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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2019年01月11日

公務員も参画できる地域ビジネスのプラットフォーム

カフェなどのお店、コミュニティスペースなどを
現在運営されている方、これから運営しようと思っている方で
「かえるライブラリー」に興味を持っている方へ。

クラウドファンディングをスタートしてから
何名かの方に質問いただいているので、
こちらに、その疑問点について、
現在のところ想定している範囲で回答したいと思います。

0 運営チーム集めについて
1 初期&運転資金について
2 古物商取得について
3 「かえるライブラリーシステム」の利用について
4 新刊本の取り扱いについて
5 今後のアクションについて

本棚と本があればどこでも、だれでも始められる仕組み、
それが「かえるライブラリー」です。

それ、儲かるのか?って言われると、
金銭的にはあまり儲からないと思います。



ツルハシブックスは2016年11月に閉店しましたが
昨年12月に、スタッフだった「店員サムライ」
たちが2年ぶりに集まりました。
20名を超える人が集まりました。

・本を通して人と人がつながる
・地域の中高生に機会を届ける
・小さな「やってみる」が起こる

「暗やみ本屋ハックツ」もそうですが、
キーワードで集まった人たちなので、
いまでもつながりがあります。

そんな風に、コミュニティデザイナーの山崎亮さんによれば、
「人儲け」ができる仕組み、
それが「みんなで本屋をやる」っていうことなのだと思います。



ということで、以下、回答していきます。

0 運営チーム集めについて

本棚があり、本を読む人が5人程度集まれば、
「かえるライブラリー」はスタートできます。
「本屋(古本屋)をやってみたい」
という人は、潜在的にはかなり多いのではないかと思います。

すでに「場」を持っている人であれば、
そこに集まる人たちと一緒に始めることができます。
小さな「読書会」などを開催したりして
仲間集めを始めるのはいかがでしょうか。

1 初期&運転資金について

・本棚を用意する。
・本を集めて、値段をつける。
・レジ・料金箱を用意する。
準備はこれだけです。

運転資金については、
売り上げの半分がライブラリーに入るので
そちらを活用して運用することになります。

初期費用に関しては、
集まった人たちでサークル的に会費をとってもいいし、
本棚づくりカンパをお願いするのもいいかと思います。

2 古物商取得について

古本の販売に古物商は要らないのか?と聞かれます。
個人の蔵書を販売する分には、古物商は必要ありません。
古物商は古本の買い取りの時に必要な資格です。

しかし、ライブラリー側は、「預かって、代わりに売っている」
つまり、実施敵に「買い取りをしている」と見られてしまうかもしれないので、
古物商の取得について、相談・検討をされたほうがよいかと思います。

3 「かえるライブラリーシステム」の利用について

「かえるライブラリーシステム」の運用については、
「ファンクラブ方式」を採用しようと思っています。

個人は月額500円、1,000円、3,000円
法人は月額5,000円、10,000円、30,000円
の3種ずつの「ファンクラブ」をつくり、運用したいと思っています。

利用する個人は必ずしもファンクラブに入る必要はないのですが、
法人については、「新・OB訪問」に参画する企業を想定しています。

4 新刊本の取り扱いについて

「新刊本を取り扱いたい」という声も聞きます。
こちら、買い切りであれば新刊本も70%前後で卸してくれる
取次(卸売業者)がありますので、そちらと契約することになります。

集まった5人が今までア〇〇ンに
注文してた本を一括でライブラリーから
仕入れることによって、30%前後がライブラリーの
収益になります。

新刊本と「かえるライブラリー」については、
後日、「積読本棚(つんどくほんだな)」
という記事でご紹介しようと思います。

5 今後のアクションについて

「場」を運営されている方、される予定の方で
「かえるライブラリー」を運用したい!
という方は、お問い合わせください。

・オリジナルのロゴをつくりたい!
・立ち上げサポートをしてほしい!

という方は、今回のクラウドファンディングへの
「参加」をお待ちしています。

「地方」「地域」には、本屋が必要です。

しかし、本屋で食っていく(売り上げを上げていく)のは大変です。

じゃあ、どうやって、本屋で売り上げを上げていくのか?

