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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2019年01月02日

第四次元の芸術

おお朋だちよ いっしょに正しい力を併せ
われらのすべての田園とわれらのすべての生活を
一つの巨きな第四次元の芸術に
創りあげようではないか
(宮沢賢治「農民芸術概論綱要」)

1月1日、まずどの本を読むか?
について、毎年12月後半になると悩んでいるのだけど、

今回は、11月にすでに決まっていた。

11月23日に東京・千駄木・往来堂書店で
購入した1冊。


「本を贈る」(三輪舎)

帰りの電車の中で、
さっそく読み始めたのだけど、
あまりにドキドキしてしまって、本を閉じた。

すぐに読み終えてしまうことがもったいないような気がした。
そしてふたたび、購入袋の中に入れて、寝かせておいた。

「1月1日は、この本から始めよう。」
と思った。
ようやく、1月1日がやってきた。

そこに、年末、素敵なパートナーがやってきた。

「続・ゆっくり、いそげ」(影山知明 クルミド出版)
この2冊の併読から2019年が始まった。

「本を贈る」を読むと、じわじわとあったかい気持ちになってくる。
「本」がどのようなリレーを経て、いま目の前にあるのか、
そんなことに思いを馳せるようになる。

サンクチュアリ出版で営業をしていたときに、
僕は駅伝の第3走者を走っていると感じながら営業していた。

著者→編集者→営業→書店員→読者
僕は本を届ける第3走者を走っているんだ、って思ってた。

ところが、その編集者と営業のあいだに、
つまり本が原稿から本というカタチあるものになるまで、
何人ものリレーを通ってきているということが
この本を読むとじわじわと感じられてくる。

2017年に長野・木崎湖「アルプスブックキャンプ」で藤原印刷の
藤原章次さんに出会い、その後東京のオフィスにお邪魔をし、
一言に衝撃を受けた。

「それって作品って言えるのかな」

http://hero.niiblo.jp/e485548.html
(発酵人であるということ 17.8.8)

「本を贈る」には、
藤原印刷・兄こと藤原隆充さんが語っている。
章のテーマは、心を刷る「心刷」。

創業者である藤原さんのおばあちゃん輝さんは、
タイプライターを習い、タイピストとして独立。
タイプライターで原稿を打ちこんでいく。

著者の原稿がタイピストの介在によって
熱量を失ってしまうことに違和感を持った輝さんは、
「一文字一文字に心を込めて打つ」ことの大切さに気がつく。
ここから「心刷」というコンセプトが始まった。

そして、やはり印象に残ったのはこの部分。

「情報を伝えるためだけの紙メディアが
インターネットの普及で激減するのは当然のことです。
一方で残っていくものとはなにか。
それは、作品としての本だと思うのです。」

そうそう。
それが藤原印刷が支持される理由なのだろうな。

印刷物を刷っているのではなく、
「作品」を刷っているのだ。

と。

「本を贈る」はこんな風に、
1冊の本がどのようにできていくのかを
本になったつもりで旅をするように読むこともできるし、
本を手渡す一人のランナーとして、
本の流れに身を委ねることもできる、
そんなあったかい気持ちになれる1冊。
これは仕入れて届けたい本だなと思う。

「続・ゆっくりいそげ」は、
「本を贈る」に並走してくる。

~~~ここからメモ

人は幼いころ、自分の人生の目的地を動詞のhaveで考える。
そこからもう少し大人になると、動詞のdoで考えるようになる。
doで人生のゴールを定義することの辛い部分は、
多くの場合、それがすぐには達成できないことであることだ。

そこでbe動詞である。
「何を持ちたいか」、「何をしたいか」ではなく
「どうありたいか」。

beの充足は、doの挑戦への前向きな前提条件ともなる。

思うようにお店の売り上げが上がらなかったり、
企画したイベントが不発に終わったりしたとしても、
それはカフェ店主のとしての
自分の「職業技術」だったり「機能性」が十分でなかったからなのであり、
自分の「存在」そのものを否定しなくてもいいんだと思えるからだ。

beが満たされている限り、その上で、結果を振り返り、反省し、
次はもっとうまくやってやろうと再度挑戦しようという気にもなる。
そうして、ちょっとずつでもdoの達成を積み重ねていくことで、
自分のありたい姿も、より信じられるようになっていく。

その関係をぼくは、beの充足を根っことし、
具体的な行動・挑戦(do)を幹であり枝とする樹形のようにとらえている。

