2018年12月09日
地域の暮らしに「伴走」する
「営み」というキーワード。
「場のチカラ」研究の上では重要な言葉だなと。
「にいがたイナカレッジ」の価値の独自性を考える。
キーワードは
「場のチカラ」「働き方と暮らし方」「営み」「伴走」
そして、「創造的脱力」(若新雄純さんによる)かな。
1 「創造的脱力」プロジェクトである、ということ。
若新雄純さんの「創造的脱力」(光文社新書)
によると、「創造的破壊から、創造的脱力へ。」
http://hero.niiblo.jp/e488462.html
「ラボ」というゆるさと強さ(18.11.26)
ここから引用する。
~~~以下引用
「JK課は、あくまで実験的なプロジェクトで、政策の本流じゃないですから」といった調子で、「ゆるいプラン」であることを強調しました。その結果多くの人が気軽に参加できる環境ができ、活動に広がりが生まれています。
「とりあえず楽しもう」「やりながらちょっとずつ良くしていけばいいじゃないか」という適度な脱力感が、「白か黒か」「成功か失敗か」という過度な緊張感を遠ざけ、すぐには結果の見えない実験的なプロジェクトに粘り強さをもたらしています。
「脱力」は「無力」ではありません。そして、それは「不真面目」でもありません。
「こういうのもあっていいんじゃないですか?」とか、「まずは実験してみよう」といって、本流ではないところで、周辺からアクションしてみる。既存のシステムや勢力を直接には攻撃してしまわない離れたところから、でも、ちゃんと見えるところから、それをやりたいという当事者たちが集まって、真面目に考え、小さくてもいいから、何かが変化するような振り切った実験を、真剣にやってみるのです。
失敗したならやり直せばいいし、もしうまくいったらなら、どんどん増やしたりひろげたりすればいい。
すると、そこに人や情報がどんどん流れてきて、いつかは本流にすり替わったりするかもしれません。
もちろん、新しい支流や一つの文化になるだけでもいい。これが僕の考える、「創造的破壊」ならぬ「創造的脱力」です。
~~~以上引用
詳しくは上記ブログか本書を読んでもらいたいのだけど、
これ、まさに大学に必要な考え方なのではないのか、と。
大学での本流なるためには、あまりにもハードルが高く、
「正しいことをしたかったら偉くなれ」(by踊る大捜査線)
の世界が広がっている。
「価値観の多様化」ならぬ
「価値の流動化」が起こっている現在において、
大学が、文科省が、あるいは経産省が定めた「価値」
に向かっていく人も多数派でいてもよいが、
そうじゃない価値を志向する人も許容されるというか
「当然、多数派じゃない人もいるよね」と思っていいはずだ。
よく言われることだけど、
学生は2-6-2で分かれる。
優秀な学生2割
普通の学生6割
どちらでもない学生2割
「就活」で困るのは実は真ん中の6割の学生だという。
だから、その6割にどうアプローチし、カリキュラムを提供するのか、
ということになる。
でも、その発想って、
「優秀さ」という画一的な「価値」における序列なわけで、
そもそも画一的価値が溶け出しているのだから、
その発想自体が時代遅れ感があるよね。
トップ2割じゃなくて、
その企画にヒットする20/100が来ている、だけなんだよね。
そういう意味では、
「にいがたイナカレjッジ」は脱力系プロジェクトの代表例でもあると思う。
2018年の修了生のひとりが言っていた。
「大学にいるときは、部活・サークルの繰り返しで、全く余裕がなかった。
この集落での暮らしでは、朝起きたら、「今日、朝ごはんどうしようかな。」と言って、
3人で塩おにぎりときゅうりの漬物とトマトと食べた。
そんな日々を送ったら、心に余裕が生まれた」
その「余裕」や「ゆるさ」や「余白」から、創造力が生まれてくるのではないか。
という仮説を検証するプロジェクトだ。
2 「場のチカラ」を活かすプロジェクトである、ということ。
場のチカラの構成要素は
1 誰とやるか
2 いつやるか
3 どこでやるか
であり、これに
4 なぜやるか
5 誰のためにやるか
6 何をやるか
7 どのようにやるか
を足すとプロジェクトになる。
「にいがたイナカレッジ」では、