という問いではなく、
どうやって「食わない本屋」を成り立たせるのか?
そんな仮説を検証するプロジェクトです。

そして「食わない本屋」を作るとすれば、
それは見方を変えれば、公務員でも参加・参画ができる(副業にあたらない)
地域ビジネスのプラットフォームができることになります。

本を持ち寄り、売り上げた部分の半分もすべて「かえる券」として寄贈する。
そんな本屋好きの熱い公務員の方の参画もお待ちしています。  

Posted by ニシダタクジ at 07:15Comments(0)かえるライブラリー

2019年01月10日

本屋は「委ねる」



僕にとって本屋とは何か?
1年間、考えてきました。

「それを実現する方法として、なぜ、本屋なのか?」
と何人かに聞かれました。

いまも明確には答えられないのですが、
ひとつ、たぶんこのあたりだろうなあと思うこと。
それは、本屋は委ねられる、ということです。

「この本を届けたい!」

いや。もっと言えば、

「この本を売らないと、世の中はダメになる。俺が売らないと」

おせっかいな僕は、
そんなふうに思える本にたまに出会います。

たとえば、この本。



魔法のマーケティング(川上徹也 フォレスト出版)

これを2012年の年末に読んで、
「恋する本屋」になりたいと感じました。
そしてこれは仕事に対する価値観を揺るがす、って思いました。

http://hero.niiblo.jp/e224380.html
(売れるとは好きが連鎖すること 12.12.30)


(来店してもらったときの写真)

そして、著者の川上さんに連絡をとって、
10冊直送してもらいました。
それが上の写真です。

1月5日のブログ
http://hero.niiblo.jp/e225598.html
(LA宣言 13.1.5)

1月6日のブログ
http://hero.niiblo.jp/e225847.html
(「感性」を表現する、「感性」を説明する 13.1.6)



1月5日の新年営業初日だけで10冊が完売しました。
この本を買った新潟大学農学部ののぞみさんは、
「この本1冊で就活は十分だった」と言ってました。

でも。

他にも9名の方が、この日、この本を買っていったのです。
(7名の方は写真も一緒に撮ってました)

のぞみさんのような熱烈なリアクションは
ほかにはありませんでした。

もちろん、
人生を揺さぶるほどの衝撃を受けた人もいるでしょう。
(僕自身もめちゃめちゃ衝撃を受けまして、「LA宣言」しました。)
※LA宣言については、本書をお読みください。

「本屋」であること。
それは、「委ねる」ということです。

「この本を必要としている人がいるだろうなあ。」と想像して、

いままさに、それを手渡している、という実感はあるのですが、

それが本当に届くのかどうか?
の多くの部分をお客さん(読者)に委ねている。
届くかどうか、分からない。
そういうのがいいのではないかなと思います。

カフェやレストランであれば、食べている最中から
この空間で、この料理で、お客様は満足してもらっているなあと
体感することができます。

しかし、本は、読んでもらわないと分からない。

いや、もっと言えば、その本が、その人にとって
価値があるかどうかは読んでいる最中、あるいは読んだ直後でも分からないかもしれません。

「あの本で言っていたのは、こういうことだったのか!」
と後から「!!!」と思うことがあります。

たとえば、このお正月に読んでいた
「続・ゆっくり、いそげ」(影山知明・クルミド出版)


前著の「ゆっくり、いそげ~カフェから始める人を手段化しない経済」も読んでいたはずなのですが、その時、「人を手段化しない」というキーワード。あれ、よく分かっていなかったなあって思います。僕は前著から3年の時を経て、自分自身もサラリーマンを経験して、「続・ゆっくり、いそげ」を読んで、やっと掴みとれたような感覚になりました。その時はなんというか、霧が晴れていくような気持ちになります。

