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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2018年10月29日

「余白」とは、境界をあいまいにして「委ねる」こと

余白おじさん。

昨年「新城劇場」(現在はリニューアルオープンしてブックカフェになってます)
のオープンの時に
webマガジン「温度」の碇さんにつけられたニックネーム。
http://ondo-books.com/bookstore-report/188

当時はおじさんを認めたくなくて(笑)、
「余白デザイナー」と名乗っていたりするのだけど。

あらためて
「余白」について考えてみる。
場にも、仕事にも、組織にも、人生にも、「余白」が必要だと思う。

世の中が閉鎖系から開放系へと進んでいる。
閉鎖系で機能したフレームワークが
どんどん通用しなくなっていく。

「余白」をデザインするとは、
「境界」をあいまいにすること、だと思う。
それが「心地よさ」や「ワクワク」を生むのではないかという仮説。

気がついたら私も本屋という舞台の共演者になっていました。

これがツルハシブックスのキャッチコピーだったのだけど。
それは、店員とお客の境界を溶かしていくことだと思った。

そこに立っている人が店員なのか、お客なのか、
あいまいな状態にすることで
自分自身もあいまいな状態になる。
そこで共演者になれるのだと思う。
それが場の余白ではないか。

仕事の余白は、目標以外の成果を意識すること。
インターンシップの余白は、目標を設定しすぎないこと。

にいがたイナカレッジのプログラムのように、
参加者が地域の人と触れあう中で、
ゴールを再設計、設定すること。

それは、言葉にすれば「委ねる」ということ。
未知なるものに委ねる。
そして、ふりかえること。
きっとそういうこと。

僕自身は現代美術家として、
「リレーショナルアート」領域を創造していくのだけど、

それって、余白をつくること。
つまり、
境界をあいまいにして、委ねること、なのかもしれない。

場にも、仕事にも、組織にも、人生にも、
ワークショップにも、「余白」が必要だって
そういうことなのではないかな。


写真は南魚沼・ヤミーのかぐらなんばんジェラート
めちゃめちゃ辛いです。
アイスの余白に作っちゃってますね。(笑)  

Posted by ニシダタクジ at 06:52Comments(0)言葉

2018年10月27日

プログラムふりかえりメモ

大正大学地域実習39日目。
南魚沼市での成果報告会。



月曜日に柏崎市で水曜日に十日町市で
そして金曜日に南魚沼市での成果報告会を経て。

個人的なふりかえりをしておく。

・成果報告会の設計・内容について
実際にヒアリングをした人、お世話になった人向けと、
プレゼンテーションのみを聞きに来た人向けでは
リアクションが違うというか、そもそもニーズが違うなあと。

プレゼンテーションのみを聞きに来た人からは
完成度が低く思えただろうし、
実際にかかわった人にとっては、
自分のところで何を学んだ、感じたかをフィードバックしてほしい
ということだと思う。

今回の1年生のプレゼンテーションは、
観光、食、定住促進、伝統産業という
4つの視点で構成していったのだけど、
柏崎市の工業や大企業のCSRの取り組み
はその編集をかけると失われてしまう。
⇒お世話になった人向けの配慮が必要。

「19歳の感性で感じたこと、考えたこと」
をプレゼンで聞きたいということ。
⇒ラストの1人1人の感想をスライドショーと一緒に
載せたのは好評だった。

僕自身のプレゼンに対しての振り返り。

1 「顧客」「価値」視点を得られていない。
最初の段階で、振り返りの手法だけじゃなくて、
「顧客」は誰か?、「価値」は何か?
という視点を得ることが大切。

2 リアルな声を拾えていない。
上記「顧客」「価値」視点で、
ヒアリング時にリアルな声を拾っていくこと。

3 アウトプットの方法、テーマを考える
定期的にアウトプットの方法、テーマを考えていくこと。
アウトプット、聞いてくれる人の「価値」視点と
自分たちの「学び」視点から
プレゼンの内容と報告の方式を考える。

これらは序盤の段階(1~2週間目)
でプレゼンの道筋をある程度考えておくことが大切だと感じた。

また、チームビルディングに関して。
お互いに遠慮してしまう。(思ったことを言えない)
ような状況の中で最後まできてしまった。

プレゼンなどは教員が指導するのではなく、
学生同士で改善していけるようなチームをつくる必要。
「地域資源マップ」のアウトプット方法はいろいろあるのだけど、
それを考える必要があったのかもしれない。

・「呼吸」を合わせること
佐渡のお寺の実習では、毎朝お経を読むということをしているという
これによって、呼吸が合っていくのだと思う。
これはチーム作りにとっては非常に重要。

・「思ったことを言える」環境づくり
こちらも序盤においての
ふりかえりの手法を伝え、実践していくことで
そのような環境をつくっていけるように思った。

全体としては、「3地域の比較」というのが
第1に来てしまったのがポイントだったかと

「比較」するためには、
3地域をすべて見る必要があるし、
それを見てから初めて比較が始まる。

しかし、「比較」そのものは、
学びはあるかもしれないが価値は産めない。

あくまで、
自分が感じる「価値」をアウトプットしていくこと。
が大切なのだ。

その視点、仮説を検証するものとして、
あらたに話を聞いて、ヒントを得て、考えを深めていくこと。
そういうやり方が必要だったのかもしれない。

具体的には、「中間報告」を設定して、
そこで、自分たちが感じる「価値」と「顧客」
について検討し、それを発表してもらい、
同時にアウトプットのスタイルを考えてもらうこと。

あとは、
成果報告会の参加者を限定してもいいのかもしれないと思った。

斬新なアイデアを提案し、
地域の人に取り組んでもらうことが報告会の価値や意義ではない。

自分たちが地域で様々な人に出会い、
どう感じたか、何を価値だと思ったか、
それはなぜなのか。
自分にとってプロジェクトを行うときの顧客は誰なのか。
そんな学びを深めるための成果報告会であると思う。

まあ、3年生については、
ビジコン並みの内容・緊張感がある程度は必要であると思うが。

だから、十日町で指摘されたような
「実現可能か?」という問いではなく、
「自分たちではどう関わるのか、関わることができるのか?」
というのを問いかけることだと思う。

「目的」と「価値」と「顧客」と「学び」
について、いろいろ考えた成果報告会ウィークでした。  

Posted by ニシダタクジ at 08:37Comments(0)アイデア

2018年10月25日

「売れること」と「来てもらうこと」



大正大学地域実習37日目。
十日町市での成果報告会。

みなさん真剣に聞いてくださり、
愛のある厳しいツッコミも頂戴しました。

HOMEHOMEの井比さんからは、
水戸部さんと同じく、
「プレゼンにリアリティーがない」とのご指摘。
この4週間で何を学んだのか、伝わってこない、と。

そうそう。
現場のエッセンスをね。
聞く人は大学生の感じたことを知りたいんですよね。

さて。

「リアリティー」ってなんだろう?
って考えてみる。

素敵な質問があった。

「十日町の商品が東京で売れること」と
「買った人が十日町に来てもらうこと」と
どちらを重視するのか?

