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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2018年02月28日

「サードプレイス」から「アナザー・バリュー・スペース」へ

「サードプレイス」とは、本当は何なのか?
「サードプレイス」は、本当に必要なのか?

昨日の「有縁」「無縁」の話を受けて、
考えたこと。

「無縁」社会とは、「有縁」社会のように、
一人ひとりが縁を結ばず、金だけが支配している社会で、
だからこそ、そこには中央権力が定める法律も及ばないし、
世俗のしきたりも希薄である。

しかし、それが
「有縁」社会のセーフティネットになっている。
つまり、有縁社会からはじき出されても、
行く場所があるということ。死ななくてもよいということ。

有縁社会は無縁社会を必要とし、
無縁社会はまた有縁社会を必要としている。

これを、現代に当てはめるとなんだろうか。

「非日常空間」が必要だと言われる。
あるいは、「非日常体験」が観光にとって重要だと言われる。

たとえば、家族と温泉に行く。
たとえば、デートでテーマパークに行く。
あれは「非日常空間」だろうか。

たとえば、ひとりでカフェに行く。
たとえば、仲間と行きつけの居酒屋に行く。
それは、近すぎて「日常空間」だろうか。

川崎・新城劇場のミーティングで、
「居心地のいい場所」というテーマで話した時、

「カフェにいる時間」だと答えたメンバーに、
どうして?と聞いたら、
カフェに入って、飲み物を目の前にしたとき、
その瞬間、「目的・目標」から解放された、と
感じるからだという。
メモをとったり、手紙を書いたりするらしいのだけど。
あの話を思い出した。

非日常空間、あるいは、サードプレイスとは、

日常とは異なる価値観が支配する空間であり、
その場に身をおくことは、根源的に大切なことなのではないか。

上記の彼女がカフェに行くのは、
「目的・目標から解放された空間」に身を置きたいからではないか。

そういう意味では、ストレス解消のため1泊2日で温泉に行く、とか
乗り物による刺激やスリル、大量の消費をするために行くテーマパークは、

「日常の価値観(効率化や消費第一主義)」のまま、
時間を過ごしていることにならないだろうか。

もちろん、コンセプトのあるホテルや、歴史ある温泉旅館、
思いや祈りのこもったテーマパークでは、ある程度の非日常を味わえるだろう。

そうか。
「日常」と「非日常」を決めるのは、
場所そのものではなくて、
場所に込められた思いや歴史などの
「価値観」なのではないかと。

休みの日に、
団体スポーツを楽しんだり、
ひとりで山に登ったり、
酒を飲みに行ったり、
もしくはギャンブルをしたりするのは、

そこが、違う価値観が支配する空間だからじゃないのか。

本当に必要なのは、
「サードプレイス」という場所ではなく、
「アナザー・バリュー・スペース(タイム)」
とでもいうのか、

日常とは異なる価値観に
支配される場や空間、時間ではないか。

そして、その価値観は、必ずしも
明確に言語化される必要はなくて、
それをなんとなく感じられればいいのだと思う。

福島県白河市のカフェ・エマノンには、
言語化されない「ベクトル感」があり、
それを感じたくて高校生は集うのだろうと思う。

次は「ベクトル感」について書こうかな。  

Posted by ニシダタクジ at 08:12Comments(0)言葉