そういったことがよくあります。僕はそれが、本の魅力、本屋の魅力ではないかと思うのです。

未来がどうなるか分からない。

それと同じく、「この本イイ!面白い!!」っていうのは仮説に過ぎません。
それを、本を通して、本を手渡して、本を届けて、相手に委ねる。

本屋っていうのは、だからこそ面白いのではないか、
というより、いいかげんな僕に向いているのではないかなと思います。

「仮説」としての本を並べ、本棚という「場に委ね」、
さらに、それを受け取った人の感性と未来に委ねる。

本屋は「委ねる」
だからこそ僕は「本屋」なのではないかなあと思います。  

Posted by ニシダタクジ at 08:25Comments(0)かえるライブラリー

2019年01月09日

あの時の自分が直感を優先してくれたから、今がある

「かえるライブラリー」のクラウドファンディングが進行中。
https://camp-fire.jp/projects/view/117607

冒頭の文章にも書いたけど、
「一緒に旅に出る仲間を探しています」
がコンセプト。

支援する、とか、支援されるとかじゃない。

「この船に一緒に乗らないか?」
っていう、そういうお誘い。



原さんの大学生の時の赤裸々なエピソードが苦しい。胸がキュッとする。
きっとたくさんの大学生が同じような状況にあるのではないかと思う。

結果、原さんはいま、
「暗やみ本屋ハックツ」のリーダーをしている。

そして、
タイトルの一言。

あの時の自分が直感を優先してくれたから、今がある。

これ、ホント、そうだよね。

昨年12月、
まきどき村の米づくりのトークイベントと
ツルハシブックス&まきどき村忘年会合宿
あの2つを経て、ようやく元気になったなあと。

サラリーマンを退職するっていうのは
精神的に結構つらいことなんだな、って
元気になってから初めて体感した。

20年前の今頃。
畑を探していた。

「4月から畑をやる。」
それだけが決まっていた。

正直、怖かったのだけど、
「畑をやらないと生きられない」
これが僕の直感だった。

たぶんそれは、今となっては唐澤くんとトークしたみたいに、
「営み」の中にあることに価値を感じていたのかもしれないし、
「働くこと」より「暮らし」のほうを大切にしていたのかもしれない。
(平日の夜に日帰り温泉に行ける幸せを噛みしめていた)

「あの時の自分が直感を優先してくれたから、今がある。」

まあ、それは、僕にも当てはまることで、
そのほかの人生なんてないんだけど、
僕も、あの時の自分が直感を優先してよかったな、と思える。



僕は畑だったけど、
原さんみたいに、本屋にいってみようかな、から始まる本や人との出会いが、
感性を揺さぶり、その直感を優先してみることで、何かが動いていく。

そういう「動き」が始まる場をつくりたいなあと思う。  

Posted by ニシダタクジ at 09:32Comments(0)日記

2019年01月08日

感じる本棚

2016年4月。
神奈川県茅ケ崎市の茅ヶ崎市美術館。
そのエントランスで、ひとつの展示が催されていた。







「あなたが未来に託す思い展」

茅ヶ崎市の農園付コミュニティスペース「REVENDEL」を
運営する熊澤さんの企画だった。
2015年の12月に知り合い、ハックツのアイデアを話したところ、
ハックツをやろうとしていた熊沢さんと学芸員の藤川さんのコラボで展示が実現した。

「ハックツ」そのものがコミュニケーションのデザインになる。
そう思った。



熊澤さんの言葉が胸に刺さった。

いろんな仕事の人をただ集めたわけじゃない。
この人は、という人に、声をかけた。

自分の蝋燭を燃やし続けている人。
次世代に何かを紡いでいる人。
そんな気になる10人をまずは思い浮かべた。

「今回、本当に僕からの意図が伝わった方は、
本当に大切な1冊しかない本(買えない)を手放してくれています。
しかし、そういった方に限って、僕が預かる際にお礼を言われました。

『自分の本当に大切にしていた気持ち、その時の情熱が蘇ってきた。いい機会をありがとう』
と。手放したようで、得ているのです。実は本を手放す側も貴重なワークを体験してるのです。」

「未来に託す想い」を、たった1冊の本にメッセージをつけて贈る。
57人の思い。
57冊の本。

「本の展示」を行う。ふつうは美術館ではなくて、図書館だろうと思う。
この茅ヶ崎では、図書館ではなく、美術館で「展示」するところが大きかった。
美術館は、観るところであり、感じるところだからだ。
図書館は、本を借りるところだから、展示だけでは機能を果たさない。

忘れられない風景がある。
せっかくだから、と常設展を見て、
出口からエントランスに戻った。



まぶしかった。
光を放っていた。

もちろんそれは、エントランスの、
建築デザインが素晴らしかったから、
という理由もあるだろう。

でも、僕には、確かに光って見えた。
本棚が、1冊1冊の本たちが、躍動しているように思えた。
今回の「かえるライブラリー」の表現で言えば、
「本が歌を歌っているよう」だった。

熊澤さんも言っていた。
「本が集まったとき、段ボールに詰めていたのだけど、
そこからエネルギーが出まくっていて、夜寝るときに気になって
眠れなかった。早く美術館に持っていきたかった。」

茅ヶ崎市美術館での展示を受けて、

その後、
2017年には奈良県立図書情報館を舞台に奈良女子大の学生たちが実施。
2018年には茨城県の明秀学園日立高等学校でも実施された。
いずれも、商店街を歩き、「10代に贈りたい本」をヒアリングし、集めた。

本は読むもの。本棚は感じるもの。
茅ヶ崎のように、たくさんの思いが詰まった本を
本棚にならべることで、「感じる本棚」ができていく。  

Posted by ニシダタクジ at 07:10Comments(0)かえるライブラリー

2019年01月07日

「手紙」を届けるライブラリー


「ちいさなゆうびんせん」(原作:にしだたくじ 作/絵:たかやりょうこ)
できました!届きました!
手製本でひとつひとつ手作りです。

手元に15部ほどありまして、
500円で手売りする予定です。
「APARTMENT BOOKS」に置いてほしい。

テーマは「手紙」を届ける。

2015年の暗やみ本屋ハックツ立ち上げのとき、
サンクチュアリ出版の金子さんとークイベントをしていたとき、気づいたこと。
その本が「手紙」だったとき、本が売れる、ということ。