あるいは

「浴衣を洗ったり、シミ抜きしたりするアフターケアは
どう考えているのか?」

学生たちが考えてなかった視点。

それこそが「顧客は誰か?」
というリアリティーにつながっていく。

木下斉さんのいう、
お客をひとりひとり特定していく
「ピンホールマーケティング」が
必要だと思った。
http://hero.niiblo.jp/e478687.html
(16.4.22 利益と向き合う)

そして、デザイン思考的なプロセス。
顧客のインサイトに迫っていく。
それを補強するものとしてデータがある、と。

http://hero.niiblo.jp/e473850.html
(15.10.23 もし、すべての仕事がアートプロジェクトだったら。)

そういった意味では、
今回の成果報告会そのものも、
「見に来る人は誰で、彼らが欲しいものは何か?」
という問いが必要だった。

コメントでいただいた
「地域の人の姿が見えない」
「リアルで具体的な何かが入っていない」
「グーグルや食べログに載っていない情報を」
「生の声から課題を掘り起こしてつぶしていくこと」
「現役の大学生だからできるという主体性が必要」

まさにこれこそが
実習受け入れ地域が欲しいものなのだ。

僕自身の反省は
そのようなデザイン思考的アプローチについて、
実習前半でもっと学べるようにするべきだったと。

話を聞いてきたこの事業の顧客は誰で、
顧客にとっての価値は何か。

それをヒアリングの際に考えながら聞く。
地域の課題は何で、その人たちはリアルにどんなことを
言っているのか。

「生の声」は
現場でしか聞こえない。

そしてそれを届けること。

タイトルに書いた、

「十日町の商品が東京で売れること」と
「買った人が十日町に来てもらうこと」と
どちらを重視するのか?

というのは素敵な問いだったと思う。

「来てもらうこと」を目指したプレゼンテーションのほうが
「リアリティー」があり、結果として「買ってくれる」商品に
なるのではないかと思った。

購入した顧客のことを考えたら、
浴衣のアフターケアはとても大切な要素なのだろうと思った。

そうやって、
顧客に気づいていくこと。

さて、明日は最後の南魚沼での成果報告会。
作りこんでいきましょう!  

Posted by ニシダタクジ at 06:56Comments(0)日記

2018年10月23日

「無知」と「感性」と「行動力」

大正大学「地域実習」35日目。
柏崎市での成果報告会。



19名もの人が来てくれました。
その期待に応えていたか、
というと、いまひとつかなと。

講評の時に水戸部さんが言っていた。

現場の声、リアルな声を聴いて、
何を思い、感じたのか。
それが伝わってこないと。

その通りだなと思った。
聴いている人が期待しているのは、そういうこと。
課題に対する解決策そのものを期待しているわけではない。

課題だと感じ、それを解決する方法を考える
プロセスの中で、大学生自身が感じたこと。
心が動いたこと、それを聞きたいのだ。

そんなリアルな声を言語化すること。
それが期待されているのだとあらためて思った。

19歳の大学生には、知識もスキルもない。
もし、仮に大人よりも勝っているものがあるとすれば、

「無知」と「感性」と「行動力」
でしかない。

「無知」な状態で話を聞くことによって、フラットに見て、
「感性」を発動させ、そこで何かを感じる。
それを「行動力」によって、実証、言語化していくこと。

それが期待されているのだと
あらためて思った。



9月30日までお世話になった
柏崎の海に挨拶して、南魚沼に帰ります。

さてさて。
修正していきましょうかね。  

Posted by ニシダタクジ at 06:42Comments(0)学び

2018年10月22日

「ソーシャル」って何?



週末も南魚沼にて。
大正大学地域実習33,34日目。
八海山尊神社「火渡り」、
南魚沼市わかまち会議へ。

その合間に今日から始まる
実習の成果報告ウィークへの準備をする。





夜は恒例の足湯。
昼間のワークショップを振り返って、感じたこと。

去年の今ごろ受けた、
コクリの三田さんのワークショップを思い出した。

http://hero.niiblo.jp/e486023.html
「ツルハシが掘るもの」(17.10.15)

「みんなで何やるか?」
って話し合っても行動は起こらない。
そこにはwhyがないから。

そうじゃなくて、三田さんのワークのように、
一人の根っこを、温泉を探し当てるように掘っていくこと。
温泉(源泉)がwhyにつながり、
そこに「共感」が生まれる。それをみんな応援して
「チーム」ができる。

「コクリキャンプ」とか
「スタートアップウィークエンド」とかって
そういう設計になっているんじゃないか。
だから行動が起こるのではないか。

「ソーシャルなことを始めよう」ではなくて、
「ソーシャル」っていうのはそもそも「みんなでやる」
っていうか1人を補うっていうことなんじゃないか。

だから、三田さんがいうように、
過去の想いの源泉を引き当て、
whyを見つけること。

ソーシャルプロジェクトの生まれ方は、
ソーシャルなことをみんなで考えよう!
っていうのじゃなくて、what,howじゃなくて、

個人の過去から想い(why,for whom)を発掘して、
そこに賛同する人が現れ、プロジェクトが生まれていくのではないか。
そして共感の度合いが高いことをソーシャル度が高いというのではないか。

人生は経営である。

時間という有限な経営資源をどこに投じるか。

それは、効率的かどうか、
ではなくて、心がワクワクするか、
共感しているか。
そうやって起こっていくのではないだろうか。

「なぜ」「いま」「あなたが(わたしが)」
これをやらなければいけないのか。

それを感じられるプロジェクトだけが
力強く始まっていく。  

Posted by ニシダタクジ at 06:35Comments(0)日記

2018年10月19日

雪国の誇りをコンテナ輸送する

今朝は坂戸山に登りました、
雲海、きれいでした~。







昨日は大正大学「地域実習」31日目。

一般社団法人「ゆきぐに利雪振興会」の高橋悟さんに
お話を伺う。



まずは高橋さんの熱の入った講義から。

~~~以下メモ

消雪パイプが新潟の暮らしを劇的に変えた。
除雪→融雪になった
長野・北海道では地表に出た瞬間に凍ってしまう。
チェーンがスタッドレスでもいけるようになり、
スキー場に人があふれた。
観光産業の発達などにより出稼ぎに出なくてもよくなった。
一方で地下水のくみ上げによる地盤沈下などの問題もある。

これまでの雪との歴史
酷雪→克雪→利雪→楽雪
  消パイ・スキー場
※昔は出稼ぎ・機織りをしていた  

利雪:雪をお金にする発想力が必要

酒蔵の使うお酒:雪解け水:溶けた雪
コシヒカリをつくる:雪解け水

雪室:入れるとおいしくなるのは雪国の人は知っていた。
にんじん・だいこんなどの根菜類は甘みが増す
→なぜ甘くなるのかわからなかった。

八海醸造の雪室:自然循環型
自然循環でお酒を貯蔵している。
最初に投資はかかるけど、ランニングコストは安い

お米を貯蔵するのは
機械システム型で空気だけを冷やす。
(湿度が高いとダメ)

「雪は恵みである。」

ゆきぐに利雪振興会
東京オリンピックの競技へ雪を生かすことを目指す。
今年はお台場のビーチバレー会場へ。
トラックではなくJRのコンテナを使って輸送する。

断熱シートではなく、
ウッドチップで覆う。

断熱シート:6,7年で劣化
ウッドチップ:3年で腐食する
→腐食したウッドチップ:ドックランに最適?

これまでは雪を解かすのにエネルギーつかってた

これからは雪からエネルギーをもらおう

自然エネルギー:電気を起こすだけじゃない
雪の冷たさで冷やすこともエネルギー

