プロフィール
ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2018年08月07日

創造力の翼

電車旅。
3冊同時読書。


「一緒に冒険をする」(西村佳哲 弘文堂)
つくばの江本珠理が絶賛していたので積ん読だったのを呼び出してきた。
(大阪・スタンダードブックストアで4月に購入)


「市場って何だろう」(松井彰彦 ちくまプリマー新書)
(甲府・春光堂書店で7月に購入)


「芸術論」(宮島達男 アートダイバー)
(先週、金沢21世紀美術館で購入)

の3冊を同時並行読み。
ちなみに、坂口恭平「隅田川のエジソン」(幻冬舎文庫)
もなぜかカバンに入ってたので読んだ

素敵なタイミングで、
素敵な本に会うなあと思った。

西村さんの本では、
本城慎之介さんの話が響いた。

楽天副社長から、
学校づくりへとシフトする中で
軽井沢の森のようちえんにたどり着き、
そのスタッフをしながら、学校を構想している。

「森のようちえん ぴっぴ」のエピソードがすごい。
子どもはみんな、知っているんだって。
どうやって決めていったらいいのか。
ケンカになったとき、
誰かが泣いているとき、どうしたらいいのか。

答えのない問いへの対応を知っているのだ。
まず、輪になって語る。
ひとりひとりの顔が見えるように。
ひとりひとりが当事者であり、
ひとりひとりが大切である、っていうこと。

そういうのって子どもは知っているんだなと。
いつの間に忘れちゃったのだろうか。

最後に登場する内野加奈子さんが言っている。

~~~ここから引用

私は日本の教育のネガティブな恩恵を直に受けていたなと思います。
「答えがある」という教育。正しい答えがあって、
ちゃんと調べて勉強してゆけばそこに辿り着ける、
という教育をずっと受けてきたと思うんです。

そこから離れるのに少し時間がかかった。
航海術を教わっていたとき、ナイノアに
「僕は君に情報は与えれるけど、知恵はあげることはできない。
機会はあげられるけど経験はあげることはできない。」
と何度も言われた。

「それは自分でやらなきゃいけない作業なんだよ」
ということを教えてもらった。

自分が知ったことを人に伝えることはできる。
けど「体験する」には、本人が自分で動いていかないと。
やっぱり身体を使って感じることが、すごく大切だと思います。

~~~ここまで引用

そうそう。
本当は「答え」などなくて、
「機会」のみが差し出すことができる。

そういうこと。
その機会を生み出すのが「市場」だ。

「市場はヒトとモノ、ヒトとヒトをつなげる場である。
作品(アート)にも市場が必要だ。
市場がなければ僕たちは素晴らしい作品(アート)に出会えない。
それまでお互いに知らなかった人同士が市場を介して
突然結びつく。そのこと自体が市場の力だ。」(「市場ってなんだろう」本文より)

そして、重要なのが自立と依存についての記述
依存先が十分に確保されて、特定の何か、誰かに依存している気がしない状態が自立だ。
たしかにそうだなあと。
特定の何かに依存していると不自由だもんね。

そして最後に、「芸術論」。
これには、シビれるフレーズがたくさん掲載されている。

~~~ここから引用

はっきり言って、「絵で飯は食えない」。誰もがわかっていることだが、
「プロのアーティスト=絵で飯を食う人」という幻想を持ち続ける者は意外に多い。

元来、アートは職業になじまない。職業とは誰かのニーズがあり、
それに応えて初めて成立するものだ。ところが、
アートには他者のニーズがなく、
自らの思いをカタチにするだけだから、そもそも職業とはなり得ない。

ピカソのように絵で食える人は、全体の1パーセントにも満たず、
宝くじを当てるより難しい。したがって、食える/食えないは、
まったくの偶然であると言っても過言ではないのだ。
アーティストはそんなギャンブルのような賭けに、
自分の人生やアートを翻弄されてもいいのだろうか。

私は、アーティストは自分の生活を自分で支え、
なお、自らの思いを納得するまでカタチにし、他者に伝える人間だと考えている。
こう考えていけば、アーティストとは職業ではなく、むしろ生き方になってくる。

アーティストという生き方を選べば、じつはもっと自由になる。

アーティストという「名詞」を目指すのではなく、
アーティストという「形容詞」の生き方を目指してほしい。

~~~ここまで引用

「アート」を「本棚」に「アーティスト」を「本屋」に替えても、同じだろうな、と。
本屋という「形容詞」の生き方を目指す。
たぶんそういうことだ。

この3冊は、まったく別々なようで、
僕が編集すると、
すべて、ひとつのところに向かっているように思う。

「答え」はないということ。
「場」をつくるということ。
「表現」するということ。
「問い」があるということ。
そして、「本屋」である、ということ。

そういうものとして、この3冊を読んだ。

本って素敵だ。

機会しかない。
ヒントしかない。

それをどう学びに変えるか、
力に変えるか、は読んだ人次第だ。

そんな、目的のあいまいな読書をしてしまうような、
興味関心の罠がたくさん仕掛けられているような、
次の世界への扉が無数に存在するような、

そんな本屋になりたいなあ。

最後に「芸術論」から一言。

絵が描けなくても、モノが作れなくても、創造力の翼で芸術家になれるのだ。  

Posted by ニシダタクジ at 08:32Comments(0)