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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2018年08月24日

なぜ本なのか、なぜ本屋なのか?

とあるケーブルテレビのインタビューを受ける前の
事前打ち合わせ。
最後に、「なぜ本なのか?」と問われた。

これまで幾度となく聞かれ、
なんて答えたのか覚えていない質問。

気がついたら、本屋だった。

そして、本屋で目指していたのも
「劇場のような本屋、本屋のような劇場」だった。

キャッチコピーは
「気がついたら私も、本屋という舞台の共演者になっていました」
だ。(キャッチコピーとしては長い)

本屋をやる一方で(多方で、か)、

僕はまきどき村で畑と朝ごはんをやり、
ヒーローズファームで大学生の実践型インターンシップ「起業家留学」をプログラムし、
大学生向けの地域プログラムを書き、また大学のコーディネーターとして、
地域活動の立ち上げ支援を行った。

それはなぜなのか?
そもそも本とは、本屋とはなんなのか?

昨日、「かえるライブラリー」の説明をしていて、
「本屋の機能」について説明していた。

僕が考える本屋(あるいは古本屋)におけるもっとも重要な機能は、
「何か面白いものないかなあと」という気持ちだ。
つまり、予測不可能な面白い本(情報)がある、ということだ。

そこに新刊書店であれば、「最近の世の中はどうなっているんだろう」というのが付加される。

ツルハシブックスであれば、そこに集まる人(ほかのお客さん)との出会いも付加される。
野島さんがソトコトに語った「ツルハシブックスにいけば誰かに会えるから」と言ったあれだ。

東京でやっている「暗やみ本屋ハックツ」は、
メッセージで本を選ぶことで普段手にしない本を手に入れたり、
あるいは誰か(寄贈者)の思いを受け取る。といったような機能があるだろう。

僕が現代美術家であるとするならば(この前提。笑)、
すべてのプロジェクトに「問いかけたい(表現したい)」何かがある、はずである。

まきどき村は「豊かさ」の表現だった。
ツルハシブックスは「偶然」という価値の演出だった。
じゃあ、かえるライブラリーは?

そんなことに思いを馳せていると、
1冊の本に出会った。


「中動態の世界」(國分功一郎 医学書院)

僕が本を読む動機の中でもっとも強いのは、
自らの現在や過去の「違和感」や「感動」を解読したいからだ。

そういう意味では、
この「中動態の世界」が僕に拓いてくれたものは
とてつもなく大きい。

僕が何を大切にしているのか、
なぜ本なのか、なぜ本屋なのか。

それは、僕たちが中動態の世界を生きているから、
あるいは僕が生きたいから、なのかもしれない。

「意志」も「未来」も存在しない。
能動と受動が対立するのではなく、
それは中動態から始まっているのだ。

「やりたいことは何か」「将来何になりたいのか?」という問いは
問いが間違っているのではないか、とずっと思っていた。
「意志」と「未来」が存在しないとしたら、
その問いは大きく間違っているのだろう。というか、意味をなさないだろう。

西村佳哲さんがいう、仕事の根っこにある
「あり方、存在」の大切さもここにある。

「場」のチカラって、
それぞれの人が「変状する」のが
それぞれの人の本質に沿っている、
つまり自由が発揮されている状態にあること、だなあと。

「挑戦」とか「目標」とかじゃなくて、
ただ、「結果」が目の前にあって、
他者からの影響も受け続けていて、
そこに対して自分がどのように影響を受け、
またどのように変状していくか。

たぶんそんなのを本屋でやりたいんだ。

なぜ本なのか?
それは、本がもっとも不確実に人に影響を及ぼすからだ。
意図しない変化をもたらすからだ。

なぜ本屋なのか?
それは、本屋空間という場のチカラによって、予測不可能性が高まり、
それによって相互の影響しあうからだ。

目の前の状況から、
いまいるメンバーで何かが起こっていくこと。
それを見届けること。
あるいはそこに自分も参画すること。

そんな「あり方」を僕が望んでいるのかもしれない。  

Posted by ニシダタクジ at 12:21Comments(0)