~~~ここまでメモ







講義のあと、
実際に雪を貯蔵している山へ見に行く。

高橋さん、いい顔してるなあと。

高橋さんが東京に運んでいるのは、
単なる雪ではなく、
「雪国の誇り」そのものなのだろうなあと思った。

自分たちが育った、また暮らしている南魚沼の
誇りそのものを、全国に発信していく。

雪室や利雪プロジェクトは、郷土の誇りを生んでいると思いました。

そこへの共感が南魚沼のファンをまたつくっていくのだろうと思いました。  

Posted by ニシダタクジ at 06:46Comments(0)

2018年10月17日

地域を「編集」するリアルメディアとしての宿

大正大学地域実習29日目。



南魚沼・里山十帖へ。
http://www.satoyama-jujo.com/about/

冒頭より
「2014年5月、私たちは新しい宿をオープンさせました。
でも旅館を始めたかったわけではありません。
レストランを始めたかったわけでもありません。
始めたかったのは、新たなインタラクティブ・メディアの枠組みをつくること。」

※この里山十帖とは?のページだけでも、応用できることが
たくさんあります。すごい。

雑誌「自遊人」を作っていた岩佐さんが
2004年に「米をつくいたい」と会社を移転。
農業法人を立ち上げ、地元の農家のお米を
生産者の名前入りで販売したりした(当時としては珍しい)
出版、農業、物品販売を行ってきた。

2013年。
山の中の温泉旅館が廃業するタイミングで
そこを買い取り、リノベーションの末「里山十帖」をオープンした。

「さとやまから始まる10の物語」
十帖とは、10ページのこと。

「真に豊かな暮らし」を提案・発信することを目的に、オーガニック魚沼産コシヒカリを育てる農作業体験「農」、美術大学との産学協同でリノベーションに取り組む「芸」、料理人とのコラボレーションで地産地消の郷土食文化に新たな彩りを加える「食」など、10のコンセプトから成っている(上記webより)

里山料理。
ここにあるものを楽しんでもらうこと。

そして何より、
ここでしかできない「体験」を重視していること。

「米一粒がメディア」。
「椅子はそのフォルムだけではなく、座り心地がメディア」。
「そこにある風景そのものがメディア」。
人と人の対話だけでなく、モノが、建物が、風景が語り出す……、
そんなメディアをつくっていきたいと考えています。(上記webより)

夏は星空を眺め、秋には稲刈りをして
冬にはかまくらの中でホットワインを楽しむ。

そんな里山十帖に来ないと体験できないことを
体験してもらうこと。

そしてスタッフではなくプレゼンターであり、
宿のコンセプト、食材の物語、自然について説明し
お客様に里山十帖を楽しんでもらうこと。
里山十帖そのものがメディアであるということ。

~~~以下メモ

雑誌が売れなくなってきている
→ホテル経営:次のステップへ

地域の人々に参加してもらう
料理部門:地域の食材を使って。

お客:ペルソナ設定
一番来てもらいたいお客にどうやってきてもらうか。

体験する:散歩ツアー
「あのお米が夜でますから」

そもそも美味しい上にプレゼンテーションするさらにおいしくなる。
150年前の北前船の物語:ネオ里山料理

宿:リアルメディア
その場所でしか味わえない。
1つ1つの体験がリアルメディア

薪ストーブ:暖かさが循環するように。

「地域おこし」をいかにカッコよくやるか。
「編集」によって地域の価値を高めていくこと。

バリアフリーではないこと
⇒ページに表示している。
お客さんの想定がある。

ハコは変わらない⇒季節によって「体験」を売ること
・たき火
・かまくら
・山菜

リピーターがくる。
⇒違う季節の里山体験をしたいから。

お土産を持ってくる。
「あなたに会いに来た」と言ってもらえる。

~~~ここまでメモ

美学。
言葉にうまくできないけど、そんな感じ。

美しさとは何か?
カッコよさって何か?
雑誌「自遊人」が編集していたものとは?
里山十帖が提供する「価値」とは?
そんな問いが次々に生まれていく。

「里山十帖」はお客さんの中に、
問いを残しているんじゃないか。

「豊かさ」って?
「季節」って?
「日本」って?
「地域」って?

その謎が解けなくて、
お客さんはまた里山十帖にやってくる。
与えられるだけの体験ではなく、そこに「参加」できること。

「編集者」とか「アーティスト」ってなんだろう?
って思った。

目の前にあるもの。
目の前になく、心や頭の中にあるもの。
人と人のあいだにあるもの。
季節と季節のあいだにあるもの。

それらを編集し、「価値」を生み出していく。

その「価値」っていうのは、
実は、自分の中に問いが生まれること、なのかもしれないなと思った。

それって、宿じゃなくて本屋でもできると思った。
いや、本屋こそがそういう空間になるんじゃないかと思った。

ツルハシブックスは
まさに「双方向メディア」だったんじゃないか。
そしてお客と店員の境をあいまいにすることで
お客が「参加」できる仕組みだったじゃないか。

デザイナーの役割は課題を解決すること
アーティストの役割は問いを投げかけること。

「編集者」っていうのは
その両方を同時に、しかもあいまいに行うこと、
なのかもしれないって思った。

さて、ぼくは本屋というフィールドで、
どんな編集をしますかね。  

Posted by ニシダタクジ at 07:35Comments(0)学び

2018年10月15日

地域プロジェクトへの参加がキャリア観に及ぼす影響(仮)~「やりたいことがわからない」の社会学

卒論相談のアイデアメモ。
タイトルとサブタイトル逆でもいいな。

1 はじめに
・自分自身の中学・高校時の経験
・大学生の地域プロジェクトの参加
・「にいがたイナカレッジ」などのいわゆるインターンではない地域プロジェクトへの参加
・「キャリア観」は時代・社会の変化に合わせて変わっていくのではないか

2 前提確認
・「やりたいことがわからない」という課題
・キャリアが激変している時代
・キャリアデザインとキャリアドリフト
・「アイデンティティ」不安と承認欲求

3 本論
・地域プロジェクトへの参加についてのアンケート調査
(イナカレッジや他の地域プロジェクト参加者へのアンケート)
・地域プロジェクト参加者へのヒアリング調査
・社会人2,3年目の人へのヒアリング調査

・「田舎」で得られる「親和的承認」(存在承認)
・「キャリアデザイン」以外のキャリア観の実例に出会う

・「やりたいことがわからない」という悩みは
アイデンティティの課題と直結している。

・解決策は「やりたいことを決める」ことではなくて、
自らの存在を承認し、キャリアドリフト的な、
「やりたいことがわからなくても前に進んでいける」状態に置くこと

・チーム作り~「場のチカラ」を高める

・「参加」のデザイン~ゴールづくりに参加・同意しているか

・ふりかえり~「予測不可能性」というエンターテイメント

4 結論

5 おわりに

という感じ。
まだ途中だけど。  

Posted by ニシダタクジ at 06:39Comments(0)アイデア

2018年10月13日

素材の声を聴く



大正大学「地域実習」24日目。

午前中は八海醸造「魚沼の里」で「雪国wa!shoku会議」に参加。
午後からは国際情報高校の授業「魚沼学」の中間プレゼンの見学
夜はこの期間の実習のコーディネートをしてもらっている
「愛・南魚沼未来塾」の倉田さんと魚沼学をスタートした茂木さんの講座。

