2018年07月02日
「やりたいことがわからない」とアイデンティティ不安
「やりたいことがわからない」
ことがこんなにも苦しいのはなぜだろう。
それはひとえに、
個人のアイデンティティ問題とリンクしているからだと思う。
http://hero.niiblo.jp/e482630.html
「13歳のハローワーク」の呪い(16.11.1)
「職業」こそがあなたの
「あなたらしさ」つまりアイデンティティを規定する。
たぶんこの「呪い」が
「やりたいことがわからない」の苦しさの
源泉にあるのだろうと思う。
そしてそれは、
「コミュニティ」の結びつきの低下、
つまり、地域コミュニティや会社コミュニティ、あるいは部活コミュニティのような
安心感を伴った他者に説明できるアイデンティティを失いつつあることで、
いっそう不安な状態にある。
だからこそ、
「自分が何者であるか?」という問いに答えるために、
「やりたいことがわかる」「将来の夢・目標がある」
ことが必要だと感じているのだ。
つまり、アイデンティティの不安である。
しかし、アイデンティティとは、いったいなんだろうか?
http://hero.niiblo.jp/e485055.html
「アイデンティティ」という音(17.6.13)
アサダワタルさんは
それは、「音」のようなものだと言う。
自分自身の中にあるのではなく、
他者とのセッションによって、
自分の「音」が規定されていく。
ああ、自分が出している音は、
このセッションの中でこういう音なんだ、
って感じることができる。
それがアイデンティティだ。
だから、
個人の中を掘っていっても、
アイデンティティそのものは存在しないことになる。
さまざまな人とのセッションの中で、
さまざまな音を出しながら、
いい音楽をつくっていくこと。
そんな中で、
「音」が見つかっていく。
そしてその「音」はひとつではない。
http://hero.niiblo.jp/e405109.html
「本当の自分」という幻想(2014.4.15)
平野啓一郎さんのいう分人主義のように、
さまざまなシーンで、バンドで、オーケストラで、ジャズセッションで、
自分が奏でる音、求められる音は変化する。
ときにはその楽器だって変わるだろう。
その瞬間に、その音に、「アイデンティティ」が存在するとしたら、
その音を奏でる瞬間をたくさんつくっていくことでしか、
アイデンティティは見つからない。
だからやっぱり、
「やりたいことがわからない」という不安からくる
「自分のやりたいことはなんだろう?」という問いは、
その問い方が違っているのではないかと僕は思う。
いろんな人とセッションしていく中で、
その「音」にたどりついていくこと。
そういうことなのだろうなあと思った。
今日は福島・白河に来ています。
そんな音が生まれるセッションが
地域の中で生まれていくような仕組みとしての
ライブラリーを考えてみたいなと思います。
ことがこんなにも苦しいのはなぜだろう。
それはひとえに、
個人のアイデンティティ問題とリンクしているからだと思う。
http://hero.niiblo.jp/e482630.html
「13歳のハローワーク」の呪い(16.11.1)
「職業」こそがあなたの
「あなたらしさ」つまりアイデンティティを規定する。
たぶんこの「呪い」が
「やりたいことがわからない」の苦しさの
源泉にあるのだろうと思う。
そしてそれは、
「コミュニティ」の結びつきの低下、
つまり、地域コミュニティや会社コミュニティ、あるいは部活コミュニティのような
安心感を伴った他者に説明できるアイデンティティを失いつつあることで、
いっそう不安な状態にある。
だからこそ、
「自分が何者であるか?」という問いに答えるために、
「やりたいことがわかる」「将来の夢・目標がある」
ことが必要だと感じているのだ。
つまり、アイデンティティの不安である。
しかし、アイデンティティとは、いったいなんだろうか?
http://hero.niiblo.jp/e485055.html
「アイデンティティ」という音(17.6.13)
アサダワタルさんは
それは、「音」のようなものだと言う。
自分自身の中にあるのではなく、
他者とのセッションによって、
自分の「音」が規定されていく。
ああ、自分が出している音は、
このセッションの中でこういう音なんだ、
って感じることができる。
それがアイデンティティだ。
だから、
個人の中を掘っていっても、
アイデンティティそのものは存在しないことになる。
さまざまな人とのセッションの中で、
さまざまな音を出しながら、
いい音楽をつくっていくこと。
そんな中で、
「音」が見つかっていく。
そしてその「音」はひとつではない。
http://hero.niiblo.jp/e405109.html
「本当の自分」という幻想(2014.4.15)
平野啓一郎さんのいう分人主義のように、
さまざまなシーンで、バンドで、オーケストラで、ジャズセッションで、
自分が奏でる音、求められる音は変化する。
ときにはその楽器だって変わるだろう。
その瞬間に、その音に、「アイデンティティ」が存在するとしたら、
その音を奏でる瞬間をたくさんつくっていくことでしか、
アイデンティティは見つからない。
だからやっぱり、
「やりたいことがわからない」という不安からくる
「自分のやりたいことはなんだろう?」という問いは、
その問い方が違っているのではないかと僕は思う。
いろんな人とセッションしていく中で、
その「音」にたどりついていくこと。
そういうことなのだろうなあと思った。
今日は福島・白河に来ています。
そんな音が生まれるセッションが
地域の中で生まれていくような仕組みとしての
ライブラリーを考えてみたいなと思います。