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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2018年08月31日

「自分に自信がない」の「自分」って何だ?

明日は茨城県日立市で「若松ミライ会議」の拡大版。
復習しようと。

「顧客」と「価値」の視点から過去を見つめなおす(18.7.12)
http://hero.niiblo.jp/e487733.html

「私」を外す、という美学(17.3.28)
http://hero.niiblo.jp/e484378.html

あらためて。
「日本人は何を考えて生きてきたのか(斎藤孝 洋伝社)より

西田幾多郎の言葉。
「主客があるかのように思うのは、私たちの思い込みにすぎない。実は主客未分のほうが本来の姿であり、純粋な経験である。経験の大もとを純粋な経験だとすると、純粋経験は主客未分でおこっているはずだ。本質を捉えようとするならば、私というものを前提として考えるのではなく、むしろ主客を分けることができない純粋経験こそを追求するべきだと考えたのです。」

そして、鈴木大拙もつづく。
「禅は科学、または科学の名によって行われる一切の事物とは反対である。禅は体験的であり、科学は非体験的である。非体験的なるものは抽象的であり、個人的経験に対してはあまり関心を持たぬ。体験的なるものはまったく個人に属し、その体験を背景としなくては意義を持たぬ。科学は系統化(システマゼーション)を意味し、禅はまさにその反対である。言葉は科学と哲学には要るが、禅の場合には妨げとなる。なぜであるか。言葉は代表するものであって、実体そのものではない。実体こそ、禅においてもっとも高く評価されるものなのである。」

これ、中動態を学んだ今、めっちゃよくわかるね。

自分の過去に、「顧客」と「価値」があって、
それはすごく体験的で、個人的なもので、

そもそも「自分に自信がない」というときの
「自分」ってなんだろう?

と、「やりたいことがわからない」
ことが苦しいから、「やりたいこと」を探してしまうけど、

「自分に自信がない」
ことが苦しいから、自分に自信をつけようとしてしまうけど。

そもそも、やりたいことって何か?

とか

自分に自信がない場合の「自分」って何か?
みたいなことって問わないもんね。

僕はかつて、
「自分に自信がない」と言ってきた若者に対して、
「自信がなくても始められたらいい」
と思っていた。

だから、上田信行先生に出会って、
キャロル・ドゥエック先生の本を読み、
固定的知能観と成長的知能観について学んだ。

「自信がない」は後天的に獲得した資質である(14.12.29)
http://hero.niiblo.jp/e459844.html

やればできる(かもしれない)、
つまり自信がある状態が通常で、
自信がない(からやれない)
というのは後から獲得している。

だから、始めたらいい。
と言っていたけど。

自信がどうの、っていうよりはまず「自分」というか
アイデンティティについて取り組んでいく必要がある。

そのためには、自分の過去を知ること。
過去の結果としての自分を受け入れること。
状況に身を委ねること。

「自分」を知ること
「社会」を知ること

そこから「自分」を見つめなおすこと。
明日の「ミライ会議」がそんな場になったらいい。

これから明日の予習をこの本で。

「We are lonely,but not alone」(佐渡島庸平 幻冬舎)  

Posted by ニシダタクジ at 09:38Comments(0)言葉