盛りだくさんの1日でした。
まず午前中から。

あの「里山十帖」(来週お邪魔します)の
岩佐さんに初めてお会いしました。
さすが、最先端だなあと。

「美しさ」について考えさせられました。

~~~以下メモ

定住者ひとり当たりの消費額は年間124万円。
人口減少とは、1人あたり124万円減るということ。
外国人観光客10名(2組)、日本人宿泊客26名(13組)、日本人日帰り83名(50組)と同じ。

旅行の目的の変化
名所・旧跡⇒温泉⇒美味しい食べ物
現地でしか食べられないものが旅行の動機になる。

美食の定義が変わってきた。
豪華な食事ではなく食文化の豊かさを感じる食事。

おいしい食べものってなんですか?
ガストロノミー=美食学
食べ物を右脳と左脳両方使って楽しむ

美食の定義。
フランス=テロワール(土)、イタリア=スローフード
ローカル・ガストロノミー:地域の風土・文化・歴史を皿の上に表現したもの。
それぞれの立場(生産者、料理人、住人)でローカルガストロノミーを表現していくこと。

2019新潟・庄内DCコンセプト「日本海美食旅」
食を通じて、新潟・庄内の歴史・文化を味わう知的な旅。

ガストロノミーツーリズム:
その土地の気候風土が生んだ食材・習慣・伝統・歴史などによって育まれた職を楽しみ、
その土地の食文化に触れることを目的としたツーリズム

新潟のナス:日本一の作付面積→66%は自家消費
新潟の枝豆:日本一の作付面積→42%は自家消費
→こういうものの中にローカルガストロノミーはある。

京都・東京に次ぐ食文化圏へ:日本海美食旅

京都のすごさは住人が京都出身・在住に誇りを持っているから。
新潟もそうありたいね。新潟最高だよ、
観光客なんて来なくてもいいのに、くらいにならないと。
でも独り占めもあれだから、観光客さんもどうぞいらっしゃい。みたいな。

独自のコンテンツ(温泉・名所)+ローカルガストロノミー
→どの地域にもある。
コンテンツが人である場合もある。
柏崎ツアーもこれでいけるかも。

里山十帖:米づくりを学ぶために南魚沼へ。
3年、5年で軽井沢に引っ越すつもりだった。ところが軽井沢には
自然・文化が乏しいことに気がつき、南魚沼が味があるところだと感じてきたので、
いまのところ引っ越す予定はない。

世界の潮流:「衣食住」への原点回帰。
→一番大切なものは食なのではないか。

京都の野菜料理:下ゆでをする
⇒一度味を抜いてからダシで味を入れていく。ダシ(かつお+昆布)でつける。

新潟の野菜:味があるから昆布だけで味が出る。野菜の皮:うまみが凝縮している。
水の違い(硬水、軟水)もある。

京都の野菜:滋賀や福井、兵庫から運んできている。
技術を磨いて同じ味を再現することに価値がある。恵まれていない食材をどうするか?

京料理にとって大切なもの
1 見た目(ビジュアル)
2 味
3 素材
京料理を目指す必要はない。昔からある食文化を生かすこと。

山菜を生で食べたら甘かった。育っているシーン(場所や時期)で味が違う。
⇒食材とともに生きている。

山菜はアク抜きが必要、天ぷらにして苦みを飛ばす必要
→従来の常識

「旬」=一瞬で過ぎていくのが分かる
金沢・京都の旬と違う。
新潟では春が遅くくるし、秋は早くくる。

歳時記ではなくて、
目の前にあるものを料理する。
⇒土地そのものと対話

ダイナミック=自然とのコミュニケーション
ダイナミズム:東京・軽井沢にはない。
⇒季節に合わせた無理のない料理=家庭料理

東京:〇月の料理:家庭でつくれるのか?
1か月そろえられるのか?
七十二候を感じるのか?

砂糖を使うと塩が増える。
塩分をを控えるには砂糖を減らせばいい。

~~~以上メモ

京都の料理は
一度味を抜いて、そこから味をつける。
農家の料理は、そのままの味を活かす。
それがローカルガストロノミーか。

なんか、単純だけど、
とても深いように感じた。

午後からは国際情報高校へ。
2年生の「魚沼学」中間プレゼンテーションを見学

印象に残った2チーム

高校生のための新聞発行をするチーム
同じ事柄を異なる視点で描いた新聞をつくって、
「進路」の悩みを軽減できるのではないか。
不安を解消するのではなくやわらげることができるのではないか。

もうひとつが
スイカを使った商品開発チーム
名産の八色スイカ。

彼女たちが通学路を通るとき、八色スイカの畑を通る。
すると、規格外で捨てられているスイカを目にするのだという。

あれを何とかできないか。
ということで、石鹸、化粧水、種を使ったお菓子を作ってみた。

いいね。
そういうの。アクション起こってる。
それを夏休みにバイト代わりに売ったりしたら
楽しいだろうなあと。

プレゼン聞いていて思ったこと。
やっぱ切実なストーリーって大事だなと。
スイカ畑のスイカが捨てられてる絵って
何かつらいもんね。

茂木さんが最後に言っていたけど、
「共感から始まる。もし、自分の中に何かなかったら、
誰かの思いに心を寄せていく」
っていうのが印象に残った。
共感とか思いとか大事だなあと。

夜の部。
愛未来塾の倉田さん。

旅行代理店での様々な取りくみ、
地元の誇りを生み出している。

交換価値→使用価値へ
トキ(時)とエン(縁)が価値を持つ時代。
ナナメの関係を地域でつくっている。

学びが楽しいまちは暮らしが楽しいまち
まちづくり=最終的には教育に行き着く。

うんうん。

茂木さんの話を聞いていて、
ビビっときた。

子どもを育てるって、
京料理じゃなくて、新潟の農家料理をつくるような
ものなんじゃないかって。
素材の声を聴く。

京料理じゃなくて、
農家の家庭料理をつくるんだって。

今までの教育は京料理をみんなで目指してきたんじゃないか。
「最高」と設定した料理を分析し、マニュアル化し、それを目指してきた。

でもね、それってもう価値じゃなくなってきてるんすよ。
ガストロノミーの時代。

地域固有の食文化を、一瞬しかない「旬」を、
農家の家庭料理のように、
毎日食べられる方法で調理すること。
それを味わいに海外から観光客が来るんだ。

アイデンティティ。

新聞をつくるチームの
プレゼンにもあったけど、
それって食からも作られるなあって。

素材の声を聴く。
素材の旬を感じる。
素材そのままの力を活かす。

そういう場をつくっていくこと。

なんか1日がすべて編集されて、
とってもいい気分になりました。
ありがとうございました!  

