2018年11月12日
本を届ける、「一箱古本市」
松本・栞日の菊地さんが
やっている栞日古本市。
今月は18日にあるんですけどね。
そのガイドライン。
https://sioribi.jp/info/event_181118_02/
ココです。
栞日にとって、一箱古本市とは何か?
表現されているのが特にここ。
~~~ここから引用
【3】「一箱」古本市です。
当日の朝、〈古道具 燕〉で見繕った古い木箱を一箱ずつお渡しします。
木箱はどれもほぼ同じサイズですが、細かな寸法(幅・奥行き・深さ)はまちまちです。
当日、受付順に選んでいただきます。
途中、箱の中が少なくなってきたら、適宜補充していただいても構いませんが、お客さんにご覧いただく商品は、配布した箱の中に収めた本のみでお願いします。
また、当日ご持参いただく本の合計冊数も、ざっくり「箱2杯分」程度を、上限としてイメージしていただけると助かります。
理由は幾つかありますが…
限られた選択肢とスペースの中で、自分の本棚を表現して、その限られた書籍を通じて、目の前のお客さんと会話していただいた方が、結果的に、1冊1冊の取引の意味の濃度が高まって、本を手放した本人にとっても、本を受け取ったお客さんにとっても、もちろん本自身にとっても、幸せなのではないかなぁ、と考えているからです。
~~~ここまで引用
菊地さんは、
2011年6月のニイガタブックライト主催の
一箱古本市(ちなみに僕もツルハシブックスで出店していました)
に来ていたのだという。
その際、ブックディレクター幅さんの
「痕跡本」の棚を見て、
すでに菊地さんがついたときには、
棚は売れてスカスカになっていたんだという。
そして「補充はしないんですか?」
と聞いたら、「一箱古本市ですから」
と返答されたのだという。
そして、僕もなんとなく覚えているけど、
夜のトークイベントで、
同じような話をされていた。
「一箱古本市」って一箱だから面白いんじゃないか?
たしかそういう感じのコメントだったと思う。
僕もそのトークイベント会場にはいて、
なんとなく覚えている。
一箱であること。
それはたぶん。
菊地さんがこのラストに書いている、
「本を手放した本人にとっても、本を受け取ったお客さんにとっても、もちろん本自身にとっても、幸せなのではないかなぁ、と考えているからです。」
ここに尽きるのだろう。
本を売る。
自分の手元の本を売る、というのは
どういうことなのか。
そういえば、以前、大手中古書店チェーンで
働いている大学生が言っていた。
そこでは、本は完全に「モノ化」されているのだという。
一定の期間が経った本は108円コーナーに移動され、
またそこで一定期間が経った本は、
別の書店へ移送されるか、処分されるのだという。
それが本好きの彼女にとっては、
とても耐えられないのだという。
一方で、
伊那の土田さんが言っていた
「古本屋」っていうのは「本の一時預かり」のことだ。
誰かのためにこの本をキープしなきゃ、と思うから本を仕入れ、
誰かが買ってくれるのを待つ。
それがいつなのかわからないけど。
http://hero.niiblo.jp/e487816.html
(18.7.26 「本屋である」ということ)
本を届ける。
ってなんだっけ?
っていう強烈な問い。
菊地さんの姿勢。
僕自身も「暗やみ本屋ハックツ」
を再定義したいと思った。
菊地さんの言葉を借りれば、
「ハックツを再ハックツしたい」っていうことかな。
やっている栞日古本市。
今月は18日にあるんですけどね。
そのガイドライン。
https://sioribi.jp/info/event_181118_02/
ココです。
栞日にとって、一箱古本市とは何か?
表現されているのが特にここ。
~~~ここから引用
【3】「一箱」古本市です。
当日の朝、〈古道具 燕〉で見繕った古い木箱を一箱ずつお渡しします。
木箱はどれもほぼ同じサイズですが、細かな寸法(幅・奥行き・深さ)はまちまちです。
当日、受付順に選んでいただきます。
途中、箱の中が少なくなってきたら、適宜補充していただいても構いませんが、お客さんにご覧いただく商品は、配布した箱の中に収めた本のみでお願いします。
また、当日ご持参いただく本の合計冊数も、ざっくり「箱2杯分」程度を、上限としてイメージしていただけると助かります。
理由は幾つかありますが…
限られた選択肢とスペースの中で、自分の本棚を表現して、その限られた書籍を通じて、目の前のお客さんと会話していただいた方が、結果的に、1冊1冊の取引の意味の濃度が高まって、本を手放した本人にとっても、本を受け取ったお客さんにとっても、もちろん本自身にとっても、幸せなのではないかなぁ、と考えているからです。
~~~ここまで引用
菊地さんは、
2011年6月のニイガタブックライト主催の
一箱古本市(ちなみに僕もツルハシブックスで出店していました)
に来ていたのだという。
その際、ブックディレクター幅さんの
「痕跡本」の棚を見て、
すでに菊地さんがついたときには、
棚は売れてスカスカになっていたんだという。
そして「補充はしないんですか?」
と聞いたら、「一箱古本市ですから」
と返答されたのだという。
そして、僕もなんとなく覚えているけど、
夜のトークイベントで、
同じような話をされていた。
「一箱古本市」って一箱だから面白いんじゃないか?
たしかそういう感じのコメントだったと思う。
僕もそのトークイベント会場にはいて、
なんとなく覚えている。
一箱であること。
それはたぶん。
菊地さんがこのラストに書いている、
「本を手放した本人にとっても、本を受け取ったお客さんにとっても、もちろん本自身にとっても、幸せなのではないかなぁ、と考えているからです。」
ここに尽きるのだろう。
本を売る。
自分の手元の本を売る、というのは
どういうことなのか。
そういえば、以前、大手中古書店チェーンで
働いている大学生が言っていた。
そこでは、本は完全に「モノ化」されているのだという。
一定の期間が経った本は108円コーナーに移動され、
またそこで一定期間が経った本は、
別の書店へ移送されるか、処分されるのだという。
それが本好きの彼女にとっては、
とても耐えられないのだという。
一方で、
伊那の土田さんが言っていた
「古本屋」っていうのは「本の一時預かり」のことだ。
誰かのためにこの本をキープしなきゃ、と思うから本を仕入れ、
誰かが買ってくれるのを待つ。
それがいつなのかわからないけど。
http://hero.niiblo.jp/e487816.html
(18.7.26 「本屋である」ということ)
本を届ける。
ってなんだっけ?
っていう強烈な問い。
菊地さんの姿勢。
僕自身も「暗やみ本屋ハックツ」
を再定義したいと思った。
菊地さんの言葉を借りれば、
「ハックツを再ハックツしたい」っていうことかな。