「誰とやるか」を大切にする。
それはチューニングと呼ばれる方法だ。
ひとりひとりの過去を振り返り、
自分たちがなぜ、ここにいるのかを考える。
日々のミーティングでは、
「最近あったよかったこと」から始まり、
「ミーティングの場の感想」を言う。
そうやって「誰と」の「誰」を知っていくのだ。
2 いつやるか
3 どこでやるか
は、まさに活動する地域の状況と
自分たちの問題意識、時代背景などを
すべて要素に入れながら、場のチカラを高めていくのだ。
誰かが設計したプロジェクトに
「機能」として組み込まれるのではなくて、
自らがプロジェクト設計に参加・参画することで、
そのプロジェクトが自分自身のものになると考えている。
3 「地域暮らしに伴走する」動的なプロジェクトである、ということ。
にいがたイナカレッジでは、地域(集落)の中で寝泊まりをして、
そこでの「暮らし」そのものを実践できる。「期間限定の住民」になる。
地域には「営み」がある。
「営み」とは、「暮らし」よりももう少し大きな体系の概念であり、
自然の流れや、その地域で育まれた歴史を含んでいる。
その「営み」の中で、
自らが価値だと感じるものをカタチにしていく。
2018年夏の例だと、
日々の暮らしの豊かさを伝えたいので、日誌風の冊子をつくったり、
集落の人たちと一緒につくりたいし、たくさん来てもらいたいので
写真展を開催したり、というアウトプットになった。
「価値」は常に流動している。
誰とやるか、いつやるか、どこでやるかの場のチカラ3要素によって大きく変わる。
そしてそれは、地域側も同じだ。大きな「営み」の中で、地域は動いている。
スピードは違うけど、お互いに動いているものの接点を探り、
そこに価値を見つけ、アウトプットをつくっていく。
言ってみれば、地域の暮らしに「伴走」する動的なプロジェクトであるということだ。
3つの要素をまとめていうと、
「にいがたイナカレッジ」は、
「場のチカラ」を高めて、地域の暮らしに伴走しながら
その接点上に「価値」を見つけアウトプットする、
脱力系のプロジェクトである。
っていうことになるかな。
まとまってます?
「場のチカラ」研究の上では重要な言葉だなと。
「にいがたイナカレッジ」の価値の独自性を考える。
キーワードは
「場のチカラ」「働き方と暮らし方」「営み」「伴走」
そして、「創造的脱力」(若新雄純さんによる)かな。
1 「創造的脱力」プロジェクトである、ということ。
若新雄純さんの「創造的脱力」(光文社新書)
によると、「創造的破壊から、創造的脱力へ。」
http://hero.niiblo.jp/e488462.html
「ラボ」というゆるさと強さ(18.11.26)
ここから引用する。
~~~以下引用
「JK課は、あくまで実験的なプロジェクトで、政策の本流じゃないですから」といった調子で、「ゆるいプラン」であることを強調しました。その結果多くの人が気軽に参加できる環境ができ、活動に広がりが生まれています。
「とりあえず楽しもう」「やりながらちょっとずつ良くしていけばいいじゃないか」という適度な脱力感が、「白か黒か」「成功か失敗か」という過度な緊張感を遠ざけ、すぐには結果の見えない実験的なプロジェクトに粘り強さをもたらしています。
「脱力」は「無力」ではありません。そして、それは「不真面目」でもありません。
「こういうのもあっていいんじゃないですか?」とか、「まずは実験してみよう」といって、本流ではないところで、周辺からアクションしてみる。既存のシステムや勢力を直接には攻撃してしまわない離れたところから、でも、ちゃんと見えるところから、それをやりたいという当事者たちが集まって、真面目に考え、小さくてもいいから、何かが変化するような振り切った実験を、真剣にやってみるのです。
失敗したならやり直せばいいし、もしうまくいったらなら、どんどん増やしたりひろげたりすればいい。
すると、そこに人や情報がどんどん流れてきて、いつかは本流にすり替わったりするかもしれません。
もちろん、新しい支流や一つの文化になるだけでもいい。これが僕の考える、「創造的破壊」ならぬ「創造的脱力」です。
~~~以上引用
詳しくは上記ブログか本書を読んでもらいたいのだけど、