~~~ここまでメモ

僕(とこはるん)の場のチカラ理論によれば、
大切なのは場のチカラであり、
場のチカラの中でも
「誰とやるか」っていうのは最重要な項目となる。

影山さん的に言えば、
「誰とやるか」っていうのは、
「どうあるか」つまりbeの前提条件にもなっている。

「就活の違和感」を的確についている、と思った。

自己分析で「やりたいこと・将来ビジョン」など、
doの目標を見つけさせようとするのだけど、
本人たちにとっては、beどうありたいか?が大切なのであって、
それは言葉にすればまさにイナカレッジが言うような
「暮らし方」とかそういう話になるし、「誰と働くか?」っていうことになる。

それなしに「do」の目標だけを設定し、
そこに向かって自らを最適化させていくことは、
影山さんによれば、根っこなしに植物を育てようとしているようなものだ。

それは植物工場のように、温度管理され、
最適な養分が常に流れ込むような環境でしか育たない植物になるリスクを抱えている。
そして、その養分となるのがおそらくは「他者からの評価」であり「(金銭的)報酬」である。

そして、
「場のチカラ」がキーワードだった(というか今も)、
影山さんが「場の力」を説明している。

影山さんによれば「場の力」とは、
空間×関係性×記憶
なのだという。

おおお。
これは、僕が言っていた
「誰とやるか」「いつやるか」「どこでやるか」
をもう少し長いスパンで表現したものなのではないか。

影山さんは、
「場」をお店のような継続していく場としてとらえ、
僕は「場」を、ミーティングやイベント、合宿などの
「瞬間」の場として捉えている差なのではないかと思った。

それは僕が落ち着きがないからか、
劇団員を志向しているからかどうかはわからないけど。

そして、ここからがこの本の1月1日読書でのクライマックスだった。
(まだ読み終えていない)

「人と場とか、相互作用によってお互いを高めていくさまは身近な
事象によっても確認できる。---おでんだ。」

えええ。
おでんっスか!?

クルミドコーヒーと影山さんのスマートなイメージと
「おでん」がギャップがあって萌えた。(笑)

でも、このおでんのたとえがよかった。

~~~以下一部引用

つゆ(場)の出汁によって、
たまごも、だいこんも、こんにゃくもおいしくなるが、
そこにはたらきをなしているこんぶやさつまあげや牛すじがある。

個々の具材がいかされているといっても
それらはバラバラに活躍するわけではなく、
おでんとしての一体感がある。

具材の中に「引き立てられる」のが
上手な具材とむしろ
「場を育てる」方面でこそ
力を発揮する具材とがあることにも気がつく。

~~~以上一部引用

このあと、さくらんぼの話も素敵なのだけど、
それは、本書を読んでいただきたい。

このあと、
場が力をもつための5か条が書いてあり、
影山さんはその章を
「カフェこそが、その場である」

と締めくくるんだけど、僕にとっては、
本屋こそが、その場である、と思った。

カフェにも、
空間がもっている「歴史」があるだろう。

でも本屋には、
「本を贈る」に書いてあるような、
「思い」のリレーを経た本たちが、
そして何より、先人たちの人生そのものが、
そこに並んでいるのだ。

「本」という時間軸のラインと。
「場」という空間のデザインと。

それらが交差する場が本屋であると思う。

宮沢賢治がおよそ100年前に語った、
「第四次元の芸術」という問い。

世の中を第四次元の芸術へとつくりあげる。
その小さいものが本屋で実現できるかもしれない。  

Posted by ニシダタクジ at 08:25Comments(0)