Posted by ニシダタクジ at 09:27Comments(0)学び

2018年10月12日

にいがたイナカレッジという「問い」

この夏にかかわっていた
大学生向けプログラム
「にいがたイナカレッジ」の参加者レポート。

https://inacollege.jp/blog/2018/10/11/%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B8%E3%81%A7%E8%A6%8B%E3%81%A4%E3%81%91%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A8%E3%80%90%E6%A2%B6%E8%B0%B7%E9%BA%BB%E8%B2%B4%E3%80%91/

「即決できなかったのは、1か月という期間の長さ。
夏休みはインターンもそこそこに遊びたかったのが本音です…。
でもこれだと今までの大学生活と何も変わらないような…。

そして、1か月知らない人と知らない土地で暮らすことへの不安。
しかし参加を決めたのも1か月という長さ。
参加してみれば何かを得られるのではないか。変わる自分がいるのではないかという期待。
とりあえず行ってみよう…。悩みに悩んで、自分にとっては大きな決断をしました。」

うんうん。
そうだよね、そうだよね。
1か月は長いもん。

この時間を投資して得られるものはなんだろう?
って考えちゃうよね。

そして、

「釜谷の人が望んでいた冊子(歴史)と自分たちが作りたい冊子が噛み合わなかったとき、要望に応えたい、でも伝えたいことを曲げたくないと迷った時があります。

他の地域で私たちより早く活動をしていたインターン生に、「私たちの地域も同じだった。大事なのは自分たちの伝えたいことを伝えることだと思う」とアドバイスをもらうことができたので、それから私たちは自信をもってときめきを伝える冊子を作ることができました。」

泣ける。
泣けたなあ。

実はこの後にくるラストが超泣けるし、
僕も関われてよかったなあと思うのだけど、
それは本文を読んでください。

にいがたイナカレッジは
きっとそういうプログラム。

コーディネーターの井上有紀さんは、
あの「誇りの空洞化」を叫んだ
明治大学農学部の小田切ゼミ卒業生であり、
ツルハシブックス黄金期の
2015年を作った店員サムライの中心メンバーでもあり、
米屋を通して「暮らし」を届けるコメタクの
立ち上げメンバーでもある。

その系譜がカタチになったような、
そんなレポートだなあと。
すべて、問いでしかないんだって、あらためて感じた。

通常の企業のインターンシップと
明らかに違うのは、「得られる経験」が
明らかではないこと。

1か月という長期間(大学生にとってはかなり貴重)を
田舎で暮らすという投資に対して、
リターンが明確ではないこと。

たぶん、それがいいんだなあと思う。
でも、それって伝えるのが難しい。

どうやって伝えるか、っていうのを考えて、
上記のインターンを大学4年生にレポートしてもらったのがこちら

https://inacollege.jp/blog/2018/10/01/%E3%80%8C%E6%9A%AE%E3%82%89%E3%81%99%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E6%97%85%E3%81%AB%E5%87%BA%E3%82%8B%EF%BD%9E%E5%A4%A7%E5%AD%A64%E5%B9%B4%E7%94%9F%E5%B0%8F%E6%98%A5%E3%81%8C%E8%A1%8C%E3%81%A3/

「自分を知る」
それがイナカレッジの価値だと
彼女はレポートした。

そう。
「にいがたイナカレッジ」は問いなんだ。

内田樹さんの
「下流志向」(講談社文庫)と
「先生はえらい」(ちくまプリマー新書)
を読むと、学びとは何かについて考えさせられる。

現代社会において、教育が「お買いもの化」されている。
つまり、最小の投資(努力)で最大のリターン(成果)を得られるように、
というマインドに覆われている。

ところが本来、学びの本質は、
師匠が何をいったかに関わらず、
自分は何を学ぶか、学んだか、
というのが大切であり、それこそが学びの醍醐味なのだと。

これ、インターンシップにも同じことが言えるだろう。

インターンシップ募集サイトには
「得られる経験」が書いてある。
みな、目的をもってインターンをする。
(もちろん、同級生がしているから、みたいな理由もあるけど)

にいがたイナカレッジは、何が得られるのかよくわからない。
だって、田舎で暮らすだけなのだから。

そんなことに
就活前の大学3年生という貴重な時間を投じていいのだろうか?
と思う人も多いだろう。

何が得られるのか?
と不安になる人も多いだろう。
でも、それこそが、思考の呪縛だと僕は思う。

経験も状況も問いでしかないのだから。

昨日、「つなぎ道」の佐藤孝治さんに、
「ご紹介したい人がいます」と言われて、
1時間ほど、ウェブ上でインタビューを受けた。

「ご紹介したい西田卓司さんというすごい人がいます」
佐藤さんの紹介はだいたいこんな感じ。

聞いた人は、
詳細の情報がないから自分で聞き出すしかない。

「この人はすごい人だって佐藤さんが言っているから、
何か聞いて、そのすごさを吸収しよう」

って思っているから、実際に僕は「すごい人」になる。

実はその時、僕は「すごい人」である必要がないのだ。

相手が勝手に「すごい人」だと
思い込んでいてくれさえすればよい。

そう。
佐藤さんの「つなぎ道」も同じく
「問い」だったのだと。

「すごい人」だと紹介することによって、
紹介された人は、その人のすごさを
自分なりに解読しようとする。
それこそが学びの本質なんだ。

現在美術家の北澤潤さんが
デザイナーの仕事は課題を解決することで
アーティストの仕事は問いを投げかけることだと言っていた。

「問い」を投げかけること。

きっとそれが僕のやりたいことなのだろうな。
現代美術家だしね。


※写真はイナカレッジ中間研修(18.9.3)の本屋出店の図  

Posted by ニシダタクジ at 06:40Comments(0)日記

2018年10月10日

おそるおそる差し出してみる

「やりたいことがわからない」と「自分に自信がない」

僕が本屋さんに立っているときに、
大学生が話してくれた二大悩み。

「やりたいことがわからない」のほうは、
夢至上主義とも言えるキャリア教育に疑問を持ち、

山登り型の「キャリアデザイン」への違和感と
川下り型の「キャリアドリフト」への学びを得た。

そして、激動する世の中において、
どちらが機能するのか、という問いが生まれた。

今もその問いは続いていて、
「中動態の世界」(國分功一郎 医学書院)
とか
「先生はえらい」(内田樹 ちくまプリマー新書)

を読むと、
むしろやりたいことを決めないほうが、
変化に即座に対応できるし、
場のチカラを最大限に高められるのではないか、
と思った。

そこでもう一度、
「自分に自信がない」問題を考えてみる。

これについては、
上田信行さんの「プレイフルシンキング」(宣伝会議)を読んで、
キャロル・ドゥエックさんの「やればできるの研究」(草思社)
へとつながった。

「固定的知能観」と「成長的知能観」の違いだ。
「自分の能力は生まれつき決まっていて、変わらない」と思うのか
「自分の能力は常に開花の途上にあり、変わっていく」と思うのか