2011年3月ツルハシブックスオープンから数か月たった夏に
オープンした「地下古本コーナーHAKKUTSU」。

地域の人から寄贈してもらった古本を、
29歳以下の人だけが入れる地下室に置き、
宝探しをするように本を探してもらった。

「ハックツ」できるのは1日1冊だけ。
販売価格は10代が200円、20代が300円
中学生高校生は100円だった。

世界の広さを届けたいのは、
誰よりも中学生高校生だった。

僕自身がそうだったのだけど、
図書館で借りた本をちゃんと読まなくて、
気がつくと2週間の期限が過ぎている、みたいなところがあった。

中学生高校生に本を読んでもらうには、
100円でもいいから「購入」するということが
大切だと思った。

2015年に東京でスタートした
「暗やみ本屋ハックツ」は、
10代限定の古本屋と思い切った。
1冊100円。

コンセプトは、
「10代に本を通じて手紙を届ける」だった。

本は、月1回の開店日に合わせて行われた
夜の部「10代に贈りたい本」読書会で集めた。

「その本、まだ新刊で山積みですよ」と心の中でつぶやくような、
ビックリするくらいの新刊を寄贈してくれる人もいた。

このお正月に読んだ、
「本を贈る」(三輪舎)


校正、印刷、製本・・・
たくさんのプロフェッショナルが
誇りを胸に、本をリレーしていた。

「こんなにもたくさんの人の思いのリレーを経て、いま、目の前に本がある。」
そんなことを実感できた1冊となった。

「かえるライブラリー」は、その本ができた、
その先を「素人」が作っていく企画だと思う。

すでに本は贈り物なのだけど、
その贈り物を、さらに次の人に贈りたい。
そんな「手紙」を届けるようなものだと思う。

冒頭の絵本に僕が帯を書くとすれば、

「僕たちは、手紙を届けるために、旅に出たはず。」

かな。  

Posted by ニシダタクジ at 10:46Comments(0)かえるライブラリー

2019年01月06日

向き合わずに一緒に本棚を見る

「本の処方箋」というコンテンツがある。


「問診票」を書いてもらい、
話を聞きながら、
3冊ほどの本を提案する。

1つ目が悩みにストレートで応える本
コミュニケーションに悩んでいればコミュニケーションの本。

2つ目が悩みに対して変化球で応える本
こういう見方もできるんじゃないか?っていう本。

3つ目が話とは全然関係ないけど、
話していて頭に浮かんだ本、だ。

夏の長野・木崎湖での
「アルプスブックキャンプ」では好評の企画で
4年連続で処方箋をやっている。
白衣や聴診器といった小道具もある。

僕がこのコンテンツの力を知ったのは、
ツルハシブックスで、初めて来店したお客さんに声をかけたときだった。

大学4年生。
就職活動中。
「いま、本の処方箋っていうのをやっているんで、よかったら」

当然、就職活動の悩みから話が始まった。
ところが、その後、彼女の口から出た言葉に驚いた。

「お姉ちゃんと違って、私は母から愛されていない気がするんです」

衝撃を受けた。
いま、会ったばかりの本屋の店主に、そんな悩みを相談するだろうか。
いや、何より、本屋のおじさんにそんな話をしても、解決するはずがない。

僕はただ、話を聞いていた。
たしか、1冊の本も処方していない。
(まさか「嫌われる勇気」(岸見一郎)とかを差し出せないでしょう。笑)

「すごい。」

と思った。
「本の処方箋」がすごいって思った。

初対面の人にそんなにも話ができるっていうのがすごいって思った。
これは、「オープンマインド」をつくる
コミュニケーションデザインとして非常に優れているツールだと思った。

人に悩みを話す。
その悩みが重ければ重いほど、根源的であればあるほど、話しづらい。
まわりの友人には気楽には話せない。

ところが、
「それを聞いて本を選ぶ」と言ってきた本屋の店主には、それを話すことができる。

それは、本くらいでは、その悩みは解決するはずがないと思っているから。
気分が気楽なのだ。

もうひとつ。
「旅する図書館」という企画で一緒だった岡島さんに言われて、気が付いたこと。

「そうやって若者と向き合ってるんですね。」

「!!!」

気づいた。
向き合ってない。
僕は向き合ってなかったのだった。

話を聞いているフリをしながら、
もう半分の脳は、「何の本にしようかなあ」って
本を選んでいるんだ。

「本の処方箋」のとき、
2人の視線というか感覚は本棚のほうを向いている。
それが重要なのではないかと思った。

「本の処方箋」というコミュニケーション・デザインのチカラ。

1つ目に、その人間関係がインスタント(その場限り)であること
2つ目に、その悩みが本くらいでは解決しないと思っていること
3つ目が、向き合わないで本棚の方向を見ていること

