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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2019年08月18日

人生は経営であると伝えること



内田樹さんの「下流志向」(講談社文庫 2007年)を読んだのは
2011年だった。

なぜ、地域コミュニティは崩壊したのか?

なぜ、子どもは学ばなくなったのか?

は共通する1つの原因があるのだと言う。

~~~以下、「教育は等価交換ビジネスではない」(2011.10.28ブログ)より引用
http://hero.niiblo.jp/e139329.html

子どもたちの社会参加は「家の仕事の手伝い」をする労働主体としてではなく、「モノを買う」という消費主体として社会に接するようになった。
世の中からは「賢い消費者」になれ、と要求され、幼いながら「費用対効果」の波にさらされる。

消費主体として、学校というシステムに対してするべき、最初の質問はこれだ。

「なんのために勉強するんですか?」

つまり。授業を受けるという苦痛の対価として何が得られるか?が理解できないと、私はその苦痛を提供しませんよ、取引不成立ですよ。と。

~~~

地域コミュニティに関しても同じだ。
草刈りやお祭りなどの対価に対して何を返してくれるんだ?
と問いかけた時点で、コミュニティの崩壊は始まるのだ。

そこに等価交換の原則はそもそもなかったからだ。
その受益者は、何代もあとの者や
目に見えない安心・安全などだからだ。

そして、世の中がそうであるように、新・自由主義的な、
「等価交換」「実力主義」「自己責任」という世界は、
教育の現場にも、ますます押し寄せてきている。

そして、子どもたちは問われる。

「やりたいことは何か?」
「あなたのできることは何か?」

しかし。
その「問い」以前に、子どもたち(というより大学生、20代、もっとか)が抱えているのは、

「自分はこの世に存在していていいのか?」
言い換えれば、
「自分は存在する価値があるのか?」
という問いだと思う。

その「存在承認」や「存在価値」
に対して、SNSやオンラインゲームは、サービスを提供する。
だからこそ、ビジネスが成立している。

しかし、オンライン上の
「存在承認」や「存在価値」の実感では十分ではない。

こうした、土台がはっきりとしないまま、
「キャリア教育」という名の何かが始まる。

そしてそれは、2000年代前半の
村上龍・幻冬舎の「13歳のハローワーク」
SMAPの「世界にひとつだけの花」
NHK「プロジェクトX」から「プロフェッショナル」へと

という3つの要素から
「自分は何者か?」問題が深刻さを増している。

~~参考
http://hero.niiblo.jp/e488809.html
「何者かにならなくてもいい」(2019.1.30)
~~~

じゃあ、どうすればいいのか?

何事もチャレンジして
さまざまなスキルを磨いて、
自分の得意を見つけて、
オンリーワンになって、
3つの仕事を組み合わせて100万人に1人の人材になって、
自らの存在価値を上げていけ。

その通りだと思う。
世の中で活躍している人は、そんな生き方をしている人たちだ。

「そんなのできない。」

と放棄した人たち、あるいは違和感を感じる人たちが
不登校になり、その後も家に引きこもっているのがこの国の現実だと思う。

「存在承認」を得られるチャンスをつくること。
それは、田舎に行くことだ。
「若いだけで自分は価値があるのではないか?」
と思うことだ。

僕がかかわっている大学生向けの新潟の田舎での1か月プログラム
「にいがたイナカレッジ」の大きな目的のひとつはそこにあるのだろうと思う。
そして3人の力を合わせて、「魔法をかける編集」を駆使して、
ひとつの創造的な何かを生み出すこと。

それを繰り返すことで、
その場が、そのメンバーがその人にとってのふるさとになっていく。
価値とは何か?を問い、
その設定した価値に向かってアクションすること。

それって、
大げさに言えば、「人生を経営する」っていうことになるのだと思う。

大学生に、高校生に、中学生にまず伝えたいこと。
「人生は経営である」ということ。
ドラッカーの経営者が答えなければならない5つの質問に答えること。

1 ミッションは何か
2 顧客は誰か
3 顧客にとって価値は何か
4 成果は何か
5 計画は何か

この5つに答えること。

特に2と3
顧客はだれで、顧客にとって価値は何か?

という問いに対して挑んでいくこと。
それこそがあなた自身の「価値観」を形成していく。
それは、人生が船旅だとしたら、コンパスのようなものだ。

コンパスを手に入れること。
その前に、まず人生が船旅の経営だと知ること。
それを始めていかないといけない。

「勉強しろ」と親や学校の先生から言われるから勉強する。
それは、「経営」じゃない。

村上龍が「13歳のハローワーク」で伝えたかったのは、
本当はこれだけの選択肢があるのだから意思を持って生きろっていうことんだったんじゃないのか。

「プロフェッショナル」とは、
精神的に独立した人たちのことなのではないか。

SMAPや楽曲を提供した槙原敬之は、
あなたの価値はもともと存在し、
それをただ表現することをすればいい、と言っていたのではないか。

本当はみんな「人生の経営者になれ」と言っていたんじゃないのか。

人生を経営する。
自らの人生の価値は自らが決める。

2000年代前半、
「平日は市役所でボチボチ働いて、夜と週末に好きなことするんです。」
と言い切っていた25歳女子がまきどき村の人生最高の朝ごはんに通ってきていた。

彼女は自分の人生を経営していたと思う。

どこに投資し、どういう価値を生み出していくか。
自分がもっとも輝ける瞬間をどう設計するか。

なんのために大学に行くのか。
どういう学びを手に入れるのか。
あるいは、大学生という身分で試行錯誤する4年間という時間を手に入れるのか。
そのためにやっている受験勉強にどれほどの投資価値があるのか。

人生が経営だとしたら、その質問に答えなきゃいけないんだ。

新潟の市民映画館「シネウインド」創設者の斉藤正行さんが言っていた。

「人はみな、人生の初心者なんさ」

そう。
やってみる以外にない。
でも、だからこそ、人生を経営する、という視点を手に入れて、
ふりかえり、試行錯誤すること。
顧客を設定し、その幸せのために全力を尽くすこと。

そしてそれは、必ずしも、「仕事」というカタチの表現方法による必要はないということ。
家庭でも、プライベートでも、人生は「経営」できるということ。

そういうことを、僕は伝えたい。

「強く生きろ、さもなくば奴隷になるぞ」

そんな風潮を僕は信じてもいないし、流されたくはない。

強く生きなくても奴隷にならない方法、
あるいはその方法を考えること。
それが人生を経営するということだと思う。

人生は経営である、と自覚すること。
そこから、「あなたの人生」がスタートする。  

Posted by ニシダタクジ at 07:58Comments(0)思い