学校教育を受けていると、前者のほうに傾きやすくなる。
「自分は能力ないんだ」と思ってしまう。
だからチャレンジが始まらないのだと思った。

だから、そのハードルを下げるために、
「チャレンジだと思わないようにチャレンジする環境をつくる」
を本屋ツルハシブックスでは目指してきた。

昨日、来月のイベントの打ち合わせをしていて、
思い出したエピソードがあった。

2004年。
中越地震。

僕は地震後、川口町へボランティアに行った。
新潟大学ボランティアセンターと協力して、
「子どものケア」部門へ。

入ってすぐに、
自分たちの考えが甘かったことを知った。

「週1日で大学生8人なんてボランティアは要らない。」
「あなたが毎日来てくれ。」

その理由は、子どものマインドはきっと傷ついているから、
毎日新しいお兄さんお姉さんが来て遊ぶよりも
昨日と同じお兄さんお姉さんが来てくれたほうがいい。

子どものケア部門のボランティアをコーディネートしていた
ホールアース自然学校の方針だった。

日程を調整して、その週末から7日間連続で(通いで)
僕は川口町のある地域に入った。
現場ではただただ、無力だった。

学校が再開してなかったから、
朝から、小学生と遊んだ。
避難しているテントの中で。
親は日中は地震で散らかった
家の片づけをしていた。

弟がふたりいる小学生のおねえちゃんがつらそうだった。
甘えたいのに、甘えられない。
そんなことが伝わってきた。

午後4時。
ボランティア終了の時間。

ボランティアセンターに帰っていく車を
追いかけてくる子どもたち。

車の中でみな、黙り込んだ。

無力。
たたただ、無力だった。
こんなことを続けて、彼らのためになっているんだろうか。
苦しかった。

子どもは答えてくれないから。
評価をしてくれないから。

そもそも、毎日違う人が来るよりも、
同じお兄ちゃんお姉ちゃんが来たほうがいい
っていうのは、ホールアース自然学校の
経験則に基づくもので、
現場の子どもたちが発した「ニーズ」ではない。

「災害ボランティアセンター」は
「ニーズ」に対して「最高速で応える」ことを
ミッションとして運営されている。

そこでは、
「挙がってこないニーズ」は基本的に後回しにされる。

僕が中越地震の時、川口町で学んだこと。

ボランティアっていうのは、
「おそるおそる差し出すもの」だってこと。

おそるおそる差し出し、
相手の出方を観察し、
また改善して、
ふたたび差し出すこと。

そういうことなんだって。

なんか、それってさ、
ビジネスに似ているなって思った。

自信はないけど、仮説がちょっとだけあって、
それを検証するために、おそるおそる差し出してみる。

それって、
「自信を持っておススメします。」
って差し出されるよりも、
「コミュニケーションしよう」っていう意思が感じられるなあと思う。

だからさ。
「自分に自信がない」って、
顧客とコミュニケーションしようっていうビジネスにおいては
とても大切なことなのではないかと。

「やりたいことがわからない」
「自分に自信がない」

それはむしろ人生を送る上で必要なのではないか。
そんなふうに思ってきました。









大正大学地域実習21日目。
直江兼続ゆかりの坂戸城と八海山ロープウェーへ。

ちっぽけな自分をあらためて実感して、
次のステージに向かいます。  

Posted by ニシダタクジ at 08:49Comments(0)学び

2018年10月08日

「道」を歩むということ

「つなぎ道」を始めた佐藤孝治さんと
「道」について話して、感じたこと。

ああ、それは道なんだって。

そして、「道」ってなんだろう?って。

で、調べてみました。

https://wanodaigaku.com/genre03/know005/

~~~以下上記ブログから引用

「この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ。危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。迷わず行けよ。行けばわかるさ。」

古代中国で老子が語ったとされる「道(タオ)」以来、「道」という漢字は事物や世界、人生等の本質および本質に迫ろうとする生き方を意味するようになりました。

老子や荘子の思想を受け継ぐものを道家といい、その思想が宗教的に変遷したものが道教です。 この「道」という概念の影響を受けて、日本の古代宗教は「神道」となり、立花は「華道」に、茶の湯は「茶道」に変遷していきました。

「道」とはプロセス、過程のことをいいます。
例えば、お茶の道というものは、どこへ行く道なのかというと、茶というものを媒体にして、人生とか自然の悟りを得るための道なのです。
つまり、悟ろうとする努力の過程が「道」なのであって、悟ってしまったら、それはもう「道」ではなくなってしまいます。
したがって、日本における「道」の思想が、西洋の「術」と違うのは、未完の美に価値を置くところなのです。

(中略)

日本の「道」という発想から学ぶのは、技術ではなく、技術を通して、その裏にある「精神」、自然から学べる静かな心や精神状態、人間関係をスムーズに深くしていく心だと思います。
ですから、そこには発展や進歩という概念はありません。
西洋の芸術が、つねに新しいものを求めて発展進歩をよしとするのと、ここで根本的に異なっているのです。

~~~以上引用

「つなぎ道」が「道」だとすると、
それもまた技ではなくて「過程」のことであり、

「過程である」ということは、
「答えがない」と同義であり、

たどり着かないということであり、
人それぞれであるということ。
〇〇流っていうのが出てくるのかもしれない。

昨日は湯島のプログラミング教室「ソラ」
のプレゼンテーション大会にコメンテーターとして参加。



小学生、中学生が
自分が書いたプログラムを発表、実演する。
シューティングゲームや
植物育成ゲームを作ってみる。

ああ。
そうそう。

大切なことは、やってみることなんだなあって。
始める理由は「やったことがないから」でいいんだって。
そんな大切なことを思い出した。

そして、プログラミングもまた
「道」のようなものだなあって。
これでいいっていう終わりがない。

常にプロセスの中にいて、
その中で技術と自分を高めていくこと。
そういう繰り返し。

つなぎ道もそう。

佐藤孝治さんが目指すつなぎ道と
僕が目指すつなぎ道は違っていい。
僕は本屋で、「機会提供」をいちばん大切にするから。

「道」を歩む。
「未完の美」の中にいる。

多くの人がそんな生き方を欲しているのかもしれないなと思いました。

目指さないこと。
そもそもゴールなど無いのだから。

ただ、歩き始めればいい。
それだけなのかもしれないですね。  

Posted by ニシダタクジ at 06:42Comments(0)学び

2018年10月07日

「有用かどうか?」という思考の罠

コミュニティ(同質性集団)にいると、
居心地はいいけど、変化に対応できなくなる。

いや、そもそも
同質性集団にいることが心地よくない人もいる。

「やりたいこと」は何か?
「将来の夢や目標」は何か?
と問われ続けるけど。

やりたいことを仕事にして、
そんな人ばっかりの職場にいると
やっぱりそれは「同質性集団」の中に
いることになって居心地が悪い。

それはなぜなのだろう?
って思った。

中動態。
そして、内田樹さんが
「先生がえらい」(ちくまプリマー新書)
の中で書いていた、
武道では考えたほうが1歩遅れる分、必ず負ける。

だからブルースリーは、
考えるな、感じるんだ、と言ったのだ。

そう。
やりたいことや夢が明確ある場合。

目の前に来る情報や人、イベントを
「有用かどうか?」という視点で思考してしまう。
その分、飛び込めない。
結果、機会を失っている。

しかし、
「有用かどうか」っていう脳の判断より、
「おもしろそう」もしくは「違和感を感じる」
っていう心の動きのほうが大切なのではないか、と思う。

人はみな、状況の中に溶けている、
というのは、中動態的な思想なのだけど、

そういう状態に身を置き、
その場の判断で行動を起こすこと。
いや、体が勝手に動くこと。

それが大切なのではないか。
そうしないと、変化の時代の対応できないのではないか。

同質性集団であることは、
有事の際は全滅のリスクを負うということ。
「異質な他者」にどのように出会うか。
自分の判断や思考をどこまで信じないか。

場のチカラに委ねられるか。

「やりたいこと」や「夢」を明確にすることは
「機会」を失う大きなリスクを伴う。

そのリスクとは、
「これは自分にとって有用かどうか?」という
思考の罠なのではないか。  

Posted by ニシダタクジ at 11:02Comments(0)就職

2018年10月07日

なぜ本屋なのか?

