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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2019年07月25日

「百姓」をアップデートする

「百姓」をアップデートする。

「田舎には仕事がない」のではなく、
「田舎にはサラリーマン仕事が少ない」というのが真実だ。

「地方に人を呼ぶには雇用の拡大を」
というのは、ある意味、真実だろう。

「サラリーマン」という働き方は
直近わずか50年の特殊な働き方だったと、
伊藤洋志さんは「ナリワイをつくる」で言っている。



http://hero.niiblo.jp/e441317.html
「50年間だけの成功モデル」

http://hero.niiblo.jp/e279962.html
「専業思想がコミュニティを崩壊させた」

http://hero.niiblo.jp/e477992.html
「本業じゃないほうが本質的なことができる」

昨日、阿賀町で自然薯を栽培している
目黒さんの話が僕の中で熱かった。

小中学生のエゴマの植え付け体験を受け入れたら
時期がちょっと遅くなっちゃって、今年は収穫量が減るかも。
でも、学びのためには毎年受け入れるよ、みたいな。

この前、お義父さんの小屋づくりの
玄関にセメントを流しこむ作業をしたとき、金属のコテじゃなくて、
木をコテの形に切って取っ手(それも木)をつけただけの
お手製のコテで上手に塗っていて、感動した。

ああ。
ブリコラージュっていうのはそういうことか、と。
百姓っていうのは、「自分でつくる」っていうことなんだ。

「仕事」っていう概念が変わりつつある時代に生きていると思う。

だとしたら、
人は自ら、自らの「仕事」を定義しなければならない。

目黒さんの話は、まさにそれだった。

「価値」は何か?

エゴマをたくさん取ることか。
それともエゴマの植え付け体験を子どもたちにしてもらうことか。

それを自ら定義して、実践すること。
それが百姓なのではないか、と思った。

子どもたちに伝えていかないといけないのは、
そういう百姓スピリットなのではないか。

いい大学いい会社に入ったから幸せになれるわけではない。
いい師匠いい仲間にめぐり合えたから幸せになれるわけでもない。
唯一幸せになれるのは、幸せを自ら定義した者である。

と2か月ほど前につぶやいたのだけど、
「幸せ」だけじゃなく、「仕事」も自ら定義すること。
そしてそれを自らつくってみること。

百姓とは、
仕事をたくさん持つ人のことであり、
仕事を自らつくる人のことであり、
仕事を自ら定義し、自らの価値観に従って実行する人のことである

それが百姓2.0なのかもしれない。  

Posted by ニシダタクジ at 07:43Comments(0)言葉