この3つによって、ホントの悩みが引き出せる。
それが「本の処方箋」のチカラではないかと思う。

愛とはお互いに見つめ合うことではなく、いっしょに同じ方向を見つめることである
(サン・テグジュペリ)  

Posted by ニシダタクジ at 07:00Comments(0)かえるライブラリー

2019年01月05日

「衝動」や「違和感」に水をやり、カタチにする


「生きるように働く」(ナカムラケンタ ミシマ社)

次はこの本。
求人サイト「日本仕事百貨」を展開するナカムラケンタさん。

奈良県立図書情報館での
「シゴトとヒトの間を考える」の本を
ツルハシブックスでも取り扱っていたけど、
そんなケンタさんのストーリーが見える1冊。

いきなり
「水やり」という言葉が出てきて驚いた。

「続・ゆっくりいそげ」と植物つながり。

ケンタさんがどんな種に気づき、
どんな水やりをしてきたか。
そんなことが冒頭から書いてある。

今日はその中から冒頭の
西村佳哲さんの話を。

西村さんの子どもの頃話、めちゃめちゃ面白い。

!!
って思って、そこに出かけていく。
衝動をカタチにしようとする。

印象的だったフレーズ。

「漠然とわかっているけど、まだ思考はおいついていない。」

「衝動でこれ書かないと死ぬ、みたいになる」

ああ、西村さんって感覚的な人なんだなって思った。

自分の中に芽生えた「衝動」が種になって、
そこに水やりをするんだなあって。

ケンタさんとかは、
大学時代の建築の現場で感じた「違和感」的なものに
水やりしていくような感じだし。

僕も去年、
「Beの肩書ワークショップ」をやってみて出てきたのの
タイトルがある衝撃好きの1年だった。

1年振り返りで
「衝撃を受けた」「シビれた」が多発したから。

でも、もしかして、
そういうものなのかもしれないなと思った。

「衝撃」や「違和感」をキャッチして、
そこに水をやる。

そうすると、その種がいつのまにか芽吹く。
そうやって仕事や企画ができていく。
そういうことなのかもしれないなと思った。

僕は、自分がもらった「衝撃」を、
本屋という場で誰かに手渡したいなと思っている。

僕はこの本を、
高崎市の「REBEL BOOKS」で買ったのだけど、
どこの本屋で買うかってとても大切だなあと思う。

その「衝撃」みたいな「違和感」みたいな
本人の中でも言語化されなかった何か。

そういうのを肌感覚で感じられる本屋。
(そういうのをリアルメディアっていうのかもしれない)

そんな本屋が
本を通して、「衝動」や「違和感」を感じたり、
本に感性を磨かれることによって、
その人が日常生活で「衝動」や「違和感」を
感じられることができるようになる。

そういう本屋をつくりたい。  

Posted by ニシダタクジ at 06:49Comments(0)

2019年01月04日

「顧客」から入るか、「価値」から入るか


「続・ゆっくりいそげ」(影山知明 クルミド出版)

「場の力」について言及されているので
こちらでまとめておくことにする。

P118「場が力を持つための五つの条件」だ。

1 目的がなくともふらっと行ける場であること
2 多様な人が参加できる場であること
3 主(あるじ)の存在
4 主客同一の要素があること
5 楽しく、遊びの要素があること

ひとつひとつ読んでいく。

1 目的がなくともふらっと行ける場であること
カフェは目的がなくとも行くことができるし、
目的がなくとも居続けられることができる。
そうした機会であり時間だからこそ、
思いがけない人との出会いがあったり、
思いがけない着想に出会えたりする。

2 多様な人が参加できる場であること
多様な人が集まるということは、それだけ
「違い」に遭遇する確率が高まることを意味する。
「違い」は自分に世界の広がりと深まりを与えてくれるものだ。

3 主(あるじ)の存在
空間を超え、時間を超え、人と人をつなぐことができるのが
主(あるじ)の存在だ。ここで言う主は必ずしも店主(オーナー)を意味しない。
時間的にも、気持ち的にも、その場を自分事として
引き受けている人である必要はある。