「本屋である」ということ
http://hero.niiblo.jp/e487816.html
(18.7.24)

8月下旬に某ケーブルテレビのインタビューを受けた時。
そんな問いを問われた。

「西田さんはなぜ、本屋なのか?」
つまり、なぜ本屋という方法をとるのか?

http://hero.niiblo.jp/e485430.html
「本屋」という方法
(17.7.25)

http://hero.niiblo.jp/e455612.html
滞在時間を増やすとリピーターになる
(14.11.2)

とまあ、
なぜ本屋なのか?
っていう問いは終わりのない旅なのだけど。

今回の東京・茨城出張で感じたこと。



10月4日朝:佐藤孝治さんと「燕湯」→「つなぎ道」インタビュー
10月4日夜:NPO・NGO勉強会「草莽の集い」ゲスト
10月5日夜:茨城大学iOPラボ「場づくりラボ」開催
10月6日朝:上野公園スタバ朝活「とやまゆか学」
などなどから。

「目的を持って始めないこと」
「課題を解決しないこと」

これがとても大切なのだなあと思った。

そしてそれが表現できるのは、
本屋という空間が大切なのだと。

まずは「場」に参加してもらうこと。
心を開いてもらって、話を聞き出すこと。
気がついたら行動を起こしてしまっていたこと。
機会の提供であって、結果は気にしないこと。

たぶんそういうの。
そういうのがやりたいのだよ。

それが一番実現するのが本屋という方法なのだろうなと思った。

それは、キャリアデザインへの違和感。
「やりたいことがわからない」という悩みへの違和感。
「夢」や「目標」を問いかける学校社会への違和感。

そういう違和感を自分なりに表現したもの。

それがまきどき村という畑であり、
ツルハシブックスという本屋であり、
暗やみ本屋ハックツというプロジェクトなのだろう。

犯人が最初から分かっている推理小説を、
誰も読み始めたいとは思わないだろう。

最初は言語化できなかった違和感を追いかけて追いかけて、
いま、ここに来ました。

安西先生、おれ、本屋がしたいです。  

Posted by ニシダタクジ at 09:35Comments(0)

2018年10月06日

目的を持って始めないこと

10月4日木曜日は東京湯島・ソラで
「NPO・NGO草莽の集い2018」
で「暗やみ本屋ハックツ」の活動について、
現代表の原さんと話してきました。

10月5日金曜日は茨城水戸・茨城大学で
「iOPラボ」の初回イベント「場づくりラボ」を
(株)えぽっく若松さんと「場づくり」を
キーワードにしたワークショップを進行してきました。

「場づくり」のキーワードがよかったのか、20名を超える参加。
久しぶりに緊張するファシリテーションでした。
ああいうのが平然とできないとダメだなあと。

最初に用意していたシナリオは全部なしにして、
各自の「場づくり」についての
イメージを共有するワークショップにしました。

2次会に14人くらい来ていたので、
まあ、いい場だったのではないかなと。
発起人の川原涼太郎くん、ありがとうございます。
あなたが3月に開いたイベントが始まりです。

ということで。
僕の気づき。

「目的をもって始めないこと」
「課題を解決しないこと」

これがとても大切なんだっていうこと。

特に10代と何かやるとき。
あるいは単に話を聞くときであっても。
目的や課題解決をゴールにしてしまうと、
はじめられないし、フラットに聞けなくなってしまう。

「アマチュアリズム」に失敗はないことを
僕はつながるカレーの加藤先生から
学んだのだけど。

それは「経済価値を生む」という
大いなる(ほとんどの経済活動が持っている)
大義(目的)を消去しているのだ。

そしてそれこそが「つながるカレー」活動の
魅力である。

目的を持ってはじめないからこそ、
起こったことを楽しめる。
課題を解決しないからこそ、
フラットにメンバーの意思を確認できる。

「価値」を固定しないこと。
目標にとらわれないこと。

一期一会のいまこの瞬間を楽しむこと。
他者に出会い、尊重すること。

それっていうのが「場づくり」にいちばん大切なこと
なのだろうなあと僕はあらためて感じました。

関係者の皆さん、参加者の皆さん、
ありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 06:15Comments(0)学び

2018年10月04日

人間も一本の織り糸に過ぎない

大正大学「地域実習」15日目。
十日町DAY3.
まずは博物館で火焔式土器のお話から。

僕、恥ずかしながら、
縄文式土器は全部火焔式土器だと思ってました。
ほんとすみません。

「火焔式土器」は
火焔の文様をした縄文時代の土器のこと。
ちなみにこの文様は、共同体の範囲の大きさを
示し、火焔式土器の文様は
比較的狭い分布域となっていて、
東北や関東の多くの土器と違い、
ほかの地域とまじりあっていないのが特徴で

雪が多かったので移動がしづらかったのではと言われている。
そして、火焔式土器はほかとはまじりあわずに突如消えてしまう。

そもそも土器が縦長になっているのは、
吊るせないので、横から火を当てたからである。

文様をつけるというのは、
仲間同士であるという印で、
共同体の一員であることを示している。

火焔式土器は、
岡本太郎氏によって見いだされ、有名になった。

現在でもヨーロッパをはじめ、
世界各国の美術館で展示されている。

その後、「つねるぺ」こと
野沢恒雄さんの話を聞く。

縄文人からのメッセージとして、
シアトル酋長のメッセージを久しぶりに聞く。

13000年もの間、
戦争も環境破壊もなかった縄文人の暮らし。

「すべての生命は一つの織物である。
それを織ったのは人間ではない。
人間も一本の織り糸に過ぎない。」

そうそう。
そうだったよな、って思い出させてくれた。

その後、野沢さん魂の

「縄文の踊り」を鑑賞。

ランチは、ラードごはん。

油すげー




午後からは、10月1日にオープンしたばかりのシェアアトリエ「ASTO」へ
代表の滝沢梢さんに話を聞く。


あー、ここで本屋さんやりたいわ。

着物産業の材料やとしてひいおじいちゃんが創業した滝沢家。
梢さんは四代目にあたる。

社員寮だった二階の場所を
シェアアトリエ&コワーキングスペースに改装。

きっかけは十日町のビジネスプランコンテストだった。
それに応募するために書類を書いていたら
どんどんやりたくなっていったという。

着物産業は最盛期は600億の経済規模があったが、
現在は30億までしぼんでいるという。
その中で当然道具・材料屋さんも厳しくなっている現状がある。

そんな中で、
着物の染めや織りの技術を生かした
あたらしいモノづくりやアートを生み出していきたいと
シェアアトリエをつくった。

なるほどな~。
こういうののベースに本屋さんがあってもいいかもって思った。
それこそかえるライブラリーの仕組みはいいのではないかなあと。

あと、すごいのはこの場所が十日町高校の目の前なんですよ。
そういう場所に本屋があったら楽しいなあと思った。

魚沼中条の縄文パワーと
ASTOのアートの力に出会って、
僕も十日町に住みたくなりました。

僕も1本の織り糸として何ができるかな。  

Posted by ニシダタクジ at 10:29Comments(0)

