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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2018年09月08日

「参加」と「ケア」のデザイン

「参加」と「ケア」。
これからはこの2つがテーマになってくると思う。

「場のチカラ」を高めるために、
個人が思っていることを話す。
そういう環境をつくることはとても大切だ。

それは「ケア」であると同時に「参加」になっている。
実は最大のケアは「参加」なのではないか、と思った。

それは決して、
「役割がある」ということではない、と思う。

「役を演じる」というか、
即興演劇に近いような、そういう感じ。

生きづらさの源泉は
「個人」という考え方にあるのではないかと
思う今日この頃。

学校は、「集団生活」を学ぶといいながら、
「個人戦」を強いる。
他者と比べることで、
アイデンティティを確立しようとする。

結果、いじめが起こる。

アウトプットを出すのは、
場のチカラであって、個人やチームの力ではない。

だから、そこにいるひとりひとりが
「参加」すること。「ケア」されること。

「ひとりひとり」と「個人」っていう概念は違うのではないか。
そう思っている。

場の構成員としての「ひとりひとり」であり、
それは一個の「個人」ではない。
決して切り離すことはできない。

それがたぶん「場」という考え方
だろうと思う。

「参加」と「ケア」のある場をデザインすること。

それって、ミーティングの時の「チューニング」とか
そういう話でもある。

多くの大学生がアイデンティティの不安を抱えている。
自分が何者であるか、わからない。

それはコミュニティが希薄化したことが
大きな要因であるといえるだろう。
また、学校社会が「夢」や「目標」を
アイデンティティの要素として聞いてくることも大きいような気がする。

「夢」がなければ人に非ず。

そんなことないんだよ。
常に場に溶け出していけばいいと思う。

「中動態の世界」(國分功一郎 医学書院)を読むと、
「意志」とか「未来」とか「個人」とか、幻想のような気もしてくる。

そんなあいまいな世界を生きる僕たちに、
「参加」と「ケア」のある場をデザインしていきたいなあと思う。

8月29日(水)から9月7日(金)まで、
10日間にわたり、そんなことを考えていました。

場を共有していただいた方、ありがとうございました。

  

Posted by ニシダタクジ at 07:03Comments(0)学び