これ、まさに大学に必要な考え方なのではないのか、と。
大学での本流なるためには、あまりにもハードルが高く、
「正しいことをしたかったら偉くなれ」(by踊る大捜査線)
の世界が広がっている。
「価値観の多様化」ならぬ
「価値の流動化」が起こっている現在において、
大学が、文科省が、あるいは経産省が定めた「価値」
に向かっていく人も多数派でいてもよいが、
そうじゃない価値を志向する人も許容されるというか
「当然、多数派じゃない人もいるよね」と思っていいはずだ。
よく言われることだけど、
学生は2-6-2で分かれる。
優秀な学生2割
普通の学生6割
どちらでもない学生2割
「就活」で困るのは実は真ん中の6割の学生だという。
だから、その6割にどうアプローチし、カリキュラムを提供するのか、
ということになる。
でも、その発想って、
「優秀さ」という画一的な「価値」における序列なわけで、
そもそも画一的価値が溶け出しているのだから、
その発想自体が時代遅れ感があるよね。
トップ2割じゃなくて、
その企画にヒットする20/100が来ている、だけなんだよね。
そういう意味では、
「にいがたイナカレjッジ」は脱力系プロジェクトの代表例でもあると思う。
2018年の修了生のひとりが言っていた。
「大学にいるときは、部活・サークルの繰り返しで、全く余裕がなかった。
この集落での暮らしでは、朝起きたら、「今日、朝ごはんどうしようかな。」と言って、
3人で塩おにぎりときゅうりの漬物とトマトと食べた。
そんな日々を送ったら、心に余裕が生まれた」
その「余裕」や「ゆるさ」や「余白」から、創造力が生まれてくるのではないか。
という仮説を検証するプロジェクトだ。
2 「場のチカラ」を活かすプロジェクトである、ということ。
場のチカラの構成要素は
1 誰とやるか
2 いつやるか
3 どこでやるか
であり、これに
4 なぜやるか
5 誰のためにやるか
6 何をやるか
7 どのようにやるか
を足すとプロジェクトになる。
「にいがたイナカレッジ」では、
「誰とやるか」を大切にする。
それはチューニングと呼ばれる方法だ。
ひとりひとりの過去を振り返り、
自分たちがなぜ、ここにいるのかを考える。
日々のミーティングでは、
「最近あったよかったこと」から始まり、
「ミーティングの場の感想」を言う。
そうやって「誰と」の「誰」を知っていくのだ。
2 いつやるか
3 どこでやるか
は、まさに活動する地域の状況と
自分たちの問題意識、時代背景などを
すべて要素に入れながら、場のチカラを高めていくのだ。
誰かが設計したプロジェクトに
「機能」として組み込まれるのではなくて、
自らがプロジェクト設計に参加・参画することで、
そのプロジェクトが自分自身のものになると考えている。
3 「地域暮らしに伴走する」動的なプロジェクトである、ということ。
にいがたイナカレッジでは、地域(集落)の中で寝泊まりをして、
そこでの「暮らし」そのものを実践できる。「期間限定の住民」になる。
地域には「営み」がある。
「営み」とは、「暮らし」よりももう少し大きな体系の概念であり、
自然の流れや、その地域で育まれた歴史を含んでいる。
その「営み」の中で、
自らが価値だと感じるものをカタチにしていく。
2018年夏の例だと、
日々の暮らしの豊かさを伝えたいので、日誌風の冊子をつくったり、
集落の人たちと一緒につくりたいし、たくさん来てもらいたいので
写真展を開催したり、というアウトプットになった。
「価値」は常に流動している。
誰とやるか、いつやるか、どこでやるかの場のチカラ3要素によって大きく変わる。
そしてそれは、地域側も同じだ。大きな「営み」の中で、地域は動いている。
スピードは違うけど、お互いに動いているものの接点を探り、
そこに価値を見つけ、アウトプットをつくっていく。
言ってみれば、地域の暮らしに「伴走」する動的なプロジェクトであるということだ。
3つの要素をまとめていうと、
「にいがたイナカレッジ」は、
「場のチカラ」を高めて、地域の暮らしに伴走しながら
その接点上に「価値」を見つけアウトプットする、
脱力系のプロジェクトである。
っていうことになるかな。
まとまってます?