2018年10月03日

光を観る観光

大正大学「地域実習」14日目。



十日町市の株式会社 HOME away from HOME Niigata
(通称 Home Home https://homehome.jp/
の井比晃さん。

結婚情報誌の広告を売っていた会社員時代に、
魚沼十日町担当になった。

十日町の結婚するカップルは、
十日町ではなく周辺市町村で結婚式をするような傾向にあったという。

「十日町の結婚を盛り上げないと」と必死に考えていた
井比さんは、いつのまにか十日町そのものを盛り上げないと、
というふうになっていた。

そこに出会いがあり、
「地域おこし協力隊」という制度を知り、移住。
3年間の協力隊として勤務し、旅行会社を設立した。

~~~以下メモ

会社の特徴:お客さんを新潟に呼ぶだけの旅行業
顧客の半分は外国人観光客

事務所として使っている家:タダでもらった。
2年間かけて整備した。

まちのひとに話を聞いたら
1 新しい仕事が始まる場所
2 仕事の拠点となる場所
がほしいのだという。そんなふうに意見を集約してつくった。

せっかくやるなら自分たちでやる。
木を切るところから始めた→家具づくり
エアコン・水回り以外は素人が公示した。

「地域おこし」:まずお金の話をすること。
行政・市民活動・NPO
⇒お金を稼ごうと思っていない。

株式会社である理由
→もうけないといけないから

大地の芸術祭:54万人が来場した:本当なのか?
実数は測られてない。
1人1作品で1カウントされている。

実際の経済効果(いくらお金が落ちたか?)
をどのように測るか?

宿泊業のお客さんは9割が外国人
そのうち6割が中国、韓国、台湾その他アジア系

「大地の芸術祭」を目指してくる。
作家さんがアジアの人が多いから。
中国客はマナーがいい。

海外のエージェント:日本の有名観光地以外の地方がわからない
⇒地方の旅行会社のビジネスチャンス

イギリスの代理店:どうやったらその地域の観光が盛り上がるか、考えている
→大手(JTBとか)に頼むと地方はもうからないことを知っているし
→地方旅行会社はガイドブックに載っていないツアーができる。

例:人気ツアー
・地元のおばちゃんと一緒にご飯をつくろう
・棚田をベストなタイミングで見て、じいちゃんに解説してもらって、糠炊きのご飯を糠漬けをお供に食べるツアー
⇒大手にはできない。

自分で会社をやること、発信すること
→たまにすごい人が来る。
→「おかえり、ただいま」の関係をつくる

東京:関係性が低い。1時間歩いても知り合いに会わない。
田舎:関係性が高い。そこらじゅうに知り合いがいる。

2011年3月11日:帰宅難民になった⇒東京アカンかもって思って協力隊に来た。

大雪で1week封鎖される→マスコミが取材にいったら、
「大丈夫ですか?」「なにかあったん?」:地方のほうが生き延びることができる。

「働き方」よりも「生き方」「暮らし方」を大切にしたい。
「働き方」から「暮らし方」を設計するのでなく、
「暮らし方」から「働き方」を考える。
例:住む場所から先に決める。

地域おこし協力隊:モラトリアム(猶予期間):大学に行くようなもの

「雪を活かす」
東南アジア観光客は雪で喜ぶ:スキーやスノボをしない。
雪遊びがしたい。
たとえば平日のスキー場を貸し切りにして、
雪遊びを存分にするとか

「課題を挙げる」
「遊びに来る」よりも「学びに来る。」
雪国の暮らしを解説すること。
背景、歴史、知恵、日常の生活を語ること
課題を語ること。
「学び」こそが最強のエンターテイメント。

世界遺産的観光開発ではなく、
何度も来てもらうビジネスを

そもそも「観光」とは、
城主が領民の暮らしぶりを見せたところから始まる
それを体験を含めて見てもらうこと。

関係人口:かかわり続ける人を増やす。

~~~以上メモ

面白い人いるなあって。
「働き方」より「生き方」「暮らし方」
ってホントそうだななって。
そういうシフト起こっているよなって。

そして井比さんの面白いところは、

観光の名の通り、
地域の光にスポットを当てて、
それを最大限に活用しようというところ。

まさに「顧客」と「価値」を
考えながらツアーを作っていくところ。

そもそも観光は
城主が訪問者の他の城主に自分の領民たちの
生活・暮らしぶりを見せて、
「どうだ、おれの国づくりは」っていうのを
見せるところから始まったのだという。

わ~。
そうだよな、それそれ、って。

上に書いてあるような棚田ツアーとかって
やるほう(語るおじいちゃん)も
めっちゃ楽しいだろうなあって。

まずはツウの外国人に売り、
その後、日本人にも広まりそうだなあと。

いやあ、僕もそんな旅行つくり、したいなあ。  

Posted by ニシダタクジ at 19:22Comments(0)

2018年10月02日

「大切にしたいもの」に気づくこと

大正大学「地域実習」13日目。
十日町(旧松代)・竹所集落。

あの、カールベンクスさんの
古民家再生プロジェクトの村。







知ってはいたけど、初めて見に来ました。

日本の古民家に一目ぼれして、
それをドイツ建築の知恵と融合してつくる
古民家再生。

「リノベーション」とは何か?
山形・郁文堂書店プロジェクトと同じ問いが
突き刺さってくる。

これまでのストーリーと。
これからのストーリーと。

古民家(特に釘をつかわない工法)を活かしつつ、
ドイツ建築の石瓦やサッシなどが
ふんだんに使われていて、
中身はソファの似合う洋式なつくりとなっていた。

竹所は真冬には3m4mも積もる豪雪地域なのだが、
ベンクスさんの古民家再生では、雪下ろしは不要だ。
現在でもこの地域に住んで、長岡などに
通勤している人もいるという。

建築のチカラ。

この地域に住みたいといって、
移住していくる人たちがいる。

なんていうのだろう。
「コミュニケーション」だなって思った。

日本とドイツとの。
豪雪と自分の暮らしとの。

「暮らす」っていうのはなんだろうと
問いかけられているような気がした。

そんな中。
昨日、大学生こはるによる「イナカレッジ」レポートが
掲載された。

https://inacollege.jp/blog/2018/10/01/%E3%80%8C%E6%9A%AE%E3%82%89%E3%81%99%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E6%97%85%E3%81%AB%E5%87%BA%E3%82%8B%EF%BD%9E%E5%A4%A7%E5%AD%A64%E5%B9%B4%E7%94%9F%E5%B0%8F%E6%98%A5%E3%81%8C%E8%A1%8C%E3%81%A3/

キーワードは「自分を知る」

「地域に暮らす」「ともに暮らす」なかで、
人は自分を知る。

「自分を知る」ことは、
簡単なようでいて、すごく難しい。

自分はすでにそこにあるのだけど、
それがなんなのか、よくわからない。

明確にわかるものなんてたぶんないのだけど。

「大切にしたいもの。」に気づくこと。

そこからかもしれないなあと思った。

「暮らし方」って実はそういうことなのかもね。  

Posted by ニシダタクジ at 06:19Comments(0)学び