぜ、私塾をさ。
本屋にしか見えないかもしれないけど。  

Posted by ニシダタクジ at 08:44Comments(0)