4 主客同一の要素があること
スタッフとお客さんではなく、人と人として出会うこと。
人と人としての関係を育てること。
そうしたフラットな関係の上でお店についての話ができれば、
その瞬間からお客さんもお店のつくり手の一員となる。

5 楽しく、遊びの要素があること
お店の帰り際、お客さんがポロッと言ってくださる感想として
「おいしかった」とか、「いい時間だった」とかも
うれしいのだけど、もし「楽しかった」と
言ってもらえたとしたらそれはもっとうれしい。
発見があり、笑いがあり、創造的な時間が流れたということなのだろうと思うから。

なるほど。
僕にとって、居心地の良さは、
まさに1と2だったわけだけど、
つまり、「目的多様性」と人の多様性だった。

だから、駅前の本屋っていうのは
そういう意味ではかなり大きかった。

影山さんは
「それはカフェなんじゃないか」と言うけど、
僕にとっては、
それは本屋なんじゃないか、って思う。

その違いはどこからくるのか?
僕にとって本屋は方法だった。

15歳とどうコミュニケーションするか?
どうやって広い世界を見せるのか?

2002年の不登校の中学生の家庭教師を
した時からの問いへのひとつの仮説だった。

たぶんそういう「顧客」ファーストアプローチ
の違いなのだろうと思う。
「価値」から行くか、「顧客」から行くか。

10代を顧客にするなら、
中学生・高校生が来られる場所にするには、
カフェだと敷居が高い。
入場料が発生するからだ。
だから、僕はその場を本屋だと思うのだろう。

反対に、
「顧客」ファーストアプローチの弱いところ。

それは、「顧客に届いていない」と思うと、
急速にモチベーションが低下してくる。
その方法論(たとえば本屋でありお店)
ではないのではないか、と思ってしまう。

実際にそれは2016年におきて、
11月にあえなく閉店した。

この本を読んで、
大きな要因のひとつが
「主(あるじ)の不在」だったと思った。

2015年の黄金期には
山田‐井上ラインがお店を支えていた。
2016年に井上が休学期間を終え東京に戻った。
その時に店は主(機能)を失ったのではないか
と思っている。

そのほかの1、2、4、5の要素は、
順調に機能していたように思う。

主(あるじ)をつくること。

たぶんそれが、これからの本屋、
そして、「かえるライブラリー」にとっても、
大きなカギになる。  

Posted by ニシダタクジ at 07:17Comments(0)

2019年01月03日

「本を贈る」というリレー


「本を贈る」(三輪舎)を読み終わった。
併読していた「続・ゆっくりいそげ」(影山知明 クルミド出版)も。

なんだろう。
読み終えて、少しさびしい気持ちになる。

そして、それ以上に
じわじわとあったかい気持ちも湧いてくる。

これが、本のチカラか、と
あらためて思い出す。
1年の始まりにこの本に出会えてよかったなと思う。

「続・ゆっくりいそげ」からは、
あらためて、自分が目指したい「場」を
確認させてもらった。

影山さん的に言えば、
それはカフェなんだ、と思うけど。

僕が読むと、
それは本屋なんだ、って思う。

http://hero.niiblo.jp/e208716.html
(カフェという場のつくり方 12.10.28)
山納さんの「カフェという場のつくり方」
を読んだとき、
僕がツルハシブックス作りたいのは、
カフェなんだって思った。

そして、今回この本を読んで、
やっぱり限りなくカフェに近い本屋なんだって思った。
そしてそれは「かえるライブラリー」で実現できるのではないかと思った。

そしてそれがカフェではない理由は、おそらく
僕の対象とするお客の年齢層が低目だから。
中学生・高校生・大学生だから。
もっと言えば、15歳だから。

「15歳が自分と住んでいる地域を好きになり、自分と社会の未来創造へ向けて歩き出している地域社会の実現」
(twitterに書かれているプロフィール)

だから、カフェよりも、
僕は本屋なのではないかと思う。
それは僕の表現方法だ。

そんな風に考えているところに、
「本を贈る」に出てくるたくさんのシビれる言葉たち。
「本を贈る」というリレーを経ていま、目の前に本がある。
そんなことが実感できる1冊。

藤原印刷・藤原さんの「作品」というコンセプトにも熱くなったけど、

今日は、取次「ツバメ出版流通」の川人さんと
朝日出版社の営業・橋本さんのところに特にシビれた。

ああ、こうやって、本は、思いは、リレーされていくんだ。

僕自身が書店まわり営業だったとき、
名刺の肩書には、「営業」ではなく、
「人生を変える本屋プロデューサー」と書いてあった。

他書店を見て、売れている本の情報、
この本屋さんの客層からいったら売れそうな本を
自分の出版社以外にもオススメしていった。

他社の本でいちばん売ったのは
福島正伸さんの「どんな仕事も楽しくなる3つの物語」。

新潟・富山・石川の大型書店の書店員さんに
「いい本あります。プロモDVDも会社に頼めばくれますよ」と
勝手に営業し、軒並み3ケタの売り上げ
(たぶん受注は1000冊以上)を記録して、
編集の谷さんからお礼状が届いた。

僕は「そういう本屋」を作りたかった。

本屋にフラッと入ったら、DVDが流れていて、
それに感動して思わず買ってしまった。
そんな本屋を作りたかった。
そんな日々を思い出した。

川人さんの、
誰かから誰かへの「贈りもの」としての本を
責任を持って届けている、ということができる。
という言葉。

橋本さんの、
「ソーシャルデザイン」棚をつくっていく話。

そのエピソードに胸が熱くなった。

本は、そして本に携わる人たちは、
「本を贈る」というリレーの中にいる。

それはとても幸せなことだ。

まきどき村の米づくりで言うところの、
「営み」の中にあること。
だからこそ、僕は本屋でありたいのだろうと思った。

そして、届けたいんだ。
15歳に。

思いを確かにする新年に、
ステキな本を贈り出してくれたみなさんに、
ただただ、ありがとうございます。  

Posted by ニシダタクジ at 12:01Comments(0)

2019年01月02日

第四次元の芸術

おお朋だちよ いっしょに正しい力を併せ
われらのすべての田園とわれらのすべての生活を
一つの巨きな第四次元の芸術に
創りあげようではないか
(宮沢賢治「農民芸術概論綱要」)

1月1日、まずどの本を読むか?
について、毎年12月後半になると悩んでいるのだけど、

今回は、11月にすでに決まっていた。

11月23日に東京・千駄木・往来堂書店で
購入した1冊。


「本を贈る」(三輪舎)

帰りの電車の中で、
さっそく読み始めたのだけど、
あまりにドキドキしてしまって、本を閉じた。

すぐに読み終えてしまうことがもったいないような気がした。
そしてふたたび、購入袋の中に入れて、寝かせておいた。

「1月1日は、この本から始めよう。」
と思った。
ようやく、1月1日がやってきた。

そこに、年末、素敵なパートナーがやってきた。

「続・ゆっくり、いそげ」(影山知明 クルミド出版)
この2冊の併読から2019年が始まった。

「本を贈る」を読むと、じわじわとあったかい気持ちになってくる。
「本」がどのようなリレーを経て、いま目の前にあるのか、
そんなことに思いを馳せるようになる。

サンクチュアリ出版で営業をしていたときに、
僕は駅伝の第3走者を走っていると感じながら営業していた。

著者→編集者→営業→書店員→読者
僕は本を届ける第3走者を走っているんだ、って思ってた。

ところが、その編集者と営業のあいだに、
つまり本が原稿から本というカタチあるものになるまで、
何人ものリレーを通ってきているということが
この本を読むとじわじわと感じられてくる。

2017年に長野・木崎湖「アルプスブックキャンプ」で藤原印刷の
藤原章次さんに出会い、その後東京のオフィスにお邪魔をし、
一言に衝撃を受けた。

「それって作品って言えるのかな」

http://hero.niiblo.jp/e485548.html
(発酵人であるということ 17.8.8)

「本を贈る」には、
藤原印刷・兄こと藤原隆充さんが語っている。
章のテーマは、心を刷る「心刷」。

創業者である藤原さんのおばあちゃん輝さんは、
タイプライターを習い、タイピストとして独立。
タイプライターで原稿を打ちこんでいく。

著者の原稿がタイピストの介在によって
熱量を失ってしまうことに違和感を持った輝さんは、
「一文字一文字に心を込めて打つ」ことの大切さに気がつく。
ここから「心刷」というコンセプトが始まった。

そして、やはり印象に残ったのはこの部分。

「情報を伝えるためだけの紙メディアが
インターネットの普及で激減するのは当然のことです。
一方で残っていくものとはなにか。
それは、作品としての本だと思うのです。」

そうそう。
それが藤原印刷が支持される理由なのだろうな。

印刷物を刷っているのではなく、
「作品」を刷っているのだ。

と。

「本を贈る」はこんな風に、
1冊の本がどのようにできていくのかを
本になったつもりで旅をするように読むこともできるし、
本を手渡す一人のランナーとして、
本の流れに身を委ねることもできる、
そんなあったかい気持ちになれる1冊。
これは仕入れて届けたい本だなと思う。

「続・ゆっくりいそげ」は、
「本を贈る」に並走してくる。

~~~ここからメモ

人は幼いころ、自分の人生の目的地を動詞のhaveで考える。
そこからもう少し大人になると、動詞のdoで考えるようになる。
doで人生のゴールを定義することの辛い部分は、
多くの場合、それがすぐには達成できないことであることだ。

そこでbe動詞である。
「何を持ちたいか」、「何をしたいか」ではなく
「どうありたいか」。

beの充足は、doの挑戦への前向きな前提条件ともなる。

思うようにお店の売り上げが上がらなかったり、
企画したイベントが不発に終わったりしたとしても、
それはカフェ店主のとしての
自分の「職業技術」だったり「機能性」が十分でなかったからなのであり、
自分の「存在」そのものを否定しなくてもいいんだと思えるからだ。

beが満たされている限り、その上で、結果を振り返り、反省し、
次はもっとうまくやってやろうと再度挑戦しようという気にもなる。
そうして、ちょっとずつでもdoの達成を積み重ねていくことで、
自分のありたい姿も、より信じられるようになっていく。

その関係をぼくは、beの充足を根っことし、
具体的な行動・挑戦(do)を幹であり枝とする樹形のようにとらえている。

~~~ここまでメモ

僕(とこはるん)の場のチカラ理論によれば、
大切なのは場のチカラであり、
場のチカラの中でも
「誰とやるか」っていうのは最重要な項目となる。

影山さん的に言えば、
「誰とやるか」っていうのは、
「どうあるか」つまりbeの前提条件にもなっている。

「就活の違和感」を的確についている、と思った。

自己分析で「やりたいこと・将来ビジョン」など、
doの目標を見つけさせようとするのだけど、
本人たちにとっては、beどうありたいか?が大切なのであって、
それは言葉にすればまさにイナカレッジが言うような
「暮らし方」とかそういう話になるし、「誰と働くか?」っていうことになる。

それなしに「do」の目標だけを設定し、
そこに向かって自らを最適化させていくことは、
影山さんによれば、根っこなしに植物を育てようとしているようなものだ。

それは植物工場のように、温度管理され、
最適な養分が常に流れ込むような環境でしか育たない植物になるリスクを抱えている。
そして、その養分となるのがおそらくは「他者からの評価」であり「(金銭的)報酬」である。

そして、
「場のチカラ」がキーワードだった(というか今も)、
影山さんが「場の力」を説明している。

影山さんによれば「場の力」とは、
空間×関係性×記憶
なのだという。

おおお。
これは、僕が言っていた
「誰とやるか」「いつやるか」「どこでやるか」
をもう少し長いスパンで表現したものなのではないか。

影山さんは、
「場」をお店のような継続していく場としてとらえ、
僕は「場」を、ミーティングやイベント、合宿などの
「瞬間」の場として捉えている差なのではないかと思った。

それは僕が落ち着きがないからか、
劇団員を志向しているからかどうかはわからないけど。

そして、ここからがこの本の1月1日読書でのクライマックスだった。
(まだ読み終えていない)

「人と場とか、相互作用によってお互いを高めていくさまは身近な
事象によっても確認できる。---おでんだ。」

えええ。
おでんっスか!?

クルミドコーヒーと影山さんのスマートなイメージと
「おでん」がギャップがあって萌えた。(笑)

でも、このおでんのたとえがよかった。

~~~以下一部引用

つゆ(場)の出汁によって、
たまごも、だいこんも、こんにゃくもおいしくなるが、
そこにはたらきをなしているこんぶやさつまあげや牛すじがある。

個々の具材がいかされているといっても
それらはバラバラに活躍するわけではなく、
おでんとしての一体感がある。

具材の中に「引き立てられる」のが
上手な具材とむしろ
「場を育てる」方面でこそ
力を発揮する具材とがあることにも気がつく。

~~~以上一部引用

このあと、さくらんぼの話も素敵なのだけど、
それは、本書を読んでいただきたい。

このあと、
場が力をもつための5か条が書いてあり、
影山さんはその章を
「カフェこそが、その場である」

と締めくくるんだけど、僕にとっては、
本屋こそが、その場である、と思った。

カフェにも、
空間がもっている「歴史」があるだろう。

でも本屋には、
「本を贈る」に書いてあるような、
「思い」のリレーを経た本たちが、
そして何より、先人たちの人生そのものが、
そこに並んでいるのだ。

「本」という時間軸のラインと。
「場」という空間のデザインと。

それらが交差する場が本屋であると思う。

宮沢賢治がおよそ100年前に語った、
「第四次元の芸術」という問い。

世の中を第四次元の芸術へとつくりあげる。
その小さいものが本屋で実現できるかもしれない。  

Posted by ニシダタクジ at 08:25Comments(0)